XVI.この世界の終わり

「いよっ! 待ってました!」


 ユウリの言葉を受けて時緒がさらに身を乗り出す。


「まず、魔法という現象を引き起こすにはあらゆる空間中に対流する〝フラクタ〟に電気的な誘導をかける必要があります」


 聞き慣れない単語に首を傾げる時緒を余所にユウリは続ける。


「〝フラクタ〟というのは、わたしたちの世界の至る所に存在する何物でもあり、何物でもないもので、微弱な電気によって様々な変化を生じます。先程も説明しました通りこの世界に対応する概念が存在しない場合は適当な言葉に置き換えることができませんので〝フラクタ〟としか言いようがないのですが、恐らく、法則が違うというだけで同じような存在がこの世界にもあるとわたしは考えます。確証は、当然ありませんが……。ただ、置き換えられていない以上、仮に存在したとしてもまだ認知されておらず、概念化できていないのでしょう。それは良いとして、魔法というものは、時緒さんがどう考えてらっしゃるかはわかりませんが、とても法則的なものなんです。誘導をかける電気のパターンによって引き起こされる結果は決まったものになりますから、そのパターンさえ明らかにしてその通りに誘導電流を発生させることができれば、自身の望む現象としての結果、すなわち魔法が発動するというわけです。ここまでは良いですか?」


「……メアちゃん? 『簡単』って何だっけ?」


「さあ? 辞書でも引いてみれば?」


 既に時緒の思考のキャパシティをオーバーしていた。


「じゃあさーユウリっちは好きに電気出せるの? それってもうそれ自体が魔法なんじゃない?」


 時緒よりも燐華の方が理解しているようであった。だが、見かけで判断すると逆に思われがちだが、燐華自身は特に時緒のようにそこまで勉強が不得意というわけではない。粗暴な言動に隠れがちだが、人並の理解力を持っている。


「ええ、と言いますか、微弱な電気でしたら人間なら誰でも出せると思いますが……」


「えーマジでー! どうやってどうやって! こんな感じ? ふんぬー!!」


 燐華が両手のひらを前に突き出し、踏ん張るような仕草をした。当然のように時緒も真似る。馬鹿らしいと、メアが何気なく視線を外すと書架の腰掛ける哲学的幽霊もまた無表情で仕草を真似ていた。


「あの、メアさん? 皆さんは何を……?」


 ユウリは手を突き出す仕草を真似ながらメアに問う。


「いいから続けなさい。いちいち突っ込んでたら一生終わらないから」


「そうですね、では……」


 ユウリは皆の注目を集めるように人差し指を立てた。そして一言。


「〝白〟」


「「白?」」


 時緒と燐華が同時に首を傾げる。


「はい。今〝白〟と聞いて何を想像しましたか?」


「えーっとねー、とっきーの今日のパンツー」


「…………。では、〝青〟」


「燐華ちゃんのおパンツだー」


「……………………。〝黒〟」


「メアのパンツ!」「メアちゃんのおパンツ!」


「メアさん……これは……」


 自身が意図した反応とは違ったものが返ってきたのか、ユウリはメアに視線を送り、助けを求めた。


「わたしに聞かないでよバカ。それよりも何でわたしの今日の下着の色知ってるのかしら? あんたら」


「話を進めます」


 ユウリはこほんと咳ばらいをして続ける。


「魔法を使用する上で一番基本となる、手っ取り早い方法は言葉を発するということです。言葉には一つひとつ意味があり、それを発した時に想像する内容もそれぞれです。何かを想像するということは、頭の中に〝何かを思い描いた〟ということです。そして想像する、考えるということは電気が流れるということです」


「電気?」


「そうです、脳内でごく微弱な電気が流れます」


「電気? びびっ! って?」


 時緒が両の人差し指を頭に突き立て、変なポーズのまま変な擬音を発する。


「そう、びびっ! って」


 その時緒のテンションを半分以上削いだ以外は全く同じ形のポーズを真似てユウリが続く。


「だからいいって! いちいち乗らなくても! 時緒のおバカにいちいち乗ってたらマジで五~六時間くらいかかりそうだわ」


「それってつまり呪文ってこと?」


「時緒さん、よくご存じで」


「えへへぇー」


「照れ顔でこっち見んな。どうせアニメとか漫画の知識でしょ?」


 照れる時緒にメアは呆れ顔を返した。


「特定の現象を起こすには寸分違わない電気のパターンが必要になります。寸分違わないというのは、誇張ではなく、文字通り寸分違わないといけないのです。これは並大抵のことでは実現できません。人間の思考パターンは常に流動的で仮に同じことを考えていても、どうしても誤差が生じてしまいます。だから呪文となる言葉に対して毎回正確に同様の電気パターンを発生できるよう、魔術師は日々厳しい訓練を積みます。これは本当に厳しいものです。もはや一種の暗示にも近い形で特定の言葉に対して反射的に同じ思考ができるようになって初めて実戦に耐えうる魔法となるわけです」


「ふぇー大変なんだー。レベルアップすると勝手に覚えるわけじゃないんだねー」


「れべるあっぷとは?」


「レベルっていうのはねー、メアちゃんのお胸の兆しが見え隠れなんだよー」


 ユウリは困った様子でメアを見つめ、再度無言で助けを求める。


「やめてよ、一番困ってるのわたしなんだから」


「でも残念。この世界じゃ魔法は使えないってことだよねー。そのクタクタ? ってのが無いから」


「フラクタです」


「あー……だったらやっぱ異世界に行きたいなーわたし……ああーフラフラぁ……」


 時緒は力なくふにゃんとテーブルに突っ伏した。


「フラクタです。……つまり、こちらの世界からわたしたちの世界に…………ですか……」


 ユウリは顎に手を当て、しばし考え込む素振りをした。


「可能性は……無くはない……かもしれません……」


「ホントに!」


 その言葉に、時緒はまるでご褒美をチラつかせた時の飼い犬のように急に元気を取り戻し、素早く顔を上げた。


「ええ、わたしがここに来た魔法の術式は一方通行なので困難ですが、もっと前、遥か昔……、それこそ数百年前にとある優れた魔術師が自身の持つ術式でこの世界と行き来したという記録が我が国に残っており、当時その術式をこの世界に残したらしいのです」


「数百年前に残したって、そんなの見つかるわけないじゃない。バカじゃないの?」


 すかさずメアが反論する。


「それがですね、つい先日偶然見つけまして」


「見つけたって、どこで?」


「コンビニです」


「ホント、バカじゃないの?」


 メアは呆れかえってそれしか言えなかった。いかにコンビニエンスなストアーとはいえ、異世界への渡り方がぽんと置いてあるわけがない。


「で? で? どうやって行くの? 車で逝くの? 電車で逝くの?」


 時緒が今にもむしゃぶりつきそうな勢いでユウリに詰め寄る。


「い、いえ、見つけたと言いましても一部だけでしたのでまだわかりません。ただ、術式は確かに存在する、ということがわかっただけです」


「十分だよ! メアちゃん、燐華ちゃん、皆で異世界に行こうよ!」


「そんな思い付きで旅行に行くみたいなノリで言わないでよ、バカバカしい」


「いいじゃんメア、なんか面白そうだし」


 燐華が軽く賛同する。


「だよねだよね! メアちゃん行こうよ! それに…………」


 瞬間、二人の目を見たメアに悪寒が走った。


 「ああ、まただ」と思った。


「それにさあ……」


 「もうやめてくれ」と、無言でそう念じた。


 頭が悪く、単純で、従順で、メアの言うことには何の疑いもせず付いてくる下僕たち。メアがいないと何もできないとても無力で愚かな未熟者たち。


 それでも時折得も知れず「怖い」と感じてしまう瞬間。


 無垢だと思っていた少女たちの表情に深淵を垣間見てしまう瞬間。


「「もしそうなったら、わたしたちのこの世界は〝終わり〟だね」」


 二人は顔を見合わせ、声を揃えた。


 しきりに何かの〝終わり〟を望む二人。そんな時、決まって〝普通の顔〟なのがメアには恐怖でしかなかった。「やめてよ!」そう叫びたかったが、声が出せない。いつもなら簡単に否定できるのに。簡単に拒否できるのに。二人はいつまでもわたしの言いなりなのに……。


「メアさん、良いのでしょうか?」


「え? あ、か、勝手に……すれば?」


 違う、そんなことを言いたいわけじゃない。だが、メアは二人に対して理由なく否定することも、拒否することもできなかった。


 だって、二人の目はどこまでも真っすぐで、曇り一つ無く、決して揺らぐことのない水面のようになだらかで。それ程までに本気だとわかるものであったから。メアが言い知れぬ恐怖を感じてしまうくらいに。


 こんなことならユウリをここに連れて来るのを頑なに拒否しておけば良かった。あの時無理矢理でもユウリを時緒たちと引き剥がし、寮に連れ帰っていれば。


 わたしが望まないことを望むくらいなら、わたしの思い通りにならないくらいなら、あなたたちはいつまでも、わたしがいなければ何もできない「愚か者」でいてくれればいい。


 そのようなメアの心中を知らないユウリは、メアの態度を了承と捉え、二人に向き直ると、


「ではまずアンティキテラ島を目指しましょう」


 真顔でそう宣言した。

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