XXXⅤ.ラスボスにエンカウント

「び、美少女にエンカウント……」


 そんな時緒の不穏極まりない呟きも、既にメアの耳には朧げであった。

 時緒の表現を借りるならば、まさしくこの状況、メアにとっては〝ラスボスにエンカウント〟である。


 果たしてこの状況、いかにして切り抜けるべきか。メアは考えを巡らせながら、同時に部外者である二人が余計な事を口走らないようにしなければと、釘を刺そうとした、まさにその時である。


「「あのっ! どんなおパンツ穿いてますかっ!!」」


 燐華と時緒の声が同時に静かな美術室内にこだました。


「わたしを困らせる天才かっ! あんたらっ!」


 メアは最早涙目の状態で二人を睨みつける。


「女の子のパンツについて触れないと死んじゃう病気なの!? ねえ!」


「うーん、今日はぁー白のフツーのやつだよー」


 対する円子は傾けていたままの首を今度は反対側に傾げながら、にっこりとした表情でそう答えた。


「あんたも馬鹿正直に答えるな! …………ああっ! もうっ!」


 事情はわからなくともメアが焦っている様子が余程面白いのか、円子は上品に口元へ手を当てるとクスクスと笑い声を漏らしている。


「で、石川さん、この娘たちは?」


 威勢よくツッコミを入れてしまった後である手前、無関係を装うには少々無理がある。


 円子は依然ニッコリとした表情でメアの回答を待っているが、その表情が友好的なものであはなく、常に他人に見せる言わば彼女の〝ニュートラル〟なものなのだとメアは知っている。知っているだけに今彼女が何を思ってこちらを見据えているかがわからない。それはある種の恐怖である。怖気に苛まれながらも油断は一瞬たりともできない状況だ。


「この二人は……一年の後輩よ。美術部に興味があるっていうから連れて来てあげたの」


 メアは観念しつつも、何とかこの二人がこの学校の生徒であるという設定、それだけは死守しようと、咄嗟にそう取り繕った。


「ふーん……」


 円子は普段の彼女には似つかわしくないどこか妖艶さを帯びた視線で、まるで何かを値踏みするように部外者の二人を眺める。


「後輩、ねぇ……」


 まず時緒のサイズの合っていない制服を朧げに眺め、そのままなぞるように上履きを履いていない靴下のままの二人の足元に視線を落とすと、怪しげに目を細めた。


「まぁいいわ、そういうことにしておいてあげる。無理に詮索して問題が発覚したらそれこそわたしの面倒ごとが増えそうだし」


 そう結論を告げると、先程までの怪しげなものを見る表情が、瞬時にいつもの人懐っこく愛らしいものに戻る。


「それに、何か、面白そうだし」


 そして、最後にそう付け加えた。


 助かった、とは言えないのかもしれない。何であれ、この少女に弱みを握られることは、メアにとっては悪魔に心臓を差し出すに等しかった。


「あ、あんたは、こんなところで何してるのよ!」


 慄然とするメアは誤魔化すようにそう尋ね返すが、その声は変に上擦ってしまっている。


「何って、わたしこの学校唯一の美術部員だから」


「は、は? あ、あんた一人って、そ、そうなの?」


「うっそー」


 円子があっけらかんとした様子でそう答えると、メアは顔を耳まで真赤にして声にならない呻き声を上げた。


「あはははは、石川さんって素直じゃないのに素直だよね?」


「う、うるさいっ! ホント何なのよ! あんたっ!」


「ごめんごめん、何かいつもと違って狼狽えてる石川さんがとっても可愛くって」


「それに関しては同感です」


 すかさずユウリが真顔で賛同したので、メアは額にげしっと手刀をお見舞いする。ユウリは額を押さえ、「痛いです……」と呟いた。


「あのね、美術部はね、今日は活動曜日じゃないよ。わたしはクラス委員の仕事でここにいるの。ほらっ、文化祭に向けて各教室の備品のチェックしないといけなくてさ。これもクラス委員のやるべきことなんだろうけど、正直メンドーだよねー」


 円子は先程閉じたノートを開くと、その証拠と言わんばかりにその中身を向けた。確かにノートには、椅子や机の数を正の字でカウントしている内容が、可愛らしく女の子っぽい丸みを帯びた字で書き込まれている。


「まあいいわ。美術部が休みならこんなとこに用はないし、行くわよ」


 メアは平静を装いながらもっともらしい理由を口にし、立ち去ろうと踵を返す。


「えー、せっかく来たんだし、ゆっくりしていきなよぉー。ほら、後輩ちゃんたちも興味あるんでしょぉ? 活動はしてなくても制作途中の作品なんかも置いてあるんだしぃ」


 円子はわざとらしい猫撫で声でメアの背にそう声を掛ける。


 メアにはわかっていた。その言葉は彼女の本心ではない。メアが困っているのをわかってそう追い打ちを掛けようとしているのだ。彼女が本来面倒ごとに自ら首を突っ込まないタイプだということにメアは気付いている。その点で言えば御崎と同じ分類に入るが、他者にそのことを気取らせない処世術に長けているだけに露骨さが際立つ御崎よりも数段性質が悪い。


 本当にいやらしい。さっきまで「無理に詮索しない」というようなことを宣言していた筈なのに。メアはそう思いながらも、ムキになれば相手の思うつぼだと、必死で怒りを抑える。


「それともやっぱり他の目的でここに来たの? わたしにはバレたくない内容とか?」


 そんなメアに対し、円子は絶妙な言葉の追い打ちを掛け、メアを着実にがんじがらめにしていく。


「メアさん」


 不意にユウリに囁き声で声を掛けられる。円子に聞かれないように極限まで声のトーンを落としていた。


「何よ? ってか顔近いって」


 メアも同様に声を潜める。


「ここはわたしに任せて頂けませんか? 彼女も一応はこの学校の生徒です。何か知っていることがあるかもしれません」


「そんなこと言って、余計に変に思われるじゃないの」


「大丈夫です。真の目的については上手く伏せます。わたしだって最初の頃のようになんでもかんでも正直でいることが必ずしも最善とは限らないと学びましたから」


「未だかつてないくらいに信用できないんだけど」


 メアにはこの世間知らずで天然ボケの少女が、主張するようにそう上手く思慮を巡らせる様子が想像できなかった。


「円子さん」


 メアが考えあぐねていると、ユウリは独断で円子に声を掛ける。円子は「ん?」と、可愛らしく首を傾げる。


「実はですね、こちらの後輩のお二人がとある絵に酷く感動しまして、それでその絵について調べに来たんです」


「へぇー。どんな絵?」


「これよ」


 メアは話し始めてしまったユウリに仕方なく合わせる形で、元は円子から受け取った三年前の文化祭のしおりを取り出し、くだんの絵のページを開く。


「ああこれねー。確かにすごい絵だよね!」


「この絵を描いた方のこと、何かご存知ありませんか?」


「うーん。詳しくは知らないけど、その絵に纏わるとある〝噂〟なら、知ってるよ? っていうか、結構有名な話なんだけどねー。だから教えるって程のことでもないけど」


「本当ですか!? 何でも結構です。円子さん、教えて頂けませんか?」


「別に良いんだけどさー、……本当にそれだけ?」


 円子の追求に時緒が何か言いたげに口を動かしかけるが、


「はうぁっ!」


 今度は見逃さず、メアは時緒の肉付きの良いお尻をつねった。


「本当にそれだけです。何かおかしいですか?」


 一瞬気が逸れてしまったが、気を取り直し、ユウリは落ち着いた様子で続ける。


「えっとね、おかしくは……ないんだけど、何だかフツーの理由だなぁって。能登さんならほら、もっと他にあっても良さそうだし。おかしなこと。別におかしなことを期待してるわけじゃないけど、まあ、おかしいと言えば、おかしくないのがおかしいって言うか……あれ? ややこしいね」


「円子さんが何を仰りたいのか、よくわかりません」


「うーん、そうだなー。例えば……」


「例えば?」


「〝魔法〟に関係すること……とか?」


「何を馬鹿なこと!」


 不意のことに今度はメアが声を上げてしまい、慌てて口を噤んだ。ユウリはメアに軽く視線を送り、「落ち着くように」と目配せする。


「どうして、そう思われるんです?」


 ユウリは依然として平静を保っている。思わぬ円子の言葉に高鳴った心臓の鼓動を落ち着けながらも、メアはそんなユウリの様子に少し感心していた。


「だって、〝正義の魔術師〟なんでしょ?」


「いえ、それは……」


「あれ? 今度は否定するのぉ? おかしいなぁ。転校初日にクラスでそう言ってたらしいじゃない。結構評判になってるよ? 男の子たちのあいだでは可愛い〝不思議ちゃんキャラ〟だって。でもこうして話してみると割と普通なんだね。ま、普通が一番なんだけど」


 円子は人差し指の指先で自身の口元に触れると、花弁のような小さな唇に沿ってツっと軽くなぞり、その指をそのまま顎に移動させた。そしていつもそうするように、あざとく首を傾げて見せる。


「ええ、まあ……それは……そうですが……」


 当初は落ち着き払った様子の流石のユウリも、徐々に歯切れが悪くなる。


「何故、そんなことを訊くんです?」


「だって――」


 やはり任せてはおけない。このまま放置すれば地の果てまで墓穴を掘り続ける。だが、静止の機会を伺い始めたメアをよそに円子は表情を一つ変えず、答える。


「だって、わたし、悪の魔術師だから」


「!?」


 幸い、四人の誰一人として声を上げなかった。だがそれは何とか踏み止まったというよりも、単に絶句してしまっていただけというのが正しかった。


「あ、あの、円子さん。あなたがそうだという証拠はあるのでしょうか?」


 ようやく口を開いたのはユウリであった。


「じゃあさ聞くけど、わたしが〝そうじゃない〟っていう証拠はあるの?」


 円子は表情を崩さず、そうユウリに詰め寄った。


「あははははははっ!」


 言葉を失うユウリの様子に、円子は堪え切れず笑い声を上げる。嬌声を織り交ぜるようにして心底楽しそうに笑うその表情は、ある種の言い知れぬ恐怖心を抱かせるものでしかなかった。

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