XXXⅥ.思わぬ手掛かりPart.2

 そしてひとしきり笑い終えると、円子は呼吸を整えながら、再び四人を見据えた。


「もういい……、もうやめ……、もう耐えられない……、何だかわたしの方が恥ずかしくなってきちゃった」


「え?」


「だから、うっそだよーん」


「嘘……ですか……」


 声は平静を保っているが、ユウリの表情には微かに安堵の色が浮かんでいた。


「そう嘘。もうっ、二人とも変に正直なんだから。さっき騙されたばかりじゃない」


 円子は腕を組み、ぷくっと頬を膨らませる。その様子はやはり無駄にあざとかった。


「石川さんならまだしも、能登さん〝そっち系〟の人なんでしょ? だったら少しくらい冗談に乗ってくれてもいいじゃなーい。もう、こういう時だけ変に真剣になっちゃって、わたし一人に恥ずかしい思いさせないでよね、まったく」


「ええ、すみません……」


 わけがわからず、しかしユウリはとりあえずの謝罪をする。


「でも、これでよくわかったでしょ?」


「えっと……何が……でしょうか?」


「中学生にもなってそんなこと言ってるのが、一般的に変に思われるってこと」


「…………、えっと……」


「転校初日のアレ、わたしも教室で聞いてたんだけど、すっごい恥ずかしかったんだから。えっとね、キョーカンセーシューチ? って言うらしいよ? こういうの。わたし、昔からそういうところがあって、もしかしたらわたしがおかしいのかなって思って調べてみたことがあるんだけどね、十人に一人くらいの割合でいる体質らしいの。十人に一人なら、十分普通の範囲内だよね? まあ、他人がどんなに恥ずかしく思おうが本人には関係ないかもしれないけど、でも、たぶん、十年後とかに思い返して絶対『恥ずかしい!』って感じると思うから、やめておいた方が良いことには変わりないんだけどね。俗に言う黒歴史って言うやつ? とにかく、そのことをわかって欲しかっただけ。でも少し安心かな? 転校当初に比べると、能登さんだいぶ普通になったし。まあ、その和傘と胸ポケットのネズミさんはどうかと思うけど、改善がみられるうちは良いんじゃない? それはそうと、これってやっぱり石川さんのお陰なのかしら? 一緒にいるところよく見かけるし」


「知らないわよ」


 メアは最早まともに相手をするつもりはなく、目を峙てながら適当に返答する。


「ああもう、話す気があるなら早く話しなさいよ」


 そして苛立ちを抑えきれない様子で本題を促すようにした。


「それもそうだね、冗談はこのくらいにしてと。いいよ、わたしが知ってること、教えてあげる。って言ってもね、さっき言った通り、この学校の生徒のあいだでは有名な話だよ?」


 そこまで話したところで円子は妙に芝居がかった様子で、急に声を潜めるようにした。あえてそのようなことをしなくとも、そもそも美術室には五人を除いて誰もおらず、先程の円子の言葉が正しければ生徒たちのあいだではある程度知れ渡っている様子。つまり、余計な趣向であることは明白であった。


 だがいちいちツッコミを入れていればきりがなくなりそうであったので、メアはすんでのところで堪える。


「あのね、『死を呼び寄せる呪いの絵画』って知ってる?」


 まるで、おどろおどろしい怪談でも聞かせるような声色で円子は四人に問う。


 ああ、〝かえりたい〟。揃って頭を横に振るメアを除く三人を余所に、円子の言葉を聞いたメアの脳内は瞬時にこの五文字で埋め尽くされた。


「聞いたことなら、あるわよ。この学校の都市伝説でしょ? くだらない」


「この絵がその円子さんの言う呪いの絵画ということでしょうか?」


 呆れて机に寄り掛かるメアとは対照的に、ユウリは表情に真剣味を増して問う。


「そういう噂だよ。去年卒業した知り合いの先輩から聞いた話なんだけどね」


「で? 誰かその絵の所為で実際に死んだの?」


「さぁ? だってあくまでも聞いた噂だし。わたしは描いた卒業生の名前すら知らないんだから」


 円子は平然とした様子で笑みを浮かべながらそう答えた。


 回答を受けてメアはわざと聞こえるように深いため息を吐く。


 くだらない。そもそも件の絵画が呪われているのが本当だとして、仮にその絵を見た者が呪いを受けて死ぬのだとすれば、今頃この学校では大量死の大事件となっている筈だ。また、所持した者が死ぬという「呪われた何某」の都市伝説の類はメアが耳にしたものだけでも掃いて捨てる程思い当たるが、件の絵は展示された黒板の大きさから見るに実物は相当巨大だ。どう考えても所持する類のものではない。譲り受けた何者かが自身の部屋に飾っていた結果、呪いを受けて不幸な死を遂げたのか。だが、所有者が屋内に飾ることすら怪しい大きさの代物だ。憶測として一番自然なのは描いた本人が持ち帰ったというところであろうが、そうなれば肝心の探すべき「絵の作者」はもうこの世にはいないことになる。


 いずれにしても……、


「ホンっと、くだらない。聞いて損した。時間返して欲しいくらい。ほら、あんたら、帰るわよ」


 今度こそメアは話しを切り上げ、美術室の扉に手を掛けた。


「えー、そんな言い方しなくても良いじゃない? せっかく教えてあげたのにぃ」


 精神を擦り減らしてここまで辿り着いたものの、結局良いように円子に弄ばれただけで何ら手掛かりは得られなかった。


 その後は何事もなく四人は校舎を後にした。


 行きはあれだけ注意を払いながらの潜入であった筈なのに、その帰りは全くの無警戒であった。メアにとってラスボス級の人物に遭遇してしまった後のことであるので無理もない。もうどうでも良くなっていた。







「じゃあねー。メアちゃん、ユウリちゃん」


「またなー」


 寮まで辿り着いたところで燐華、時緒の二人と別れる。


 二人はメアとユウリが貸したK中学の制服姿のままであった。各々洗濯して返すとのことらしい。そもそも学校と同じく寮内に無関係者を入れるのも憚られることだけにメアは特に渋ることなく了承した。


「これでふりだしね」


「はい……」


 変な緊張が続きすっかり喉が渇いてしまったメアは寮の前にある自販機で二人分の缶ジュースを購入すると片方をユウリへ差し出し、道路側を背にしてガードレールに体重を預けた。


 するとユウリが慌てて財布を取り出そうとしたので「このあいだ(メアが気を失って介抱された時)の水の分」と言って代金の受け取りを拒否する。


 ユウリは小さくお礼を言い、ジュースにちびりと口を付けると、


「すみませんでした……」


 そう言ってメアの隣に並んだ。


「ねぇ、次それ言ったらほっぺたつねるって言わなかったっけ?」


「あのぉ……その件、まだ有効ですか?」


「わたしの言うことに時効はないのよ。覚えておきなさい」


「はい、覚えておきます」


 そう呟くと、ユウリはまたちびりと缶ジュースに口を付ける。


「でも、確かにあんたにしては少し強引だったわね。急に何なの?」


 燐華が校内探索を提案した時のユウリの様子は、確かにこれまでのものからすると少々不自然であった。


 だが、言いながらメアは考えていた。前に問い掛けた時にはハッキリと答えなかったものの、やはりこの少女は、異世界の魔術師は、自身の世界へ、異世界へ帰りたいと願っている。


「自分でもわかりません」


 だがユウリはそう答える。


「時緒さんたちの話であと一歩だと自覚したら、無意に先を急ごうとする自分がいて、その、実は自分でも少し驚いていました。ただ、わたしの中で確かな焦りのようなものがあるのも事実です。…………、本当に……メアさんにはご迷惑お掛けしてばかりで……」


 そこまで聞いたところで、メアはジュースを持つ手とは反対の空いている手で何かをつねるような動作をしながら鋭い視線をユウリへ向けた。


 ユウリは慌てて頬をガードしながら言おうとした言葉を飲み込んだ。


「…………」


 しばし風音という名の静寂が二人を包む。


 だが、こうした無言の間が気にならないくらいには慣れてしまっているのを、メアは忌々しく感じつつも認めてしまっていた。それ程までにこのユウリという少女と一緒にいる時間が長くなってしまっているのも事実だ。


「メアさんは……」


 低くなった日の光が手に持った缶の縁で眩く照り返す。メアが手持無沙汰にその缶を傾けたりして弄んでいると、視線の外でユウリが徐に口を開いた。


「メアさんは、信じて頂けますか?」


 その声は囁くように小さく、メアは一瞬自身に向けられたものだと理解するのが遅れてしまう。


「……言ったでしょ。このあいだ……」


 主語の無い問い掛けに対し、メアはそう返す。そして言いながら思い返してみると、あの時、「信じる」とハッキリとは言葉にしていなかったことに思い当たる。この少女が異世界から来た魔術師であること。そのことについてはメア自身既に疑ってはいなかった。


 だが同時に少し後悔する。この少女は常識外れに加えて残念なくらいに察しが悪い。そのことを理解していれば他に伝えようがあったものだと。こう改めて問われてしまえば、メアの性格上どうしても答えづらくなってしまう。


「いえ、違います」


 しかしメアの予想に反してユウリはふるふると軽くかぶりを振りながら、そう否定した。


「わたし、のことをです」


「だから、あんたが異世界の魔術師だってことをでしょ?」


「いえ、わたしがお聞きしたいのは〝わたしという人間そのもの〟についてです。わたし自身のことを、わたしという人間のことを、わたしという存在のことを、メアさんは信じてくださいますか?」


「何なのよ……わけわかんないわよ……」


 その言葉はメアが普段見せるような不必要な威嚇を含んだものではなく、純粋に彼女の中に生じている疑問であった。今この少女がどんな意図で、何を思って、そう問いかけているのかがメアには理解できなかった。


「わたしは……ですね……。メアさん……。あなたのことを信じたい……です……」


 「信じる」のではなく、「信じたい」。メアの回答を待たずに続くその言葉は、不自然にもそんな曖昧さを含むものであった。


「あんた……」


 そして、その曖昧さでメアはようやく理解する。その質問の意図を。


 メアは言葉を区切り、一度手元のジュースを煽った。


 横目に確認できる少女の端正に切りそろえられた髪は夕日照らされてきらきらとした輝きを見せている。そこから覗く瞳は反射する光の所為か妙に水気を帯びていて、揺らせば表面張力を失い何かが毀れてしまいそうにも錯覚する。危うそうな、それでいて、やはりどこか寂し気な様子でもあった。


 それでもメアは、そのような様子の彼女を、その表情を、不覚にも今、〝綺麗だ〟と感じてしまった。


 魔法とは、思考の結果である。

 そして考えるということは脳が微弱な電気を発生させているということ。


 メアは彼女の表情を見ながら、何故だかそのようなことを思い返していた。

 

 今ユウリに対して感じているこの感情をある一定の電気のパターンで表せるならば、それは一体どういったものになるだろう。


 勿論メアには脳内の電気というものを視認する術はないが、もし仮に見ることができたならば、それはとても優しく、夕凪のようになだらかで、それでいて、時折焦燥にも似たざわめきを伴って刺々しく毛羽立つような、そんな酷く不安定なものかもしれない。決して条理を尽くして説明はできないが、そうメアは感じた。


 缶ジュースを口元から離し、口の中のものを一息に飲み干す。


 そこまで長く会話をしていた感覚はなかったが、気が付けば缶の中に残るジュースはややぬるくなってしまっている。


 そして言葉を選び、口に出そうとしたその時である。


 突如けたたましい爆音が二人の耳を劈いた。


 鋭く風を切りながら今まさに横切ろうとするのは五台のバイク。うち三台は二人乗りである。


 その中の二人乗りの一台が先程メアが缶ジュースを買った自動販売機の前で急停車すると、後部座席に乗った一人がペットボトルのコーラを購入し、そのまま構わず先を行くバイクの群れを追って走り去って行った。


 そのバイクの連中はメアが時折市内で見かける高校生たちだ。やはり高校の制服らしき学ラン姿のものばかりであったが、中には白い特攻服に身を包んでいる者も数人いた。彼らがこれ見よがしに風になびかせながら羽織る特攻服の背の部分には、攻撃的な意匠の龍の刺繍が黒や金、銀といった趣味の悪い配色で施されている。


 メアの理解が到底及ばない愚か者たち。そして〝何かの終わり〟を望む燐華と時緒が、不可解極まりない羨望を向けるこの世の害悪者たち。そんなバイクの後ろ姿をメアは侮蔑を込めて睨みつけ、無言の呪詛を送る。


「メアさん……」


 その声に我に返り横を向くと、ユウリはメアとは対照的な表情でその者たちの背を視線で追っていた。


「メアさん、あれです」


「うそでしょ……」


 メアの反応をよそに、ユウリのその表情はあの時教室で手掛かりの絵を見つけた時と全く同じものであった。

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