第6話 ウソツキ



 再び舞い戻って、裏協会の客間。

 先程のメンバーが揃い、中央にいたシャーロットの尻尾が忙しなく左右に振られる。


 ソファには、アルマーニとワイス。

 その対面に包帯を巻いているマーヤが座っていた。


 雰囲気は最悪だ。

 苛立つアルマーニは、何度も頭を掻いて窓の方へ視線を向けている。



「ふぅ、まさかアタシの庭の敷地で魔物が暴れているとはニャ。小娘の話と関係あるのかは分からニャいが、事態が事態ニャ」



 悔しそうに舌を打つシャーロットは、溜め息混じりに煙を吹き出して、マーヤを一瞥した。



「ワイス、状況確認ニャ」


「分かってるよ」



 シャーロットが顎で指し、ワイスは黒服から資料を受け取りページを捲っていく。



「赤線地区で働いていた娼婦たちの半数が魔物化。三割は食い殺されていて、二割は何事もなく逃げられたみたいだけど……いつ魔物化するか分からないから」


「あの子たちには悪いが、事態が収まるまで監禁する必要があるニャ」



 ワイスの報告は胸糞悪いものだった。

 それに対してシャーロットの対応も、残酷過ぎるものだ。監禁して、魔物化すれば殺すのだろう。


 当たり前のことだが、アルマーニは納得出来ず不安を大きく膨らませていく。



「赤線地区は封鎖。貧困層も一応封鎖して、街に魔物が出ないように抑え込んでいるよ。救いなのは、魔物化した彼女たちが武器などに脅えて大人しくしてくれていることだね」



 ワイスはページを捲り終わり、最後の文章を読み上げた。



「原因は、不明」


「鼠じゃねぇのかよ」



 今まで一言も発さなかったアルマーニが、微動だにせず呟いた。

 マーヤが何か言いたげに顔を上げたが、また俯いてしまう。



「鼠の確認は出来ていニャい。原因を確定することは最優先ニャが、普通で考えれば種子が一斉に発芽した……そう考える方が無難ニャ」


「……くそっ!」



 シャーロットの言葉に、アルマーニは唇を噛み締め乱暴にソファを蹴りながら立ち上がった。


 そのまま何も言わず客間を出て行こうとするアルマーニに、ワイスが止めようとしたが、先に口を開いたのはシャーロットだった。



「どこに行くつもりだニャ。聞いていただろう、貧困層も赤線地区も封鎖している」


「俺は……ソルシェを探しに行くだけだ」



 制止も無駄に、アルマーニは静かに怒りを露わにして出て行った。


 煙と共に溜め息をついたシャーロットは、戸惑うマーヤを見据え判断を待つ。



「追い掛けるか留まるか、小娘の自由ニャ。止めはしニャいよ」



 先手を打たれたマーヤは、少しだけ浮かせた尻をソファに埋め、首を左右に振った。


 

「ふうん、小娘にしてはいい判断ニャ」



 シャーロットはカカカ、と笑いキセルを咥える。ワイスも心配しながら、追い掛けることは出来ずその場に留まる。


 状況確認と対策を話すワイスの声を、扉越しに聞き耳を立てていたアルマーニは、一発壁を殴りつけ急いで銀行を出た。



「……どこにいやがるんだぁ、くそ」



 赤線地区へと向かうため、アルマーニは貧困層へと走る。警備は万全で、中には裏協会の冒険者たちが見張りと討伐に駆り出されていた。


 人間であろうと魔物化すれば、容赦なく殺す。表協会の冒険者にはなかなか出来ぬ仕事だろう。悪党や小悪党にピッタリの仕事だ。


 アルマーニはレストランの裏手側から柵を乗り越え貧困層へ侵入すると、入り組んだ路字を走り赤線地区へ向かう。



「マジかよぉ。化け物だらけじゃねぇか」



 金属音や肉を断つ音が響き、アルマーニは赤線地区の入り口を一瞥して息を飲んだ。


 裏協会の冒険者と人型の魔物が戦っており、辺り一面血の海と化している。臭いも凄まじいもので、汗や血や腐臭がアルマーニの鼻腔を突く。



「てめぇら一旦退くぞ! このままじゃ全滅だ!」



 筆頭らしき男の声が響き、その後続々と足音が遠くへ逃げていく音が聞こえる。


 人型の魔物の奇声な鳴き声も響くなか、赤線地区の入り口から見張りがいなくなったことはチャンスだ。


 手斧しか持ち合わせていないアルマーニは、地面に倒れた二人の冒険者の死体へ近付き、身体を漁っていく。



「無駄にはしねぇよぉ」



 死んでいる冒険者から手に入れたのは、小物が入った布袋と、止血用の包帯。布袋の中には、手頃な小型ナイフと煙玉だ。撤退のために用意したものだろう。


 有り難く頂戴したアルマーニは、煙玉を赤線地区の入り口に投げ、鉄条網を乗り越えて侵入する。



「……いってぇ」



 鉄条網に引っかかり、腕や身体から微かに皮膚が破れ血が漏れ出す。こんな怪我に包帯など使っていられない。


 アルマーニはソルシェがいる部屋に向かうため、娼婦館へ目指す。いつもの木から侵入する方が早いが、木は燃えて灰のようになっていた。


 娼婦館の入り口を堂々と入り、辺りを警戒する。ここにいるのかすら怪しいが、他に行く所もないなら隠れているはずだ。



「ソルシェ……いるか……」



 小声で呼びかけてみるが、勿論返ってくることはない。

 中はぐちゃぐちゃだ。人型の魔物が暴れたのだろうか。絨毯に付着した血飛沫や、壊れたランプが安易に状況を想像させる。


 アルマーニは二階へと慎重に向かった。

 ソルシェの部屋は三つ目の扉。


 手斧は持たない。

 万が一飛びかかってきた時、ソルシェだった場合反射的に殺してしまわないように。


 

「ソルシェ……!」



 部屋の前に辿り着いたアルマーニは、半開きになっている扉のドアノブを握り、ゆっくりと奥へと開いていく。



「ウアアァ!!」


「ぐあっ……!?」



 勢いよく飛び出してきたのは、ソルシェではなく、人型の魔物であった。


 首に手を掛けられ、そのまま廊下へと押し戻されたアルマーニ。

 抵抗するものの、全く歯が立たない。

 柵が何とか支えてくれるが、ミシミシと音を立てている。



「ぐ、らあっ!」



 腰の手斧を抜き様に、人型の魔物の背中に斬りつけた。しかし、穴のせいか致命傷を与えられず、アルマーニは首を締められていく。


 もう声すら出せず、身体が痺れ感覚が麻痺していく最中、アルマーニは微かに何かを耳にした。



「コロ……ゥァ、コロシ……テ」



 自我が残っていたのか。

 アルマーニの首を締める力を微かに緩め、人型の魔物は正気を失った目から涙を溢れさせた。


 その瞬間、アルマーニは手斧を奮った。

 人型の魔物の頭に手斧をぶつけ、じわりと漏れる血が垂れていく。


 人型の魔物は人形のように事切れ、ゆっくりと後ろへ倒れていった。倒れた拍子に頭から血飛沫が溢れ出し、完全に動かなくなった。



「はぁ、はぁ……かは」



 解放された首を押さえ、アルマーニは深呼吸を繰り返す。手斧を回収するために腰を屈める。


 人型の魔物は血だらけの顔で、しかし安らかで幸せそうな表情を浮かべていた。



「……アル……?」


「!?」



 不意に、今一番聞きたかった声が部屋の奥から聞こえ、アルマーニは飛び込むように部屋の中に入った。


 荒れた部屋の中、ベランダに繋がるガラス戸にもたれ、身を縮め震えるソルシェの姿がそこにあった。



「アル、アルの声……」



 近付くアルマーニに対して、ソルシェは柔らかく微笑む。だが、その目は集点など合っておらず、アルマーニの方を見ていない。



「よかった、また、会いに来てくれたの、ね」



 肩で息をするソルシェの身体は黒く染まっている。顎辺りから股先まで染められた肌は、まだ柔らかい。


 アルマーニは彼女を強く抱き締め、胸から込み上げてくるものを必死に抑え込む。



「アル? また、泣いている、の?」



 ソルシェの声音は優しい。

 抱き締めるアルマーニの頭を、震える手でゆっくりゆっくり撫でる。


 発芽と呼ばれていた最悪の状況がいつ起こってもおかしくない。だが、まだ助けられるかも知れない。



「あのね、アル、聞いて」



 掠れた声で囁かれ、アルマーニは何も言わず黙って耳を傾ける。



「ワタシね、すごく幸せなの。もう、すぐ……アルと結婚して、子供がね、沢山いるの」



 想像か妄想か。

 ソルシェは嬉しそうに話す。


 アルマーニは静かに頷いた。



「ワタシ、魔物に犯されて、ずっと……指差されてきて、でも、アルは人として見てくれて──大好きなの」


「……あぁ、俺も好きだぁ」



 微笑みながら涙を流すソルシェを、アルマーニは諭すように伝える。


 だが、その言葉は届いていない。



「アルはすごくいい人で、ワタシなんかいらなくて、死んだら、どれだけ楽で……」


「おまえが居なけりゃあ俺はダメなんだぁ。な、ソルシェ」


「すごク強くて、優しくテ、ワタシのセいで……」


「ソルシェ!!」



 アルマーニはソルシェの肩を持ち揺さぶった。首を左右に振り、なるべく笑顔でソルシェと見つめ合う。



「ごめんなサい、ワタシ、もう疲れたノ」



 ソルシェの涙かこぼれ、アルマーニの腕に落ちては跳ねる。それでも彼女は笑顔だった。



「結婚も出来る、子供も沢山いてよぉ、金にも困らねぇ生活で、誰よりも幸せになろう。もうすぐ、もうすぐで返済も終わるからよぉ。そしたら──」


「……ウソツキ」



 強く強く抱き締めたアルマーニの耳元で囁かれたソルシェの声は、ソルシェの声ではなかった。


 刹那、急激に熱くなり始める腹部に違和感を覚え、アルマーニはソルシェの身体から離れる。


 腹部に視線を落とすと、赤いナイフが握られたソルシェの黒い手が見え、徐々に流れ出る血を目視した。



「……ゴメンナサイ、ゴメンナサイ……ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ」



 掠れた声から野太い声に変わったソルシェは、半狂乱になりながらアルマーニの唇に唇を重ねる。


 柔らかい感触と血の味が同時にアルマーニを襲い、失いそうな意識を必死に保ち続ける。


 フラフラと立ち上がり、ソルシェは部屋から出て行こうとした。

 アルマーニはもう声すら出せない。

 手斧を投げることくらい出来るかも知れない。


 だが、出来るわけがない。


 孕み者だとしても、娼婦だとしても、たとえどんな姿をしていても、唯一愛した女性なのだ。


 今さら魔物になったところで、それがどうしたというのだ? ソルシェに変わりない。



「ふぅ、ふぅ……ぁ」



 ベッドのシーツにしがみつき、そのまま転んで血を吐き出すアルマーニ。


 最後に見たものは、ソルシェの内股に印された薄い淫紋であった──。





 

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