#3

 倉崎から事情を聴き終えた立夢は、猿渡に犯人捜しの結果を報告しようと学校を出る。

 すると校門を出たあたりで、件の猿渡が道路の向こう側で誰かと話しているのを見つけた。話している相手は服装からして警官のようで、困り顔をしている猿渡から何かを聴き出しているらしい。

 女子校の前で、成人男性が、職務質問。なんとなく事情を察した立夢は、ここで猿渡を連れて行かれても困るので助け舟を出すことにした。

「叔父さーん」

 横断歩道を渡りながら、二人の方へ向かって手を振る立夢。突然声をかけられた二人はそっちを向いてきょとんとしている。

「おまたせ、叔父さん……あれ、何かあったの?」

 素知らぬ顔で二人に近づいた立夢は猿渡の横まで行くと、猿渡にだけ見えるように片目を瞑ってみせる。

「失礼だけど君は?」

 警官は話を聴く対象を闖入者である立夢に移す。

「わたしはこの人の姪で有楽島立夢と言います。今日は仕事場の近い叔父さんが家まで送ってくれると言うので、ここで待ち合わせしてたんですけど」

「あ、そうだったの? 実樹女みぎじょの生徒さんがそう言うなら大丈夫かな」

 立夢の嘘をあっさり信じる警官。確かに、立夢が通う実樹女こと実樹女子高等学校はこの地域で評判の良い学校ではある。それにしてもこんなに簡単に相手を信じてしまうのは、この仕事に就いて日が浅いのか、生来の性格がお人好しなのか。

「ご予定のあるところ、失礼いたしました。それでは気を付けてお帰りください」

 そう言って警官は立夢と猿渡に軽く会釈すると、街の中へと歩き去っていった。

 それから。

「――いやァ、すまん。助かった」

 立夢は猿渡に連れられて、通学路の途中にある喫茶店に入っていた。話をするにしても、外よりこういう場所でした方がいろいろと都合が良いだろうとのこと。つい先ほどのことを思い出すと、立夢からしても納得の提案であった。

 飲み物を注文し、ウエイターが席を離れると猿渡は申し訳なさそうに頭を掻く。

「昨日のことで嬢ちゃんがまたおかしなことに巻き込まれないかと心配になってな。様子を見に来たんだがあのザマだ。迷惑しただろう」

「いえいえ。ちょうど会いに行こうと思ってたところなので、むしろ手間が省けました」

 気にしていないといったふうに立夢は軽く笑って返す。実のところ、猿渡の意外な一面を見ることができて、立夢としては少し得をした気分であった。

「でも、今後もこうやって二人で会う機会はありそうですし、もう少し自然に見えるようにした方が良いかもしれないですね」

「ふむ、なら嬢ちゃんはもっと砕けた話し方にしたらどうだ? 俺のことも好きに呼んでくれていいからよ」

「そうですか? じゃなくて……じゃあ、これからは普段の喋り方で話すね、おじさん」

「……さっきと呼び方のニュアンスが違う気がするが、まあいいさ。あとは俺の嬢ちゃん呼びも変えるべきかね」

「それなら立夢って呼び捨てで良いよ。というか、そもそも名前をちゃんと教えてなかったっけ」

「ウラジマリズムって言うんだよな? 警官にそう言ってた」

「そ。有する楽しい島に立つ夢で、有楽島立夢」

「ほう、良い名前じゃねえか」

 二人が談笑しているとウエイターが注文した品を持ってくる。ウエイターはコーヒーとオレンジジュースを二人のテーブルに置き、ごゆっくりどうぞと一言、業務的に言うと再び店の奥に戻っていった。

「じゃあ改めて。これからもよろしくね、おじさん」

「おう。こちらこそよろしくな、立夢」

 互いに言葉を交わすと、二人はそれぞれの飲み物の容器を軽くかち合わせた。

 閑話休題。

「それで? 手紙の送り主は立夢が思い描いてたヤツで合ってたのか?」

 喉を潤してから、猿渡は立夢に結果を尋ねる。

「うん。倉崎さんって子なんだけど、聞いてみたら自分がやったって認めてくれたよ」

「なんだ、随分あっさりと白状したんだな。あんな手の込んだことをしてきた割に」

「悪気があってわたしに送りつけたわけじゃないらしいよ。一番騒ぎにならなそうって理由はあったみたいだけどね」

「そもそも、なんでそいつは不幸の手紙なんか送ったんだ?」

「実はそのことで、おじさんに確認してもらいたいことがあるんだけど」

 疑問符を浮かべる猿渡に立夢はまず、なぜ倉崎が不幸の手紙を立夢に送ることになったのかを話し始める。

 発端は、倉崎の元に届いた一通の手紙。

 差出人不明のその手紙には、立夢に送ったものと一字一句違わない文言が書き記されていた。最初にその手紙を見た倉崎は誰かのくだらない悪戯だろうと、深く考えずに手紙を捨てたという。

 三日後、倉崎は落として割ってしまった食器の破片で指を切った。そして翌日、倉崎に再びあの手紙が届く。

 僅かに薄気味悪さを感じた倉崎だったが、前日の怪我は己の不注意が招いた結果だとすぐに思い直し、二通目の手紙もその場で破り捨てた。

 それからさらに三日が経ち。

 登校中の倉崎は横断歩道の前で信号が青に変わるのを待つ。同じように信号待ちをしている学生や会社員の集団の最前列に立ち、ときおり時間を気にしながら目の前を何台もの車が通り過ぎていく普段と変わらない景色を眺めていた。

 不意に、倉崎の左腕に力強く掴まれたような痛みが走る。その痛みに顔を歪めたときには倉崎の体は見えない何かに無理やり引っ張られ、車道に上半身を投げ出していた。状況の把握が追いつかない頭の中で、これまで生きてきた間に得た経験と、一瞬を経て無慈悲に訪れるであろう苦痛と死への恐怖が走馬灯のように横切っていく。

 しかし倉崎が次に感じたものは、全身がバラバラになるような衝撃ではなく手の平を伝わる硬い感触と小さな痺れだった。地面に手をつく倉崎を不思議そうに一瞥しながら、近くにいた集団は青信号に変わった横断歩道を過ぎていく。顔見知りの同級生が心配そうに声をかけると、やっと倉崎は倒れる前に信号の色が変わっていたことに気づいた。声をかけてきた相手には何ともないと取り繕う倉崎。だが、その脳内ではあの手紙が思考を蝕んでいた。

 倉崎が沈んだ気持ちで帰宅すると、案の定、郵便受けには例の手紙。三通目もこれまでと同様の内容だったが、流石に今回はすぐさま処分する気にはなれなかった。

 自室に戻ると、倉崎は力なくへたり込む。朝の出来事での怪我と言えるのは地面に手をついたときに手の平を軽く擦りむいたことくらいで、血が出ていない分、指を切ったときより肉体への損害は少なかった。しかし、精神の擦り減り方はこれまで体験してきたことの比ではない。

 倉崎は左腕の袖を捲る。肌が露わになったその二の腕には、人間の右手で掴まれた跡が青黒い痣の形で残っていた。恐らく朝にできたもので間違いない。怪奇的な現象にも恐怖したが、これが警告を示唆するものと思うと体の震えが止まらなかった。次は容赦なく動いている鉄の塊の前に引きずり出されるだろう。

 もう手紙の内容に従うしかないのだろうか。他の解決策が無いか悩む倉崎。だが期日が来るまでの間、どれだけ考えても不幸を回避する手段どころか何に頼れば良いかさえ分からず、せめて繋がりの薄い人物に手紙を送ることで自らの保身を図るという、人として問題のある方法を取ってしまった。

「危機的状況だったとはいえ、無関係だったわたしを巻き込んだことは本当に申し訳なく思っている――と、ここまでが本人から聞いた事の顛末」

「……で、お前さんはその話を信じたのか?」

 猿渡が尋ねると、グラスのジュースをストローで飲んでいた立夢は小さく唸り声を発する。

「うーん。正直、半信半疑なんだよね。一度そういう目に遭った身からするとすごくリアリティはあるんだけど、それを裏付ける証拠が無いからわたしの同情を誘うために話をでっち上げた可能性も否定できない。腕の痣も見せてもらったけど、そっちも何が原因でできたものなのか、実際のところはどうとでも言えるしね」

「だろうな。結局、真相は分からずじまいか」

「それがそうでもないんだな。というか、ここからが今日おじさんと会いたかった一番の理由なんだけどね」

 立夢はそう言うと、学生鞄の中から一通の封書を取り出してテーブルの上に置く。

「実はその子から、話に出てきた三通目の手紙を借りてきたんだ。不用意に処分して何かあっても嫌だから、ずっと持ち歩いてたみたい。それで、話の証拠としてわたしがこれを見ても何とも言えないのは変わらないんだけど、おじさんならこれが本物なのか分かるんじゃないかなって」

「なるほど」

 猿渡は納得した様子を見せると、手紙を手に取って眺める。

「ちなみに本人を連れてきて痣を直接見せた方がいろいろ早かったと思うが?」

「まあ、それも考えたんだけどおじさんと確実に会える保証は無いし、人目も気になるから。だからって人目の無いところで知らない男の人に体見られるのも、それはそれで嫌だろうしね。見たかった?」

「そうだな」

「えっ」

 冗談めかして聞いたのだが、予想と反して即答されてしまったので逆に面食らう立夢。

「もし本当にそっち関連の問題なら解決は早ければ早い方が良い。霊障が出ているなら尚更な。だから事態の深刻度を知る一番手っ取り早い方法を取れるに越したことはねェんだ」

「あ、うん、ソウダヨネ」

 猿渡の口から続けて出てきたものが大真面目な理由で、立夢は半分安心、半分落胆という複雑な気持ちに。そんなことなどつゆ知らず、手紙の検分を続ける猿渡だったが、だんだんとその表情が険しくなる。

「……どうやらただの悪戯じゃねェのは確かなようだな」

「それはつまり……」

「ああ。コイツには尋常ならざる澱みが残っている。普通の精神を持つ人間が手紙を書いただけで出てくるモンじゃない。ぶっちゃけ、周囲に悪意をばら撒くからさっさと処分した方が良い。勿論、ちゃんとした手順を踏んでな」

「そんなに危ないんだ……なら、処分に関してはこのまま、おじさんに頼んでもいい?」

「それは構わんが、お前さんこそ大丈夫なのか? いくら危険な代物だったとはいえ、貸したものを勝手に処分したとなったら相手は面白くねェと思うぞ?」

「そこはまあ、自分でなんとかするよ。もし嫌われたとしても、人ひとりの命が助かるならお釣りが返ってくる」

 立夢が自分の考えを述べると、聞いていた猿渡は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。そして直後、こらえきれないとばかりに吹き出して笑う。

「ちょっと、なんで急に笑うの?」

「くくっ……いや、なんだ、お前さんには似合わねェと思ってよ」

「酷い言い様だ」

「悪い悪い。失礼を承知で言うが、お前さんを八方美人なヤツだってイメージしてたもんで、自己犠牲を厭わないのが少し意外でな。ま、俺もそういう考え方をする人間だから共感できるところはあるんだが」

 そう宣う猿渡は、ここではないどこかを見ているようだった。立夢はそれが気になったが、言及する前に猿渡の視線がこちらに戻ってきたので、今は聞かなくてもいいかとうやむやにする。

「ともかくだ。手紙は俺に任せてくれていい。それとできるならその嬢ちゃんを俺のところに連れてきてくれ。今回の一件はその嬢ちゃんそのものに何かありそうな予感がする。無理そうなら俺の方で何とかしてみるが」

「ん、分かった。とりあえず説得はしてみるよ。多分、話さえ聞いてくれれば来てくれるはず」

 立夢は倉崎の性格からして、まだ自分に負い目を感じているだろうと踏んでいた。ならば嘆願する形で説得すれば、良心の呵責と不安から解放されたい一心から恐らく断らないだろう。最悪、少し脅しをかけても状況が状況だけにやむを得ないよねと、ちょっと過激な方法も予備策として考えた。先の倉崎との問答よりは成功する自信がある。

「そうか。じゃあ一応、俺の連絡先を渡しておくから何かあったらそこに連絡してくれ」

 猿渡は取り出したメモ帳に電話番号を書くと、そのページを切り取って立夢に渡す。

「了解。まあ、何も無いとは思うけどね」

「そう祈るよ」

 二人が話を終えると、飲み終えたグラスの中で残った氷がカラリと音を立てた。

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