XVII.倉間麗奈の仕事③

 その日の予定捜査を終え、車で署へ戻る途中、正木は運転席に座る倉間に合図し、車を止めさせた。


 それについての会話はなかったが、正木の指示の理由は明白であった。


 微かに、けれども確かに、少女の悲鳴のような声が聞こえたのだ。


 最近この界隈で多発している事件、そのことが二人の頭を過る。


 車の窓から道路を挟んで反対側の通りを見ると、この辺りの中学校のものらしき見覚えのある制服に身を包んだ女子中学生二人が向かい合ってなにやら言い合いをしているのがわかる。


 喧嘩のようには見えないし、怪我をしている様子もない。特に危ないようには見えないが、だが少女の片方がハサミを手にしているのが正木は気になった。


「おい倉間、お前一応見に行けよ。子供相手なら俺よりも女のお前の方が接しやすいだろう」


「はい……」


 あまり気が乗らない様子で倉間は改めて女子中学生二人を確認する。だが、少女たちを見るなり、倉間は顔を正面に逸らし、スッと頭を低くしてしまった。両手はハンドルを掴んだままだ。


 その様子を見て正木は呆れた声を出す。


「お前、相変わらず子供苦手なの治ってないのな……」


「すみません……努力はしているのですが……」


 そうこうしているうちに少女の片方がもう一方の手を引いて足早に歩き始めてしまった。その後ろ姿を目で追う限りは、やはり問題はなさそうに見える。正木は再度倉間に合図し、車を発進させた。


「苦手なのはわかるが倉間、そうこう言ってられねぇぞ? お前の担当はさっきのガキ共のような未成年の被害者が多いんだ。特に最近はなぁ。なら、情報収集する上で同じ未成年者に接触しなきゃならねぇ場面も多く出てくる。せっかく女で刑事やってんだ、俺みたいな男が手帳片手に近付けばどうしても身構えられちまう。世間じゃあこういうこと言うとすぐにセクハラだ男女差別だなんだって言うが、事件解決さえすりゃぁんなこたぁどうでも良い。女であることをもっと利用しろ。まずは肩の力抜いて笑顔だ、倉間」


「ええ、努力は……しています……」


 倉間は固まりきった真顔でそう返し、肩を落とした。


 倉間と正木は刑事部の中でも所謂凶悪犯罪と称される殺人や傷害、誘拐、放火といったものを扱う部署である捜査一課に配属されている。とりわけ正木は殺人、傷害等が専門であり、対する倉間が現在配属されている係は性犯罪捜査が主である。今こうして正木と合同で捜査をしているのは、現在二人が追っている事件が各々の専門その両方の性質を孕むものであるからであった。


「努力はしています……か、まあそれが口だけじゃないって知ってるけどな。仕事が非番の日とかによく若者が集まる場所とか行ってんだろ? 所長からも聞いたよ。真面目だよなぁ、で? 一度でも自分からガキに話し掛けたか?」


「…………」


 無言になった倉間を見て、正木は心底残念そうに頭を振った。


「逆に話し掛けられたことなら……その、駅前のゲームセンターで……」


「ほう、ガキにか?」


「ええ、いかにも不良少年って感じの数人に……、所謂ナンパでした……」


 正木はそれを聞いて今度は吹き出してしまう。


「んで? どうしたんだ?」


「割と遅い時間だったので、もう帰りなさいと注意だけしました」


「ま、そうだろうよ」


 そう嘯きながらも、十分に美人と言える顔立ちをしているとはいえ、不愛想な、一見すると何かに怒っているのではと思わず勘ぐってしまいそうになるくらいに年中真顔を崩さない倉間に向かって、そういった目的で声を掛けた少年たちに、正木は心中で素直に称賛を送っていた。


「話をしようにも話題というものがわたしにはわかりません。同年代相手でさえ、世間話が苦手で、学生時代友人もあまりいませんでしたから」


「お前さらっと悲しいこというなよ。それに話題なんてのはなぁ、そう考えなくてもいいんだよ。テキトーでよぉ。相手はガキなんだし、内容よりもある意味勢いだ、あんくらいの世代は。むこーだってそうロクに考えちゃいねーんだから」


「そうは言いましても、頭の中が全くの無では言葉すら出ません。何か正木さんの知っている子供受けしそうな話題がありましたらご教授頂けると助かります」


「俺だってガキが得意ってわけじゃねぇ。…………ああでも、あれならいくつか知ってるぜ? このあたりの都市伝説っていうのか? ガキは決まってああいうオカルトめいたもん好きだからなぁ。高校生の従妹から聞いたんだが、お前も聞いたことあるか? 『呪いの絵本を売る魔女』、『廃屋で哲学する幽霊』、『夜明け前に瑠璃色に輝く電波塔』、『死を呼び寄せる呪いの絵画』なんての」


「意味がよく、わかりませんね」


「よくわからねぇから面白いんだろうよ。ほれ、お前なりに話を膨らませてみろ」


 急に話を振られた倉間は、ぎゅっとハンドルを握りながら眉間にシワを寄せた。


「そうですね…………、まず『呪いの絵本を売る魔女』、『廃屋で哲学する幽霊』、この二つは問題ないと思われます。他者を貶めるもの、権利を侵害するものでなければどんな本を売ろうと自由ですし、幽霊だろうとなんだろうと勝手に哲学するのは自由です。まあ前者はあまり度が過ぎますと霊感商法ですとか最悪詐欺に問われる可能性もありますが……まあ、「幸せを呼ぶ」類のグッズの販売が許されている以上、節度をわきまえていれば呪いのグッズも別に良いでしょう。同じ理由で『死を呼び寄せる呪いの絵画』も問題ないと思われますね。呪いが「死」だとしても、人は誰しもが必ずいつかは死にます。それで殺人が立証できるわけがありません。唯一『夜明け前に瑠璃色に輝く電波塔』だけが事件性があると思います。何らかの塗料、あるいは加工を施し、そのように光るような状態にしたとしますと、建造物損壊罪に該当する可能性があります。五年以下の懲役です」


「おい、誰が子供のくだらない噂話を刑事として分析しろと言った? 俺は面白おかしく話を膨らませろと言ったんだ」


「すみません……」


 半目の正木を横目に、倉間はしぼんだような声で謝罪した。


「わたしもこのままじゃダメだと思い、最初は難易度を下げて徐々に慣らそうとしたこともあります。親戚に保育士がいたので頼んで少し仕事場を見せて貰いました」


「結果は?」


「結果は、難易度を下げたつもりが保育所はわたし的に最高難度だということが判明しました」


「ははは。ま、人間完璧なもんはいねーってことだな。お前みたいな仕事熱心な奴でもさ。確かにその苦手は克服した方が良いが、お前はホント良くできてるよ。仕事に対する……なんつーの? 悪いことは許さねぇっていう気概が他の同世代とは違ぇ」


 それを聞いて倉間は変に思う。単純な評価なら先輩の正木の方が上である筈だし、そもそも自分は……。


「正木さんは、わたしが正義感の強い人間だと思いますか?」


「ああ、上司の俺が嫉妬しちゃうくらいにはな」


 冗談交じりとはいえ、正木だけはこういうことを平気でハッキリと言葉にしてくれる。だから話しやすかった。倉間自身その優秀さ故、直接的な言葉でないにしろ、職場で同僚の男性から嫉妬の眼差しを向けられていると肌で感じたこともこれまで少なくなかった。ただ単に女というだけで。自身はあまり気にしなかったが、正直あまり居心地の良いものではない。倉間だって自ら選んで女に生まれたわけではない。


「正義感が強いのと仕事ができるのとは違いますよ」


 何となく投げやりな感が出てしまったので、倉間は小さく咳ばらいをしてごまかした。


「そうなのか?」


「わたしは単に得意なだけなんです」


「警察官の仕事がか?」


「いえ、ルールを守ることが、です」


 倉間は少し迷ってからその先を口に出す。


「わたしたちが殺人を許さないのは正義ではなくそういうルールだからです。だから明日からそのルールが書き換わって仮に殺人が容認される世界になれば、わたしたちはをそれを防ぐことはおろか、人殺しを逮捕することもできません。それがわたしたちの仕事です。そこに正義はあるのでしょうか? だから、結局のところ、わたしたちの仕事はルールを守り、もしくは、守らせるといった内容にすぎないのだと思います」


 やはり変に思われただろうか? 正直な意見であることは確かだが、焦心から本来口にすべきでないことを言ってしまったと後悔する。憂悶に耐えかねて倉間は確認するように横目で正木を見た。


「だから、お堅いなぁ倉間。常にそんなお堅い感じだと疲れちゃうぜ?」


 対する正木は全く変わらない様子であくび混じりに応える。


「今は仕事中です」


「仕事中でもだ。俺みたいに職場に別の楽しみを見つけてみろよ」


「例えば?」


「例えばそうだなぁ……。俺はな、毎朝せっせと皆の分のコーヒーを入れる倉間ちゃんの〝ぴっちりした形の良いパンツルックのお尻〟を眺めるのが仕事場のささやかな楽しみなんだ」


 倉間は正面を向いたまま真一文字に口を噤むと、顔を赤くして少し顔をやや反対側へ背けてしまった。冗談が通じないのである。


 その様子を見て、やはり正木は呆れてしまう。


「顔を赤くするまでは上出来だが、そこで一言、そんなセクハラばっかりしてると逮捕しちゃいますよぉ! くらい言ってくれよな。生活安全課のユミちゃんなんか、この前俺に同じようなこと言われて手錠掛けようとしてきたぞ。お前にはそういう遊び心がない。ジョークの一つくらい言えるようになれ」


「わかりました。次からはそうします」


 仕事における命令への返事とさして違わないトーンで倉間は答えた。


「いや、無理にそうしろってわけじゃぁ……、難しいなこりゃ」


 正木は常にガチガチになるばかりでなく、そういった心持ちも時には必要だということを言いたかったのだが、倉間にとってはそれをルールに組み込んで遵守すべきか否かでしか測れない。大げさに言うと一かゼロでしか考えることができないのだ。


「まあ実践あるのみだ。じゃあもう一回行くぞ。倉間、ちょっとケツ触らせろよ」


 そう言うと、正木は運転席の倉間の太ももを一度ぱしりと叩く。


 言葉を聞くや否や、倉間は車をキッと路肩へ停車させた。何事かと窓から辺りを確認し、警戒する正木。


 倉間は徐に手錠を取り出すと、正木のいる助手席に身を乗り出し、突然のことに戸惑う正木の手を掴むと一縷の躊躇いもなく、カシャンと小気味良い音を立ててその手錠を掛けた。実に鮮やかな逮捕劇であった。


「正木真司郎。あなたを強制わいせつの現行犯で逮捕します」


「じ、ジョークだよな!? やればできるじゃないか……って、倉間!? ……落ち着け!……触ったのはやり過ぎだった! すまん! だから、な? 倉間……さん?」

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