化学で捗る魔術開発
瓜生久一 / 九一
第一章
第1話 乳児として生きる
――心残りがある。
運不運。
日々の行いであるとか努力だとかそういったものでは手の届かない、どうしようもないところにある現実。
生まれながらに持ちえた才能。
否応なしに降りかかり、対応する間も与えない不幸。
そういったものが人にはあって、その点、自分は概ね幸福だった。
生まれてこのかた食事に困ったことは無いし、今まで大病をするようなことも無く生きてこれた。
環境に恵まれたおかげで興味を持てることに出会えたし、それを学ぶことに専念できた。
やりたいことを全部やり遂げたとは言えないが、人生とはそういうものだ。
ただ、死ぬタイミングが突然だっただけ。
この事故の原因となった人間をあまり恨む気にもなれない。
しかし、自分の選んだ生き方自体にはもう少しやりようがあったと思う。
やりたい様に生きることを助けてくれた家族に、近くに居てくれた友人にもう少し報いることができたのではないか。
自分の性格に起因するとはいえ、独りでいようとしすぎたのではないか。
遠ざかる意識の中で、形のない無念が心にわだかまっているのを感じていた。
◇◆◇◆◇
声が聴こえる。
なんだろう……、聴いたことのない言葉だけど、歌だろうか……。
目が良く見えない。
なんとなくまわりに人や生き物の気配があるのはわかる。
体は動くけど全然力が入らない。
あ……、もしかして事故で大けがをして後遺症でも残ったのか。
ナースコール用のボタンとかあるかな、今のままじゃボタンを押すこともできない。
意識戻ったんだけどな……。気が付いてくれるかな……。
何日か経過した。
事態は想像をはるかに超えて深刻だった。
依然として体はうまく動かない。
はっきりとは見えないけど光があるのはわかるので昼夜の違いでだいたいの時間の変化が確認できた。
その間で突き付けられたのは『自分は事故がどうとかで寝たきりになっているわけではない』という事実だった。
なぜそんなことがわかるかというと……、
定期的に授乳を受けているからだ……。
つまり俺は赤ん坊なのだった……。
最初にことが起きた時は衝撃を受けた。
訳が分からないまま体を持ち上げられて高い位置から何かを話掛けられた。
ここまででも正直パニックだったので、この後の心中は推して知るべしである。
生き物としての本能が自分の取るべき行動を教えてくれなければと思うと本当にぞっとする。
しかし、人は慣れる生き物である。
今では問題なくおっぱいを飲めるし、おしめの世話を受けることすら日常の一風景だ。
こんなもん多少我慢してみたところで限界があるのだ。
毎度、多少の罪悪感はあるがしょうがない。
もう一つ、気が付いたことがある。
ここで『生きるための世話』を受けているのは俺だけではない。
もう一人赤ん坊がいる。
よく泣き声が聴こえるし、たまに指先が触れたりする。
つまりすぐとなりにいるのである。
男か女かはわからないが俺の兄弟姉妹なのだろうか。
寝てる時に至近距離で泣かれるのは正直つらい。
しかし、どうせ言葉もわからないので言い聞かせることもできないのだ。
だいたい向こうだって言葉はわかるまい。我慢一択である。
なんにせよ、俺も迷惑かける仲間だからな、仲良くやろうぜ相棒。
最近の流行りはもっぱら語学学習だ。
他にできることと言えば、泣いて抱っこをねだるくらいだが。
――他にも口笛の練習とかしてみたが上手くいかなかった。
何はともあれ言葉が分かれば世界は広がる。
俺も真剣である。
リスニングオンリーとか高難易度過ぎないかと思わないでもないが、案外なんとかなっている。
みんなこうやって言葉を覚えるんだもんな、当たり前といえば当たり前なのかもしれない。
これまでの収穫としては何人かの名前を覚えた。
俺の名前はアイン、となりに居るのはカイル。
どうやら兄弟らしいがどちらが兄なのかはわからない。
恐らく双子だ。
カインとアベルでなくて良かった。
母親と思われる女性の呼称であるエリゼは愛称かもしれない。
ときどき歌らしきものを歌ってくれたりする。
俺にとっては数少ない楽しみの一つだ。
ここの言葉は文法的には英語と近いような気がする。
主語、動詞、修飾みたいな順番だ。
命令形が動詞から入るところなんかも同じ。
発音はまだまともに出来ない。
舌が上手く動かないのだ。
舌足らずってこういうことなんだろうか。
当面は語彙を増やす方向で行こう。
最近少しずつ目が見えるようになってきた。
凄く嬉しい。
まだぼやける感じなのだが入ってくる情報の量が段違いだ。
色々観察して気になることはたくさんあるのだが、まず一つ言えるのは、――カイル君可愛すぎない?
赤ん坊らしからぬ、ふわっとしてさらっとした金髪、そう金髪である。
ほんの少しだけ緑味を帯びた碧眼。
赤ん坊にしたってきめ細やかすぎるシルクか何かのような肌。
こっちが相手を見ているように、よくこっちのことをじっと見つめてくる。
だって俺たちやることなくて暇だもんな。わかる。
そして時々ふわっと笑うのだ。
これはイカン、天使だわ。
赤ちゃんってこんなに可愛いもんなの?
このままとなりでゴロゴロしてたらブラコンになってしまう。
相棒よ、そもそもお前本当に俺の兄弟なの?
根底から関係性に疑問が浮かぶ。
エリゼ母さん(仮)も相当美人であるように思う。
比べる人間が限られるのだが、この部屋に出入りする人間の中では一番である。
カイルの髪の毛とか目元とかたぶんこの人ゆずり。
それと結構若くない?
生前の俺より年下っぽく見えてモヤっとするのだが……。
他に周りを見渡してわかるのは、部屋のつくりから寝台やらおくるみやら色々レトロだということ。
服とかこれ縫製を見ると手縫いですわ。
考える時間はたっぷりあるので、自分の境遇についていろいろ仮説を立てる。
もう一つ、最初期から物凄く気になっていたことがある。
今生この体、なんか第六感のようなものが働くのだ。
体の周り、空間を『なにか』が流れている。
眼で見えなくてもそれがわかる。
注意深くそれを読めば、この部屋の外に人が居るかどうかとかそういうことがわかってしまう。
自分超能力者なんですか?
そして丁寧に確認すると自分の内側にも『なにか』が澱んでいることがわかる。
外側にあるものと同種のものだと思うのだがなんだが重たい。
あと流れっぽいものもあんまりない。
この内側の『なにか』、いろいろ確認しているうちに自分の意志で動かせることがわかってきた。
全体のうちほんのちょっとを体に循環させるように動かすと凄く体の調子が良くなる。
この調子ならハイハイとかできる!そんな感じである。
もしかして赤ちゃんというものはこんな感じで二足歩行を覚えるのだろうか。
生命の神秘は凄いな。
このことが分かってからは人が話しかけてくれない時間、特に夜中とか暇な時を含むだいたいの時間を考え事と循環の練習で過ごすようになった。
便宜上、外の何かを『マナ』、体の何かを『オド』と呼ぶことにした。
ヨガとかチャクラとかそんな感じだろうか、名前をつけるとなんだか急に魔法っぽくなって雰囲気が出るな。
名前をつけて練習を繰り返すうちに、実際に体を起こしてハイハイができるようになった。
今は寝台の柵を利用したつかまり立ちの練習中だ。
最近、カイル君の視線が凄い。
考えるまでもなく、循環の練習のせいである。
ごめんな、となりで寝返りうったりハイハイしてたら気になるよな。
カイル君自体はおとなしく、あんまり動かない。
ただその宝石のような双眸でこちらを見つめるのみである。
なんだか罪悪感が凄いので色々試してみることにした。
まずは手をつないでカイル君の内側を探ってみる。
俺の中にオドがあるのだ、相棒だってオドを持っているかもしれない。
しばらくの試行錯誤の結果、掴めた! 自分のものと少し勝手が違うがこれは確かにカイル君のオドだ。
今度は自分のオドを循環させながらカイル君のオドに干渉してみる。
お……、これはいけたんじゃないか?
カイル君が眼を見開く。
相棒もわかるか、それがオドだ!(命名俺)
自分の循環のペースを落とし、カイル君のオドも少しずつ循環させていく。
カイル君の雪の様なほっぺに赤みが入る。
その双眸は見開かれたままぴくりとも動かない。
瞬きとかしようぜ、ちょっとなんか神様がつくった人形、みたいな感じになってるよ……。
あんまりこの状態が続くのも不味いような気がしたのでゆっくり循環のペースを落としてやめる。
カイル君の様子もいつもの天使に戻る。
一安心だ。
それから数日、カイル君はなんだか意味ありげな視線でこちらを見てくるようになったので何回か循環を手伝った。
毎度のことだが循環中は神々しい赤ん坊と化す。
たぶん俺よりオーラがあるな。
そしてある日。
カイル君が自発的に循環を始めた。
こっちが手伝っている時ほどのペースではないがこれは確かに循環だ。
触れていなくてもわかる。
外からみるとこんな感じなんだな。
そして寝返りをうつカイル君。
初寝返りだ。
そしてこの笑顔。
循環オーラとあわさって本物の天使である。
ドヤ顔で天使になれるとかお前なんなの……。
それ以降、ベビールームは空前の循環ブームだ。
なんか不味い気がしたので最近の俺はカイル君の循環ペースが上がりすぎないように調整することに終始している。
相棒は物分かりが良く、みだりに回転数(仮)を上げすぎることは無くなった。
良かった……。
ただし、にわかに騒がしくなった俺たちのベッドは目立つので、当然のようにつかまり立ちの練習とかしているのがバレてしまった。
まあ時間の問題だったとは思う。
最初に見つかったのはカイル君だった。
俺は練習とかなんとなく隠れてやってたからね。
ベビールームの掃除をしてくれていたイルマという女性――よく俺たちのおむつを交換してくれる――がハイハイするカイル君に気が付いて目を見開くと、部屋から出て行ってしまった。
しばらくしてエリゼを連れて帰ってきたイルマは俺たちを見ながら興奮して何かを話す。
口調が早いしわからない単語も多かったのだが、動くとか歩くみたいな単語と俺たちの名前が頻出したのでまあカイル君のハイハイについてだろう。
そのとき俺たちは向かい合って座りながら手をつなぐ様な遊びをやっていた。
最近のカイル君のお気に入りの遊びだ。
エリゼはイルマの話を聞いているのか聞いていないのか、俺たちをふたり同時に抱き上げるとぐるっと一周回って寝台に下した。
とにかく気が動転しているのがわかる。
よく二人抱き上げられたな……。
カイル君は大興奮だ。
その後、何事かを呟いてイルマに誰かを呼び出すように申し付けたあと、脱力したように椅子に腰を下ろした。
それからは忙しかった。
何人かの大人が入れ替わりでやってきて俺たちのことを調べていった。
聖職者のような人間もいれば医者のような人間もいたと思う。
いくらかのことを話したあと、みんな部屋から出て行った。
日もとっぷり暮れたころ、エリゼは俺たちを一人ずつ抱きしめて「安心」とか「大丈夫」という意味のことばを呟いた。
落ち着いたみたいで俺も嬉しい。
しかし、赤ん坊の無力を感じるな相棒、ときょとんとした顔でこちらを見つめるカイルに独り言ちる。
言葉は出ないが……。
家族に心配をかけるというのはこういうことなのだと改めて痛感した。
それから、俺たちの日々には少しだけ変化があった。
ベビールームに誰か居ることが多くなったのだ。
多少落ち着かないが、会話を聴く機会が増えたので語学学習は順調だ。
カイル君の運動訓練は留まるところを知らないが、周りの大人もあまりどうこう言うことは無かった。
俺も当然循環の練習を続けているので相棒を追いかける形でつかまり立ちから歩ける様子を周りにみせている。
最近は以前より暖かい日が続いている。
二人そろって歩けるようになった俺たちはついに家の外に連れ出してもらえるようになった。
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