第7話 薄らいだ幸せの過去



 降り出した雨。

 時折、窓に大粒の雨が叩き付けるようにガタガタと鳴る。


 魔法書店の奥であるワイスの部屋は暗く、蝋燭の明かりですら灯していない。

 ベッドに横たわり眠るアルマーニを上から見据え、ワイスは小さなバケツを手に歩み寄った。


 

 一向に帰ってこないアルマーニを心配したワイスが、赤線地区へと様子見を兼ねて探しにきたところ、案の定ソルシェの部屋に彼はいたのだ。


 しかも、床一面を血に染めて倒れているアルマーニだけが居り、ソルシェの姿は見当たらない。


 自らベッドのシーツである程度止血をしていたようだが、それでも気を失い、息すらしていなかった。


 ワイスはそのまま死に物狂いでアルマーニを背負い連れ帰ったわけだが、それを見たシャーロットの反応は冷たかった。



「全く、ドジ踏んだニャ……。少しは役に立つかと思ったがニャ」



 シャーロットは溜め息と共に、それだけを言い残して帰ってしまった。

 マーヤは未だに見舞いすら来ていない。


 残されたワイスだけが、必死に看病していた。



「……君は本当に女運がないようだね」



 嫌味を言って苦笑してみるが、アルマーニからの反応は何もない。

 丸い木椅子を持ち、ワイスはアルマーニの横に置いて腰を下ろした。


 ショックが大きかったのか、それとも傷が深いせいか、一向に目を覚まさないアルマーニ。


 手を握るということはしないが、唯一の友人が目を覚まさない状況で、本を読む気にもならない。



「……君をここまで突き動かす彼女は、本当に君のことを好いているのかい?」



 いつも尋ねたかったことを、ワイスは呟く。答えが返ってこないと知っているからこそ、今口に出せる疑問。



「愛しているとはいえ、彼女はもう魔物と化しているかも知れない。それでも君は愛せるのかい?」



 アルマーニを刺したのは、ソルシェだと勘付いているワイス。

 ヘマをしたとしても、正面から腹部を一刺しされるほど、アルマーニは馬鹿ではない。


 抱き締めた時か、会った瞬間か。


 だからこそ、ワイスは何度も問い続けるのだ。いい加減に目を覚ませと。



「君が愛した彼女は、もういないかも知れないんだぞ。アル……!!」



 最後に大声を出してしまったワイスは、自分の行いを恥じ焦った。しかし、アルマーニはピクリとも動かない。


 何度も首を左右に振り、ワイスはアルマーニの額に濡らした布を当てゆっくりと立ち上がった。


 朝になれば回復していることだろう。

 そう言い聞かせて、ワイスは開けっ放しにした扉をくぐる。



「──俺が苦しめてたと思うかぁ、ワイス」



 不意にアルマーニの声が聞こえ、ワイスは驚き振り返った。


 いつから目覚めていたのだろうか。

 嬉しく思う反面、戸惑ってしまうワイス。



 急いで丸い木椅子に再び座るワイスは、まだ弱々しいアルマーニを見つめる。


 腕で額と目を覆い、表情は分からないが動いているのは間違いない。



「俺のせいでソルシェがずっと苦しんでたってか……刺してぇくらいに、か?」



 アルマーニの口から出た答えに、やはりとワイスは顔を曇らせる。


 二人の間に微妙な空気が漂う中、ようやく見舞いに訪れていたマーヤが、入ろうか迷いながら扉の手前に隠れて聞いていた。



「……七年くらい前か、俺は表協会の冒険者だったんだ」



 アルマーニが突然話し始め、ワイスは黙って聞く態勢に入った。入るタイミングを失ったマーヤも、そのまま黙って耳を傾ける。



「割と強くてよぉ、もうすぐ上級者クラス入りしてたんだぜ。そんな時だぁ、あいつに会ったのはよ」



 アルマーニは口元だけ緩ませ、続けた。



「あいつは駆け出しの冒険者でよ、俺は洞窟で助けてやったんだ。その時、まぁ一目惚れってやつさぁ」


「……君はその頃から変わらないんだね」


「ばーか、昔はもうちっとマシな装備でイケメンだったんだぜぇ?」



 時折ジョークを交えながら、アルマーニは苦笑して昔話を続ける。



「元気があって、胸もデカくてよぉ、腕はからきしだったがぁ家庭的で美人だった。俺はカッコつけたくてなぁ、パーティを組んで一緒にやってたんだ」



 聞き耳を立てていたマーヤが、胸に手を当てて鈍い痛みを押さえ込む。



「二年くらいの付き合いになった頃か、あいつの昇級試験で──洞窟の奥であいつとはぐれちまったんだ」



 笑みを浮かべていた口元が、強く唇を噛み締めていく。



「他の奴らも探してくれたんだがなぁ、見つけられなかった。それでも俺は探した……四日経って、ようやく見つけたんだ」



 淡々と話されていくアルマーニの過去に、ワイスとマーヤは息を飲んでいた。



「魔物の宝物庫って呼ばれる場所でなぁ、裸の女が腐るほどいた気がする。覚えてねぇ。そこであいつを──ソルシェを見つけた。……魔物のガキを産んでる最中のソルシェをよぉ」


「アル、もういい」



 嗚咽を漏らすアルマーニに対して、ワイスはようやく制止の言葉を掛けた。

 しかし、アルマーニは止まらない。



「俺は、そこにいた魔物を殺して殺して、いつの間にかソルシェを背負って外に出てた気がする」



 アルマーニの話を聞いたマーヤは、もしやと思い出した。オークが守っていた宝物庫。それを一人で漁っていたアルマーニ。

 

 どんな気持ちであそこにいたのだろうか? とても、正気を保ってなどいられないはずだ。



「……今もそうだが、孕み者になっちまった女は普通殺されちまう。だが、それを助けてくれる裏の奴らがいることを俺は知ってた。だから、お前の母親に頭下げに行ったんだぁ」


「……そうだったのか」



 アルマーニの言葉に納得したワイス。

 いや、本当ならばまだ聞きたいことがある。しかし、それをワイス自身から問う勇気がないということだけ。



「魔物の種子を出来るだけ取り除いて、その後に法外な金貨を要求されたさぁ。だが、それでソルシェが助かるならって、俺は何にも考えてなかった」



 微かに涙を流しながら、アルマーニは額の布で目を拭う。



「あいつは……何度も何度も、殺してくれって俺に頼んでた。負い目とか、屈辱感、家族にも会えない、友人にも言えない。一番見られたくない人に見られたからって──俺にはよぉ、分からなかったんだ」



 腹部を押さえ、涙で震える身体を押さえ込む。吐き気すらしてくる自分勝手さに気が付いて、それでも縋る自分が情けないと、アルマーニは強く強く拳を握り締める。


 同じく、ワイスも、マーヤも拳を強く握り、俯いてしまう。


 暫く沈黙するアルマーニの肩に手を添えるワイス。

 マーヤはこれ以上聞けないといったように、ソッと扉から離れ、気付かれぬように出て行く。



「なぁワイス、俺が悪いのかぁ? 殺す方がいいってかぁ? 好きな女がどんな姿になっちまっても、好きってことに変わりねぇんじゃねぇか。それは俺のエゴなのか……」



 布を払い、赤く充血したアルマーニの目が、ワイスを正面から見据える。

 ワイスは答えられない。大事なものもなく、恋をしたことすらないのだ。

 答えられるわけがない。


 

「どこから監視してんのか分かんねぇけどよぉ、王国は孕まされた女の権利を全部奪っちまう。けどよぉ、赤線は働けば金もくれる。風呂も飯もベッドも付いてる」


「……赤線地区は、母さんが唯一女性として生きていける場所をって考えたらしいから」


「女性として生きる場所……それも、最低だと思うけどなぁ」



 アルマーニとワイスは黙り込んだ。


 無理矢理起き上がるアルマーニは、熱くなった布を握り締め、少しずつ落ち着きを取り戻していく。


 聞けば聞くほど後悔してしまうワイスは、大きく深呼吸をしてから腕を組んだ。

 


「……今からでも助けられる、なんて希望はないだろう」


「魔法でなんとかならねぇのか……もうどうにも出来ねぇのか……?」



 根本的に結論を出したワイスに対して、アルマーニは再び弱腰で一瞥する。


 

「いや、この事件を王国が引き起こしているなら、手立てはあるのかも知れない。禁忌の魔法書がどれだけあるかなんて、僕には分からないけどね」



 ワイスは顎に指を当て、曖昧な答えを出す。怪訝そうに見つめ返すアルマーニだが、他に策もない。



「僕は君の悪友だ。相棒でもある。どうにか出来るならば、僕も出来うる限り協力するつもりだよ。たとえ母さんに刃向かうことになってもね」



 自信気に微笑むワイスの覚悟に対し、アルマーニは驚いた表情をした後、気が抜けたように笑みを漏らした。



「じゃあ有り難くお前に頼ることにするぜぇ。相棒よぉ」


「ああ、じゃあ手始めに傷を治さないとね。何か食べられそうかい?」


「おぅ、肉頼むわぁ」



 立ち上がるワイスに、いつもの調子に戻りつつあるアルマーニが手を軽く上げる。


 呆れるワイスだが、しかし嬉しそうに部屋から出て行った。


 急に静かになる部屋の中。

 閉め切られていないことが救いか、今にも溢れそうな涙を堪え、アルマーニは腹部を押さえてわざと痛みを感じる。


 滲み出す血が手を汚し、それを見てアルマーニは苦笑した。


 

「……今度こそ助けてやる……今度こそ」




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