XLⅥ.久世翼という人間-Ⅰ
「あれぇ? 今日は着物のおねーさん、いねーのかよぉ」
秘密基地に到着すると既に時緒と燐華、それに高校生不良グループ一行が店内でひしめき合っていた。それを視界に収めてメアは普段よりも一層深い溜息を吐く。
先程の光景が頭から離れず、よれよれと歩を進ませる。辛うじてテーブルまで辿り着くと、人殺しのような眼力で不良少年の一人を退かせてから椅子にどかっと腰掛けた。
「あんたが絡むから嫌になったんでしょ」
哲学的幽霊の女性がいないことを嘆く久世に覇気のない声でそう一言だけ告げると、視線でユウリに「さあ早く始めたら?」と訴える。
「マジかー、着物のおねーさんいねーなら帰ろっかな」
「お言葉ですが、下僕四号であるあなたにその決定権はありません」
早くもやる気をなくしている久世に、非情にもユウリはそう宣告する。
「前から思ってたけどさー。その四号とかって何なの? 出世の方法はねーのかよ」
「そんなに上の序列が良いのですか? まあ、飛竜の翼を完成させることができたら考えなくもないです」
「いや、心の底からいらねー」
「あのね、ユウリちゃんは三号で、わたしは二号なんだよー」
話を聞いていた時緒が自慢気に割って入った。
「おうおう、お前が二号か! 俺の先輩様かぁ? 俺よりもエラいのかぁ?」
久世は面白がって話し掛けてきた時緒に迫る。
「うん、そうだもん…………。わたしが二号だもん……………………、ひっく…………」
自身の軽口が招いた状況だが、燐華に続きこれ以上地位を奪われまいと必死の抵抗を見せる時緒。しかし両目には既に涙が浮かんでいた。
「ねぇ、女子中学生イジメるのやめてよ。ってか早く始めなさいって」
「へいへい」
メアの言葉を受けて久世は仕方なくといった感じで気怠そうに画用紙の前に座った。
ユウリがそれに続いたのを見届けて、ようやく休めるとメアはテーブルに突っ伏す。
燐華は何かを察したような表情でメアの方を眺めていたが、メアは気付かないフリで視線を背けた。
違う。泣きたいわけじゃない。そう自身に言い聞かせて。
「メアちゃん、メアちゃん。わたしね、今日宿題ないよ。嘘じゃないよ? ホントだよ」
「別に何も言ってないじゃない」
メアが顔を背けた先で目が合った時緒が焦った様子で両手をバタつかせる。
燐華はメアの調子に薄々勘付いているであろうが、時緒もまた、メアという少女の心情から起因して表面に出る些細な変化には敏感だ。メアは行く当てのなくなった視界を腕の中の闇に落ち着けた。
闇の中でメアは目元に微かに、何かが滲む感触を覚えた。「そんな筈ない」。そう思いながらもメアは顔を上げられずにいた。
「…………? メアちゃんどうしちゃったの?」
完全に拍子抜け状態の時緒は不思議そうな表情で燐華と顔を合わせる。
「さあ?」
当然燐華にもその理由はわからない。
「でもさ、大丈夫じゃない? メアは強いからさ」
「うん! そうだね! メアちゃんは強いもんね!」
「…………」
メアは聞こえないふりを決め込んで、顔を腕に埋めたまま動かずにいる。
「ほら、メア! いつまでもそうしてるとちゅーしちゃうぞ! んちゅ~」
「燐華ちゃんずっるーい! じゃあわたしはこっちから……ちゅ~」
「だぁあああー!」
両側から挟み込む形で接近する少女たちの唇が頬に届く前に、メアはがばっと起き上がると相応の罰を与えようと時緒と燐華を追いかけ回す。
「わーん! やっぱいつものメアちゃんじゃーん!」
「あははは!」
燐華は笑い声を上げながら、時緒は涙目で、店内を駆け回った。
「何だ、何だ。随分楽しそーだなぁ」
メアたち三人が騒ぐ傍らで、今日も久世は自称魔術師のユウリ監修のもと絵の製作を続ける。が、さすがの騒がしさに集中が途切れてしまっていた。
「余所見をしている暇はありません。あれはまた時緒さんあたりが持病の発作でも起こしたんでしょう」
「え? あの子病気なの? 見る限り元気そうだが」
「頭の病気です」
「…………。お前さぁ、冗談ならもっと冗談っぽく言えないものか? そんな真顔のまま表情変えずに言われてもシャレにならねーだろ」
「魔術師冗談言いません」
「いやそんなインディアン嘘吐かないみたいなノリで言われてもよ」
「でもそうですね……嫌われたくないので善処します」
「……まあ、素直なのは良い事だ」
「そんなことより、手を止めないで下さい。せっかく何かを掴みかけてるんですから」
「へいへい」
久世が書いた〝飛竜〟の絵は優に30枚を超えていた。清書するまでに至っていないとはいえ、その一つひとつにおいてかなりの労力を要したのも確かだ。一つとして手を抜いたものはなく、細部に至るまで丹精に描き込まれている。
そして描く毎にその竜の絵は形を変え、最早原型を失いつつあった。周りで眺めるだけの取り巻きはその不可解な絵の変化に対して口を挟むことができないながらも、胡乱なものを見る目で見守っていた。
口を挟まないのは彼らが絵に対する知識や見識に乏しいという理由だけではない。その異様にデフォルメされつつある竜の絵が、どんな形を取ろうともやはり〝竜の絵〟であったからだ。何故それを〝竜〟だと認識できるかはわからない。しかし反対に、見る者には〝翼を持った竜〟以外の何物にも見えない、気味の悪い感覚にさせるものであった。
「何となく方向性はわかってきたけどよー。いつになったら完成すんだよ」
「それはあなた次第です」
ユウリ曰く、絵の完成度は枚数を数える毎に良くなっているらしいが、久世の限界が近付いていくのも無理からぬことであった。
「ホントかぁ? 俺にゃあ、お前のさじ加減次第って気がするが」
「さじ加減を知ってるのはわたしだけですから、まあそれもあながち間違ってはいませんが」
「だったら自分で描けよ」
「それができたらとっくにそうしてます。何ですか、今更。今度こそ頭おかしくなられましたか?」
またそれだ、と久世は無言で両の手の平を掲げ、降参のポーズをした。
しかし諦めきれないのか、ボツを食らった絵の中から一枚を取り出すと、ずいとユウリの眼前に突き出す。
「ほら! これなんか良く出来てんじゃねーか、俺的には一番だぜ」
「……………」
ユウリは嘆息すると無言のまま近くにいた取り巻きの少年のポケットに手を突っ込む。いきなり少女に股間付近を弄られ「え? あ? ちょっと!」と狼狽えている少年に構わず、少年がタバコ用に所持していたライターを取り出すと、久世の持つ絵に微塵の躊躇いも見せずに着火した。
「うわっち! あにすんだてめぇっ!」
久世は慌てて火を叩き、鎮火する。
「何って、燃やしたんですが。見てわかりませんか」
「はは…………ああ……そう……、わっかんねーかな? 〝何で燃やしてんだ〟って聞いてんだっ!!」
「そうでしたか。では初めからそう仰って下さい。まどろっこしい……」
「やっべぇ……カチキレそう……」
女子供には手を上げないことを信条にする不良グループ緋龍の三代目総長は、この時初めて己を律する箍が音を上げて軋む感覚を経験した。
燃え残った絵の残骸を握りしめながらこめかみに青筋を立てていく久世と、全く意に介そうとしないユウリ。一番気が気じゃないのは周りの少年たちであった。
「そ、総長、抑えて! 相手はガキですし!」
久世のあまりの剣幕に、当初ユウリに対して暴力的な行為に及んでいた筈である子分たちの方が慌てて宥める始末であった。
「何故かと仰いましたが、今あなたに描いて頂いている絵は、魔術の行使に際して視覚を通して脳内へ影響を及ぼす為のもの。失敗作であったとしても、それを認識することで得られる脳内の電気信号のパターンは存在します。ですから、こんな中途半端なもの、かえって脳へ悪影響を及ぼしかねません。完成する前に脳内に記憶という形で固定観念を芽生えさせては危険です。ですからこの世から抹消するのです。二度とこのようなモノわたしの視界に入れないでください」
「…………」
久世はユウリの言葉を訊くなり早々に理解することを放棄し、こめかみ付近で人差し指をくるくると回す仕草をしながら、周囲の少年に「こいつホント頭おかしい」と無言で目配せした。
「もういい、ちょっと休憩だ」
そして一度机を叩くと、すくと立ち上がり店の外へ向かって行ってしまった。
「ちょっと待って下さい。今日はまだ休憩を許してません」
「うっせぇ」
背後から投げ掛けられたユウリの静止に一度も振り返ることなく、久世は店を出て行った。
「はぁー……」
久世は外の空気を吸い込み、苛立ちと共に荒々しく吐き出した。
建物の角に腰掛けられそうな手頃な石を見つけるとどかっと座り込み、ポケットからくしゃくしゃのタバコを取り出す。
ライターを点火したところで、ふと店の側面のあるものが視界に入り、一度は咥えたタバコを箱に戻すと、そのままライターと共にポケットに仕舞う。
「おい、服、汚れっぞ」
久世は店の壁に背を付けるようにして座り込むメアに声を掛ける。スカートを地面に付け、膝を抱えるようにしている。
「…………。関係ないでしょ……」
「あっそ、お前も休憩か?」
「…………。ええ……そうよ。馬鹿ども追い回して疲れたの」
「それはお疲れさん」
メアは久世の方へ視線を向けず、暗く陰った地面ばかり見つめている。普段の勢いがないメアに対し、久世はばつが悪そうにぽりぽりと頭を掻いた。
「タバコ、わたしがいるから止めたように見えたけど、どーせ他で吸うんでしょ? 何良い子ぶってんの? 気持ち悪い」
メアは膝を抱えたまま久世に軽蔑の視線を送る。
「いやな、俺のタバコの所為でお前が将来子供産めなくなったら責任取れねーなと思ってよ」
「こっ!?」
メアは一瞬大声を出しそうになったが、すぐに音を飲み込んだ。
「馬鹿じゃないの? そんな一回の副流煙でそこまでならないわよ」
そう言ってまた何もない地面を見つめる。
そこからしばし沈黙が流れるが、相変わらずメアは地面を見つめ、久世はどこか興味あり気にメアの様子を伺っていた。
「なぁお前、学校の勉強は必要だと思うか?」
数分の沈黙の後、久世は徐に口を開く。
「なに? 急に。知らないわよ、そんなの」
久世の漠然とした問いに、しかしメアは冷たい言葉を放った。久世を毛嫌いしているということよりも、この時ばかりはあまり脳を使った会話をしたくない気分だという理由が大きかった。
「学校の勉強で身に付いたもんは将来無駄になることがほとんどかもしれねぇ。結局最低限の読み書きと算数ができれば難しい仕事でない限り意外と働く場所はある」
久世は構わず話を続ける。
「ただどんな仕事でも学ばなければいけねぇ。働き方やそこのルールをよぉ。勉強の仕方を勉強してんだ。今勉強しておかねぇと将来勉強しなきゃならねぇ時に勉強の仕方がわからねぇだろ。好きなもんは自然と覚えちまうかもしれねぇが。世の中そんなもんばかりじゃねぇだろうからな」
「…………」
止めどなく続く久世の話にメアは沈黙と共に疎ましものを見る視線を返した。
「俺はな、絵が上手かった。おまけに勉強もそこそこできたし、運動神経も悪くねぇ。ツラだって、ほら、この通りだ」
「…………。何なの? 自慢? とんだナルシストね、聞くに堪えないわ」
メアは声に感情を乗せないながらも、あからさまに「うえっ」という表情をして久世を見る。
「うっせぇ! 良いから聞けって。いいか? ツラはともかく、他は別に才能なんかじゃねぇ。そりゃあ中学ん時はクラス中から持て囃された時期はあったがよ、俺はな陰で努力したんだ。テストに向けて人一倍勉強したし、体育の授業に向けて毎日筋トレしたり庭で練習したり。絵は、まぁ、好きだったからそこまで苦じゃなかったけどよぉ。自分で努力したって言えるくれぇには努力した。お陰で学業もスポーツも、おまけに芸術科目も学年でトップだった」
「その陰の努力を今になってわたしに評価して欲しいって? あー良い子良い子、頑張ったわねー、これで良い?」
面持ちにまだあどけなさの残る少女からそんな上目線の煽りが出たことに、久世は思わず吹き出してしまった。メアはキッと久世を睨む。
「まあよ、とにかく俺はクラスで、学年で、文字通り何でもできる憧れの存在になった。勿論他よりも評価されたいって気持ちがなかったって言えば嘘になるが、俺はな、不安だったんだ。学校という場所で身に付けたことがどう将来に役立つのか、しょーじき言って半信半疑だった。だからできるだけやっておこうって思ったんだ」
メアはいつまでそんな自慢話を聞かされるのだと、眉を顰める。しかし、笑みを見せていた久世の口元がスッと感情のないものに変わる。
「その結果、俺は最終的にどうなったか」
久世は続ける。しかしメアの方からは視線を外していた。メアの位置からは先程までの嫌味な笑みは見えなくなり、代わりに寂し気な横顔が映った。メアは早々に久世から視線を逸らすと、人差し指で地面に渦を描き始める。割と潔癖症で神経質なメアだが、今はスカートや手の土汚れが気にならなくなっていた。
「俺はな、クラス中から無視されるようになった。最初はクラスの数人から始まったことだが、それがクラス中に広まるまでそう時間は掛からなかったな。まあ、端的に言えば今流行りのイジメってやつだ。情けねぇ。こうして口にするのも嫌んなるぜ」
くるくると地面の渦を何重にもしながら、メアは朧げに思考する。何故この少年は、グループを束ねるリーダーである筈の彼は、こんなカミングアウトをメアに聞かせるのだろうか。
この久世という性格の人間でなくても知られたくないことに違いない筈なのに。
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