Ⅵ.異世界からの転校生
「皆さん、今日実は転校生が来ていまーす」
その一言にクラス中がどよめいた。
「女の子ですよー」
クラス担任である篠原先生の何かを含んだ笑顔と共に追加されたその情報に、さらにどよめき(主に男子による)が大きくなる。
「はい静かにー。入って来ていいわよー」
黒板側の扉がガラリと引かれ、一人の女子生徒が入ってきた。真新しい鞄と、手には何故か臙脂色の蛇の目傘を持っている。雨が降っているわけでもないのにと、クラスの大半が怪訝な顔をする。
仮に雨が降っていたとしてもその反応に大差が無かったかもしれない。今時そのような傘を持って自然と見られるのは、京都の舞妓くらいだ。
先生に促されるように教卓の横の辺りまで進むと足を止め、こちらへ向き直る。
長い前髪で隠れた瞳がクラス中を見据えた。
整った顔立ちと言えなくもないが、その髪型の所為でとても暗い印象を受ける。先程まで期待に胸膨らませていた男子生徒達からすると、少し期待はずれだったのか、次第にどよめきは沈静化し、教室に静寂が戻る。
「能登ユウリさんです。今日から皆さんのクラスメイトになりますので仲良くね」
静かになったのを見計らって先生が黒板に転校生の名前を書きながら名前を紹介する。
何をそんなに期待していたのかと、普段のメアならば心の中で悪態をついているところだが、当の彼女はそれどころではなかった。目の前で先生の紹介に合わせ律儀に一礼するその少女、間違いなく昨日コンビニで見かけた少女であった。
「では、能登さんから簡単に自己紹介をお願いね」
昨日燐華や時緒と一緒にいたところを見られたかもしれない相手が同じクラスにいる。いや、でもあの時はなんとかごまかせた筈だし、そもそもあのユウリという少女は雑誌に夢中だった筈。
それに一度目が合っただけの自分のことを覚えているだろうか。そんなことが頭を駆け巡る。顔が熱くなる一方、酷く冷たいものが内側を流れる感覚がした。
「能登ユウリです」
暗い印象とは裏腹に稟と透き通るような声が教室に響いた。その声に俯いてしまっていたメアは思わず面を上げる。
「家の都合で外国から来ました。なのでこちらの文化には疎く、ご迷惑をお掛けすることも多々あるかと思いますが、これからご学友同士として何卒よろしくお願い致します」
明瞭な声色、やや中学生らしからぬ大人びた口調でそう言い切ると、先程よりも深々と頭を下げた。
そしてメアに嫌な予感が過る。
窓際に座るメアの隣の席、そこが丁度空いているのだ。新学年が始まってこの席になったメアは当初、馬鹿なクラスメイトが近くにいなくて落ち着くと、少し得した気分に浸っていたが、今思うと不運以外の何物でもない。
「では能登さんは石川さんの隣の空いている席ね」
当然の如く、先生はそうメアの隣の席を示す。転校生は言われた通り、メアの隣に着席した。
先生が連絡事項を話している間も、メアは全くそれを聞くどころではなかった。すぐ隣に座っている転校生の少女、ユウリのことが気になってしょうがない。
それに先程からずっと視線を感じる。メアはやや窓の方へ顔を向け、早くHRが終わってくれることを願っていた。
「あのー」
不意に隣から囁くような声がした。メアは聞き間違いであることを願った。
「あのー」
だが無情にもその声は繰り返される。自分に声を掛けているのだろうか。メアは仕方なく隣へ顔を向ける。昨日のコンビニの時と同じ、吸い込まれそうなガラス玉と目が合った。
「なに?」
「お隣でしたので、これからよろしくお願いします」
「お隣なら反対側にもいるでしょ?」
「ですが、偶然昨日お見かけした方でしたので」
「そう? わたしは覚えてないけど」
不機嫌そうな様子を隠しもせずそう吐き捨て、メアは再び窓の方を向いた。そして向こうがこちらを覚えていた事実を遅れて自覚し、心臓の鼓動が少し速くなる。
先生は一通り連絡事項を伝えると、今度は最近この界隈で起きている女子生徒が巻き込まれているという事件について話し始めた。相手が中学生ということもあり言葉を選んでいる様子だが、掻い摘むと未成年の女子を狙った汚いビジネスが横行しているらしいということだ。汚い大人が汚い金で己の汚い欲望を年端もいかぬ少女で満たすといった。
メアは心底馬鹿らしいと思った。
誘拐ではあるまいし、「巻き込まれる」のではなく、少なからず「巻き込まれに行った」者にも問題と責任があるのだから。この世界の法律は未成年者に甘い。そのような法律を定めることは、わたし達はこの歳になっても正しい自己決定ができない無知で蒙昧な民族です、と自ら公言しているのと同義だ。そんな愚かな行いは聞くに堪えない。メアは色々な苛立ちを溜息として吐き出す。
しかし気が散る。HRが嫌に長く感じる。それもこれも横にいる転校生の所為だ。未だに不気味な視線を感じる。
メアは居ても立ってもいられなくなり、気を紛らわせる為に数学の時間に出された宿題を解いてしまおうと机からノートを取り出し、シャーペンの頭をノックした。終業まであと数分程度、メアの学力を以てすればニ、三問は軽く解けてしまうだろう。
その様子を訝しげに眺めていたユウリは机に掛けた鞄から真新しいノートを取り出すと、続けてこれまた真新しいプラスチック製の筆入れから値札が貼られたままのシャーペンを取り出した。気配と物音でその様子を察したメアが不信感を露わにした目を向けると、ユウリは何かを待つように眼差しを返した。
こんな状態ではいかに優秀なメアでも計算ミスを免れない。メアはせっかく出したノートを乱暴に鞄に仕舞う。するとユウリはワンテンポ遅れて真っ白なノートを閉じると鞄に仕舞った。どういうわけか明らかにメアの動作を真似ている。
「何よ?」
イライラとシャーペンの頭をノックしていたのを真似された段で、ついにメアは耐えきれなくなりユウリを睨みつけた。
「何とは?」
対するユウリは心底わからないというような表情を返す。
「そのいちいち真似するやつよ。鬱陶しいんだけど」
「それは不快にさせてすみませんでした。少しでもこちらの作法を学ぼうと」
一体何だろうこの少女は。海外出身だから文化に疎いとは前置きしていたが、旧石器時代からタイムスリップでもしてきたのだろうか。メアの不快感及び不信感は増すばかりである。
その時終業を告げるチャイムが鳴った。
それと同時に席を立った女子生徒数人が待っていましたと言わんばかりにユウリの席を取り囲んだ。
隣のメアはそのやかましさに嫌気が刺しつつも、少し助かったと思った。
これで再度話しかけられる心配はなくなった。携帯電話を取り出し、下僕たちからのメールを確認する。
「ねぇねぇ能登さん外国から来たんでしょぉ? どこ? アメリカとか?」
「いえ、たぶんもっと、凄く……遠いところからです」
「向こうに仲良い友達いた? こっち来る時寂しくなかった?」
「いえ、そんなには。必要なことでしたので」
「部活は? 向こうでは何かやってた?」
「ぶかつとは何ですか?」
「ねぇ好きな芸能人誰? こっちのテレビ見てる?」
「げーのーじんとは何ですか?」
「そうだ! 携帯は? 持ってる? メアド交換しよ、メアド」
「けーたいとは何ですか? めあどとは何ですか?」
囲む女子たちの質問攻めに対し、ユウリはほとんどと言って良い程答えられていない様子であった。質問する女子たちも流石に奇妙に思ったのか、次第に質問の勢いが収まる。だが、気を取り直した一人が携帯電話を取り出す。
「これこれ、友達同士で電話とかメールとかできるの」
「友達……ですか……」
ようやくユウリのことを、現代文明の灯りが届かぬ程の遥か辺境の地から来た異国人と割り切ったようだ。まるで親からはぐれた子猫を相手にするような憐みを含んだ語気で、携帯電話について説明しようとする。
だが、当のユウリは差し出された携帯電話を朧げに見つめ、「友達……」と小声で反芻していた。
「あなた方はわたしとお友達になって頂けるのですか?」
「え? あ…………うん! いいよいいよ! 友達になろう!」
「うんうん、ユウリちゃんって呼んでも良い?」
「ユウリちゃん、このあと暇? どっか遊びに行こうよ!」
「うんうん、そうしよ! ユウリちゃんこのあたり全然わからないでしょ?」
ユウリの急な言葉に一瞬たじろぎを見せた女子達だが、まばらに笑顔を取り戻す。
こういう時の空気を乱さないこと、それが好かれる人間の特徴だ。そして転校生に真っ先に群がるような人間は、そういったことに人一倍心血を注ぐ人種でもある。
「そうですか、でもその前にお友達の皆さんには真実をお話ししなければなりません」
「え? なになに?」
「わたし、〝異世界から来た魔術師〟なんです」
「…………」
女子たちからの返答は無かった。顔を不自然な笑顔の状態で引きつらせたまま固まっている。
ユウリと話していた女子達だけでなく、その周りで話が耳に入っていた生徒まで急に無言になり、やがては声が届かない位置であろう生徒達も、空気の異様さを察してまるで伝染するように口を閉ざした。
メアたちの教室だけ時間が止まったようだった。
「悪の魔術師を追ってこの世界に召喚された正義の魔術師です」
女子たちの様子を見て怪訝そうに首を傾げると、ユウリはそう言い改めた。
だが、依然女子たちのフリーズは止まない。当たり前だ、メアも隣で聞いていて全く同じ状態であった。
「あ、あの……」
ようやく一人の女子の口が動くようになったようだが、麻痺でも残っているのか、変に上ずったような声だ。
だが何か言いかけたのも束の間、ユウリの胸の辺りがもぞもぞと動き始めた。
正確には制服のブラウスの胸ポケットである。やっとのことで口を開きかけた女子は再び固まってしまい、ユウリの胸の辺りの妙な膨らみを凝視する。
メアもまた、隣でそれとなく気付かれないように聞き耳を立てていたのだが、そんなことも忘れて思わずユウリの方へ視線を泳がせてしまう。
もぞもぞが大きくなり、ユウリの胸の生地が突っ張ったり引っ込んだりと、忙しなく形を変え、ついにひょっこりとその正体が顔を出した。
それを目の当たりにした女子の一人が「きゃっ!」と短い悲鳴を上げた。
それは髭の長いネズミであった。ちちちと小さく泣きながら辺りを見回している。
「え? ネズミ……? 生きて……る?」
最早女子たちはそう口にしながら互いに顔を見合わせるばかりである。
「もう、勝手に出てこないで下さい」
そんな女子たちの様子をよそに、ユウリがネズミに話しかけると、言葉を理解したのか、もぞもぞと再びブラウスのポケットに収まった。
その光景はユウリを囲む女子たちにとって、まさしく〝トドメ〟となるものであった。
「ごめんね、能登さん。今日わたし達用事があったんだった。じゃあね!」
そう言って逃げるようにユウリの机の周りから去って行った。直接的な拒絶は表に出ていないにしろ、呼び方が急に苗字に戻ったことがすべてを物語っていた。
異世界からやって来た魔術師。
メアは横目でユウリを見る。慈愛の心で以て、可哀想な者を見るそれで眺める。
つまりは、
「石川さぁーん」
不意に廊下の方からメアを呼ぶ声がした。先程までHRで教壇に立っていた担任の篠原だ。
またもメアは「助かった」と心の中で拳を握った。鞄を持って先生の元へ用件を聞きに行き、そのまま昇降口へ向かえば、今日のところはこれ以上隣の変人から声を掛けられることはない。
メアは速足で先生の元へ駆け寄る。
「何ですか? 先生」
「ちょっと石川さんに頼みごとがあって……」
「頼みごと? 良いですよ。何でも言って下さい」
「転校生の能登さんね、石川さんと同じく寮に入ることになってるの」
「……はあ」
メアは不穏な気配を感じ、急に声を潜める。
「昨日までは手続きとかもあって親御さんと一緒に別のところに泊まってたらしいんだけど、今日から正式に寮に入るのよ。石川さんも入ってるあの寮ね」
「……はい」
「そこで、石川さんに寮までの案内と、ついでに大まかな寮の使い方の説明をして欲しいなと思って」
「無理です」
念の為最後まで聞いてからメアは即答した。
冗談ではない。ついさっき関わらないと心に誓ったばかりだ。
本当に、クラスメイト達は目も当てられない程に愚かだが、それは教師陣においても同じだ。大人の勝手で面倒ごとを押し付けようとする。
メアの中で無能な大人に対しての怒りが湧き上がった。
「そもそも何でわたしなんです。他にも寮の生徒はいるでしょう」
「そっかぁー。困ったなぁ。石川さんが適任だと思ったのにぃ」
「はあ?」
メアは気付かないが、曲がりなりにも日頃から子供を相手にする教師の方が一枚上手だ。
表ではそのような大人の思惑を一切感じさせないが、子供達それぞれのタイプでどのように接するのが一番か、経験からそれが良く分かっている。それが教師というものであった。
勿論メアに対しても例外ではない。
「だって石川さんとても頼りになるんだもの。他の子じゃあちゃんとできるか先生不安で……ダメかなぁ」
そう言って、篠原は徐にしゃがみ、メアよりも低い位置に頭を落とすと、哀願するような上目遣いをした。言葉だけではなく、体を使った合わせ技である。
「……………………………………まあ………………、賢明な判断ですね…………」
メアから見て何も考えていなさそうと思っていた担任教師からの「頼りになる」「他の子じゃ不安」という言葉に、「こやつ案外わかっておる」とメアは心の中で頷き感心しつつも了承してしまった。
篠原は合わせ技の我ながら見事な成功に、心の中でガッツポーズした。
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