XV.改めて自己紹介

 程なくして、四人は秘密基地、もとい怪しげな絵本屋「廃屋のリーヴルディマージュ」に辿り着いた。


 その日の曇り空も相まってか、店先はいつにもまして禍々しさを増しているようだ。だが、今日ばかりはメアの心中を体現しているかのようでもあった。


 不安そうに周りを眺めているユウリをよそに、あとの三人はいつも通り重い扉を開く。


「あらあらいらっしゃーい…………って! 少女が増えてる! しかも可愛い! 美少女!」


「ああそっか、もう一人いたんだ、面倒なの……」


 丁度書架の整理をしていたであろう店主は、メア達の中にいつもと違うメンバーが増えていることに気付き、満面の笑みを咲かせた。


 傍らで佇んでいた着物姿の常連、哲学的幽霊は無言ながらも同様に見慣れない少女の方を気にしているのか、視線を向けている。


 常連とはいえ、見かけるのは週に一度か多くても二度程度、本日のように二日続けてというのは珍しい。どうか普段は真っ当な職に就いていることをメアは密かに願っていた。


 店主はいつもの黒いワンピースのレースを翻しながら、テーブルの上の仕事道具をまるで食べかすでも掃うかのごとく、適当にかつ素早く除けると、そそくさと椅子の一つに腰掛け一同に着席を促す。


「で、誰があの忌まわしい〝椅子〟に座る番? まあ一人増えてるんだからいずれにしても一人は座れないわね……」


 あの店主の〝人間椅子〟に座ることになるくらいなら立っている方が幾分かマシかもしれないと、メアが考え始めていると、店主が何かを思い出したかのように立ち上がり、奥から丸型の小さな椅子を持って来た。


「椅子あったのかよ!」


 メアがツッコミを入れると店主はとぼけた顔で舌をペロッと出して見せた。


「まあいいわ、あんたが座りなさい。これは下僕としてある意味洗礼よ」


 店主の膝には新人であるユウリが座ることになった。メアはいまいち意味のわかっていないユウリの背を押して店主のもとに誘う。


「ユウリちゃん……気分が悪くなったら遠慮せずに言ってね?」


「そうだよ、無理するなよ」


 時緒と燐華は慈愛に満ちた視線を送りユウリのことを労わりながらも、しっかりと自分たちの分の椅子を確保する。


 少し遅れて意味を解し、ユウリは恐る恐る店主の膝に腰掛ける。同時に店主の口から恍惚の吐息が微かに漏れた。普段あまりわかりやすく感情を表に出さないユウリの顔に微かに戸惑いのような、息苦しさのような、そんな複雑な苦悶の色が浮かんだ。


 何事にも基準がある。その基準は人それぞれであるからして、その瞬間だけを切り取ってしまっては正確な値というものは測れない。したがって、その人間の普段の数値を知る者が振れ幅で判断するしかない。眉を微かに曲げるくらいの変化でも、常時無表情に近いユウリにおいては相当な感情の起伏なのだろう。そうメアは結論付けた。


「その女が頭の匂い嗅ぎにきたら思いっきり頭突きしてやりなさい」


 その様子を眺めていたメアはユウリにそうアドバイスした。


「頭突き、ですか?」


 ユウリは訝し気に聞き返す。


「見事鼻に命中したら10ポイント!」


 燐華が面白がって囃し立てる。


「じゃあ鼻血が出たら50ポイントあげるねー」


 それに当然のごとく時緒が乗る。


「鼻骨が折れたら100ポイントよ」


 珍しくメアも悪乗りに続く。


「な、何のポイントかしらぁ? それ。一体何ポイントで何が貰えるのかしら?」


 女子中学生たちの恐ろしい提案に店主の顔が少し強張った。


「では、仮にお亡くなりになったら何ポイントですか?」


 店主の表情を上目で見て、ユウリが質問する。


「死んだら? そりゃあもう祭りよ。この館がわたしたちのものになるんだし」


「ならないわよー」


 店主は弱弱しくそう抗議した。


「それじゃあ改めて初めましてだね、ユウリちゃん」


 店主の言葉を無視して時緒が仕切り直す。


「うん、わたしは九綯燐華。D学園の中学二年生。特技は傷の治りが早いこと!」


 その後にすぐメアが「でも馬鹿だから生傷が絶えないの」と補足した。


「わたしも燐華ちゃんと同じ学校の同じく二年生だよ。三条時緒、よろしくね。えっと、特技は……心の傷の治りが早いこと!」


 その後にすぐメアが「でもアホだから傷付いてもすぐ忘れちゃうの」と補足した。


 そしてさらに二人に向かって、「そういうのは特技って言わない」と真顔で追加指導した。


「皆さん、改めてよろしくお願いします。能登ユウリです。今月からメアさんと同じ学校に通っています。先程お伝えしました通り、わたしはこの世界の方から見た所謂〝異世界〟からこの世界に召喚された正義の魔術師です。こうして皆さんと同じ学生として学校に通わせて頂いておりますが、それは仮の姿。真の任務、目的はこの世界に先行している悪の魔術師の策略を阻止することにあります」


 最早メアはユウリの話を止めようとはしなかった。それで時緒の気が済んでくれるならば、人目に付かないこの場所で思う存分やってくれ、という気持であった。


 ユウリの言葉を受けた時緒は先程の道中一度はがっかりしてしまった部分があったものの、もうそのようなことはすっかり忘却し、「うんうん!」と目を輝かせながらユウリの言葉に耳を傾けている。


「その悪の魔術師ってのも石川県にいるの?」


 時緒と違いあまりそういった類には興味を持っていなかった筈の燐華も話に参加する。


「まさかあんたも魔法とか異世界とか、そんな馬鹿げたものに興味あったの?」


「いいや、全然。ただ、悪とか正義とか、そういうのは何となくそそられるなぁって」


 メアは「あっそ」といった感じで右手をひらひらと振り、勝手にするよう身振りで伝えると、つまらなそうに頬杖を突いた。


 ユウリはメアたちの会話を待ってから質問に答える。


「ええ、その筈です。わたしはその悪の魔術師を魔術の形跡を追跡する形でこの地に来ましたから。ただ、これからその悪の魔術師をどうやって探し出すか、それはこれからの課題です。何しろこの異世界召喚の術式はもともと悪の魔術師側の技術で、わたしたちはそれを盗み、何とか解析して技術を転用、こうしてここに辿り着いたに過ぎませんし、そもそも成功すら怪しかったものですから」


「ホント、よく来てくれたよぉー!」


 時緒が身を乗り出し、ユウリの両手を握って大げさな握手をした。店主の膝の上でユウリはカクンカクンと揺さぶられた。


「じゃあさ、その『能登ユウリ』っていう名前も、本当の名前じゃないの?」


「そうなります。わたし自身以外の存在、物事の概念に関しましてはこの世界のものと自動的にアジャストされますが、わたし自身のこと、あるいはわたしの世界に対応する概念のないものに関しては、まっさらな状態です。わたし自身のことに関しましてはわたし自身で設定を決めました。名前、年齢、学生という身分等々。わたしの世界に対応する概念のないものに関しましては現在鋭意勉強中です」


 ユウリは「でも最近色々覚えました」と、どらいやー、けいたい、にわとり、といった単語を羅列してみせた。表情にほとんど変化はないが、語気からどこか得意気なのがメアにはわかった。


「ユウリという名はわたしの本当の名を縮めてそれっぽくしてみました。本来の名はもっと、この何倍も長いものなんですけど、事前調査の結果このくらいの長さが一般的でしたので」


「りんか、ときお、ゆうり、めあ……、あ! メアだけ二文字ぃ―」


「うっさいわね」


 面白がる燐華をメアは頬杖のまま睨みつけた。


「能登という名はこの地の地名から拝借しました」


「能登は能登半島の能登?」


「ええ、地名と同じ名を冠していれば何事にも何かと有利にことが進むかと思ったのですが……この世界ではあまり関係ないようですね」


 そういった考えでのネーミングならば、何故そのような中途半端な範囲に限定したのだと、メアは突っ込みたかったが、ふと自身の苗字を思い返し、一歩間違えれば苗字が被っていたことに冷や汗を流した。


「能登君って男の子ならわたしのクラスにもいるよー、えっとね、よくクラスの女子にスカートめくりしてるー」


「無知だったとはいえ、能登という一族の名を背負ってしまったことに戦慄を禁じ得ません」


「あんたら、全国の能登さんに土下座しなさい」


 メアは時緒とユウリに向かって言った。


「わたしは能登ユウリちゃんのスカートめくってみたいなー」


「あんたはその性癖を持って生まれたことを世界に謝罪しなさい」


 気まぐれに話に割って入って来た店主に向かってメアはそう吐き捨てた。



「ユウリちゃん!」



 時緒が突然大声を発した。他の三人は勿論、離れたところで書架を背に膝を抱えていた哲学的幽霊までも突然の大声にびくりと肩を震わせて時緒に注目する。


「わたしに魔法を教えて下さい!」


 時緒はそう言って深々と頭を下げた。メアは普段の学校の勉強に対してもそれくらい熱意を見せてくれたらどんなに良いかと呆れ果ててしまった。


「時緒さん、魔法のことをお教えするのはいいですが、いずれにしましてもこの世界では実演できませんよ?」


「えーなんでー! わたしにはMPがないからー?」


「えむぴー……ですか……?」


「マジックパワーだよぉ」


「魔法を使うには身体の中に何か元になる、その……燃料? みたいなものが必要なんじゃないかって、時緒は言ってるのよ、たぶん……」


 このままでは話が進まなくなる、と見ていられなくなったメアは適当に補足してやる。そして同時に毎回時緒の話を聞かされている所為で変に知識が付いてしまった自分を残念に思う。


「燃料ですか……、いえ、そういったものは必要ありません。魔法とは人間が人為的に超常的な結果を引き起こす、言わば一種の現象のようなものですので……個々の体質や能力によって可不可が左右されることは……それこそ、何かを〝持つ〟〝持たない〟は関係なく……あくまでも現象を引き起こすに過ぎませんし……いえでも、確かに訓練は必要ですし、得意不得意といった点では差がないとは言い切れませんが…………」


 ユウリは説明に困っている様子で口籠ると、


「そうですね……では簡単に、わたしたち魔術師が魔法を使用するプロセスをお教えします」


 と前置きした。

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