第16話 防衛ライン



 マーヤとフィズは戦っていた。

 魔物が蔓延する混沌の城下となったこの場所で、怪我人を匿う屋敷を守ろうと必死で戦っていた。

 

 彼女たちだけではない。屋敷にいた冒険者の殆どが魔物の群れに臆することなく武器を奮い、突破されぬようにと死闘を繰り広げている。


 ──事の発端は、突然訪れたのだ。


 王国から眩い光が一気に空へ広がり、深夜など関係なく明るく照らしたのだ。

 寝ていた者たちは驚いて屋敷から外を覗き、或いは外まで様子を見に来ていた。


 刹那、異変はたちまち襲ってきたのだ。

 焼け落ちた貧困層の地下洞窟がある位置から、強い振動と共に爆発音がすると、黒い何かが這い出て来る。


 ──魔物だ。

 それも多種多様の魔物。


 ゴブリン、ウルフ、蜥蜴人、無数の蝙蝠、しまいにはオーガまで現れ、城下を駆け上がってくるのだ。

 数など数えるほうが馬鹿らしくなるほどの群勢。



「て、敵襲ーーー!!!」



 屋敷で遠眼鏡を片手に警備していた冒険者が、大声で叫んだ。

 この最悪な状況により完全に目を覚ました冒険者たちが、ろくに手入れもしていない武器防具を揃え、屋敷から一斉に飛び出て行く。


 マーヤも急ぎ支度し、フィズも遅れて屋敷の防衛へと走った。



「まさかアルマーニ……失敗したのかニャ」



 屋敷の会議室で寝ていたシャーロットは、ふう、と息をついて廊下を走ってくる何者かを待っていた。


 

「母さん!!」



 乱暴に会議室の扉を開け、まだ頭に包帯を巻いたワイスが、呼吸を荒げて膝に手をついた。


 シャーロットは溜め息混じりで肩を落とすと、壊れかけたキセルを口に咥えワイスの言葉を待つ。


 キセルから煙は出ていない。



「魔物が、魔物が溢れてきてる! もうすぐここまでやってくるよ! 早く逃げないと!!」


「逃げるねぇ。どこに逃げるのニャ?」


「頑丈で警備がしっかりしている場所──城、城に逃げれば安全のはず」



 ワイスの必死な言葉に、シャーロットは呆れた様子で首を左右に振った。

 城から閃光が走ったこと。アルマーニとガルダが城に向かったこと。どちらも知っているシャーロットにしては、当然の反応だ。


 

「ワイス、アタシは今から出るよ。人に戻る。アンタはアタシの後継者ニャ……もっとしっかりするニャ」


「後継者ってなんだよ。人に戻るって、母さんはいつもそうやって勝手に話を進めて──」


「ワイス」



 張り詰めた空気の中で反論するワイスに対し、シャーロットが息子の名前を強く呼んだ。


 ワイスは息を飲んで口を紡ぐ。



「アタシは裏を纏めるボス。アンタはその息子。またちゃんと話をしニャきゃニャらん……けれど今じゃニャい」



 キセルを噛み、シャーロットは会議室の円卓テーブルにひょいと登ると、ワイスの目線に合わせ言葉を続ける。



「アンタに教えてやれることニャんてニャいのさ。アタシは誇れるような頭じゃニャい。こういう組織を纏めるのはアンタに向いてる。この首輪さえすれば、アンタはいつでも頭にニャれるのさ」


「……意味が分からない」


「ああ、分からニャいだろうね。……そうだね、この戦い無事にお互い生きていれば、アンタに全部話してやるニャ」



 ワイスが頭を抱えるなか、シャーロットは自己完結させスルりとテーブルから下りると、会議室から出て行こうとする。



「待ってよ母さん!」



 ワイスは怒りや悲しみを露わにし叫んだが、シャーロットは一度止まり一瞥すると、優雅に会議室から出て行った。


 首輪とは何なのか。

 頭──ボスの仕事。

 シャーロットが何故猫なのか。

 ワイスとは何なのか。


 ワイスは大きく息を吐いて額に手を当てた。何もかも分からない。自分の母親だというのに……。



「母さんは、僕のこと、どう思っているのさ」



 ワイスはポツリと疑問を漏らす。

 しかし、それに対して答えは当然返ってこなかった──。




──

────

──────



「はあっ! でああっ!」



 屋敷の防衛ラインを守死するマーヤは、数で押し迫るウルフ相手に奮闘していた。


 黒や灰色の毛を逆立て、おぞましい顔と牙を剥き出した犬にも似た獣の魔物。

 数が多く群れを成して襲い、肉を貪るウルフだが、一個体は弱く、走ってきたところを足に攻撃すれば、勢いのままに転がっていく。


 足をやられた獣は自然に戦意喪失してしまうもの。

 ウルフとの戦闘が得意なマーヤは、迫り来る獣を全て斬り捨てていた。



「ゴアァァァッ!!」



 その時、上空から別の叫びが轟き、マーヤは素早く後ろへと転んだ。

 ズガンッ! という重い共に瓦礫を踏み潰し着地したのは、体長五メートルを超えるオーガだった。


 オークと似た姿だが、赤い髪特徴的で、その力量は軽くオークを凌駕している。手には何も持っていないが、拳は屋敷を握り潰せるほどの大きさだ。


 そんな強敵を前に、マーヤは果敢に剣を構え、オーガと正面から睨み合った。


 狙う箇所は決めている。

 アルマーニやガルダの戦い方を見て学んだのだ。



「勝てる」



 マーヤは小さく呟き、唇を舐めて湿らせる。


 同時に、オーガがのっそりと動き始めた。腕の長さは巨体と比例しておりリーチはあるが、拳が振り下ろされる前にマーヤは前へ走った。


 目的は、オーガの足首だ。


 巨体ゆえに隙だらけの足首にまで易々と到着したマーヤは、そのまま剣を奮い始めた。オーガの拳が地面に叩き付けられ、ウルフの死体が飛び、土埃が舞い上がる。


 土埃はマーヤの視界を遮っていくが、それでも斬り続けた。

 返り血を浴びながら、切断させる勢いで攻撃を繰り返す。



「グオオァァッ……!?」



 オーガの悲鳴。

 足首から多量の血が出血し、オーガは何事かと驚く。そして、痛みに悶えながらも腕でマーヤを薙ぎ払おうと拳を薙いだ。


 再び舞う土埃の中で、マーヤはその拳を間一髪避けると、暴れるオーガから距離を取るために後ろへと転がる。


 しかし、屋敷とは反対に逃げたマーヤを待っていたのは、ゴブリン共の群れであった。



「グシャシャシャ」


「ギャギャ! ンギャー!」



 獲物を見つけたゴブリンの笑みは醜悪だ。

 片手には既に息も絶え絶えな女性の髪を引きずっている。



「しまっ……!」



 最後まで後悔の言葉を言うことはなく、マーヤは無謀にも寝そべった状態から剣を奮った。当然、剣はゴブリンに届くことなく、マーヤは唇を噛み締める。


 

「ギャー!」



 五匹はいるであろうゴブリンに囲まれたマーヤは、体制を立て直す前に顔を踏まれてしまった。地面に頬が擦れ、微かに血が滲む。


 鎖帷子越しの背中に棍棒が振り下ろされ、身体に鈍い痛みが走った。棍棒であるのが幸いか、これが鋭利な物ならば間違いなく四肢を持って行かれたであろう。



「ぐっ、う……」



 下卑た笑いと共に殴打され、マーヤは耐えた。甲高い悲鳴はゴブリンを喜ばせるだけだ。

 必死に悲鳴や呻きを押さえると、ゴブリンは面白くなさそうな表情で舌を打ち、今度は身ぐるみを剥がしに来る。


 ゴブリン共も女を鳴かせる方法は知っているのだろう。

 しかし、それはマーヤにとって最大のチャンスだった。


 顔を近付けてきたゴブリンの頭を強く掴んで引き寄せると、マーヤは剣先を奴の喉元に突き刺したのだ。



「カ、ゴエッ……」



 突然の反撃に、周りのゴブリンも驚きを隠せない表情で怯んでしまう。瞬間、強い振動が地面を揺らし、ゴブリン共は後ろへと振り向いた。



「グアァアッアッ!!」



 獣にも似たオーガの咆哮が轟いたかと思えば、怒りのままに拳を振り回す動きをしていた。


 凄まじい速さで奮われた拳に為す術無く、ゴブリン共は一瞬にして顔面を崩壊させて吹っ飛ばされ、地面に転がるとピクリとも動かなくなってしまった。


 すぐさま姿勢を低くしたマーヤは辛うじて無傷だが、再び舞い上がる土埃が視界を遮ってくる。



「な、なんだこの化け物は……っ」



 驚き焦る気弱な声が聞こえ、マーヤは屋敷の方へと視線を向けた。


 と、今まさに屋敷から出て来たばかりのワイスが、尻餅をついてオーガを見上げていたのだ。


 その後ろからは、オーガの背中を見据えて尾をゆらりと振るペルシャ猫の姿。彼女のトレードマークでもある青い首輪は、されていなかった。


 黒い毛を逆立て、殺気を漂わせながらシャーロットは次第に歩を早めると、徐々にスピードを上げてオーガに近付いていく。


 口には壊れかけたキセルのみで、短剣や武器など何も持ってはいない。──人間でいえば裸同然だ。



「危険です! 逃げて!」



 マーヤは咄嗟に大声を出した。

 当然、シャーロットは止まらない。


 暴れるオーガの足から華麗に登ったシャーロットは、優雅に肩まで行くと、ニヤリと笑みをして見せた。



「さあ、ショータイムの時間ニャ」






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