XLI.新たな仲間(下僕) ?

 久世と名乗る少年の放った拳の、ブンっ! と空気を切る鈍い音が狭い室内に反響した。


「ユウリっ!」


 メアがユウリの名を呼ぶのは今この瞬間が初めてであった。だがそれは「呼ぶ」というよりは、必死になって吐き出す叫びそのものと言った方が正しい。


「がっ!!」


 だが次の瞬間こだましたのはまたしてもマサという少年の悲痛な呻き。数歩後ずさり態勢を保とうとする甲斐なく、そのまま勢いを殺しきれず地面に派手に倒れ込む。


「え?」


 メアはもう何が何だかわからなかった。それはユウリも同じで、未だキャミソールの裾を掴んだままの状態で地に伏す少年へ視線を向け、その大きな瞳を瞬いていた。周囲の少年たちも身じろぎ一つせず、室内は異様な静寂に包まれる。


 久世は構わず、シャツを汚して地面に這いつくばるマサの襟元を掴み、無理矢理上体を起こすようにする。


「そ、総長……」


「おい、言ってるよなぁ。女子供、弱いモンにはてぇ出すなって」


 久世はマサと双方の額が接するくらいにまで顔を近付けて凄む。


「は、はい……。すんませんした」


 マサは久世の剣幕に思わず視線を逸らし、観念して謝罪を口にした。


「おい、お前ら悪かったなぁ」


 久世はマサの襟元を掴んだままメアとユウリに視線を向ける。


「何があっても女とガキには手を上げねぇ、それが俺ら緋龍の流儀だ。このバカどもがそのあたりをどー勘違いしてこんなことになったかは知らねぇが、とりあえずしっかり落とし前はつけさせる。だから許してくれ。この通りだ」


 久世はそう言いながら軽く会釈をするように頭を下げる。


 その言葉に少年たちは口々に「〝弱く〟はなかったよなぁ」と愚痴を漏らすが、久世は「うっせぇ!」と一喝した。


「ほ、ホントにバカみたいっ! 寄ってたかって大人数でっ! 本当なら警察を呼ぶところよっ!」


 メアは久世に向かってそう捲し立てた。紛れもない怒りの感情からであったが、それはこの少年たちの暴力的な行いに対するものだけではなかった。危殆に瀕していた先の事の最中でのユウリに対する、あるいは己に対する感情、それが恐怖心の薄れた今、より顕著なものとなって腹の底から湧き上がってくる。


 当然そのことを知る由もない久世は、メアの剣幕に「ほう」と感心した様子で無言の眼差しを返していた。


「どうしてくれるのよ! あんたたち! これはれっきとした犯罪よ!? は・ん・ざ・い!」


「いやでもよぉ……結果的に俺らばっか殴られてたような……」


「あ? なに?」


 胸ぐらを掴まれたままのマサが思わず愚痴を溢し掛けるが、メアの睨みに気圧され、口をもごもごと噤んでしまう。


「くく…………」


 感情を出さず、終始何を考えているのかわからない胡乱気な表情を貫いていた少年たちのリーダーらしき男、久世は堪え切れない様子で笑い声を漏らす。


「くく……くはははは!」


「な、何がおかしいのよ」


 湧き上がる怒りの勢いに任せていたメアは突然見せられたその異様な様に、我に返ったように表情を素に戻した。


「いや、な、良いなぁお前。なんつーか、好きだぜ」


「すすすす好きぃ? いきなり何言ってんの!?」


 藪から棒に向けられた言葉にメアはたじろぎながらも、身なりや素行こそ最悪だがそこそこ美形と言えなくもない男から受ける好意に顔を赤くする。


「くく、良いねぇ。その目付き、そういう強気なの、俺好みだわぁ。俺としちゃぁもうちょっと出るとこ出てくれれば満点なんだが、まあ、そもそも俺大人の女が好きだし、十年後くらいに出直して来てくれ。良い女になってると思うぜ」


「はぁ!? ふざけてんの? こっちから願い下げよ!」


 ウインクをしながら笑みを返す久世という男の様子に、メアは慎ましやかな胸元を両腕で隠しながら顔を背けた。


「さぁて、落とし前の時間だ。てめーらもなにボケっとしてんだ。おら、さっさと並んで歯を食いしばれや」


「「「おっす!!」」」


 少年たちは久世の言葉を受け、横一列に整列すると両腕を後ろで組む。


 久世はまず胸ぐらを掴んでいたマサを再度殴ると、そのまま横並びになった少年たちも端から順々に殴っていた。廃墟の中をきっちり八人分の断末魔がこだました。


 少年たちが罰を受けている最中、メアは思わず耳を塞ぎながら目を瞑ってしまっていた。


「これで許してやってくれ」


 久世はそう言って再びメアとユウリに向き直る。


「しかし……」


 もう終わったかと恐る恐る目を開くメアを余所に、ユウリは何か物申したそうに口籠る。


「なんだ、これじゃあ不満か?」


「いえ、そうではなく。そちらの方は最初に殴られてますから今ので二回目です。何だか不公平と言いますか……」


「あ、そっか。わりぃ」


 久世は尻もちをつきながら頬をさするマサに向かって素直に謝罪した。


「じゃあおめーらもう一発ずついくか! それで不公平じゃなくなるな!」


 そしてその他の少年たちにそう声を掛ける。少年たちは揃って「そんなぁ!」と嘆き声を上げた。


「あ、あの! わたしは何もそんなつもりでは……。不公平と言いますか、不憫だと言いたかっただけで……」


 いかに先程まで敵対していた者たちとはいえ、自身の言葉が引き金で他者が理不尽な暴力を受けるのは流石に気が引ける。ユウリは慌てて言葉を訂正しようとする。


「どー違うんだ? それによぉ、皆仲良く揃って二発ならこいつも不憫じゃなくなるぜ? それとも他に良い案があるか? こいつが不憫じゃなくなるってよぉ。殴っちまったもんは変わらねぇんだし。魔法か何かで過去に戻せるってんなら別だが」


「…………」


 ユウリは顎に手を当てながらしばし考え込み、


「それもそうですね。では皆さん、歯を食いしばってください」


 過去に戻るという都合の良い魔法が存在しないことを知る魔術師はそう結論を出した。


「「「そんなぁ!!」」」


 再び廃墟の中を少年たちの断末魔がこだました。


「メアさん……」


 少年たちが制裁を受けているのを横目にユウリは徐にメアに声を掛ける。対するメアはどういう顔をして良いかわからず、顔を背けた。


「本当に……何と申して良いか……すみませんでした」


 そう言うと、メアに向かってやや顔を突き出すようにして目を瞑り、口を真一文字に結ぶ。


「な、何?」


 顔をふるふると微かに震わせそれでもその態勢のまま動こうとしないユウリに、メアは顔をしかめる。


「〝すみません〟と口にしたら頬をつねられる決まりです。でも流石に言わずにはいられませんでした。ですから、ひと思いに……」


「…………はぁ」


 メアは呆れた様子で短く嘆息すると、パンっ! と、ユウリの両頬を手のひらで挟み込むようにして叩いた。ユウリは想定外の制裁に「うぶっ!」と息を吐き出した。


「メアさん……話が違います……」


「うっさいわね。…………でもこれでチャラ。だからもう謝んな」


「はい」


 ユウリは口元だけに微かな笑みを作ると、地面に放ってあった自身のショーツを丁寧に畳み、スカートのポケットに仕舞った。


「いや穿きなさいよ」


 そう命じるとユウリは渋々といった様子でショーツを穿きだしたので、メアは慌てて体で周囲の目から隠すようにした。


「それにしてもよぉ……」


 不意に背後から声を掛けられる。二人が振り返ると先程理不尽にも二発の制裁を受けたマサが立っていた。


「ホント、大した度胸だよ、おめー。正直未だにムカつくけどよ、その度胸だけは褒めておいてやる」


 マサは赤く腫らした頬を労わりながら、一人で大人数の男たちに立ち向かったユウリを称賛する。


「……? ありがとうございます」


 どう反応して良いかわからないユウリは取り敢えずそう返しておく。


「褒めてねーよ!」


「どっちです」


「うっせぇ! ったく、泣く子も黙る俺たち〝緋龍〟に喧嘩吹っ掛けよーなんてな」


「だから、それはあんたたちが勝手に勘違いしただけでしょうが! そもそも何なのよ、その〝緋龍〟って」


 委細構わず突っ走ったユウリにその大元の要因があるとはいえ、それでも非があるとするならばこの少年たちの方だ。メアは未だ敵対心を隠さずに応対する。


「あ? 知らねーのか? 俺ら緋龍っていやここらじゃあ名の知れた族だろうが。ま、知ってりゃあ、あんな無謀なことしようと思わねーか」


「おいマサ、よけーなこと言ってんな。名の知れてたのは昔の話だろう」


「でもよ総長ぉー」


「『でもよ』もヘチマもねぇ! 事実は事実だろーが!」


 久世はマサを黙らせると別の少年の一人から純白の特攻服を乱暴に受け取り、学ランの上からそれを羽織る。龍の刺繍を背に二人に向き合った。


「ま、このとーり俺らはロクでもねー集団だ。そのアホが言うように先代まではこの辺りでブイブイ言わせてたらしーが、今じゃあだいぶ人数も減っちまってこのザマだ。だがな、俺にはこの族を引き継いだ責任がある。本当にお前らがナメた理由でってんなら、そん時は見逃せねぇ。弱者への暴力は流儀に反するが、緋龍の頭を張る男の矜持としてわからせる必要がある。でもな、違ぇってんなら話してみろよ、事情をよ。詫びと言っちゃ何だが、俺にできることなら一つ、何でも聞いてやる。それでどうだ?」


「ん?」


 それを聞いたユウリはピクリと反応し面を上げた。


「今〝何でも〟と仰いましたね?」


 ユウリが何を望むか、それがわかりきっていることだけにメアは「くだらない」と嘆息した。そしてこのならず者の長に協力を仰ぐことでこの先どのような面倒ごとに直面することになるのかという淡い悲壮感に、遅れて顔を出し始めた疲労感が混ざる。


 だが、メアは真に理解してはいなかった。今に至るまであれだけ嫌という程経験してきたにも関わらず、このユウリという美少女魔術師の、無知から来る底知れない常識と見境の無さを。


 共に魔術の材料を探す。そのような生易しいものではなかった。


「では、彼女の、メアさんの下僕になってください。」


「ふぁ!?」


 色を失い、メアは埴輪のような表情で素っ頓狂な声を上げる。


「四人目の下僕ですから、あなたは今からメアさんの下僕四号です」


 ユウリは久世を指差しながらそう宣言した。


「くっ……くくっ……。くははははっ!!」


 久世は先程メアの言葉に対して見せたものよりも一層大きく笑い声を上げた。


「下僕! はっ! 緋龍のトップ、総長であるこの俺が! 一度でも喧嘩した奴は街中で目を合わせようともしないこの俺が! 下僕! しかも四号! 四番目! 第四位!」


 怒号のように声を荒げてみせるが、最後の方はほとんど笑い声混じりであった。言葉の内容とは裏腹に堪えきれず破顔する様子はどこか楽しそうでもある。


「ええ」


 ユウリは平然とした様子で頷く。


「おもしれー! いいぜ! 下僕、やってやろうじゃねーか!」


「「「そうちょぉぉぉー!!」」」


 久世の回答を耳にした少年たちは、先程の制裁時の断末魔よりも一層酷い声を廃墟内に響かせた。

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