Ⅺ.倉間麗奈の仕事②

「うん、あの男の方が怪しいな。証拠はまだ出ないが関与している気がしてならない……。証拠は未だ出ない、出ないか…………。…………出ないが! 最初に手帳フダ見た時の反応が俺的に一万パーセントアウトだ」


 それが俗に言う「刑事の勘」だと、倉間は確信していた。


 倉間と倉間の先輩にあたる刑事、正木真司郎まさきしんじろうは署内の会議室で遅めの昼食をとっていた。二人ともコンビニで買ったものだが、正木は見るからに身体に悪そうな色をしたスタミナキムチ丼なるものを頬張り、対する倉間はサンドウィッチをまるで作業のようにもくもくと口に運ぶ。


 こうした捜査資料の整理の合間の食事時に、本当に何気なく、前触れもなく、正木の勘は働く。


「いや、百億万パーセントかも。賭けても良い」


「どちらでも結構ですが賭博はご法度です。正木さん」


 常にルールとデータに基づいて動く倉間には身に付けることが難しい能力、それが、倉間と二つしか歳が違わず、同じ警部補という立場であるこの男には備わっているのだ。


 正木が何気なく口にする言葉に根拠と呼べるものが無いのは、これまでの経験としてわかっていたが、と同時に核心を突いていることが大半だということも、同様に経験として倉間はわかっていた。


 だから倉間はあえて「何故?」とは問わなかった。代わりに、「では引き続きあの男の身辺を中心に調査します」とだけ最後に応えた。


 倉間にとって正木のその超常現象にも似た能力は、いわば自身の限界を見せられているようであまり心地の良いものではなかった。


 それは決して妬みの類ではない。ルールやデータを頼りに動く倉間には理解し難いものだからだ。理解し難いものは、得てして心地良いものではない。


 ルールやデータの上でしか成果を出せないのが倉間自身の限界。しかもその限界の存在は正木という男を目の当たりにして初めて感じるのである。


 恐らく正木と出会って共に仕事をするようになっていなければ、倉間自身の限界がそのままイコール人間の限界と信じて疑わなかったかもしれないと、倉間は思う。


 人間は鳥のように空を飛べないというのと感覚は同じ。だからこそ、そんな自分を愚かにすら思ってしまう。現に目の前に見えない翼を持つ人間がいるのだから。


 世の中は、すべてルールに乗っ取って動いている。ルールを逸脱すれば必ずどこかに不利益が生まれる。仕事上のルールを逸脱すれば非効率になるし、社会のルールを逸脱すれば、他人に迷惑を掛ける。


 だが、そこに当てはまらない事実が確かに存在し得る。それが正木であり、まだ見ぬ何かである。存在を知ってしまったなら、それは世界に無数に存在するに違いない。


 それは、倉間自身には見えない、別世界のようなものを知らず知らずのうちに形成していて、自分はそこへ足を踏み入れることすら許されない。そこまで考えると、馬鹿げた妄言だが、実際、倉間にはそれが妄言だとも思えなくなってきている。


 そして、仮にそれが事実だとするならば、そのような事象に気付かずのうのうと生きて来た自分が、酷く愚かに思えるのである。


 正木は倉間が考えもしなかった、所謂倉間のルール外からの攻めで事件を解決に導くことが多々ある。無論失敗に終わることもあるが、全体のアベレージで言えば大いにプラスであることは確かだ。それは署内の正木に対する評価を見ても頷ける。


 そういった場面に遭遇する毎に、倉間は嫌がる正木を恐ろしいまでにしつこく問い詰め、その曖昧な情報を吸い出し、なんとかルールという形で明文化し、倉間自身の辞書に収めようとする。怪しい人間の身なり、素行。ことを起こす予兆、そういった人間がどういった思考で行動を起こすか。個々の案件、すなわちケースバイケースにおいて、その一つひとつは難なくルールに組み込むことができる。


 だが、トータル的に考えると、やはりそれがどうも上手くいかない。


 法則が読み取れない。結局は倉間のやっていることは黒板を書き写すようなもの。理解し難い難解な情報を噛み砕き、無駄をそぎ落として、自分なりの解釈で頭に収める。結局はルールだ。ルールがすべて。ルールに落とし込まなければ自分のものにできない。


 データならざるものをデータに、ルールならざるものをルールに収めることができれば……。


 そう考えているうちは辿り着けない境地。


 だがどうしても考えてしまう。知らず知らずのうちに思考が同じところに戻ってきてしまっている。


 同じところをグルグル回っているようで、嫌になる。決して妬みの類ではない。ただ、理解できないことへ対しての奇妙にも似た嫌悪感は、どうにも拭いきれない。


「そう言えば、あっちの事件ヤマの方はどうだ?」


 倉間が以前から捜査にあたっているもう一つの事件、それは最近この界隈で未成年の女子学生が誘拐や監禁、果ては未遂も含めた強姦や暴行といった犯罪に巻き込まれるケースが多発しているという内容。


 逮捕者は既に何人も出ている。だが、急に増えたこれら一連の事件は、何らかの首謀者、もしくはそれに準ずる「斡旋」のような組織が存在しているということが被害者、加害者、双方の証言から判明している。だがなかなか尻尾を掴めずにいた。


「あの、いえ……特に進展は……」


 倉間は自身が担当している事件について何ら進展がないことを、倉間は正直に恥じた。


「そうか……、巻き込まれてるの中学生とかなんだろ? ガキ本人が勝手にやってんなら見つけて、相手はしょっ引いて、ガキの方は怒鳴りつけながら二、三発引っ叩いてやりゃあいい。だが、今回は組織的だ。巻き込まれる被害者ガイシャがガキばっかなだけに性質が悪い。そっちも早いとこなんとかしないとな」


 それは倉間も重々承知だった。だが、焦りは禁物と教えてくれたのも正木だ。今はまだ何も掴めていないが、絶対に自身の力で解決に導く。倉間はそう心で強く念じた。


「そうそう、このあいだの現場、あの若い二人連れて行ったんだって?」


「ええ、まあ」


 正木の言う若い二人とは後藤と佐々木のことだろう。最近倉間の下に付いて動くことが多いが、まだ新米であり、仕事を覚えるのが仕事とった段階だ。そう倉間は考える。


「どうだった?」


「頑張っていると思います」


「…………。それだけ?」


「ええ、それ以外は特に……本当に……、まあ、頑張っている………んだと思います」


 倉間は素直な意見を返したつもりだったが、対する正木は妙な苦笑いを浮かべ、倉間の淹れたコーヒーをズッと啜った。


 倉間は正木のその様子が理解できず、訝し気な表情浮かべつつもサンドウィッチの最後の一欠けらを口に放った。

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