第3話 家族の食卓

 暑さが少し和らいだ頃、屋敷に突如新しい人間が増えた。

 何を隠そう、俺たちの父親である。

 これまでもどこに居るのか疑問だったのだ。

 エリゼは生活に困っている様子こそないが、妻独りに子育てを任せて(イルマも居るが)半年以上も帰って来ない父とは何者なのか。

 もしかしたら死んでるんじゃないかとか色々考えていた。

 正直あまり良い印象はなかったのだがそれが唐突に帰って来た。

 屋敷の外に馬車と数人の気配があっていつになく慌ただしいなと思っていたら、ひとりの青年が早歩きと走るのの中間くらいの速さでベビールームに駆け込んできた。


「今帰ったよ、エリゼ。長い間ひとりにしてすまなかった。困ったことはなかったかい?」


 開口一番謝罪か、正直でよろしい。


「イルマも居てくれたもの、大丈夫よクルーズ。――お帰りなさい」


「――ただいま、エリゼ。よく頑張ってくれた……。イルマには感謝してもしきれないな……。出産まで立ち会ってもらって。自分の子どものことだってあるだろうに。必ず何かを報いよう。」


 そうして欲しい。いつもお世話になっているのだ。

 ちなみにイルマとルイズは今日はまだ来て居ない。


「こっちが僕らの天使たちかい? 君に似て賢そうだ。手紙で双子だって聴いたときは全部投げ出して帰ろうかと思ったよ。本当にみんな元気そうで良かった……」


 親父、いい歳して本当に涙流して泣いてるやんけ。

 ――この環境だもんな……。双子の出産は相当危険なんだろう。

 俺たちに実感はないがエリゼ母さんは相当頑張ったに違いない。


「そのふてぶてしそうな顔、君がアインかい? 僕が君のパパだよ」


 涙も拭かずに、親父が俺を抱き上げる。

 あんたも顔が見分けられるんかい。

 手紙に俺の顔はふてぶてしいとか書いてあったのか……。

 俺の後にカイルも抱き上げて何事か話しかけている。


「二人とも元気そうだ。強く、賢くなりそうだ」


「二人はほんとに凄いのよ、もう歩けるの。それに本を読むこともできるのよ」


「――まだ産まれて半年ちょっとだろう。さすがにそれは……」


 事実だ。

 ここで俺はいたずらを思いついた。

 エリゼ母さんを一人にしていたのは正直問題があるが、それには何か理由があるようだ。

 ただ放置したわけでもなさそうだし、家族のことを大切にしているのが分かった。

 お返しにちょっとサービスをしておこう。

 カイルと手をつないで立ち上がる。

 必要なのは短い単語だ。


「ママ、パパ」


 そろそろ長い付き合いだ、相棒も上手くあわせてくれるんじゃないかと思う。

 そういう確信があった。


「マワ、パファ」


 完璧だ。

 俺の相棒、凄くない?

 エリゼとクルーズは茫然とした顔でこちらを見ている。

 あまりに長い間沈黙が続くので、ちょっとやりすぎたかなと思った頃に親父が我にかえった。


「――ハッ……。今、天使たちが僕らのことを呼んだよ! これは女神の祝福というやつかい?」


 あんまり我に返り切れてない感じはする。

 そんな様子を見て苦笑したエリゼが言った。


「アインとカイル、凄いでしょう……。ちょっとやりすぎなくらい。二人とも間違いなくあなたの子よ。それとそろそろ外のみんなにも声をかけてあげたらどうかしら。ゼブ達だって久しぶりに帰って来たんだから、早くゆっくりしたいでしょう」


「そうだった……。このままだとイルマが可哀そうだな。ちょっと行ってくるよ」


 そういうとクルーズはエリゼの頬にスマートな感じにキスをして部屋から出て行った。

 来た時の半分くらいの速さで。

 なんだあのイケてるムーブ。

 この世界は女の子に対する優しさハードルがめちゃくちゃ高かったりするんだろうか。

 うまくやっていく自信がないんだけど……。





 その日の晩餐は初めて家族全員が揃う形となった。

 我が一家四人に加えてイルマとルイズ、精悍な顔つきの渋いおじさんがひとりと姿勢の良い初老の女性も一緒である。

 俺たち兄弟にも席が用意され、なにかおかゆのようなものが器に配膳された。

 これまで俺たちがベビールームから出て食事をとることはなかったので、人生初食事である。

 心躍るね、マジで。

 テーブルにはカイル、エリゼ、謎の女性。

 向かい合ってゼブと呼ばれた渋いおじさん、イルマ、ルイズの順で並んで座っている。

 俺? 俺はというとなぜかクルーズと並んで上座のお誕生日席である。

 なんだこの席、謎すぎる。

 色々と困惑しているうちにクルーズが食事の音頭を取り始めた。


「せっかくの食事が冷めないうちに頂こうか。女神に感謝を」


 胸元でこぶしを握るようにして呟くと、大人たちが同じように呼応する。


「「女神に感謝を」」

 この世界の頂きますだろうか。

 シンプルなので真似しやすそうなのはグッド。

 そして食事が始まった。


 とは言えどうしたものか。

 スプーンが用意されているので食べようと思えばいけそうな気はするが、乳児卒業見込みがあんまり勝手をするべきではないように思う。

 そんな感じで器を見つめていると、となりの親父がおもむろにスプーンをとって俺におかゆ風を食べさせ始めた。

 お前がやるのかよ。

 ご当主自らのお手伝いは想定外だった。

 そうは言ってもせっかく食べさせてくれるのを無駄にはできない。

 スプーンをくわえてみる。

 思ったより美味い。

 米ではないと思うが穀物がトリの出汁のような風味でうっすらと味付けされている。

 今生初食事の想像以上の美味しさに感動しているとまた次のスプーンが運ばれてくる。

 食べる。

 飽きの来ない上品な味でイイね。

 親父はというとその間自分の食事もすすめているようだ。

 この人赤ん坊の世話上手すぎない?

 たぶんこういうこと初めてだよね……。

 年の離れた弟か妹でも居たのだろうか。

 周りを見渡すとエリゼはそれなりに苦労しながらもう一人の女性とカイルの世話をしていた。

 イルマはクルーズほどではないがうまくルイズにおかゆを食べさせているようだ。

 自分の父親の思わぬ特技に驚いているうちに食事が終わってしまった。

 自分が食べた量は少しだけだが満腹である。

 赤ちゃんっていうのはそんなものか。


「それでは今回の報告をしよう」


 みんなの食事が終わるまでひとまず待ってからクルーズが言った。

 ご馳走様にあたる挨拶はないらしい。

 食卓の食器は老女、クロエというらしい――イルマの母親だった――が瞬く間に片づけてしまった。


「状況はあまり良くない。これ以上の維持は無理だと言うことでニオーシュ・ハルパ間の交通が封鎖された。実質エルオラ街道は使用できなくなる。帰還が予定より遅れたのもこれが原因だ。迷惑をかけた」


 話をまとめると、クルーズは屋敷から見える港街、ロムスの代官であるらしい。

 ロムスは陸海路の要衝で、エルオラ街道はこの街にとって無視できない幹線道路。

 治安上の問題が発生してこの道が使えなくなり、流通に大打撃があるというのが今回の問題らしい。

 背景に不明な点が多すぎて色々曖昧だが仕方がない。

 赤ん坊には話が難しすぎる。

 街の責任者であるクルーズは、このあたり一帯を治める領主とともに王都へ行っていたようだ。

 領主はともかく代官が任地を離れるってどうなんだ……。


 この辺りの話の途中でルイズがぐずってクロエと退出してしまった。


「考えていた中では悪い結果だったが想定の範囲内だ。向こうでもできる範囲で手を打ってきた。ロムスへの影響はこれからだが、忙しくなると思うがよろしく頼む。以上だ」


 クルーズもゼブも長旅から帰って来たばかりだ。

 あまり長い話にするつもりも無いらしくきりのいい所で報告は終わりとなった。

 パパちょっと優秀に見えるんですが……。

 報告は自分でやってるしなんか偉い人というより頼れる中間管理職オーラがあるな。

 一番負担かかるところやんけ。

 長生きしてくれよ……。


 こうして初めての家族の食卓は、少し不穏なニュースとともに幕を下ろしたのであった。

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