第14話 命を賭して
周りに人がいないことはかなり慎重に確認したが、念のため小声で話をする。
「面倒なことに巻き込んで本当にごめん。大人の力を貸して欲しいんだ」
ゼブが神妙に頷いて答える。
「本来なら、お二人を危険にさらすわけにはいきません。しかし、エリゼ様も同じような者を見つければ助けようとしたでしょう。今、ここにいらっしゃってもあなたがたを叱ったりはされません。私もなんとかしたいと思います」
いつも付き合わせてすまん。
今回は特に厄介なやつだ。
「もしフヨウが船員に見つかったらどうなると思う?」
「船の審判を受けることになります」
ゼブが答える。
いきなり処刑されるわけじゃないのか。
「どういう内容かわかる?」
「……船尾から目隠しで両手を拘束された状態で突き落とされます。一度も海面に頭を出さずに船首側まで泳ぎ切れば罪が赦されます」
死刑より酷いやつだった……。
この船数十メートルあるぞ、潜水で船を追い抜くってどれだけ泳げばいいんだよ……。
ゼブもちょっと答えにくそうだった。
これは却下だ。
「あるいは、到着するタイミングで発見されれば、奴隷として売られて損失を補填するのにつかわれるかもしれません」
船上の物資は長旅において命綱だ。
犯罪者の命より高いということか。
このケースは審判よりマシか……。
そういう意味では少しでも発覚を遅らせる方向ですすめることになるかな。
問題は共犯者になる俺たちが危険にさらされることだ。
「ケーティアで隠れて下船できないかな」
「難しいと思います。人の出入りはひとりひとり確認されますし、彼女の場合は獣人ですので目立ちますから。仮に船に残ろうとしても貨物がすべておろされてしまいますので見つかる確率が高いです」
ロムスで見つからなかったのはラッキーだったんだな。
今この時点で完璧に解決ってわけにはいかないか。
「フヨウは弱ってるみたいだし。まずは元気を出してもらわないとだね」
カイルの意見は最もだ。
フヨウがうまく動けないと選択肢は少ない。
「そうだな。しばらくはフヨウの体力回復を優先しよう。念のためだれかしら一緒にいることにする。残りは船内で情報収集だ」
問題を棚上げしてできることから始めることにした。
タイムリミットは後三日ちょっと。
なんとか次善の策でも見つけたいところだ。
三日はあっという間に過ぎた。
何をして過ごすが迷っていた頃が懐かしい……。
フヨウはオド循環が効いたのか、獣人の力なのか、暖かい食事と睡眠で瞬く間に回復を見せた。
今はちょっと暇そうなくらいだ。
同じ女の子なこともあってルイズが良く面倒を見ている。
ルイズはあまり人と話すのが得意ではないので調査よりこちらで正解だったのかもしれない。
今では大分仲良くなって、二人で話す様子はフヨウの耳が見えなければ姉妹のようだ。
なお、体の大きさの都合で面倒を見ているルイズが妹に見える。
一方で情報収集についてはあまりうまくいっていない。
色々とわかったこともあるのだが、決め手に欠ける。
残り時間はあと一晩、決断の時は迫っていた。
「ちょっといいか」
ルイズと談笑するフヨウに話しかけるとフヨウは顔に緊張を走らせた。
「予定通り、明日この船はケーティアに到着する。早朝になるそうだ。もし、その時にフヨウのことがバレた場合、たぶんフヨウは奴隷として売られることになる」
処刑される可能性は話さないことにする。
その場合はなんとかそれだけは避けよう。
「……いままでありがとう。これ以上面倒はかけられない。私は船の底に戻る。体力も回復した。私だけならなんとかなるかもしれない」
「そんな!」
覚悟していたのか厳しい顔で言うフヨウの袖をルイズが強く握る。
「話は最後まで聞いてくれ、もう一つ手がある。絶対の安全は保障できない。賭けになるがもしかしたらうまくいくかもしれない」
「……聞かせてくれ」
「泳ぎは得意か?」
フヨウの顔に落胆の色が浮かぶ。
審判の話を知っているのかもしれない。
それでも密航するほど追い詰められていたんだな……。
「聞かせてくれ、泳ぎは得意か?」
「……里では得意な方だった。海で泳いだことはないからわからん」
微妙なところだ。
でも不可能じゃないかもしれない。
作戦を伝えることにする。
フヨウは賭けに出ることを選択した。
その夜。
空は良く晴れていた。
月あかりが甲板を照らしている。
この船はロムスからケーティアの間、到着まで陸を見ることが出来ない。
これは厳密に言うと事実ではない。
ケーティア到着の数時間前から陸が見え始め、何度か接近することがある。
単純に言ってしまえば到着前にここへ泳いで向かってしまおうというアイデアだった。
単純なアイデアだったがこれを可能にするには下調べと運が重要だった。
何よりもフヨウに泳ぐ意志がなければ無意味だ。
まず、陸へ接近する時間は夜明けより幾分前だったのであまり乗客には目立たない。
ごく少数の船員が動き回っているが、マナ感知で避けることができた。
月明りのお陰で陸のある方向はなんとか見失わずに済みそうだ。
ゼブとルイズは早朝に甲板で毎日素振りをしていたのでこの時間動き回っていても何も言われなかった。
二人が素振りを始めた。
そちらに人の意識が向かっている間にフヨウを連れ出す。
陸はもう半刻前から見えていた。
この時のために準備していた特製エマージェンシーキットを海に投げ込む。
音が目立たないか不安だったが波の音に紛れてほとんど気にならなかった。
このキットは俺がここ二日ほどかけて準備していたもので、PVC、いわゆる塩ビで作った固い浮き輪に瓶に入った真水、防水袋に入れた保存食、小型の刃物、少額の貨幣や手ぬぐい、換金用のお手製宝石等を入れておいたものだ。
ちなみに、この宝石は別の種類のものを船底の食品に混ぜておいた。
気晴らし程度だが、フヨウが食べてしまった分の罪滅ぼしだ。
浮き輪はちゃんと浮いているようだ。
あれを投げ込んだ以上、時間はかけられない。
流されてしまう前に進まなければならない。
手短に別れを済ませる。
「じゃあな、幸運を祈る」
「ありがとう」
ひとこと呟いて海へ飛び込む。
ここで怖気づかなくて良かった。
あとは彼女の運とやり方次第だ。
◇◆◇◆◇
あの少年は何者なのだろう。
泳ぎならかフヨウは考える。
あの船に乗った時。
首尾よく下船できるかどうかは半々だと思っていた。
しばらく中で過ごし、水が手に入らないことがわかったとき、自分はもう死んだと思った。
それでも身を隠し、荷物をあさって少しでも生き残るすべを探した。
約束があったからだ。
当然のように力尽きて動けなくなったとき、これでおじいに会えると思った。
約束したから頑張ったけどだめだったよと伝えようと思っていた。
しかし、その願いは叶わなかった。
あの少年がいたからだ。
少年は軽率で博識だった。
自分と家族の危険を顧みず、なんの義理も無い私を助けた。
聞いたこともない魔術を操り、瞬く間に私の体を治療した。
あれはどこかで学べるものではない、秘術の類だ。
続いて彼は私に水と食事をわけあたえ、あまつさえ、金子まで持たせて送り出した。
この浮きも不思議なものだ。
丈夫で木より軽い。
決して沈まず変な形をしているが、うまく体を引っ掛けていれば水上で眠って休むこともできるという。
彼はどこでこれを手に入れたのだろう。
物だけでなく知識も与えられた。
川にはない波の性質、陸へ近づけない流れへの対処法等だ。
到底あの年ごろの少年が知っているとは思いない知識と技術が次々と出てきた。
今、私は依然として命を賭けた瀬戸際にいる。
しかし、あの船に乗り込んだ時のような半場諦めとともにあるような破れかぶれの賭けではない。
この手足で勝利を手繰り寄せられる賭けだ。
これまでの人生で少しずつ失っていたものをちょっとだけ取り戻した気がする。
最後まで足掻こうと思った。
◇◆◇◆◇
カイルと一緒に、フヨウが見つからないようにしばらく甲板で警戒を続けた。
幸い、フヨウの姿はあっという間に闇と波の間に消えてわからなくなった。
今更ベッドへ向かう気にもなれず、ぼんやりとルイズの朝練を眺める。
俺の目から見ても明らかなほど身が入っていない。
ゼブもそれを注意しない。
みんな不安なのだ。
予定通り船が港へとついた。
大きな荷物もないので下船の手続きに戸惑うこともなくあっけなくケーティアへと降り立った。
地面が揺れている。
いや、船に乗っていた時間が長すぎてそう感じるだけだと思うが未知の感覚だ。
本当なら初めての感覚に興奮して騒ぎ立てるところだがそういう気分にもならない。
予定では今日のうちに馬車や必要な物資の手配をして明日か明後日には出発することになっている。
フヨウにも明日まではこの街に滞在すると伝えてある。
うまくたどり着けるようなら合流するようにと。
宿は一つしかないはずなのですぐにわかるだろう。
気持ちを入れ替えなければいけない。
ここは慣れ親しんだロムスの街ではないのだ。
子ども連れで気を抜いていい場所ではない。
今回のことで一つ喜ばしいのは、俺たち四人が揃ってこの街に辿り着くことができたことだ。
それを忘れないようにしよう。
一つ一つ確認しながらやるべきことを済ませて行く。
馬車は明後日、目的地のウオス山ふもとに向かうものが出発するようなのでこれに乗ることにした。
荷物はそう増やすつもりもない。
念のための保存食を買い増す程度だ。
何かあっても対応できるように、マナ感知で街の様子を確かめながら宿への道を進む。
――だから、俺が一番最初に気が付いた。
一人とぼとぼと歩く人影。
しばらく一緒に過ごしたからわかる。
間違いない。
「フヨウ!」
彼女もこちらに気が付く。
となりに居たルイズはもう走り出している。
カイルも嬉しそうだ。
ゼブはいつも通りに見える。
俺もそれを真似して落ち着いていこう。
困ったことはこういう時に起きる。
好事魔多しだ。
一度会えたなら、再開を喜ぶ時間はたっぷりある。
「ありがとうって、またちゃんと伝えようと思ったんだ」
宿に戻った俺たちに彼女は一言言った。
今日は彼女もこの宿に泊まることになっている。
どうせここしかないのだが。
「袖振り合うも多生の縁だ、気にするな。それより、これからどうするか決めてるのか?」
ここはもうエトアではない。
イセリア教徒はたくさん居るが、獣人だというだけで言われのない差別を受けることはないだろう。
うまくやればここで生きていくことはできるかもしれない。
「……袖? 何かこの国の言葉か? 私は……」
「一緒に行こう!」
ルイズが話を遮って言った。
ルイズの我儘は何度目だろうか……。
どちらかというと親の言うことを良く聞く子なのだが、我儘を言う時は大抵難題だ。
そして最近もう一つ気が付いたことがある。
「ウィルモアの東側にある商業自治区ラータンは他民族都市です。あるいは獣人でも過ごしやすいのではないでしょうか。そこに行くにはまず王都に向かうことになりますが」
ゼブはルイズに甘い。だだ甘だ。
そもそも、剣術以外のことなら子どもに甘い。
とにかく、この二人が賛成しているなら俺たち兄弟が反対する理由がない。
「……いいのか?」
「もちろんだ」
こうして俺たちの初めての船旅はこの時やっと終わりを告げた。
明日は忙しくなる。
なんせもう一人分旅の準備が必要なのだから。
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