XLⅩ.わたし一人の力で

 放課後、メアとユウリは教室内から他の生徒がいなくなったのを確認し、本題に入る。


「つまりメアさんは御崎さんを助けたいと、そういうことですか?」


 メアからことの一部始終を聞いたユウリは改めてそう確認した。しかし当のメアは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。


「別に、助けたいわけじゃない。ただ、その……許せないだけ……」


 「助ける」という言葉を認めたくないメアは不機嫌そうに言った。


 何故メアが御崎の携帯を持っていたか、それはメアが誰もいなくなった教室でこっそりと持ち出したからに他ならないが、それはメアが気に食わない御崎を困らせようという目的でやったことではない。


 キッカケは本当に偶然だった。体育の授業前で一人教室に残されたメアが遅れて教室を出ようとしたあの時、机に置きっぱなしになっていた御崎のスマートフォンが鳴ったのだ。音に釣られて何と無しに見た画面には「ゆう君」という登録名の者からのメッセージが表示されていた。普段であるならば気にも留めない事柄。しかし、その「ゆう君」が何者であるかを直前の休み時間に耳にして知っていたメアは思わずそのメッセージを読んでしまった。


 着信時のメッセージ自体の表示文字数は限られている。しかし、その文面がかなり端的だったのと、その「ゆう君」なる人物についての話を耳にした直後だっただけに内容が何を指しているのかメアにはすぐにわかった。


 メッセージ内容は場所と日時を伝えるだけのもの。文頭には「例の件」とあった。


 メアが御崎のスマートフォンに手を伸ばしてしまったのはかなり突発的かつ衝動的な行いだったと言える。そしてそれは度重なる偶然によるものだ。


 偶然、御崎の良からぬ会話を聞き、偶然、誰もいない教室で御崎のスマートフォンが鳴った。それらの偶然がなければこんなことにはならなかった。いや、普段のメアなら軽蔑こそすれそこまで行動に起こしていたか怪しい。いくらこの間違った世の中を正すということを常日頃から信念として掲げるメアであっても、見境のない無分別なことはしてこなかった。度を越した正義感が心身共に未発達な者たちからは特に反感を買いやすいことだって最初の一年でとうに学んでいる。


 だから今は冷静さが必要だ。耐え忍んで、順を追ってこの世界を変えていければ良いと考えていた。どんなに腹が立っても、どんなに悔しい思いをしても、今はその先の大きな使命に向かって進み続ければ良いと、そう自身に言い聞かせてきた。


 だが、あの時のメアは思い悩んでいた。本当にこのままで良いのかと。自分に何ができるのかと、あんなにも強固な想いがあったにも関わらず、どこか自分を信じ切れずにいた。


 結果、手を伸ばしてしまった。思わず生き急いでしまった。


 どうしたら良いのか、わからないまま手にしたそれをポケットに隠してしまった。


「しかしメアさん。事情はわかりましたが、中を見られないのでは持ってきてしまっても意味がないんじゃ……」


「わかってるわよ。うっさいわね」


 咄嗟に盗ってしまったものの、御崎のスマートフォンにはパスロックがかかっており、それ以上の内容を確認することができない。あの瞬間モニターに表示された文面以外に得られる情報はなかった。ユウリの言う通りこれ以上持っていても意味はない。


 念の為一度教室の外を確認して誰もいないことがわかると、メアはその派手なケースのスマートフォンを御崎の机の中にそっと返した。着信音が鳴ってバレないようにマナーモードにしていたので、戻す際解除しておくことを忘れない。


「でも場所と時間ははっきりしてるわ」


「それでどうするんです?」


「決まってるでしょ。あんな危険なことやめさせるのよ……」


 そこまで力強く宣言したところで、メアの表情が曇る。


 口で言うのは簡単だ。だが果たしてメア自身に何ができるのだろうか。相手は大学生、この間の高校生の連中よりも年上だ。それにもしかしたらもっと上の大人だって相手にすることになるのかもしれない。どんな相手かもわからない。この間以上に怖い思いをするかもしれない。


「だからさ……」


 メアは視線を泳がしながら弱々しく口を開く。


「あんたも一緒に来てくんない?」


 メアは言ってしまってからばつが悪いようにもじもじと指先を弄るようにした。ユウリはいつまでも視線を合わせようとしないメアを真っすぐに見据え、


「わかりました」


 口元に優しく笑みを作ると、そう即答した。





 5月15日、その週の土曜日。メアが御崎のスマートフォンから盗み見たメッセージが示す日。メアとユウリは目的の場所を目指す。メッセージにはメアたちの通うK中学校からみて駅の反対に位置する小さな公園の名称が記載されていた。「例の場所」や「いつもの」といった当人たちだけがわかるワードで示されていたならどうすることもできなかったので、簡潔なメッセージの中で場所と日時が明記されていたのは幸運だった。


 程なくして目的地に到着する二人。


 時緒と燐華にはあえて言わずにおいた。危険があるかもしれない場所に時緒は連れていけない。燐華に関して言えば、いざとなれば戦力になるのかもしれないが、喧嘩っ早い彼女がいれば、穏便に済ませられる場合であったとしても無駄に暴力沙汰になる可能性が高い。そうとなれば二人には黙っておいた方が無難だ。


 土曜日にも関わらず公園内には人影がない。時間帯の所為もあるのかもしれないがやはりそれだけこの地が都会から外れているということだった。駅から少し離れただけでこの有様だ。付近には工業系の大学があるらしいが、いかに田舎であろうとこんな廃れた公園にわざわざ出向く大学生は珍しい。


 時刻は十七時。約束の時間は十八時であったが、御崎の先回りをする為念には念を入れ、一時間程早く到着するようにしたのであった。


「まだ誰も来てないみたいね」


 公衆トイレの裏からスパイのように顔だけ出してメアが小声に緊張を含ませる。


「メアさん、さすがに早すぎたのでは?」


 対するユウリはくたびれたように公衆トイレの裏の壁に背を付けてその場にしゃがみ込んでいる。ここまでの道のりで疲れたというよりも、一時間もこうしていなければならないという先への気苦労によるところが大きかった。


「…………」


「…………」


 公衆トイレの裏で二人が張り込みを続けて四十分程が経過した。既に会話は途絶え、二人並んで薄汚れてじめじめとした建物の陰でしゃがみこむ。メアはしゃがんだ姿勢のまま力なく項垂れるように腕に顔を埋めている。ユウリに至っては退屈のあまり落ちていた木の棒で地面に落書きをしている。


「おっそいわね……。ホントに来るの?」


「メアさん。そもそも約束の時間までまだ二十分程あります」


 弱々しい声で愚痴るメアにユウリが冷静に返す。


「うっさいわね。わかってるわよ、そんなこと」


「しっ!」


 突然何かを察知したかのようにユウリは人差し指を立てるとメアの言葉を制した。


「どうやら、おいでになられたようです」


 公衆トイレの裏から頭だけ出して二人重なるように覗き込み、公園内の様子を伺う。


 三人の男が丁度メアたちの潜むトイレの正面を横切るところであった。薄い茶髪にシルバーのネックレス、長髪にピアス、きっちりワックスで固めた黒の短髪。見た目からして大学生くらいであることがわかる。三人ともこの田舎街にしては幾分か都会的と言える風体であった。


「ゆう、お前ここで待ち合わせだっけ?」


 備え付けられたベンチの前で立ち止まると短髪が茶髪に言った。


「ああ。明日の合コン忘れんなよ」


「それはそうと、またあのバイトか?」


「まあな、けっこーおいしーんだよ。今は特に需要があってさ。例の裏サイトの管理人が逮捕されただろ?」


「でも大丈夫なんか? 犯罪とかにならねーの?」


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。需要と供給って奴だ。俺はただそれが円滑に回るよう手助けをしてやってるだけだって。まあ、ちょっとばかし手数料は頂いてるが」


「それもその手数料ってやつで買ったのか?」


 長髪が茶髪の胸元で光るネックレスを顎でしゃくった。


「いーだろ。十五万くらいしたかなー」


「ほどほどにしとけよ」


「おやじ共はSNSみたいなので危険を冒さずに楽して若い女の子と遊べる。女の子は大好きな俺と一緒にいられる。ウィンウィンって奴だろ?」


「バレたらヤバいんじゃねーの? 未成年ばっかだろ?」


「証拠なんて出やしねーよ」


「でもお前がへマしなくとも、女にチクられる可能性だってあんだろ? 男の方は警察にバレたくねーからそれこそ死ぬ気で気を付けるだろーが、女の方から通報する場合もニュースとかでよく聞くぞ。女の方はバレても掴まんねーからな」


「バラされねーよ。そういう奴だけ集めてんだ。女の方は俺にベタぼれだかんな。俺から嫌われるようなことはしねーさ」


「ケッ、ずいぶんな自身だな」


「まあな」


 茶髪は前髪をふぁさっとなびかせながら得意顔をした。


「お前もどうだ? これから会う娘、まだ中坊だけど見た目はけっこーイケてんぞ。まあ、所詮まだガキだし背伸びしちゃってる感あるけど、逆にそこが初々しいっつうかさ。友達価格で2万でどう?」


「ダチにもしっかり金取んのかよ。でも中坊かー。俺別に年下趣味じゃねーしな。まあ、可愛いってんなら一回くらい試してみてーが」


 長髪の男はケラケラと笑い声を上げた。


 それからも男たちはメアにとって聞くに堪えない会話を延々と交わす。時刻は十七時四十五分、予定の時刻まで十五分程。そろそろ御崎が姿を現してもおかしくない。


「メアさん、どうやらメアさんの推測は概ね当たりのようですね。もしここに呼ばれた方が御崎さんなら、あの方は御崎さんと真剣にお付き合いをしているわけではなさそうです。所々理解できない単語がありましたが、それだけはわたしにもわたしにもわかります。…………メアさん?」


 反応がないことを訝しんだユウリが男たちからメアの方に視線を移すと、メアは俯き気味になりながら唇の端を怒りでわなわなと震わせていた。


「メアさん。メアさんは御崎さんのことをあまり良くは思っていなかった筈です」


「…………」


「それでも、彼女を助けたいですか?」


「……………………そんなんじゃない」


 悟られないようにメアは声を抑えて口を開く。しかしその声は小声というよりも、怒りのあまり辛うじて絞り出すようだった。


「助けたいわけじゃない。でも……許せない……」


 そしてメアは震える唇を噛み締めた。


「そうですか、では話を付けましょう」


 ユウリは確認するなり、トイレの裏から出ようとする。


「待って」


 メアは慌ててユウリの裾を掴み男たちの前に出ようとするのを止め、裏に引き戻す。


「わたしにやらせて」


「どうするつもりです? メアさん」


「わかんない。……でも、わたしが話を付けてみる」


「…………。大丈夫でしょうか? あの方たちがどんな方たちなのか、わかりませんし。もしかしたら緋龍の下僕の皆さんのように酷く粗暴で危ない方たちなのかもしれません……、いえ、メアさん。メアさんはとても優秀ですから上手くいく可能性も十二分に高いですが……」


 ユウリはあからさまにメアの身を案じるような言葉を口にしてしまってから、プライドが高いメアから怒涛の反論を受けることを予期して咄嗟に高評の言葉を付け足した。さすがにユウリもメアという少女の扱いを理解してきたようだ。


「あんたはここで待ってて」


 メアは構わずトイレの陰から一歩外に出る。


「わたしは強い、わたしは強い……」


 そしてすぐ後ろのユウリに聞こえないように密かに呟く。あの時、ユウリが口にした呪文の言葉を。


「わたしがなんとかしてみせる…………。この間違いだらけの世界をわたしの力で正してみせる……」


 まるで自身に言い聞かせるように言葉を紡いで、小刻みに震える手が治まるのを待つ。


「よしっ!」


 そして最後に気合を込めると、男たちに向かって真っ直ぐに歩を進めた。


「ん?」


 男たちの一人が近づくメアに気付いて声を上げると、残りの二人もメアに目を向ける。途端にメアの中に緊張が走る。


「ゆう、この娘か? 約束してたの」


「いーや、知らない娘だ」


 三人は見知らぬ少女を訝し気に見つめる。


「どうしたの? あ、もしかして俺に一目惚れしちゃった?」


 茶髪の男がそう嘲るように言うと、あとの二人は「始まったよ」と言いながらくすくすと笑った。


「…………」


「なんなの? 君」


 三人の前で立ち止まり、無言で睨みを効かせるメアに向かって茶髪は改めて問う。メアは一度鼻で深呼吸した。


「やめなさいよ」


 男の問いには答えずにまずはそう一言、静かに言い放つ。


「何? 何の話?」


「さあ?」


 男たちは何のことかわからず、眉根を寄せて顔を見合わせた。


「だからやめなさいよ。こんなことするの」


「なんなのさ、君。何が言いたいの?」


「御崎のこと…………、彼女に関わるのはもうやめなさい」


「ああ、冬美のお友達?」


 御崎の名前を聞いて、ようやく合点がいったのか、茶髪は足を組みなおしてベンチの背もたれに寄り掛かるような仕草をした。


「別にあの娘とは無理に付き合ってるわけじゃないよ? 冬美が俺に惚れてんだ」


「そんなことどうでもいい。やめなさいって言ってんの」


「やめなさいって言われても……なぁ?」


 茶髪は嫌味な笑みを張り付かせながら同じような顔をしている二人に視線を送った。


「ところで君もどう? 今度俺たちと遊ばない? ってかさ、その野暮ったい眼鏡取ってスカート短くすればもっと可愛くなると思うよ?」


 長髪は視線でメアの前身を舐めるようにして言う。メアは耐え切れず半歩後ずさった。


「お前さっき年下趣味じゃねーって言ってたじゃねーか」


 それを聞くなり短髪が派手な笑い声を上げた。


「わかってるの? 犯罪だって」 


「んー? なんの話かな?」


 男たちは微塵も狼狽えることなく応じる。


「知ってるのよ。あんたが御崎のこと金づるにしようとしてるの!」


「そんなことないよ? そんな酷い事、する筈ないじゃないか」


 男は幼子をあやすような優しい声色で答える。


「うそよ! さっき話してるの全部聞いてたんだからっ!」


「ああそう、聞いてたんだ」


 瞬間、先程まで嘲笑を含んだような声色だった茶髪は一転して声を低くする。一瞬垣間見えた男の目付きからは明確な敵意が見て取れた。しかし茶髪の男はすぐに表情を柔らかくした。


「ちっ…………メンドーだなぁ……はは……」


 不自然に口角を上げつつも目元だけは全く笑わず、男は立ち上がってメアに一歩近づく。


「ねぇ君、何が目的なの? 正義のミカタ気取りならやめてくんない? うぜーから」


 そう言ってまた一歩、メアに近づいた。メアは思わず後退ろうとしてすぐに足を止めた。何とか耐えたというわけではない。


 気が付けば、残りの二人がメアの退路を断つように背後に回っていた。完全に囲まれた。

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