第11話 旅間の休日
今日はテムレス滞在最終日だ。
お土産は十分に買ってあるので一日自由に使える。
クルーズは仕事にけりがついて、やっと一安心したのだろう。
寝坊して、みんなに遅れて朝食に降りてきた。
そこで、俺たちは慰安のためにクルーズとエリゼに子守を離れて二人の時間をプレゼントすることにした。
ロムスに居るとクルーズはどうしても仕事に関わってしまう。
貴重なチャンスだ。
ゼブにも自由にしていていいと伝えたのだが「ロムスを離れるまでは護衛をさせて欲しい」と断られてしまった。
スコットとマートはそれぞれ嬉しそうに街中に出て行った。
彼らは今回の仕事の影の功労者だ。
ゆっくり羽を伸ばしてほしい。
俺たちは宿の裏庭ででもみんなで遊ぶつもりだったのだが、せっかく実力者が面倒を見てくれるのだ、みんなで剣術を教えてもらうことにした。
全員並んで近くの空き地まで移動する。
昨日街をぶらついていた時に見つけていた場所だ。
みんなで動き回るためには宿の裏庭は少し手狭だった。
子どもが使える木刀はルイズのものも含めて二本。
入れ替わりで素振りを教えてもらう。
ゼブは直すべきところを淡々と指摘するだけなのだが、頭ごなしに怒鳴られたりもしないので集中できる。
案外指導は得意なのかもしれない。
あるいは俺たちに気を使っているか……。
休憩をはさんでいるにも関わらず結構ハードだ。
四回くらいローテーションしたところで息も荒くなってきた。
ルイズだけはけろっとした顔をして楽しそうだ。
朝だって結構運動をしているはずだが、キャリアの違いをみせつけられる。
実際、目に見えて素振りが綺麗なのがルイズだ。
いくら振っても剣先がぶれたりしない。
ルイズは別格としてカイルが意外と健闘している。
息も上がっているし汗もかいているが剣を振る姿勢がちゃんとしているように見える。
俺とフルーゼについてはお察しだ。
オド循環も使っていないしこの年頃の子どもとしてはこんなものだろう。
フルーゼは相当辛そうなのでゆっくり循環を使うように指示してから、両肩に手を置いて循環の澱みを整えてやる。
これでかなり楽になるはずだ。
「魔力ってこんなことにも使えるのね!」
「大変なときだけね。いつも使っていると体が鍛えられないかもしれないよ」
そんな説明をしながらも自分の息が整うまでオドを循環させる。
俺の番がすぐ前まで迫っているからだ。
「こんなに小さいのにすごいですね」
ゼブの指示にしたがって剣を振っていると、声をかけられた。
ふわっとした栗色の髪の姿勢のいい少年だ。
成人したばかりくらいだろうか、左手に俺たちと同じように修練用の木刀を携えている。
「私もここで鍛錬をさせてもらってもいいでしょうか?」
そのユークスという名前の少年は、聞けば神殿騎士の仕事でテムレスに滞在しているという。
今日は非番で自主訓練できる場所を探していたそうだ。
騎士というものは名誉ある職種で人気職だ。
その立場にあるだけで大概の国では一代の貴族として扱われる。
どうみても成人して間もないこの少年はこの勤勉さで今の立場を得たのかもしれない。
この空き地は広い。
その気になれば十倍の人数でも運動ができるほどなので特に断る理由もなかった。
ゼブが頷いて共同利用を許可する。
ユークスの鍛錬はそう珍しい内容のものではなかった。
体を伸ばし、ほどほどの速さで一般的な型をなぞる。
少しずつ振りが早くなり、型も複雑なものになっていく。
それは派手な動きではないが合理の果てに修練によって生み出されたような美しい剣技だった。
思わず自分の素振りを止めて見入ってしまった。
ゼブも何も言わない。
ユークスの動きが止まった。
あれだけの動きをしているのに息も上がっていない。
そこにゼブが声をかけた。
「もし、まだ鍛錬を続けられるならこの子たちに見学させてもよいでしょうか?」
恐らくルイズに見せたいのだと思う。
おいそれと真似できるようなものではないが、剣術を学ぶ上で目指すべき道の上に彼の技術があるのだろう。
ユークスも気軽に応じる。
「ちょっと気恥しいですが、かまいませんよ。代わりにといってはなんですが気が付いた点があれば助言をもらえないでしょうか。訓練の合間に自省をするのですが、自分を外から見ることはできないので、なかなか上手くいかないのです」
俺の眼では荒をつくこともできない動きだったが、ゼブはいくつか気が付いたことがあるようだ。
以前、肩に怪我をしたことがないか、などと話していた。
やっぱり凄いんだなゼブ……。
いつか彼の本気の技を見ることができるだろうか。
護衛が本気になるときというのはちょっと危険な事態な気もするが……。
武にかかわることではないが、俺にも一つ気になったことがあった。
彼の修練が進むにつれてマナの動きが変化するのを感じたのだ。
あるいはオド循環のように魔力的な方法で動きを補助しているのではないかと思った。
「君にも何か気が付いたことがあったかい? ちょっとでもあれば教えて欲しいんだ」
俺の視線に気が付いたのか、向こうから話しかけられる。
少し迷ったがぼかして質問してみることにした。
「ユークスさんはもしかして魔術が使えるのですか?」
「……残念だけど、素質が無いと言われたことがあるよ。なぜそう思ったんだい?」
「失礼なことを言ってすみませんでした。あんな動きができるなんて、魔術か何かを使っているのかと思ったんです」
「そういってもらえると悪い気はしないな。ただ毎日練習してただけなんだ。私には目標にしている人が居てね。その人の技を目指して鍛錬しているんだよ。まだまだだけどね。
しかし、君はしっかりした子だね。こっちが驚いたよ」
なんだか逆に恥ずかしい。
適当に言葉を濁してお礼を言っておく。
この世には果てしない高みというものがあるらしい。
それが分かっただけでも有益だったと思う。
そうして彼の技を見学したり、自分たちの訓練をして昼過ぎまでの時間を過ごした。
俺たちの素振りに助言までくれてありがたい限りだ。
ルイズの剣は彼の眼にもとまったようで、剣術を学び始めてから一年程度と聞いてしきりに驚いていた。
偉ぶった様子も見せずに勤勉で凄い少年だ。
いつか彼は目標の高みに届くのかもしれない。
こちらは昼食のために修練を終えたが、ユークスはまだまだ続けるという。
昼食抜きで練習かー……。
体には気を付けて欲しいものだ。
お礼を言って空き地を後にした。
昼食を取って宿でゆっくりすることにした。
運動の後はお腹がすく。
しっかり動いてしっかりご飯の後はお昼寝タイムだ。
一人また一人とうとうとし始めた。
幼児なのだから仕方がない。
俺も眠気に身を委ねることにしたのだった。
目を覚ますとエリゼに抱っこされていた。
日の高さを見るにそこまで長い間寝ていたわけではないらしい。
クルーズも帰ってきており、備え付けの椅子に座って何か書類に目を通しているようだった。
久しぶりのデートは早々に切り上げて帰って来たようだ。ゆっくりできただろうか。
「みんなのことが気になって帰ってきちゃった」
ちょっと子どもっぽい言い回しでエリゼが言う。
なんだか申し訳ない気持ちになる。
それでも気晴らしにはなったのか、部屋には弛緩した空気が流れていた。
「やっぱり家族一緒がいちばんね」
そう思ってもらえるなら嬉しい限りだ。
夕暮れの街をみんなで散策する。
ついさっき入れ替わりで帰って来たスコット達には馬と馬車の様子を見てもらっている。
明日からはまた旅の身の上だ。
チェックは入念にしなければならない。
もう結構遅い時間だが、空には一面の夕焼けが広がり、ポツンポツンと浮かぶ雲を浮き彫りにしていた。
日が長くなったな……。
今回の旅は天気に恵まれて良かった。
明日からも晴れるといいな。
閉門にギリギリ間に合った交易の馬車が忙しく道を行き来しており、街は意外と活気がある。
これで見納めになる風景をぼんやりと眺めて周った。
翌日、予定通り早朝にテムレスの街を発つ。
街の門にはすでに出国待ちの馬車が並んでいたが、来た時同様、そう待つこともなく出発することができた。
天気は少し曇っているが雨は降らないだろう。
旅には上々だ。
ぽつぽつと先に出門した旅人が見える道をゆっくりと進む。
来るときにわかったことだが、旅の道中は意外と魔術の修練に向いている。
今回同行している人間は素質のことを知っているし人通りが少なければ隠す必要もない。
そこまで急ぐ旅でもないので、見渡しのいい場所で休憩をしながら魔術の修練を繰り返した。
そして今日。
ここ最近研究していた魔術が形になったのでフルーゼに伝授をすることにした。
名付けて『分離』だ。
効果は名前そのままである。
小川に流れる水をわざと底にたまった泥ごと魔術で汲み上げる。
そこからいくつかの成分にわけて分離していくのである。
地味な効果だが確実に使うことが出来れば旅でも日常でも重宝する技だ。
実は水から泥を取り除くだけなら簡単で、詳しく教えるまでもなくフルーゼにもできた。
今回は一歩進んだ技術として水に溶けたものを単離させる方法を教える。
まず、ロムスから持ってきた海塩をたっぷり分離した水に溶かして混ぜる。
あとはそこから再度塩を取り出すだけだ。
水中でナトリウムイオンと塩素イオンになってしまったものを元の食塩として取り出すのはかなり難しい。
魔術は想像力だ。
化学の知識から溶解のメカニズムを頭に思い浮かべることで俺はそれに成功した。
そこからは簡単だった。
今では粉末にもできるし大きめの結晶もつくることができる。
もともと使っていた海塩より遥かに高精度で生成できるし他の成分の分離も自由自在だ。
この魔術を教える下準備として様々な理科的な知識をフルーゼに教え込んだ。
いまや彼女は六歳にしてざっくりした周期表やイオン化傾向、原子や分子の成り立ち、結合に結晶構造の種類等、基礎的な化学を相当高いレベルで把握していた。
塩水の入ったコップを地面に置くとフルーゼはオドを流し始める。
するとコップの水に小さな渦が生まれた。
それは次第に大きくなり、その真ん中には真っ白な塩が浮き上がって来た。
成功だ。
これで彼女は船の上でも魔力で飲料水を得ることができる……はずだ。
大地と離れる海上での魔術行使は実験段階なのだが、研究結果は上々だった。
うまく知識を組み合わせれば旅の道中で貴金属を集めるようなこともできるだろう。
実際、やろうと思えば俺は空気中からダイヤモンドをつくることが出来る。
この術は、想像力と訓練次第で無限の可能性を持って彼女を守ってくれるはずだ。
これまで一緒に過ごしてきて分かったことがる。
具体的には教えてもらえなかったが、どうやら彼女と家族の行く先には決して楽ではない試練が待っているようだ。
フルーゼは俺たちと一緒に魔術院へ行くことはできない。
夏に訪れる別れまでの間に、少しでも彼女の助けになりたかった。
ロムスへの帰り道。
俺の知りうる知識と研究の結果を一つ一つ丁寧に彼女に伝授していく。
危険な技術も多いので注意することも怠らない。
急がず、確実に技を覚えることができるよう一歩ずつ歩みをすすめるように講義を行っていった。
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