第13話 見なかったことにはできない

「兄さん気持ち悪い……。何……これ……」


「これは船酔いと言うんだ弟よ……。海の神が与えたもうた試練だ」 


 郷愁と希望を胸に乗り込んだその船の中。

 出発して三時間後、俺とカイルは船酔いに苦しんでいた。


 乗ってすぐは良かったんだ。

 興奮しながらみんなで船を見て周って、それに飽きたら談話スペースでみんなで話をした。

 その後だ。

 まだ酷い揺れというわけでもないと思うのだが、昨日興奮して眠れなかったのが悪いのだろうか。

 睡眠不足は乗り物酔いの最大の敵だったはずだ……。

 こんなので本格的な時化とか来たらどうなるんだ……。

 前世で本か何かで読んだ、絶対試したくない船酔い解消法が思い浮かぶ。

 あれは最後の手段にもしたくない……。

 ゼブはともかく、ぴんぴんしているルイズがちょっと恨めしい。

 船の揺れは足腰を鍛えるのにいいとか言って甲板で剣を振っている。

 その様子をマナで感知していてピンときた。

 どうして気が付かなかったんだ!

 ビシっと起き上がる気持ちでだらりと立ちあがる。


「オド循環だ、弟よ! 自分のオドを確かめろ、循環の澱みを正すんだ!」


 言いながら丁寧にオドを循環させていく。

 完治にはほど遠いが物凄く気分がマシになった。

 ほんと、万能だな循環。


「あ、ああ……。これ大分楽になるね兄さん。助かったよありがとう」


 今だに青い顔をしているカイルと向き合って座る。

 この俺たちの様子を外から見れば鏡写しのように見えることだろう。

 余談だが俺たちは二段ベッドが二つある四人部屋の船室を使っている。

 身内で貸し切れるので色々と都合が良かった。

 俺たちはこれから都合四日間機上の人ならぬ船上の人だ。

 本当にこのまま船酔いが続いていたらと思うとぞっとする。

 この日数では途中寄港もないので慣れるまで戦い続けるしかないのだ。

 今、俺たちの船は大陸を左手に南下しているところだ。

 しばらく前に陸地は水平線の下へと消えてしまい、これから最終日の到着する直前までお別れの様だ。


 循環を続けて船酔いはおおむね回復した。

 あの状態に戻るのは嫌なので暫く緩い循環を続けることにする。


「ちょっと出てくる」


 どうせ暇なので、確かめたかった事を調べに船室を出ることにした。


 魔術師の基本として魔力は大地から得る、というものがある。

 つまり大地から離れた俺たちは打ち上げられた魚ならぬ海の上の魔術師なわけだ。

 実際魔術師のセオリーとして船旅では著しく力が弱まるとある。

 しかし、言い換えれば力がなくなるではないということになる。

 これまで海辺や小川で行ってきた数々の実験から分かったことは、海や川には非常に濃いマナがあるということだ。

 オドをつかってこれに干渉すれば地上ほどではないにせよ、魔術を発現させられることがわかっている。

 これを船の上でも試してみようと思うのだ。

 俺はできるだけ海に近づける船底近くへと降りて行った。


 船底は独特な雰囲気がある空間だった。

 誰かに叱られるかとも思ったが咎められることもなくここまでたどり着いた。

 なにかちょっと変な臭いがするが漏水対策の膠だろうか。

 さっさと目的を果たすために持ってきたコップを床において両足に意識を集中させる。

 どうやら足元から海までの距離はそこまでないらしく、うねって流れるマナが感じられる。

 これならいけそうだ。

 船内に直接海水を引き込むわけにはいかないので海から汲み上げたマナを利用して空気から水を抽出していく。

 やはり船は湿度が高いのか大した苦労もなくコップ一杯の真水を得ることができた。

 思ったより簡単に成功したな、と船上での残りの時間が暇になってしまったことを逆に憂いているとすぐ近くからごとりと物音がした。

 何かが落ちるような音だ。

 船は揺れるものなので食料や資材の樽はしっかり固定されている。

 ものが落ちた様子はなかった。

 ネズミというわけでもなさそうだし、船の上にネズミが居たらそれはそれで大問題だ。

 音のした方をマナ感知で確認して非常に不味い事態であることがわかった。

 わかってしまった。

 そこには子どもひとり分ほどの非常に弱った気配があったのだ。

 そもそも無警戒に人の少ないところに来たこと自体が間違いだった。

 ここはもう、あの家族に守られたロムスではないのだ。

 これからもうマナ感知は欠かさないようにしよう。


 後悔先に立たず。

 知らないふりもできないので静かに近づいて様子を伺う。

 そこには予測通り、衰弱した様子の子どもが倒れていた。

 女の子だろうか。

 こちらには気が付いていないようだ。

 見なかったことにもできず、意を決して近づいて確認することにした。

 警戒は忘れない。


「おい、大丈夫か?」

 声をかけても反応が無い。

 もう意識がないのかもしれない。

 手に触れてオドを確認する。

 全体に澱んでいてほぼ循環はしていなかった。

 少しずつオドを整えるとわずかに動きがあった。


「……み……ず、を」


 乾いた唇からその言葉を聞いてすぐに床に置いたままになっていたコップに意識がいった。

 コップをとって戻ると慎重に唇を湿らせるように水を飲ませていく。

 オド調整をしながらコップにあった水をすべて飲ませると少しだけ表情が和らぐ。

 緊張から無意識に止めていた息を吐きだすと、そこでやっと少女の頭に犬か狐のような耳がついていることに気が付く。

 獣人か……。

 なんでこんなところに……。


 この世界には獣人と呼ばれる人種がいる。

 多少身体的な特徴は異なるものの、言語を解するれっきとした人類の一種族である。

 本では読んだことがあったが実際に会うのは初めてだ。

 こんな出会いでなければもっと無邪気に喜ぶことができたのに……。


 このまま無為に時間を過ごすのはまずいと思った。

 一度見つけてしまった以上、このまま放置するという選択肢を選ぶことはできない。

 いつだれかに見つかるかわからない。

 この子がなぜこんなところで行き倒れてているのか、気にはなるが確認は後回しだ。

 かなり高い確率で密航だと思う。

 もしそうなら、この少女は幾重にも重なって絶対絶命のピンチということになる。

 この世界においてどのような刑罰が与えられるのかはわからないが密航は重罪だ。

 中世的な価値観によるならば、見せしめとして船上で処刑されることもあり得る……。

 これは避けたい。

 なら最初にやるべきことは時間を稼ぐことだ。

 マナ感知を広げ、まわりの人間の位置を確認する。

 ……これならいけそうだ。

 オドの循環を強めると右手にコップをつかんだまま、俺は首の後ろに引っ掛けるように獣人の少女を担ぎあげる。

 意識がないのか暴れる力もないのか少女はおとなしくしている。

 多少不格好だが俺の身長ではこれ以外にバランスよく持ち上げることができなかったのだ。

 足音をひそめて迅速に。

 咄嗟のスニーキングミッションの始まりだ。


 多少行ったり来たりしたがなんとか自分たちの船室に戻ってくることができた。

 ちゃんと使えればマナ感知は優秀なのだ。

 船室が比較的船底よりなのも助かった。

 それと、どうやら多くの乗客は甲板のルイズ達の近くに集まっているようである。

 ちょっと気になるがお陰で人と会うリスクを減らすことができたのでよしとする。

 左手で戸をあけるとまず船室に残っていたカイルに声をかける。


「頼む、黙って話を聞いてくれ」


 俺とよく似ているはずの顔で驚きながらも無言でこくこくと頷く。

 助かるぜ相棒……。

 子どもを寝台に寝かせると船底であったことを手短に説明する。

 もともと大した話ではないのですぐに説明は終わった。


「見つけた以上はほっとけないんだよ。助けてくれ」


 素直に助けを求めることにした。

 俺ひとりではできることに限界がある。

 カイルは「しょうがないよね」とひとこと感想を言ってゼブ達を呼びに甲板へ上がってくれた。

 折衝とかそういう説明に関してはカイルの方がうまい。

 ここは任せよう。


 カイルが出て行くと俺はコップに水を作り直す。

 海面から少し遠いが、ここでもなんとかいけそうだ。

 さきほどと同じように水を飲ませて今度は備え付けのたらいに同様にお湯をつくる。

 なんのための桶かは考えないようにしよう……。

 幸い中は綺麗に見える。

 荷物から手ぬぐいを取り出すとお湯につけて軽くしぼり、顔を拭いてやる。

 オドの調整等をしてやりながら様子を見ていると目を覚ました。

 先ほどと違い意識ははっきりしているようだ。


「……ここは?」


「大丈夫だ」


 質問に全然答えていない上に本当は大丈夫ではないのだが、最初はこういった方がいいような気がした。


「ここは俺たちの船室だ。家族以外は入って来ない」


「……子ども?」


「そう、子どもだ。お前もだろ? 水、飲むか?」


 集めなおしておいたコップの水を見せると手を伸ばして飲み始めた。

 これでもう三杯目だ。

 よっぽど喉が渇いていたらしい。

 急に飲ませたのはまずかったかな……。


 そこで部屋の扉がノックされた。

 ゼブとルイズだ。魔術でも感知済みである。

 カイルはどうしたんだろう?


「入って」


 カイルが最低限説明してくれたのか、二人は驚いているものの大きく騒ぐようなことは無かった。

 一方、ベッドに腰かけていた少女は二人が携えている木刀を見てその身を強張らせる。


「大丈夫、俺の家族が帰ってきたんだ。全部説明するから少しおとなしくしていてくれ。カイルからはどこまで聞いた?」


 確認すると、俺が呼んでいること、驚くかもしれないが先に話を聞いてあげて欲しいという二点を伝えられたらしい。

 少女にもあわせて、これまでのことを再度説明する。

 説明が終わったところでカイルが食べ物を持って帰って来た。

 気が利くなと思うがどうやって手に入れたんだろう……。

 少女に水のお替りと一緒に渡してやると驚いて目を丸くしていた。

 一気に飲み食いせずに水で湿らせるように食べるよう指示する。


 落ち着いたところで少女から話を聞くことにした。


「私はフヨウ。エトアを出るためにこの船に乗った」


 聞きなれないなまりのある大陸語だ。

 どこの出身なんだろうか。

 エトアではないと思う。

 エトア教国は獣人には住みにくい国だ。

 ゼブの話によるとイセリア教の一部の宗派が獣人の信仰を認めていないためらしい。

 そして、その宗派はエトア教国の北部で強い力を持っている。

 近年、彼らと大陸北部に住む獣人族の間には諍いが絶えない。


 御多分にもれずフヨウの居た集落も小競り合いの中で力を失っていたようだ。

 そんなある日、その集落は山賊に襲われる。

 命からがら逃げ延びたものの仲間は散り散り、最後に残ったひとりの老人と一緒にエトアの国内を放浪していたらしい。


「自分の集落の方には戻らなかったのか?」


「あの村はもう限界だった。みんながいないなら冬を越すのは無理」


 エトアでの生活は苦しいものだった。

 侮蔑の眼から逃げるように移動を繰り返し、ある港街についた時に老人は「南に向かえ」という言葉を残して力尽きたそうだ。

 その言葉を信じてウィルモア行きの船、つまりこの船に忍び込んだ。

 この船はエトア教国のエルトレア近くの港からロムスを経由してウィルモア王国ドーラ領ケーティア、俺たちの目的地に到着する。

 この間を往復する定期便だ。


 船の中では運よく積み込まれた果実と干し肉をみつけ、それで飢えと渇きを癒していたが、食料が足りなくなり衰弱して今に至ると。

 おそらく脱水症状が原因だ。

 子どもの言うことだし、目立っておかしなこともないので全部が嘘ということはないだろう。

 少なくとも行き倒れていたのは事実だ。


 面倒なことになったなと思う。

 あまり気分のいい解決策が思い浮かばない。

 あるいはフヨウがロムスで降りることが出来ていれば少しマシな展開もあったのかもしれないが、今となっては無意味な仮定だ。


 長い船上生活で薄汚れていたのでお湯を温めなおし、ルイズにそれを使った身の回りの世話を頼む。

 男性陣は退室して、どこか人のいない場所で作戦会議だ。

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