XLXIII.これでようやく友達に

 ユウリの部屋はメアの部屋以上に殺風景で色彩が少ない室内だった。


 机には学校の教科書やノート、筆記用具くらいであとは本くらいしか物がなかった。その本というのも本棚に収められているわけでもなく、壁際の隅の方でぞんざいに平積みされている。本の山に囲まれるようにして段ボール箱が置かれており、ユウリはその中からペットボトルの水を二本取り出すと、一本をメアに手渡した。そして自身もメアの隣に腰掛ける。


 二人分の体重を受け、ベッドがギュッと軋む。


 メアがよくよく目を凝らすと、たった今受け取った水と同じ銘柄のロゴが印字された未開封の段ボール箱があと二箱、木製の古びた机の下に押し込まれていた。


 通学カバンと教科書、ノート、筆記用具、大量の平積みされた本、ペットボトルの水。それがこの部屋にある全てだった。


 ベッドの上で二人並んで常温の水を飲む。


 そういえばとメアは思い出す。以前メアが倒れて自室まで運ばれた時にユウリから渡された水、あれは冷蔵庫から出したばかりのものであるかのように冷えていた。もしかしたらあの段ボール箱から出したものではなく、メアの為に冷やしたものを用意したのだろうか。それとも自販機等でわざわざ新たに買ったのだろうか。


「メアさん? 眠れないのですか?」


 深夜の静寂を先に破ったのはユウリだった。


「ごめん……」


 無表情ながら眠気で瞼が半分ほど閉じたユウリの表情を受け、メアは力なく謝罪を口にする。


「いえ、いいんですよ」


 ユウリはそう言って微笑んだ。


 メアが口を噤めば、再び部屋に静寂が訪れる。しかし、今のメアがそれを〝気まずい〟と感じることはなかった。


 これは最近ずっと自覚していることだ。この少女の近くにいることがメアにとって当たり前になっている。そしてそれが前程〝嫌だ〟とは感じなくなっている。


 ふとメアは思う。この少女は、メアのことを日頃どう思って接しているのだろうかと。最初こそ「友達になりたい」と主張していたが、未だに自分自身があまり友好的な接し方をしているとは思えない。


 メアは中学に入学した当初のことを思い返す。クラスメイトたちは今ほどメアを疎んではいなかった。だから最初うちはメアも何とかやっていけると誤った認識を持ってしまっていた。それがうわべだけの取り繕いだとは気付きもせずに。


 しかし時間が経てばそれも変わってくる。社会経験が無く、未発達な思考の中学生たちにとって所謂社交辞令なんてものがまともに身になっている筈もなく、薄っぺらいうわべの取り繕いが剥がれ始め、やがて互いが互い殆ど本性で接しようとした時、メアは一般的な中学生たちにとって鬱陶しい存在でしかなかった。数か月も経てば、ほぼほぼ今と同じような関係性に落ち着いてしまっていた。


 それは一概に他人だけの責任ではなく、むしろメアの方に多大な要因があったことは誤魔化しようもない事実だが。


 しかし。しかしだ。単純な期間でいえば短いものの、一際密に接していたと言えるこのユウリという少女は、なおその上でメアに変わらず接してくれている。


「あんた……さあ……」


 メアは徐に口を開く。


「別にいいよ」


「何がです?」


 ユウリはメアの不可解な言葉にきょとんとして訊き返す。いったい自分は何を許可されたのだろうかと。


「だから……さ、友達……ってこと。あんたとわたし、なっても……いいかな……って……」


 急に慣れないことを言った所為か、咄嗟の文章構築が上手くいかず、変な日本語になってしまっていた。


「それはその、わたしとメアさんが友達になるということでしょうか? 下僕ではなく?」


「だから……そう言ってる……。なに? 嫌なの?」


 メアは誤魔化すように生ぬるい水をいっきにあおり、そして少し咽た。


「嫌じゃないです。是非」


 ユウリはそう言って持っていたペットボトルをぎゅっと握りながら微笑みを返した。


 メアは元々逸らしていた視線をあからさまに反対方向へ向けた。誰にも見られないようにしたその表情は、少しだけ綻んでいた。



「もう一度聞くけどさ。あんた、やっぱり元の世界に帰るつもりなの?」


「ええ、その決心は変わりません。わたしは元の世界に帰ります。わたし自身の正義を完遂する為にも」


「言っとくけど、わたしは止めてあげないわよ」


「ええ、例え唯一の友人であるメアさんが止めようとも、わたしの決心は揺るぎません」


「そう……」


 メアは気に掛けない抑揚でそう返すが、その視線は索漠とした様子で床を見つめていた。


「ねぇ、向こう帰る前に聞かせて」


 メアは床を見つめたまま、ユウリにとあるお願いをした。「魔術師として戦った時のことを聞きたい」と。時刻は既に深夜0時を過ぎていた。


「では、そうですね…………私なんかの経験でよろしければ」


 5月とはいえ、夜間はまだまだ涼しさが残る。


 寝巻である薄い布地のショートパンツ姿のメアが少し肌寒そうに膝をさするのを見て、ユウリは話を始める前に掛布団替わりの毛布をメアの膝に乗せる。そして余った分を自分の膝にも掛けた。


 ユウリは少し考えるような素振りをしてから話し始める。


「わたしは年少ながら同世代の中では特にその実力が認められていましたので、大人たちの正規軍に混じり前線で戦ったこともあります」


 そんな冒頭で始まるユウリの魔術師としての戦いの日々。それはメアは覚悟した以上に苛烈極まる内容だった。そんなエピソードの数々が年端もいかない少女の口からまるで運動部の試合についてでも話すかのように軽快にかつ淡々と紡がれる。紡がれ続ける。


 中でも魔法を用いた戦いでの死者の話はメアの心に深く突き刺さった。


 ユウリは話した。現実の戦争は時緒からタブレットPCを借りた際に教わったロールプレイングゲームのような戦いでは決してないと。特に魔法を受けて死ぬ者はゲーム画面の敵キャラクターのように綺麗に消えるわけではない。その惨たらしい、かつて人だったモノがその場に残り続ける。


 ユウリは話した。魔法を受けた人間がいかにして死んでいったかを。


 炎の魔法を受けた者は、皮膚が赤く焼き爛れ、眼球が潰れ、焼かれた喉がひゅーひゅーと醜い音を立てながら死んでいく。


 水の魔法を受けた者は、肺に入り込んだ水が粘液と混ざり合って白い泡のようになったものを口からぶくぶくと吹き出しながら死んでいく。


 雷の魔法を受けた者は、一瞬にして全身が黒く焼け焦げ、まるで木の枝のように固まって動かなくなったかと思うと、やがて糸の切れた操り人形のように一言も発することなくその場に頽れ、死んでいく。


 風の魔法を受けた者は、爆風とも言える衝撃に目や鼻、耳といった部位が一瞬にして吹き飛ばされ、胴体は鋭い刃で切られたように裂け、はらわたを地に溢しながら死んでいく。


 そしてユウリが得意とする幻惑の魔法を受けた者は、正気を保てなくなり、狂いながら周囲の味方に襲い掛かっては、噛み付き、引き裂いた肉を貪り食う。そしてやがては自身の顔の皮を自ら剥ぎ取るようになり、辺り一面に血を撒き散らしながら死んでいく。


 メアは時折耳を塞ぎたい衝動に駆られたりもしたが、何とか最後まで聞いた。


 とても恐ろしいと感じた。だが、そういった凄惨な内容を淡々と話すユウリが何よりも怖いと思った。ユウリという少女に対する恐怖ではない。自身と変わらない年端の少女の口からそのような話がさも当たり前のことのように語られるということに対して、そしてそれでもなお、そのような世界へ帰ろうとしているということに対してである。


 幾重もの過酷な実戦経験を経るうちに彼女の中の恐怖心というものが徐々に薄まってしまったのだろうか。それともその日々の中で特に酷い出来事があって、ある日を境にそうなってしまったのだろうか。いずれにしてもメアは怖いと感じた。


 そうなってしまう人間が、そうさせてしまう人間が。


 メアは思った。


 そして、そんな人間の恐ろしさは常に可能性として誰もが内包しているものだと。ただ、住んでいる世界が、環境が、違うだけだと。久世との一件や、今日あった大学生との一悶着はユウリからすれば取るに足らないものだろう。命に関わるわけでもなし、彼女が言うようにつまるところ脳内の電気信号が〝不快感〟といった感情を起こさせるだけのものなのかもしれない。


 しかし、この街に住む彼らだって、クラスメイトの連中だって、教師陣だって、別世界に身を置かれれば全く違った人間になっていたかもしれない。


 逆もまた然りだ。異世界で当たり前のように死んでいった者たちがこの世界のメアたちのいるこの場所に生まれていたなら、凄惨な命のやり取りなんて夢にも見ないだろう。


「もういい。ありがとう。ごめん」


 メアは途中だったユウリの話を切り上げて礼と謝罪を同時に伝えた。


「はい。そろそろ寝ますか?」


「ううん……。もうちょっと……」


 そう言ってメアはユウリのベッドに寝そべる。反応に迷ってぎこちない挙動のユウリに向かってぽんぽんとベッドの空いたスペースを叩いて合図すると、やはりぎこちない様子でユウリはメアの隣で横になった。


「もうちょっと……、今度は少し……楽しい話をしましょう。そうじゃないと悪夢でも見そう」


 二人はひとつのベッドに横になったまま話を続ける。今度は戦争の話なんかではなく、この世界の現代の女子中学生なら誰でもしそうな、とりとめのない会話。「何が好き」とか「何が嫌い」とか、「何が楽しい」とか「何がムカつく」とか、そんな意味も目的もない与太話。


 知らず知らずのうちに二人は狭いベッドの上で話し疲れてそのまま眠りに落ちていた。





 くしゅん!


 翌朝、ユウリは自身のくしゃみで目を覚ました。二人で一枚の毛布を使っていた筈だったが、いつしかメアが全て抱え込んでしまっていた。


「メアさん」


 むくりと上体を起こすとユウリは傍らで静かな寝息を立てているメアの肩を揺する。目を開けたメアはがばっと勢いよく起き上がったかと思えば、そのままへなへなと再びベッドに仰向けになった。


「おはようございます」


「ああ……寝ちゃったんだ……サイアク……。ねぇ、このこと時緒たちにしゃべったら怒るから」


 メアは起き抜けの掠れた声でそう念を押した。


「メアさん。わかりましたから早く食堂に行きましょう。遅刻しますよ?」


「…………」


 しかしメアからの反応はない。カーテンから漏れる朝日の眩しさに腕で両目を隠しながら、無言で何やら考え事でもしているようだった。


「メアさん?」


「今日、秘密基地に皆集めるわよ」


「はい?」


「今日やるわよ」


「やるって、一体何をです?」


「最後の異世界召喚術式作製会議」


 そう言って今度こそベッドから出ると速足でドアへ向かった。その姿をきょとんとした眼差しで追うユウリ。


「ほら、何ボケッとしてんの。早く朝ご飯食べないと遅刻するわよ」


「…………あ、ええ。はい、そうですね」

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