Ⅶ.不機嫌な案内係
いつもの帰り道、ついこの間は円子といういけ好かない女子、そして今回は得体の知れない転校生。こうも易々と了承してしまう自分を呪いつつ、横目にユウリを見る度メアの脳内に後悔の嵐が吹き荒れていた。
何でわたしが……いやでも他に任せられない仕事だし……だからと言って安請け合いしすぎじゃ……いやいや、それだけ自分が優秀過ぎるのだからしょうがないのか……。
そんなことを頭で三往復くらい繰り返しながらも、未だ互い無言なのがどうかこのまま寮まで続いてくれと願うばかりであった。
「あのー」
そしてメアの願いは無情にも破られる。メアは返事をせず、拒絶の視線で返した。
「寮まではあとどのくらいでしょう?」
「五分くらいよ」
「そうですか」
拒絶の意が伝わらず、メアは仕方なく必要最低限の返答をする。
ユウリは相変わらず蛇の目傘を手にしていた。ネズミが入っているであろう胸ポケットの膨らみは、注視すると微かに蠢いているのがわかる。
見れば見る程奇妙な少女だとメアは思った。
それ以外は、白い肌に人形のように端正な顔立ち、自分程ではないがそれなりに綺麗と言えなくもなく、それがこの奇妙さによって台無しになっていると考えるとメアはこの転校生に対して少し哀れみの感情が芽生える。
そもそもネズミはペットかもしれないが、傘の方はどうだろう。もしかしたら、海外から来る際に、日本の文化の間違った取入れ方をしてしまったのかもしれないと、メアは勝手に結論付けた。
「あのー、今わたし達のいるこの半島が能登島、でよろしいんでしょうか?」
「……そうよ。何? 『わたしと同じ名前ですねーえへへー』とか言いたいの?」
「いえ、確認のつもりでしたが、愚問でした。忘れて下さい」
「ではアンティキテラ島という島はどこにあるのでしょうか?」
「はあ? 何それ。知らないわよ、そんな島」
「知らないのであればいいです。忘れて下さい」
「忘れろ忘れろってね、わたしはいち早くあんたの存在を忘れたいわよ」
「そうですか」
ユウリはメアの言葉を受け、寂しそうに目を伏せた。
元々の暗い雰囲気に影が差し、さらに拍車が掛かる。
その様子を見て、メアはどうして良いのかわからなくなる。
メアは決して間違いを犯さない。そのことに関しては他の何者でもない、自分自身が信頼を置いている。それが例え脊髄反射にも等しい何気ない発言であったとしてもだ。
だが、そのような表情を前にメアは次に掛ける言葉をいかようにするべきか、悩んでしまう。そしてそのような些細な感情の揺れですら、メアは腹立たしく思ってしまう。
何故、思い通りにならない。何故、周囲の反応など気にせず毅然としていられない。
「石川さん……でしたよね? 石川さんは……」
教室で担任の篠原から大声で呼ばれた折に名前を記憶していたのか、ユウリはおずおずと確かめるように口を開く。
「石川さんはわたしと友達になって頂けますでしょうか?」
「嫌よ」
先のことで揺らいだ感情を振り払うかの如く、メアは即答した。
「あんたと一緒に帰ってるのは先生にそう頼まれたから。明日からは近寄らないで頂戴。どうせ友達になったら次は『わたしは異世界の魔術師なんですー』とか宣うつもりでしょ? そんな妄言吐くやつはもう間に合ってるわよ」
極力敵意がこもるように話したつもりであったが、ユウリはまるで何かに驚くかのように目を見開き、メアを凝視した。
「石川さん、何故わかったのですか? 凄いです。もしかして魔法ですか?」
「違うわよバカ!」
メアはもうこれ以上会話はしまいと、ユウリを置いて行く勢いで、半ば競歩に近い速度へと歩みを速めた。
遅れないようにとユウリが時折小走りになりながら付いてくるのがわかったが、メアは全く意に介さず、既に頭の中では先程会話に出た聞き慣れない単語を「アンティキテラ島、アンティキテラ島」と繰り返し、忘れないようにしていた。
自分が知らないモノをこのいかにも間の抜けた少女が知っている、それが許せないから後で調べておこうというだけの、実に負けず嫌いで完璧主義のメアらしい理由であった。
程なくして二人は寮に辿り着く。
メアが玄関で靴から室内用のスリッパに履き替えていると、ユウリはどうして良いかわからないといった様子で立ち尽くしてしまっていた。
一度大げさに嘆息し、メアは立ち並ぶロッカー式の靴箱の中から「能登ユウリ」と真新しい名札の張られたものを探し出してやり、「ん」と顎でしゃくるようにしてスリッパへの履き替えを促す。
無事スリッパに履き替え、廊下を歩きながらもユウリは落ち着かない様子で辺りをしきりに見回していた。
「あんた、部屋は? 何号室?」
「えっと、三〇五号室と聞いています」
「うっわ、最悪。わたしと同じ三階だわ」
寮は三階立てで一階部分に生徒居住の為の部屋は無い。必然的に二階か三階の部屋に振り分けられるので、同じ階に当たるのは純粋に二分の一の確率なのだが、メアはこれが何か別の思惑によるものではないかと疑ってしまってならなかった。それ程までに不運が重なっている。
きゅぅー……。
階段に差し掛かった時である。メアの傍らで何かが力なくしぼむような音が鳴った。
メアが横に目を遣ると、ユウリが両手でお腹を押さえてやや顔を赤らめている。
「すみません、わたしです」
「いや、知ってるわよ。わたしじゃないとしたら、あんた以外にいないでしょ」
「すみません……」
「お腹空いてるの? ちなみに夕飯の時間までまだ三時間以上あるわよ」
「実は今日はわたし一人だったので何も食べていないんです」
「は? 今日一日!?」
「ええ、この世界のお店で一人で何か物を買うということに慣れていなくてですね、昨日までは
「あー、わかったわかった。もういい、それ以上はやめて、頭が痛くなる」
「頭が? どこかで精神干渉の魔法でも受けたのですか?」
「やめろって言ってんでしょ」
階段を上がり二階に差し掛かったところでメアはユウリの手を引き、二階の廊下を進む。
「あの、石川さん?」
「いいから、こっち」
メアが目指すのは当然三階の自室ではなく、二階にある食堂であった。
そうとは知らないユウリはメアに促されるがまま、無人の食堂へ足を踏み入れ、適当なテーブルに着いた。蛇の目傘は隣の椅子に立てかける形で置いている。
メアはそのまま奥の調理場へ向かう。
この寮の食堂では時間外に冷蔵庫に残された食材を好きに使っても良いことになっている。
ガスは使用禁止でIHを使用しなければならない他は、それこそ、理科の実験まがいのふざけた調合を行わなければ、大抵のことは許されているのだが、進んで料理だなんてことをするような家庭的なスキルを身に着けた人種は現代の中学生という身分の女子たちの中においては希少価値が高く、あまり寮生にとっての有用なサービスとは言い難かった。
それはメアにおいても例外ではなく、彼女自身厨房の中に足を踏み入れたことすらない。
結果、夜な夜な育ち盛りで腹を空かせた女子が、獣かあるいは空腹から知性を置き忘れたゾンビのように徘徊し、冷蔵庫から調理の必要なく食せるものを探し貪るのを、ただ黙認するだけのルールとなってしまっている。
そうそうふざけたことをする女子生徒はこの寮にはいないが、以前この調理場で闇魔術の如く、ダークマターなる物質を作成しようとして寮の管理人にこっぴどく叱られた女子生徒がいたらしい。
結果ダークマターなる物質は出来上がったらしいのだが、それこそ女子中学生が何のレシピもなしに調理を敢行すれば、出来上がるのは八割方ダークマターだ。それは別に何てことのない事象であった。
一方メアはというと、辛うじて食材としての意味を保ったまま調理を加えることができる。
料理自体は大して得意ではないと自覚するメアだが、それでも優秀過ぎるメアに不可能はなかった。
ユウリをテーブルに残し、調理場に入ったメアは数分足らずでユウリの元へ戻って来た。そして徐にテーブルに皿を置く。
「これは何でしょうか?」
「卵よ」
「何の卵でしょうか?」
少し黒ずんで不格好になった目玉焼きを怪訝そうに眺めながらユウリは問う。行間に「食べても大丈夫なものですか?」と入っていそうな口調だった。
「鶏っていう鳥よ。卵くらいしかなかったからこれで我慢なさい」
「石川さんは物知りですね」
「アホ、卵って言ったら大抵鶏なの、覚えておきなさい」
「はい、覚えておきます」
そう言いながら、ユウリはフォークを目玉焼きに突き刺し、不器用に口に運ぶ。
「どう?」
「至極、微妙です」
そう率直な感想を漏らしながらも、空腹だったユウリは目玉焼きを続けて三つも平らげた。
「鶏の卵、というものを始めて食べたので憶測でしかありませんが、石川さんは素材の味を甚だしく殺している気がしてなりません。控えめに申し上げて、ぶっ殺してます」
「じゃあ食べるな!」
メアも小腹が空いた自分用に焼いておいた目玉焼きに乱暴にフォークを刺すと、一口で口に放り込んだ。美味しくなかった。
その間も食堂には誰一人来ない。
食器にフォークがぶつかる音と、メアたちとは遠い壁に掛けられた、少し遅れ気味の時計が鳴らすチッチッという秒針のリズムだけが聞こえる。
時折、窓の外から寮に帰って来た女生徒の笑い声が耳に届いた。
「…………石川さん……」
ユウリはフォークを皿に置くと、少しの沈黙の後、口を開く。
「石川さん……正直、わたし不安なんです。使命とはいえ、これからこの地でやっていけるのか……」
そう呟くように言うと、メアが調理場で適当に見つけた湯飲みに注がれた麦茶を口にした。
初めて見るのか、物珍しそうに湯飲みの凹凸に指を這わせると、寂しそうに目を伏せる。
「ああでも勘違いしないでくださいね? わたしは向こうでは大変優秀な魔術師だったんです。だからこそこの任務に選ばれたんです。それに普段は弱音なんて一度も吐いたことはありません。ね、師匠?」
ユウリの「師匠」という言葉に反応してか、胸ポケットから例のネズミがひょっこり顔を出し、ちちちと返事をするように鳴いた。
「別にわたしは何も言ってないじゃない」
慌てて取り繕うユウリの姿に、メアは自身の分の麦茶を煽りつつ溜息を吐き出した。
「それにあんた、あくまでもその〝設定〟を貫くつもりなのね」
「設定とは何ですか?」
「いや、いい。勝手にして」
メアは呆れた様子でユウリの姿を眺める。
真新しい制服に身を包むのは地味な雰囲気の少女。胸ポケットにネズミを住まわせ、傍らには蛇の目傘。
「でもねあんた、地味なのはわかるけど、ちょっと設定過多じゃない? ねずみか、その変な傘か、それともその陰気な不思議ちゃんキャラか、どれかにしなさいよ」
異様さを醸し出すことには成功しているに違いないが、だがどちらかというと、「間抜けさ」の方が強まっているとメアは思った。
「でもこのネズミは師匠ですし……、この傘だって……」
「魔法の杖って言いたいの?」
「何故わかったのですか? 魔法ですか?」
「だから違うわ!」
本当にそのような設定にしたければ、もう少し勉強すべきである。時緒なら喜んでそういった類のプロデュースを引き受けてくれそうだ、とメアは考えたが、慌ててその考えをかき消した。
このような奇妙な少女を仲間に入れるなんて冗談ではない。今でさえ手に余るというのに、そこへもう一人、しかも見るからに厄介そうな要介護者を黙って引き受ける程メアは献身的でもお人よしでもない。
「そういえば、本当はわたしが魔術師だということは秘密にしなければならないのですが、師匠から本当に信頼できる友達ができた時には明かして良いと言われています。ね、師匠?」
ネズミがちちちと返事をした。
「あ、でも石川さんはもうわたしが魔術師だということを知ってしまっていますよね? 逆に考えると、知られたからには友達にならないといけないのではないでしょうか?」
「それ、知られたからには生かしておけないって言う悪役のセリフと同じくらい不条理よ」
「わたしは悪ではなく正義です」
ユウリは真剣な表情で「正義の魔術師です」と繰り返した。
「どうでもいいわよ、そんなの。それよりも大事なところが抜けてる」
「大事な……ところ……」
ユウリは両膝をきゅっとくっつけるようにし、スカートの上から股間を押さえた。
「変なところ押さえるな! そういう意味じゃない! 『信頼できる』ってところよ!」
「信頼……ですか?」
「そうよ。信頼なんて、そんな短い時間でできるものじゃないの、わかった?」
ユウリは寂しそうな表情でこくりと頷いた。
メアは教室でのユウリとクラスメイトとのやり取りを思い返す。
この少女には物事を額面通りにしか受け取らない、融通の利かないところがあるのだろう。無知に加えてそのような性質を持つこと程質の悪いことはないが、それは一朝一夕でどうにかなるものでもない。そう思ってメアは説明を諦めた。
だが、仮に熱心に説明をしようと思ったところで、メアもまた上手く説明できない分野であるのを自覚していた。
「石川さん、繰り返すようですが、わたしは大変優秀な魔術師だったんです。いつもなら本当に弱音なんて吐かないんです。でも……、だから……その……、少々不思議です……」
「…………あっそ……」
メアは無理矢理ユウリよりも早く湯飲みの中身を飲み干すと、風呂場の場所と夕食の時間だけ簡潔に伝え、ユウリを食堂に残したまま足早に自室へ向かった。
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