XLⅦ.久世翼という人間-Ⅱ

「でもよ、それは別におかしいことじゃねぇんだ」


 メアの心中を余所に、久世は店の庭に植えられた枯れ木を胡乱気な眼差しで仰ぎ、話を続ける。


「人間ってやつは本質的に敵を作らなきゃ気が済まねぇ生もんだからよ。ガキに至っては、大人よりもそーいったてめぇ自身の本質に正直ってだけだ。いいよなぁガキは正直で……」


「いや、あんたもガキでしょ」


「そうさ、俺もガキさ」


 年下の女子中学生らしからぬ辛辣な言葉に、久世は反論するどころか、そう言って自嘲気味に苦笑した。


「ガキだから気付かなかったのかもしれねぇ。多分俺は無意識のうちに他人を見下してたんだ。そしてそれが周りの奴らにはわかっちまった。伝わっちまってたんだ。晴れてクラスの皆さんからの反感を買いに買った俺は独りぼっちになったってこった」


「哀れね。あんたも、その周りのクラスメイトも」


 メアはそう吐き捨てた。


「ガキはな、知らないんだ。知らない……。敵にされた方がどう思おうだなんて、そんなこと、知ったこっちゃない。俺らみたいな年頃のガキは自分のことだけで精一杯だ。だから自分でやるしかねぇ。何とかするしかねぇ」


「それでグレたってこと? 馬鹿みたい。独りぼっちが寂しいのか知らないけど、あんなならず者ばかり寄せ集まって。ホント〝ガキ〟って言葉が御似合いね」


「まぁ、率先してイジメを始めた奴も後から空気に流されて加担した奴も、正直ムカついたけどよ。俺が一番ムカついたのは周りの大人たちだ。肝心な時に助けてくれねぇクセに、俺がこーなった途端エラそーに説教垂れやがる」


「八つ当たりも良い所ね」


 言いながらもメア自身、信頼できる大人がこの世にいないことをわかっていた。つい先程、唯一メアが心を許す大人からも裏切られ、その想いはより強固なものとなった。


「たまに熱心に語ってくれる教師なんてのもいるけどよ、つい考えちまうんだ。ああいう良い教師はきっと他の奴らにも同じこと言ってんだってな」


「自分だけを見て欲しいっていうつもり? こんなことしてて内面は女みたいね」


「違う違う、なんか馬鹿らしくねぇか? 確かにごもっともだなっていう説教垂れる奴もいるけど、それがそいつにとって俺のような馬鹿全員と接する際の一つの決まり事みてぇなもんってんなら、どうしても言葉の重みが変わっちまう。他なんて関係ない、そいつだけに、そいつの為だけの言葉を贈ってんだってんならそりゃあある程度は言葉に重みが増すが、でもそんな言葉を贈る相手を選り好みするような奴は先公失格だ」


「どっちにしてもダメじゃない。子供ね」


「最初から言ってんだろガキだって。まあ、なんていうか、だから最終的にはやっぱり自分で何とかするしかねぇんだよな」


「子供の言葉の方が軽いでしょ」


「そんなことはねぇ。子供には責任が無い分、割と恐れなくど真ん中を突いてくる。大人になればなる程な、その後の自分の利益とか立場とかそんなんを天秤にかけちまうんだよ。その結果、魂なんて微塵も籠ってないスッカスカで上辺だけの言葉を吐いちまうもんだ」


 久世は、はぁと一度深く嘆息してみせた。まるで見えない煙でも吐いたかのようだった。


「俺だけはそんなカッコ悪い生き方しねぇーって大口叩いてもなぁ、結局はそうなっちまうのかもしんねー。この世界で生きていくためにはよ。それが世の中ってもんだ」


「ひねくれてるわね」


「ひねくれてなきゃあこんなことになってねぇよ」


 メアは悪態を吐きながらも彼の言葉で何故か気持ちが軽くなるのを感じた。実際に何かが解決したわけでもなく、きっと後で一人になった時に酷く落ち込むのだろうが、目の前の年上の少年の口から出る子供じみた言い訳が、良い具合に暗雲立ち込める頭を誤魔化してくれている気がした。


「俺はな、真面目にやってんのが馬鹿らしくなった。見せつけてやりたかったんだ。才能も実力もあるやつがこんな馬鹿やってんだ、できるんだってな」


「〝馬鹿〟やってる自覚はあったのね」


 久世は「まあな」と言いながら苦笑する。


「でもな、大層な御託並べたところで結局俺はこーなってたのかもしれねぇ。よく、人の言葉で考えが変わるって言うだろ? そんなことないよな。もし変わったってんなら、もともとそいつはそんな人間だったっていうだけだ。ただ、そんな人間だったってことを忘れちまうことはある。だからよ、人の言葉で何かが変わった気がしたならそれは、思い出しただけって程度のことだ。だから、最初から俺はこーゆー奴だったんだよ」


「つまりあんたは本質的に不良気取りのくだらない人間だったってこと?」


「おうよ!」


 メアの言葉に何故か久世は清々しいくらいの笑顔を見せる。


「俺はこーゆー人間だ。だから俺はその人間の本質ってやつをその時周りにいた大人に向けてやった。中学三年の頃によ、学年で一番ワルだった奴をぼこぼこにして、これまで真面目にやってた何もかもを全部蔑ろにしてやった。当時所属してた美術部の個人展示の課題に関しては馬鹿みたいにでかい紙に殴り描いて提出してやったら、何故かしっかり展示してやがったけど。でもまぁ、美術部みたいな物静かな人間の多い部じゃあ、俺みたいな暴力沙汰起こして教師ともめるような奴のことなんて口にするのもタブーみてーになってたらしいがな。〝呪いの絵〟とか言われてんだろ?」


「死ぬらしいわよ? その絵に関わったら」


「は! 死にゃあしねーよ。まあ、あの絵を指差しで馬鹿にした奴は何人か裏でぼこぼこにしてやったが。せーぜー半殺しくらいだ」


「何でよ。テキトーに描いたんじゃないの?」


「知るか。ムカついたんだ。あの頃はよ、この世の全てにムカついた。何でって? そんなの知るか。ムカつくからムカつくんだ」


 この石川メアという少女も、彼女自身が愚か者と評する男と似た思考を持っていた。この世の全てに、視界に入る全てに、憤慨していた。言うなれば〝ムカついて〟いた。だが……。


 メアは頭に遮った共感の二文字を掻き消す。


 こいつらは論外だ。愚か者以前に、最早真っ当な人ですらない。言語に絶する。本能のままに暴れる獣だ。本人たちはあれで何かを支配した気になっているのかもしれないが、全く以て子供じみている。


「だからお前もよ、落ち込んでないで自分のやりたいよーにやってみろや。ふっきれてみりゃあ案外スカッとするぜ。何に落ち込んでいるかは、そりゃあ知らねーが」


「わかってるわよ! わたし一人で何とかする! 最初からそのつもりよ」


 今度は無性に腹が立ってきてメアは語気を強めた。つらつらとわけのわからない話を聞かせたこの少年に対してもそうだが、気持ちが上手く纏まらずにいる自分自身が腹立たしかった。


「でもよ、自分を曝け出してなお、しつこく付いて来てくれるよーな奴に出会った時にはそいつを大切にしろよな」


 そう言って久世はメアの頭をぽんぽんと叩いた。


「優しくしたつもり? キモイんだけど」


 メアはその手を虫か何かのように掃う。


「さて、そろそろ戻らねーと。お前のおっかねぇ連れに叱られる」


「中学生の言いなりなんて、ホントだっさい……」


 立ち上がった久世が構わず「その調子だ」とキザっぽくウインクを投げると、メアは嫌そうな表情で顔を背け、あからさまに躱して見せた。




「まったくもう、どこをほっつき歩いていたんですか」


 メアと久世が建物内に戻ると、扉の前でユウリが腕を組みながら仁王立ちしていた。


「はいはい、悪かったよ」


 久世は反論することを諦めたのか、そう返すと真っすぐに描きかけの紙が散らばったテーブルに向かおうとする。


「別に休憩くらい良いじゃない」


 その様子を見ていたメアは年下の少女に良いように使われる不良少年を多少不憫に思ってか、ユウリに向かって窘めるように言った。


「お? なんだメガネっ娘、俺のこと好きになった?」


「死ね」


 だが、久世の振り向きざまの笑みを視界に入れて、僅かでも同情したことをすぐに後悔した。


 先程まで騒いでいた時緒と燐華は騒ぎ疲れたのか、テーブルに突っ伏したまま寝息を立てている。騒がしい二人が寝落ちしている様を一瞥し、メアは嘆息した。


 それからもひたすら久世とユウリによる絵の制作が続いた。


 ステンドグラス製の色付いた小窓越しにも関わらず、外に夕陽が差していることを確認できた頃、絵の制作現場に変化が訪れた。


 ちょうど手持無沙汰が続き眠気がさし始めたメアが、そろそろお開きを宣言しようと時緒と燐華を起こしに席を立った時である。


 まず耳に入ったのはユウリの呟くような声。


「…………、概ね、完成でしょう……」


「「「おわったー!!」」」


 しかしその直後に館内を震わせる男たちの歓喜の雄叫びで、メアが肩を揺する前に時緒と燐華も飛び起きた。


「完成って……、できたの?」


「ええ、メアさん。これで『飛竜の翼』は手に入りました。久世さん、ありがとうございました。それとすみませんでした。わたしも焦るあまり少し厳しい言い方をしたかもしれません」


「お、おう。あれが少しだったかどうかはこの際ツッコまねぇけどよ、まあとにかく満足したなら良かった」


 ユウリが手にする完成とされる絵。その絵は微塵も原型を留めていなかった。異様かつ歪にデフォルメを重ねていった結果それは最早「竜の絵」ではなく奇妙な紋様と変わり果てていた。何らかの「生物」ですらない。複雑に絡み合った描線が形作るのは概して言えば大きな円。要所要所は見ているだけで気味が悪くなりそうな程に複雑で不気味な紋様でしかないが、とにかく、その全体像は概ね歪な円形を形作っていると言えた。


 そしてそこまで成り果てようとも、やはりメアを始め周囲の人間にはその絵が「翼を持った竜」にしか見えなかった。


「魔法……陣?」


 メアはそう無意識に口に出していた。


「ええ正解です。メアさん」


 ユウリは平然とそう返すなり、たった今完成したその絵をくるくると筒状に巻き取り鞄に仕舞ってしまう。


「これは一種の魔法陣。あまり思考に慣らすのはよくありませんから、これは本番その日までこうして封印しておきます」


 「わたしもわたしも」と、絵を見たがる時緒から鞄を遠ざけながらユウリは言った。


「ユウリっち? 何でせっかく描いたのにしまっちゃうの? 材料は全部揃ったんでしょ?」


「そうだよー」


 すかさず時緒も応戦する。


「馬鹿言わないで。今日はもう遅いでしょ」


 メアは疑問を漏らす二人に窘めるように言った。


 そもそもメア自身に心の準備ができていない。遅れてそう考え始めると「材料が全部揃った」その事が現実だということを徐々に自覚させられた。ぞわりとした心地良くない感覚が腹の底から湧き上がる。


 材料が全部揃った。異世界へ行く為の材料が……。


「いいえメアさん。日を改めたところで現状は無理です。まだ解決できていないことがありますので材料が揃っただけでは足りないのです」


「あっそう」


 メアは内側で忙しなくなっている心音を抑えるように極力平静を装って短く応える。


「えー! 何が足りないのぉー?」


 時緒は悄然とした表情で立ち竦んだ。


「現状揃ったのは魔術発動に必要な材料のみ。あとは相応しいタイミングとその場所」


 言いながらユウリは鞄からタブレットPCを取り出す。もうすっかり扱いに慣れたのか、迷いなく操作すると画面を皆に向ける。そこにはあの難解な本、ヴォイニッチ手稿の一ページが表示されていた。当然それが何を意味しているのか、ユウリを除く他の者達にはわからない。


「それに関しては既に解読済みです。しかし……わたしには書いてある内容がわかってもそれが何を示しているのかが……」


 ユウリは言いながら語気を弱めた。時緒も一度は笑顔を取り戻したかに見えたが、ユウリの様子で察したのか、すぐに表情を曇らせる。


「わたしがここから読み取れたのは魔術には月に近い場所へ行く必要があるということ。そしてその時期を知るにはアンティキテラ島にあるとある道具が必要があるということです」


「月…………」


 メアは無意識のうちにそう繰り返していた。


「メアさん何か心当たりが?」


「え? いや、ぜんぜんないわよっ!」


 メアは慌てて取り繕う。


「ってか、ヒント少なすぎて無理じゃね? ほんとにそんなんで辿り着けんのか?」


 様子を見かねた久世が割って入る。


「そうですね。あと場所に関しては然るべき時に光が示すと……ありますね……。いずれにしても何のことかわたしには……」


「い・ず・れ・に・し・て・も! 今日はもう遅いから終わりにしましょ」


 メアはそう言ってその場を収めると先頭を切って出口へ向かった。


 残された三人はそんなメアの後姿を怪訝そうに見つめていた。

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