第10話 おっさんとおじさん



 会議室の出来事から三日後。

 未だに完治していないアルマーニと、いつもと変わりないガルダの姿が玄関ホール前にいた。


 深夜ということもあり、見送りは誰もいない。フィズもマーヤも、防衛戦や手当てに駆り出され働き詰めなのだ。

 起こすわけにはいかない。



「ふむ、準備はいいな」


「あぁ、万全とはいかねぇがなぁ」



 ガルダの最終確認に、アルマーニは眉をひそめて頷く。



「下水道から王国の牢へと潜入する。臭いについては、重曹を準備している。問題ない」



 小瓶に入れられた白い粉を取り出しガルダは確認した。



「派手な戦闘は避けろ。下水といえど上には響く」


「はいはい了解」



 ガルダの注意点に、アルマーニは面倒そうに聞き流す。

 不服気にガルダは息をついたが、言い争いをするつもりはないらしい。

 先に屋敷を出るガルダを、アルマーニは黙って付いて行く。


 アルマーニの目的はこの男の監視と、ソルシェを見つけ出すことだ。

 他に関してはどうでも良い。

 

 しかし、ソルシェを元に戻すための方法を見つけなければいけないという事実は変わらない。



「俺は俺の目的のために動くだけだ。協力はしねぇぜ」


「うむ、同じく。私も協力はしない。だが死なれては困るのでな」



 歩く道中、アルマーニとガルダはお互いに距離を離していく。

 仲間意識や協力とは元々無縁の二人。

 

 特に会話もなく、ガルダの案内で辿り着いたのは、王国と富裕層の間。

 水路から地下へと続く階段を下りて行き、錆びた鉄柵の鍵を開ける。


 深夜の暗さも相まって、奥は何も見えない。臭いはまだないが、微かに血の臭いが鼻につく。



「大型のネズミや化け物がいるやも知れんな」



 ガルダは携帯ランプを腰に吊し、背中の大剣は抜かず、腰に差していた半端な剣の柄を握った。


 アルマーニも暗視ゴーグルを装備し、手斧を握って準備を済ます。


 微かなランプのおかげで目先の道は辛うじて見えるが、遠くの気配を感じることが出来ない。

 水路に明かりはないようだ。


 道を知っているガルダが先行していく。

 盾を持たず突き進むガルダは、襲い掛かってくる大型ネズミや、ゼリー状のスライムを切り捨て、水路の中に蹴り落とす。


 血や不気味な液体が水路を伝い町の方へと流れていく。こういう水を飲んでいるかも知れないと思うと、アルマーニはゾッとしてしまった。


 蝙蝠がやけに多く、背後からの奇襲はアルマーニが払い対処していた。

 ゴブリン、ウルフ、ゾンビといった魔物がいないため、道中は比較的に楽だ。



「さて、ここからが問題だな」



 右へ左へ曲がり足を止めたガルダは、設置されたマンホールを力強く開ける。

 腐臭が一気に舞い上がり、アルマーニの表情が歪む。



「侵入対策として、王国が魔物を放っているようでな。気を抜けば死ぬ」


「王国がかよ。どこまで頭腐ってんだぁ」



 ガルダの情報に驚くアルマーニ。


 その情報はどうやら本当のことのようで、マンホール下から低く響く呻き声が聞こえてきた。



「おっさん先にどうぞ」


「ふむ、良かろう。下りた瞬間に死体を見るのは萎えてしまうからな」



 見事に皮肉で返されたアルマーニはげんなりしながら、先に下りるガルダを見下ろす。


 梯子をスルスルと下りたガルダに続き、辺りを警戒しながらアルマーニは後を追う。マンホールは開けたままだ。


 梯子には気色悪い液体や苔が付着しており、気を抜けば滑って落ちてしまいそうだった。


 先に到着したガルダは大剣を抜き、適当に魔物を狩っていた。足元は血に染まり、上にいたよりも丸々と太ったネズミが息絶え転がっている。


 

「ううむ、前に来た時よりも酷い状況だ。気をつけろ」



 息を吸うことも躊躇う腐臭。

 道とも言えない細い通路には、小さなネズミの死骸に群がる蛆や蝿。下水には見たこともない生き物が泳いでいる。



「こりゃあ重曹でどうにか出来る臭いじゃねぇぞ」



 鼻で笑うのも一苦労な状況に、アルマーニは口と鼻を布で押さえた。

 ゆっくりと進む足取りに迷いはないが、ガルダの背中がすぐに見失いそうになる。



「くそ、目が痛ぇ」



 凄まじい腐臭のせいで顔が痒く、異様な激痛が目を襲う。涙が洗浄しようと勝手に溢れ流れてくる。拭おうにも、ゴーグルを外せば余計に痛みそうだ。



「おっさん、目痛くねぇのか?」


「ふむ、痛みはあるが……慣れというものは恐ろしいな」



 アルマーニの問いに、ガルダは笑った。

 慣れということは、この下水道を何度も通っていたのか。


 恐ろしいと思う反面、ガルダは元より王国側を裏切るつもりだったのだと分かった。でなければ、この場所を知る必要はないだろう。



「……お出ましかぁ」



 アルマーニの呟きに、ガルダも足を止めていた。

 大剣を肩に乗せ堂々と構えるガルダ。

 その少し後ろで、腰を屈ませ手斧を強く握り締める。



「……囲まれているようだな」



 微かな呻き声が前と後ろから聞こえる。細い通路を塞がれ、上手く対処しなければまともに連携を取ることすら難しい。


 精神を集中させる二人。

 同時に、ガルダの前から何かが牙を剥いて飛び掛かってきた。


 抉れた肉をこぼし、剥き出しの牙、片方しかない目玉。腐臭を口から漏らすゾンビ犬。実際はまだ生きているのかも知れないが、骨まで見えている真っ黒な犬をゾンビと言わずなんと呼ぶ。


 本能のままに襲い掛かる力は凄まじく、首根を噛み切ってやろうともがくが、ガルダの大剣がそれを弾き飛ばす。


 しかし、ゾンビ犬は全く怯まない。

 華麗に地面に着地すると同時に、再びガルダへ飛び付く。



「おっさん、頭潰さねぇと──うおっ!?」



 加勢しようと一歩前に出たアルマーニは、汚水から現れた新手に右腕を掴まれた。そのまま汚水へ引きずり込もうとするのを、すんでのところで耐えたアルマーニ。


 汚水から顔を出したのは、蜥蜴人だ。

 蛇の鱗を纏わせ、竜の顔と尾を持つ二足歩行の魔物。


 知能が高く、オークよりも強い。

 水陸どちらでも戦闘を得意としており、人が作り出した道具でも正しく使えると言われている。


 そんな蜥蜴人が好む場所は、清潔で豊かな自然が多い場所なのだ。王国により捕らえられ、ここに放たれたのだろう。



「チッ、厄介だなぁ!」



 アルマーニは舌を打ちながら、手斧で蜥蜴人の手首を叩き落とした。絶句する蜥蜴人は、緑の液体を手首から吹き出し、悶えながら汚水の中へと逃げていく。


 しかし、安心するのはまだ早かった。


 蜥蜴人の緑血が汚水の色を変えていく。

 それは瀕死や危険を知らせる合図であり、増援を呼んだということだ。



「おっさん逃げるぞ、来やがる!」


「むう、難儀だな……っ!」



 腕を掴んでいた蜥蜴人の手を汚水に捨て、アルマーニが先に走り出す。

 ガルダも対峙していたゾンビ犬を汚水に蹴り飛ばすと、冷静に奥まで進んでいく。


 汚水の色が緑に染まる方が早く「シュルルル」と、いう蛇のような鳴き声が至る所から聞こえてくる。数が多い。


 ゾンビ犬や蝙蝠も襲い掛かってくるが、二人は構うことなく突き進む。



「数分、時間稼ぎを頼めるか」


「この状況で時間稼ぎって、おっさん俺を殺す気だろ!?」


「蛆まみれの鉄扉を開ける勇気と度胸があるならば、私はむしろ開けてもらいたいのだが」


「よぉし分かった、いっちょ早めに頼むぜおっさん」



 あからさまに表情を歪めたアルマーニは、踵を返し手斧を構えた。


 ガルダの目の前に立ちふさがるのは、白く蠢く蛆がびっしりと埋め尽くした鉄扉。

 仕方なくガルダが取り出したのは、安酒と布、火打ち石だ。


 安酒の蓋を開け、中に布を押し込んでいく。アルコールが染み込む前に、布に火打ち石で着火させれば、即席の火炎瓶が完成──なのだが、そう簡単にはいかない。



「蜥蜴……何体いやがんだぁ」



 汚水から這い出てくる蜥蜴人。

 その数おおよそ十五体。

 さらにゾンビ犬も数匹走ってきており、アルマーニは斧槍に変形させて構える。


 一斉には襲い掛かって来ないため、対処しきれない訳ではないが、これが続けばいずれ追い詰められてしまう。


 武器を持たぬ魔物など殺すのは容易い。

 ゾンビ犬の奇襲に気をつけながら、蜥蜴人の動きに警戒し、アルマーニは斧槍を奮った。



 最初に飛び掛かってきたゾンビ犬を殴り飛ばし、後ろにいる蜥蜴人の腹を斧槍で突き刺す。

 勢いそのままに横薙ぎに振ると、別の蜥蜴人を巻き込んで汚水へと帰ってもらった。


 奥の蜥蜴人が舌を鋭くアルマーニの目を狙い伸ばしてくるが、しっかりと横に避け舌を斧槍で切断。

 

 攻撃を食らうことはないが、数が増え続ける以上戦い続けることは困難だった。



「まだかよ!」


「うむ、完成だ」



 脂汗を流すアルマーニの叫びと同時に、ガルダは苦笑して火炎瓶を投げつけた。


 鉄扉に当たり割れた酒瓶は辺りに飛び散り、先端を燃やしていた布の炎が一気に広がっていく。


 蛆から蛆へと引火していき、一瞬にして燃え広がっていく様は圧巻だ。



「シュルルル……」

「ウウウ、ワン! ワンワン!!」



 炎が怖いのは魔物も同様のようで、蜥蜴人やゾンビ犬が喚きながら後退りしていく。


 鉄扉に密集していた蛆は灰と化し、ハラハラと落ちていた。



「ふむ、間に合ったようだな」


「今回はきつかったぜぇ、そろそろ本気で死んじまいそうだ」



 襲って来ない魔物を一瞥し、ガルダは水を取り出しレザーグローブ越しに自らの手にかけていった。


 アルマーニは眉をひそめながらも苦笑する。だが、冷や汗やらが止まらないでいた。


 ガルダが熱された鉄扉を力任せに開き、アルマーニを先に行かせる。自らも奥へと進むと、鉄扉を足で蹴り飛ばし再び閉めた。


 王国側から鍵を掛けておき、安全を確認してからガルダはようやく息をついた。



「さて、王国に潜入成功だが……メインディッシュはここからだ。気を抜くな」



 まだ暗い状態だが、ガルダは携帯ランプを切ると布袋の中にしまう。

 目の前には梯子が上へと向かっており、どうやら王国のどこかに繋がっているようだ。


 ガルダの忠告を軽く聞き流しながら、アルマーニは斧槍を元に戻すと、大きく溜め息をついて頷いたのだった。




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