XLⅫ.メアの闘い
「は? そんなんでビビると思ってんのかよ」
男はようやく我を取り戻したのか、メアに向かって強気の言葉を返す。が、声は微かに震えてしまっていた。先程までの落ち着いた様はもう見る影もなかった。
「あっそ、痛い目みる?」
メアが合図するように右手を上げると、取り囲んでいた緋龍のメンバーたちはバイクの空ぶかしをより忙しなくさせる。手には前に見たバールやチェーンのような凶器が握らており、これ見よがしに振り回した。
「ひっ、ひぃっ!」
ついに茶髪は情けない声を上げ、尻もちをついてしまう。
「わ、わかってるのかっ! ぼ、暴力は犯罪だぞっ! おおお、お前らも学生だろっ!」
男は尻もち姿のままメアを指差すと、その背後のいる緋龍のメンバーたちを含め順々に指を差しながら叫んだ。
「わかってるわよ。でもお互い様でしょ?」
メアは極力冷静な様を保ちながら、茶髪の男の襟元を掴む。しかし取り繕いながらも心臓の鼓動は激しかった。
「バカなの? そんなこと、こっちは覚悟の上よ。このわたしに喧嘩売ったあんたらが悪いんだからね」
掴んだ襟をぐいと引き寄せると、メアは男の目を睨みながら続ける。
「せっかくだから一緒に警察いきましょうか。あんたたちボコボコすれば皆仲良く犯罪者なのだから」
「ひっ……、や、やめてくれ」
「あ? やめてくれだ?」
メアは掴んだままの襟を乱暴に放るようにして男を離した。
「やめてください……でしょ?」
「や、やめてください」
「そう思ってるなら誠意でも見せなさい」
「悪かった、この通りだ……」
茶髪の男はその場でメアに向かって土下座した。その様子を見ていた他の二人も茶髪の横に並ぶと同様に地面に頭を付ける。
「わたしに、じゃないでしょ?」
メアがそう言うと、男たちは今度は御崎に向かって頭を下げる。
「じゃあ、はい……」
メアは謝罪を確認すると、茶髪に向かって手を差し出す。
「え?」
「え? じゃない。スマホ、ほら出して」
男は言われるがままメアに自身のスマートフォンを手渡した。メアは男のスマートフォンを操作し、保存されている画像一覧から御崎の写真を削除しようとするが、他にも少女の写真がたくさん保存されているのが確認できた。ゆっくりと選別するには見るに堪えないものばかりだったので、まとめてフォーマットしておいた。
スマートフォンを返却されると大学生の男たちは逃げるように公園を去って行った。
「なかなかの〝不良〟っぷりでしたメアさん。見事にメアさんの力で解決できましたね」
「ええ、代わりに何か大切ものをたくさん失ったわ」
「戦いには常に犠牲が付き物です」
「あんたが言うな」
「すみまふぇん」
メアはやり場のない感情をユウリの頬にぶつけた。
「ね、ねぇ。石川…………さん?」
御崎はようやく立ち上がることができたようだが、辺りを囲うようにしているバイクの集団が気になるのか、四方に視線を泳がせながらメアに恐る恐る話し掛ける。
「なに? 急に余所余所しくなっちゃって」
「え? ああ、いや、ごめん……。なんかさ、意外だったから……」
「一応言っとくけど、さっきの演技だからね。わたしがこんな連中のボスなわけないでしょ」
「そりゃないぜ姉御ぉ」
久世はわざと三下っぽくへりくだったような声色を出す。それを聞いた瞬間メアは毛虫でも踏みつぶしてしまったかように心の底から嫌そうな顔をした。
「「「姉御! 姉御! 姉御!」」」
他の連中も面白がって姉御コールを始める。
「だぁーっ! やめろぉっ!」
四方から浴びせられる声援に、メアは地団駄を踏みながら叫んだ。そしてまだ少し震えてる御崎の両肩を掴むと、短い悲鳴を漏らす彼女に構わずぐっと目線を合わせる。
「いい? このことはクラスの連中には内緒よ。明日からは元通り、変に気を遣ったような接し方はやめてよね」
「は、はい……」
「だ・か・ら、その不自然な反応をやめろって言ってんの!」
「ひぃっ!」
メアが少し語気を強めると御崎は頭を抱えて怯えてしまう。あんなにもいけ好かない相手だったが、こうも急に張り合いがなくなってしまうとメアは複雑な心境だった。
「ったく、余計に怖がらせてどーすんだ」
見かねた久世は徐に二人の元に歩み寄ると御崎の頭に優しく手を置いた。
「誰の所為よ。誰の」
口を尖らせてるメアに構わず、久世は御崎の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ごめんな。まあ、怖かったよな。でももう大丈夫だ。俺らはそこの眼鏡っ娘の下僕だからよ、何かあったらすぐに言えよ」
「下僕じゃない眼鏡っ娘じゃない」
メアは早口で否定する。
「もう大丈夫か?」
「はい……」
頭を撫でられながら御崎はとろんとした上目遣いで久世を見つめた。小声で「やだマジ? めっちゃイケメンじゃん……」と呟いている。そんな御崎の様子にメアは呆れるように溜息を吐いた。
何はともあれ、無事に窮地を乗り切ることができた。
同時にメアは不思議な感覚だった。
メアは日々憤慨していた。思い通りにならないこの世界に。思い通りにできない自分自身に。
しかしあんなにも簡単に他者を意のまま追い詰め、屈服させた。今までのメアにはできなかったことを、意図も簡単に。金であれ、暴力であれ、力を持てば他者を屈服させるのは容易い。それが実感できた。
でも、これは違う。そう思ってメアは特攻服を脱ぐと、とり巻きの一人に無理矢理押し付けるようにして返却した。
わたしは将来もっと正しいやり方で周囲を、この世界の人間を、認めさせてみせる。
「さて、俺らはもう行くけどお前も大丈夫だよな?」
「もういいからさっさと行って」
久世は声を掛けられたメアはしっしと手を振った。
バイクの集団は再びけたたましい音を発しながら去って行った。静かになった公園にはメアとユウリ、御崎の三人が残される。
どっと心労が顔を出し、メアは先程まで大学生たちが座っていたベンチに腰を落ち着けた。
「ねえ、石川! どういうことなの?」
御崎は急にメアの肩を掴み揺さぶりながら詰め寄る。
「だから言ったでしょ? ただの演技だって。秘密にしておくっていう約束守りなさいよ」
最早抵抗する余力のないメアは、されるがまま首をがくんがくんと揺らしながら再度念を押す。
「あんなイケメンが下僕ってどういうことよ!」
「はぁ? 何なのよ急に。あいつらが勝手に言ってるだけだから本気にしないで」
「ずるーい! イイなイイなぁ! イケメンの下僕!」
御崎にメアの声は届いていないようだ。
「イケメンな下僕! ああっ! なんて甘美な響きなの! わたしもあんなイケメンな下僕が欲しい! ねーどーしたらあんな下僕が手に入るのー? 教えてよー」
「知らないわよ」
「ねー、いーでしょぉ下僕下僕ぅー」
「そんな子供がおもちゃねだるようなテンションで下僕をねだらないでくれる!?」
「ちなみにわたしもメアさんの下僕です」
ユウリは何かに対抗するように咄嗟に横からそう付け加えた。
「あんたは話をややこしくしないで」
「下僕下僕ぅー。石川だけずるーい! ねーねー!」
「うっさい!!」
メアは思わずしつこく縋り付く御崎の頬をつねり上げた。
「いたたたた! あーさっすが姉御だわぁ……」
「だからやめろっ!」
頬を赤くしながらもそのことを怒るわけでもなく、御崎は頬をさすりつつ何故か清々しい笑みを浮かべていた。
「あんたさぁ、何かわたし誤解してたかも」
ようやく正気になったのか、御崎はメアの隣に並んでベンチに腰かけた。
「何が? 気持ち悪いわね」
メアは横目で傍らの御崎を見る。
「あたし、あんたのこともっとつまんない奴だと思ってた。いっつも変に真面目だし。色々優等生ぶった指示とかうぜーし」
「それはどーも」
「さっきのあんたさぁ……」
そこまで言って御崎は言葉を区切る。照れくさそうに髪をくるくると弄りながら視線を逸らしていた。
「その……ちょっと……カッコよかったかも……」
「はぁ!?」
メアは狭いベンチの上を滑るようにして素早く御崎と距離を取った。
「何よぉ、引かなくたっていーじゃーん。珍しくこのあたしがあんたを褒めてんだからさぁ」
御崎はすぐさま追うように間を詰めた。互いの腰と腰が密着する。
「あの、御崎さん。メアさんが嫌がっているようですのでやめてください」
「なぁに? 嫉妬してんの? 能登さん」
「いえ、わたしはメアさんの下僕ですから」
常時無表情がデフォであるユウリには珍しく、やや頬をふくれさせ、ぷいと顔を背ける。
「それとも御崎さんもメアさんの下僕になりますか?」
「ちょっと! 何言ってんのあんた!」
これ以上心労の種を増やされては堪らないと、メアは慌ててユウリを制する。だが提案を受けた御崎の方は、
「いや、やめとくわ。それはなんか癪だし」
と、あっけなく辞退した。
「さてと、わたしはもう行くね。じゃあね」
御崎はベンチから勢いよく立ち上がると、二人に向かって手をひらひらと振りながら公園を去った。
『じゃあそろそろ切るね。夜更かしはお肌に良くないからおやすみー』
「はいはい。じゃあね」
ユウリと共に夕食と入浴を済ませたメアは、自室に戻ってから例によって何の前触れもなく掛かってきた希実枝の長話に付き合っていた。
『ところでメアちゃん』
「何よ」
『何か良いことでもあった?』
「何でよ」
『だって珍しーじゃない? こんなにわたしの電話に付き合ってくれるなんて』
メアは特段意識をしていなかったが、これまでの中で最長とも言える時間通話をしていた。自覚すると確かにベッドに寝そべりながら携帯を持つ腕がやんわりと怠さを纏っていることに気が付く。
電話を切ってからメアは今日のできごとを頭の中で反芻する。
偽りで固めた見栄とはいえ、自身の力で遥かに年上の男たち相手に血路を開いてみせた。数時間前の出来事にもかかわらず、思い返せば未だに鼓動が速くなる。それは決して達成感ではない、愉悦に浸っているわけでも、ましてやメア自身が強くなったとも、思わない。とても筆舌し難い感情が心身ともに疲弊している筈のメアを睡魔から遠ざけていた。
希実枝が言うような「良いこと」ではない筈だ。どちらかと言えば、なかった方が良い出来事に決まっている。しかし……、
「そっか……」
メアは静かに口にする。
「これが何かと闘うっていうことなのかな」
そう呟いてはみたものの、それが完全に納得できる解答かはメアには確信が持てなかった。けれども、頭に浮かぶどんな言葉よりも近い気がした。
命に関わるようなことではないにしても、あれはメアにとっては〝闘い〟だったのかもしれない。
消灯してからもメアの意識は覚醒したままなかなか眠りに落ちてはくれなかった。二三度寝がえりをうってみるがベッドの上でなかなか身体が落ち着いてくれない。
メアは諦めて固く閉じていた瞼を開き、闇に慣れて薄っすらと木目の見える天井を仰いだ。
「あいつはずっと、こんなことを……」
ふといつも傍らにいる、一人の少女の顔が頭に浮かぶ。四六時中無表情でどこか抜けていて事ある毎にメアを困らせるあの少女。
「あいつは元の世界でどれだけのことを……」
身の危険に顔色一つ変えないあの少女は、一体どれだけの窮地を潜り抜けてきたのだろうか。窮地を潜り抜けたばかりのメアは、あの冷静さが改めて異常であると思った。
それからもメアはベッドの上でごろごろと寝返りを打ち、時折唸り声を上げながら無理矢理眠ろうとするが、やはり駄目だった。居ても立ってもいられず、掛布団を跳ね除ける。
そして徐に立ち上がると軋む床に気を付けながら、細心の注意を払いつつ音を出さないようにそっと部屋を出る。
年季の入った木製の扉を開け廊下に出るとすっかり灯りは落とされており、真っ暗だったのでスマートフォンのライトを点ける。
門限を過ぎての外出は禁じられているが、深夜に部屋から出てはいけないという決まりはない。しかし、日頃から夜更かしをする他生徒のことを賎しんだ目で見ていたメアにとっては誰かに気付かれることはしたくなかった。
スマートフォンのライトで足元の木目を照らしながらゆっくりと歩を進め、同じ階にある三〇五号室の扉の前で立ち止まる。そして少し迷ってからコンコンと控えめな手つきで戸を叩いた。
「はい」
時刻は23時を回っていたが、すぐに返事があった。少しして戸と床の隙間から明かりが漏れ出す。部屋の電気が点けられたようだ。
「メアさん。こんな時間にどうしたのですか?」
つい先程まで眠っていたのか、ユウリはややとろんとした表情で出迎えた。
「あああああの、ね、これは……その……」
そして自身が何の考えもなしに押しかけてしまったことに気付き、慌てて言い訳を探すメア。慌てるような手振りは特段縋るものもなく、不格好に宙を彷徨った。
「どうぞ」
その様子をしばらく眺めていたユウリだが、取り敢えずといった感じでメアを室内へ招き入れる。
「…………」
メアは無言で部屋に入ると、促されるままユウリのベッドに腰掛けた。
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