XXXⅦ.飛竜の翼

「ちょ!? ちょっとぉ!」


 メアが気が付いた時にはもう、ユウリはバイクの過ぎ去った方角へと向かって走り出していた。


 事ある毎に口にする煩わしい謝罪は不要だと念を押した手前ではあるが、やはり考え無しに突っ走り過ぎである。メアは舌打ちをしつつも仕方なくユウリの後を追う。


「まっ! 待ってって! 追い付ける筈ないでしょぉ!」


 普段の様子から鈍くさいと思っていた美少女魔術師は意外にも高い身体能力を隠し持っていたようで、全力で後を追うメアとの距離は、縮まるどころか見る見る開くばかりである。


「ってか! あんた! 速いわねぇ!!」


 ついにはメアの視界からユウリの姿が見えなくなってしまう。だが、幸いにも一本道が続いていた為、メアは勢いを失いながらも何とか足を止めずにユウリを追い続けた。


 やがて、立ち尽くすユウリの後姿を認めると、ようやくメアは駆け足を歩みに変え、ふらつく足取りで彼女の元へ辿り着いた。


「はぁっはぁっ……あんた……ねぇ」


 両膝に手を置き、息を切らしながらメアは上目にユウリを睨んだ。だがユウリの視線はバイクが走り去ったであろう方角を見据えていた。驚くことに、あれだけの疾走直後にも関わらず呼吸は全く乱れていない様子だ。


「見失いました」


 視界の端にメアの姿を捕らえると、そう独り言つように呟く。


「当たり前でしょ! 相手はバイクなのよ?」


「メアさん……」


 そこでようやくユウリはその妙に真剣味を帯びた表情を、未だ呼吸を整えるのに必死になっているメアに向ける。


「ばいくとは何ですか?」


 それを聞いたメアは全く歯牙にも掛けず、全身の力が抜けたようによろよろと道路脇の縁石ブロックに座り込む。そして燃え尽きた某ボクサーのような態勢で一層深く息を吐き出した。


「メアさん、スカート汚れますよ?」


「うっさい」


「下着も……その、見えますよ?」


「…………うっさい」


 そう言ったものの、メアは一応膝を閉じてスカートを押さえた。


「あんたも大概よね、勘弁して欲しいわ……」


 このユウリという少女もまた時緒と同様、何かを妄信した暁には自身が必死の思いで思慮を巡らせたところで、因果を含めて諦めさせるということが極めて困難な人種なのだとメアは改めて思い知らされた。だからといって放置するわけにもいかない。


「すみません、突然のことだったもので……」


「突然でも何でも、あの速度に追いつけるわけないってわかるでしょ」


「体力には多少の自信があったもので」


「おバカ、限度ってもの知らないの?」


 そう愚痴を溢しながらメアは自分の荒く吐く息で少し曇ってしまった眼鏡を外すと、鞄から眼鏡拭きを取り出してレンズを拭った。ふと気が付けば、ユウリが眼鏡を外したメアの顔をまじまじと見つめていたので慌てて眼鏡を掛け直す。


「で? 間違いなかったの?」


「ええ、あの方々の背に描かれた絵を見た瞬間、びびっと来ました」


 ユウリは以前時緒がそうしたように両の人差し指を頭に突き立て、変なポーズをする。


「余計なことしなくていいから」


 メアは力なく目を伏せ、そうツッコミを入れた。


 だが、メア自身も思い返して見れば、確かに先程の高校生たちが身に纏う特攻服の刺繍と、三年前の文化祭のしおりに載っていた絵のテイストは、似ている言われれば頷ける気がした。一瞬のことであったので十分な確信は持てないが、ユウリがそう主張するのもわからなくはない。それくらいには似ていると言って良いのだと思う。


 しかし、そう思うと同時にそのシチュエーションがあまりにも現実的ではないのも事実だ。どう間違えばあの当時の美術部展示の目玉ともいえる作品の絵柄が、かの珍走団のような反社会的な集団の衣装のデザインに取り入れられるのか。全く以て思案に余る。


「でも、取りあえずは出直すしか……」


 ようやく呼吸が落ち着きかけたメアが立ち上がろうとするや否や、


「しっ!」


 ユウリが眉間にシワを寄せながら人差し指を立て、メアの言葉を制する。


「聞こえます」


「は?」


 困惑するメアに構わず、


「こっちです」


 ユウリはまた一人駆け出してしまった。


 もう本気で置いて帰ってやろうかと悩むメアだが、日が暮れかけているという時間帯、この界隈で多発しているという物騒な事件のことが頭を過り、


「もうっ!! 言ってるそばからっ!」


 八つ当たりのように一度地面を踏みしめてから、再びユウリの後を追った。


 しかし、思えばこのユウリという少女と共に異世界を目指すことになってからというもの、踵を接するように次から次へと、休む暇もないくらいに面倒事が起こる。それこそ本当に、何か別の思惑が働いているのではと疑ってしまうくらいに。


 ユウリを追って道を行くと、途中細い横道が目に入った。周囲に特に標識等はなく、しかし道幅は嫌に狭く、車がすれ違うことができるのかすら怪しい。


 その横道の前でユウリは一度立ち止まると「こっちです」と呟き、そのままずんずんと先を行ってしまう。その足取りに一片の迷いも見られない。


 メアはしきりに「ちょっと!」や、「ねえ!」といったふうに必死にユウリの背に声を掛けるが、いつ先程のならず者の集団と対峙することになるかと思うと、あまり声を荒げられずにいた。その声は乱れた呼吸も入り混じり中途半端な喘ぎとなって無情にも風音にかき消される。その所為もあってか、ユウリは構うことなく先を進み、その細道の途中一度脇に逸れるようにして分かれる道の先を行くとそこでようやくその足を緩めた。


 程なくして地面はアスファルト舗装ではない砂利道となり、開けた場所に出る。


 広場は酷く錆びついたフェンスで囲われており、その奥に何やら鉄塔のようなものが立っているのが確認できる。入口は開け放たれていたが、そのフェンスの戸には片側が外れて傾いたプレートがぶら下がっており、長期間風雨に晒された所為か色褪せてはいるものの、それでもはっきりと『立ち入り厳禁』と書かれているのがわかる。隅の方にはバイクが五台並べて停められていた。それは間違いなく先程見かけた高校生たちが乗っていたものだ。


「ちょ、ちょっとぉ! 待ってって! ねぇ!」


 当然のようにフェンスで囲われた敷地内へ入るユウリに続いてメアもフェンスを潜るが、砂利道が不必要に音を立てる為余計に気後れしてしまい、おずおずとした足運びになってしまっていた。


 敷地内に建てられた鉄塔はどうやら古い電波塔のようである。しかし敷地を囲うフェンス以上に全身が錆びついて廃れた様は干からびて色褪せた魚の骨を思わせた。


 敷地内にはもう一つ、コンクリート造りの建物があるのが目に入った。ほとんどの窓ガラスは割れ、壁面は所々酷く変色していて斑になっている。本来扉が存在したであろう入口部分はぽっかりと口を開けており、周囲に腐り落ちたかのように本来は木製の扉であった残骸が散乱していた。


 そしてその廃墟の中から少年たちの話し声が聞こえる。フェンスの外に停められたバイクから見ても中に先程の高校生たちがいるのは明白だ。


 ユウリは開け放たれた入口から死角になるように回り込みながら建物まで辿り着くと、割れた窓の下で膝を折り、傍らに和傘を立て掛ける。


「ね、ねえ。やめときなさいよ」


 メアは同じように窓の下で屈むと震え声でユウリに囁きかける。時折、ひと際大きく室内から笑い声が聞こえ、その度にメアは肩をびくりと窄ませる。


「でもこのチャンスを逃せば次はないかもしれません……」


 そう言いながら、ユウリはゆっくりと立ち上がり、薄汚れた窓の割れた隙間から室内を覗き込むようにした。


「だからやめてって!」


 慌てたメアが屈んだまま無理矢理ユウリの手を引くと、中途半端に態勢を崩したユウリはメアに寄り掛かるようにして腰を落とした。


 密着した際にメアの肘がユウリの胸元に触れ、ふんわりとした感触がメアの肘に伝わる。


 だが、その感触に不自然さを覚え、メアは「ん?」と先程までの狼狽した表情を真顔に戻した。


 顔に似合わず立派なモノをお持ちだとは知っているが、それにしてもこの感触は少々おかしい。しかしメアはその感触に覚えがあった。一緒にこの少女の下着を買いにデパートへ行った日、サイズを確かめようと服の上から触れた際に感じたあのやわらかさ。何ものにも防護されていない、素材本来のあの……。


「あああああんたブラは!?」


「? 付けてませんが?」


「何よその『当然ですが何か?』みたいな言い方! そして顔!!」


 メアはつい前後を忘れ、大胆にも声を荒げてしまった。


「今朝、このあいだ購入した新しい下着を付けようと思ったのですが、どうもブラジャーの留め方がいつものものとは違うようで上手くいかなく……、学校を捜査する前に思い出したのでメアさんにご教授願おうと思ったのですが、聞く耳を持って頂けなかったので……」


 メアは「あの時か」と頭を抱えた。あの時は遮ってしまったが、確かに時緒の「おっぱい」というワードで何かを思い出して言い出そうとしていた気がする。


「でも大丈夫です。ほら、ここに」


 ユウリは鞄の奥からスルリと淡いピンク色のブラジャーを取り出す。留め金部分は確かにメアが買い与えた時の金属ホックのものではなく、プラスチック製の特殊なはめ込み式のもののようであった。


「何を以て大丈夫なのよぉ!」


「あぁ? 外に誰かいんのか?」


 メアがハッと我に返った時には遅かった。中の一人が声に気が付いた様子だ。あれだけ大きく声を荒げてしまえば無理もない。


「あわわわわわ」


「落ち着いてくださいメアさん」


 頭を押さえて涙目になるメアの両肩に手を置き、ユウリは力強い目つきで視線を合わせた。


「こうなっては仕方ありません。わたしが事情を話して情報を聞き出してみます」


「むむむむ無理よ! あんたはわかってない。あいつらは不良よ!? 不良!」


「ふりょーとは何ですか? 〝動作不良〟や〝不良品〟の不良と同じ意味ですか?」


「とにかくっ! 酷く暴力的な! 危険な奴らなの! わかった?」


「理解しました」


「わかったらほらっ! はやく逃げ――」


 メアは踵を返そうとするが、あろうことかユウリは廃墟の入口へ向かって行く。途中鞄を地面に下し、和傘のみを携え、嫣然たる表情で今まさに室内へ踏み入ろうとしていた。


「何でそうなるの!?」


「きっと真剣に話せばわかって頂ける筈です。メアさんはそこで待っていて下さい」


「ばかぁぁぁーっ!!」


 メアは震える足を奮い立たせ、ユウリを追って室内へ駆け込んだ。


 室内は空き缶や段ボール片のようなゴミが散乱しており、中には何かはわからない機械の部品のようなものも多数転がっている。一部の天井部分は崩れ、二階部分が剥き出しになっていた。


 ゴミに塗れる形でブルーシートやらフェンスやらで区切った中央のスペースには何故か古びた革製のソファーやガラステーブルが置かれ、そこに計八人の高校生らしき少年たちがたむろしている。少年たちの数人はコーラの空き缶を灰皿代わりにタバコをふかしており、それだけでその者たちが不道徳でろくでもない種類の人間だと証明するには十分であった。


「あんだ? おめーら」


「女? ってかガキじゃん。ウケる」


「アレK中の制服っしょ?」


「キヨシ、お前の彼女かぁ?」


「ざっけんな、中坊にキョーミねーよ」


 少年たちは二人の姿を認めるなり思い思いに茶化すような言葉を口し合うと、ケタケタとまばらに笑い声を上げた。


「おいおめーら、ガキの来るとこじゃねーぞ。ほら、行った行った」


 そしてひとしきり茶化すことに満足するとメアたちに向かってそう言葉を投げかけた。


 なんだ案外大丈夫だと、メアが内心胸を撫で下ろしていると、


「あのー、実はわたしたちにはどうしても手に入れたいものがあってここに来たんです」


 ユウリは躊躇いなくそう少年たちに向かって声を掛ける。


「はぁ? 手に入れたいだぁ?」


「ええ、皆さんの中に心当たりがある方がいらっしゃると大変助かるのですが」


 それを聞き、少年たちは訝し気に顔を見合わせた。


「いいぜ、言ってみな」


「おぉ! マサ、やっさすぃー。マジウケる」


 中の一人が面白がっている様子で咥えていたタバコで二人を指しながら言うと、周りの数人が同様に嘲るように囃し立てる。


「〝飛竜の翼〟、なんですが――」


「あぁ?」


 それを聞いた刹那、少年たちの顔つきが険しいものに変貌した。缶ジュースに口を付けていた一人がガンっと大きな音を立てながらそれをほとんど叩き付けるようにガラステーブルに置く。表情からは先程までの笑みはすっかり失せ、明らかな敵意が見て取れた。


「今、なんつった?」


 少年の一人が低く唸るような声で問う。


「ですから、飛竜の翼と……」


 言葉の先を待たず、少年たちは乱暴に立ち上がると、無造作に地面に置かれた空き缶を蹴散らしながら、メアたちに向かって来る。先程まで面白がっていたマサという名らしき少年がタバコを勢いよく放り捨てるとフェンスにぶつかり、火種が散った。途中落ちているよくわからない機械の残骸も派手に蹴り飛ばし、威圧するように肩を怒らせながら少年たちは真っすぐに二人の元へやって来ると、わらわらとメアとユウリの周りを取り囲んだ。


 そこでようやく緊張感が芽生えたのか、背後で困惑し怯えるようにしているメアを余所に、ユウリは手にしていた和傘の柄を掴む手に強く力を込める。


「よぉ、メスガキども。随分と舐め腐ったこと言ってくれるじゃねぇか」

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