第2話 第二種接近遭遇

 その日、俺たちは初めて自分が暮らしている場所を知った。

 初めて着る外出着に身を包み、エリゼとイルマに連れられた俺たちは屋敷を出る。

 そう、屋敷である。

 ベビールームから出るのも初めてなので正確にはわからなかったのだが、俺の家(仮)は結構大きい木と石でできた二階建ての建物だ。

 前世の感覚で言っても規模は結構立派なのではないかと思う。

 我が家は裕福だったのか……。

 丘の上にぽつんと建っており、周りにある数軒を除いて他に家も無い。

 かといって周りに誰も住んで居ないのかというとそんなこともなく、丘のふもとを見下ろすと集落と入江に港らしきものが見える。

 そこには数隻の帆船が泊っている。

 人通りも結構あり、荷物を満載した馬車がゆっくりと移動していた。


 これまでの環境から薄々気が付いてはいたが、これで一つの事実がはっきりしてしてまった。

 ここは前世で俺の過ごしてきた時代もしくは世界では無い。

 世界にはこんな長閑な田舎町もあったのかもしれないが、馬車や帆船が二十一世紀にこれだけ実用されていたということは無いだろう。

 人々の服装もなんかこう、おおざっぱなサイズ感で皮革とか使われた、映画の中の人みたいな感じだ。

 覚悟はできていたので、そこまでショックでも無い。

 一度死んでしまった以上、二度目の人生があるだけでも十分ファンタジーだし想定の範囲内だ。

 これまで過ごしてきた部屋も近代的ではなかった。心の準備はばっちりだ。


 それよりも気になることがある。

 家の外に出てもマナの流れは相変わらずなのだが、足元より下、地下が第六感的に変な感じなのだ。

 マナの流れはちょっとした壁くらいなら無視して感じられるのだが、地面の方はいまいち良くわからない。

 地下にマナが存在しないというわけでも無さそうなのだが……。

 そんな疑問をよそに、散歩が始まる。

 その日は初めて見る外の世界に大興奮なカイル君とエリゼ達と手をつないで、屋敷の周りをぐるっと周って帰宅した。





 あれから、天気の良い日は何度か散歩に連れ出してもらった。

 屋敷の周りだけとはいえ、これまでがこれまでだ、散歩は俺にとって最大の娯楽となった。

 家の周りの木にはリスの様な小動物が走り、木イチゴのような実が成ったツルが生えていたりする。

 依然として大地のマナ問題(仮)のことはよくわからないままだが、そんな謎も含めて見るものすべてが興味深い。





 そんなある日、いつもの様に連れ出してもらった俺たちだったが、ひとつ、いつもと異なる点があった。

 付き添いがエリゼだけでイルマが居なかったのだ。

 そんなこともあるのかと思いながら、カイルと一緒にアリらしき昆虫の巣を眺めていたところ、屋敷の方から一人の子どもを抱き上げたイルマがやってきた。

 イルマの子だろうか?

 イルマとは少し異なる真っ黒な髪をしたその子どもは俺たちよりだいぶ大きかった。

 そんなに齢がはなれているわけではなさそうだが、この年頃の年齢差による対格の違いは絶対だ。

 目の前に降ろされた彼はこちらを睥睨すると自分が大将だ付いてこい、とばかりによちよちと歩き出す。

 俺たちもよちよちと追いかける。赤ちゃんだからね……。


 屋敷からちょっとだけ離れたところにぽつんと立った木のもとまで歩くと、彼は落っこちていた小さな枝を拾ってこちらに向かって構えてきた。

 剣道で言う中段の構えだ。

 年齢のわりにしっかりした構えだなとか考えているうちにその枝は振りかぶられた。

 イルマ達が気が付き、止めに入るがもう遅い。

 まっすぐこちらに向かって振り下ろされた枝はさっきまで俺が居た辺りの地面を打ち据える。

 俺たちは歩いてる間、ずっと循環を続けている。

 これは上手く使うと驚くような運動が可能になる。

 やろうと思えば走ることだってできるのだ、多分。

 それを利用して枝をななめに避けた俺は彼の腰のあたりに、しがみつくようなタックルをしかけた。

 ペタンと腰をつける黒髪。

 どうやら怪我をさせずに止めることができたようだ。

 そこで追い打ちのように逆サイドからしがみつくカイル。

 ナイスコンビネーションだ相棒。

 しかしてここに俺たちの決闘は幕を下ろした。

 生意気な新入り達に対する彼のヤキ入れは失敗したのであった。

 遅れて事実を把握した黒髪はそれは見事に泣き始めた。

 ここでやってきたイルマは、驚くべきことに、あやすどころか彼の頭にげんこつを落とした。

 この齢の子どもをグーでやっちゃうとかこちらが心配になる。

 カイルと二人でおろおろと様子をうかがうことしかできない。

 続けてイルマは黒髪の襟首をつかむと無理やり立ち上がらせ頭を押さえるようにして下げさせた。


「ルイズ!坊ちゃんに剣を向けるとは何事ですか!申し訳ありませんでした……、仕えるべき相手への最初の挨拶がこれとは……」


 そういう意味のことを言ったようだった。

 見ればイルマの顔は真っ青である。

 子どものケンカとも言えないじゃれあいなので、このへんで手打ちにして欲しいという俺の願いはかなえられそうにない。

 黒髪あらためルイズは母親の尋常でない様子に気が付いたのか気丈にも泣き止み、ぐしゃぐしゃの顔でこちらをにらみつけている。

 凄いなお前……、見上げた根性だ。


 そこで追い付いてきたエリゼが間に入った。


「みんな怪我はないわ、イルマ。子どもの遊びでちょっと転んだだけよ。そんなに叱らないであげて」


「しかし奥様……」


 そこで俺はルイズの手をつかむと握手をするような感じで手をつなぐ。

 ルイズが頭を上げてこちらを見たタイミングでそれをひっぱるようにして後ろにしりもちをつく。

 遅れて倒れこんできたルイズを抱きしめると、こちらをポカンとした顔で見上げてきた。

 そんな様子をカイルは天使の笑顔で見つめてくる。ここに天使がおる。


「ね、この年頃の子はこんなものよ。いちいち目くじらをたてていたら可哀そうよ」


「奥様……」


 それから俺たちはカイルに手を引かれて最初のアリっぽいものの巣へ向かった。

 三人でそれをしばらく眺めてからお開きとなった。

 その間、ルイズは毒気を抜かれたのかおとなしくしていた。

 別れ際にエリゼはイルマに、ルイズのことを抱きしめてあげるように指示しているようだった。





 しばらくして、俺たちのベビールームにときどきルイズがつれて来られるようになった。

 そんな時は大概、イルマが俺たちの面倒を見てくれる。

 ルイズもあれからはケンカらしきこともせずにおとなしくしている。

 むしろ上機嫌だ。

 これまでイルマが俺たちの面倒を見ている間、母親に会えていなかったのだから、今思えば悪いことをしたなと思う。

 赤ん坊は無力だ。

 そんなイルマに最近俺は本の読み聞かせをせがんでいる。


 ことの起こりはイルマがベビールームに持ち込んだ本だった。

 なにか書き物に必要な書物らしく、何かを書く合間に開いているようだった。

 文字や情報に飢えた俺があの手この手で本について関心を示したものの、それについては結局触れることはできないままだった。

 しかし、その後に子ども向けの本と思われるものをイルマが持ってきて、読み聞かせてくれるようになったのだ。

 内容は騎士や勇者が巨悪と戦い世界を平和に導く話だった。

 そもそもこの年頃の子どもには難しい話かもしれないが、少し年上のルイズが居るのが良かったのか本にありつくことに成功した。

 本はそれ一冊だけだったのだが、当然俺はそれを真剣に聴いた。

 ルイズも珍しく真面目な顔をしていたし、カイルはいつも通り天使の笑顔で微笑んでいた。

 その様子を見てイルマは面倒がらずに何度も読み聞かせを繰り返してくれた。

 そして読み終わる度に本に向かって手を伸ばす俺についにその本を渡してくれるようになった。

 俺大歓喜である。

 子ども向けにしては装丁のしっかりした革張りの本だ。

 決して安いものではないだろうにありがたい。

 細心の注意を払ってみんなで読んだ。

 時にルイズの涎から本を守り、時にページを触ろうとするカイルの手にそっと手を重ね、繰り返し聴いた話と文字を照らし合わせていく。


 運のいいことに、手書きのそれは多少癖のある文字だったが、そう難解なものではなかった。

 アルファベットの様な表音記号で種類も極端に多いということはない。

 何度か繰り返し読むことでだいたい音を表す組み合わせは覚えることができた。

 もしもこの文字がこの世界の主流な表現であるならば、語彙を増やせば読める本は増える。

 これまでの学習方法もそう間違っていなかったようだ。

 音読にも挑戦したがこれはなかなか難しかった。

 どうにもいい感じに発音できない。

 なんだか乳歯の生え始めた口の中がムズムズする。

 その点、俺の真似をしようとしたルイズは大分発音がクリアだ。先輩凄いっす。


 そんな訓練の様子を見たイルマはしばらく驚いた顔でこちらの様子を見ていたが、その後も本を渡してくれるようになったので悪いことだとは思っていないようだった。

 イルマが居ない間はみんなでシーツの上に指を走らせ文字を書く練習をする。

 年上のルイズはともかく、ニコニコしながらそれなりにしっかりした文字を書くカイルはなんなんだろうか。

 天使は頭の出来も違うのだろうか。





 だいぶ暖かい日が続くようになってきた。

 日中、窓は開け放たれ、潮の匂いがする風が部屋の中に吹き込んでくる。

 もしかしたら夏が近いのかもしれない。

 最近はルイズも入り浸りでイルマが居ない日でも俺たちの部屋に連れて来られるようになった。


 そんな日の中でも特に日差しの強いある日、俺たちはいつもよりほんの少しだけ遠出に連れ出されることになった。

 とは言っても丘のふもとを流れる大人の踝ほどの深さの小川までである。


 ここで俺は衝撃の事実を知る。

 小川に映る自分の姿がカイルとうり二つなのだ。

 これは一卵性双生児というやつか……。

 ただ、見つめるとどうしてもカイルと俺は何かが違う。

 表情だろうか? ほぼ同じ素材でできているはずの俺の顔はどうにもカイルのエンジェリックスマイルを再現できない。

 俺の魂が素材を汚しているのかもしれない。すまぬ……、すまぬ……。

 この違いはみんな分かっているようで、エリゼやイルマはおろかルイズまで俺たち二人を混同している様子はなかった。


 一人葛藤を抱える俺をよそに他の二人は新しい遊び場に大興奮だ。

 水の中にこそ入らせてもらえないものの、初めての水遊びを堪能している。

 俺だってこんな考えても仕方ないことを葛藤していてもしょうがない。

 みんなの水遊びに参加することにする。

 おおいに楽しんだ一日となった。


 もうひとつ、これまでの日々で発覚した事実がある。

 ルイズについてである。

 出会いが出会いだったので俺はルイズのことを男だと思っていたのだが、実のところ女の子だった。

 ルイズはルイズちゃんだったのである。

 考えてみればルイズは多少濃いめの筋が通った眉をしているものの、非常に整った顔つきをしている。

 中性的と言えなくもないがどちらかといえば女性の見た目だ。

 偶然おしめを変えられるところを見て気が付いてしまった俺は、そっと目をそらし、この誤認を心のうちに留めることにした。

 誰かに話したわけではないのだ、問題ないはずだ。





 こうして、いくつもの発見と驚きの中、概ね幸福の中で俺たちは日々を過ごしていた。

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