第4話 黒い穴
怪しい天候の下。
アルマーニとマーヤは全力で走っていた。
ろくに準備もせず、王都銀行から赤線地区に直行していた。
「もしかして、貴方、はぁはぁ──ネズミを見たの!?」
息も絶え絶えに、マーヤはスピードを落とすことなく走る。途中に問い掛けをしてみたが、アルマーニから答えは返ってこない。
ただ地面を蹴り走る音と、多少の息遣いだけが聞こえる。
「もう……どうしていつも自分勝手なのよ!」
額から流れる玉のような汗を拭い、マーヤは一人で怒る。それでもアルマーニが足を止めることはない。
彼が足を止めたのは、赤線地区に入る手前の貧困層の途中だった。
「おいアルマーニ! ヤベェぞ!!」
「なんだぁ酒好きジジイじゃねぇか! どうでもいい話ならぶっ飛ばすぜ。俺ぁ今急いでんだ!」
ホームレスをしている小汚い酒好きジジイが、必死なアルマーニの前に立ちはだかったのだ。
怒りを露わにするアルマーニの後ろ、ようやく追い付いたマーヤは大きく深呼吸をして首を押さえる。
「どうでもいい訳ねぇだろ! ここに化け物がいんだよ! 腐ってもあんた冒険者だろ!? どうにかしてくれぇ!!」
「はぁ? 化け物? ジジイ酒の飲みすぎでついに頭までイっちまったか──」
酒好きジジイが目を見開いて赤線地区の方を指差す。対してアルマーニは鼻で笑ったが、まさにその時だった。
「きゃあぁぁぁっ!!?」
つんざくような悲鳴が聞こえ、アルマーニとマーヤはハッとして声の方に視線を向けた。
「ほらアレだよアレ! あんた強ぇだろ?! 後は任せたぜ!!」
酒好きジジイはそう言うと、一人で奥の方へと逃げていってしまった。
残された二人は、悲鳴と共にやってくる二つの影に身構える。
一つの影は女性だ。
ピンクのワンピース姿で、至る所から血を流しながら逃げてくる女性。
その後ろから襲いかかってくる異形の化け物が、果物ナイフを片手に走ってきていた。
金の長い髪を振り乱し、黒い服を着た女と思わしき奴は、筋肉質な身体を晒している。端から見れば魔物か人か見分けがつかない程だ。
「魔物……? いえ、人にも見えるわ」
マーヤは首を傾げ、訝しげに剣を抜く。
人型の魔物は、アルマーニとマーヤの姿を確認すると、何度も頭を振り乱し果物ナイフを地面に捨てた。
そのままワンピースの女性すら諦め、来た道を走り戻っていく。
周りにいた通行人が怯えながら逃げ惑い、人型の魔物を指差して悲鳴を上げる。
「大丈夫ですか」
ワンピース姿の女性が崩れるように地面に転がり、マーヤは急いで駆け寄る。
アルマーニは舌を打ち、逃げた人型の魔物を追い掛けていく。
「どこへ行くの!?」
「ばぁか、追うに決まってんだろ」
「一人じゃ危険──ってもう!」
マーヤの忠告も無視し、アルマーニは走り去っていく。溜め息をつくマーヤは、ワンピース姿の女性を近場の人間に押し付け走り出す。
赤線地区の入り口はもぬけの殻状態で、娼婦たちは見当たらない。活気のある話し声などは聞こえず、化け物と思わしき奇声が微かに聞こえてくる。
無事避難していれば良いが、万が一ということもある。
アルマーニは辺りを確認しながら、人型の魔物にスリンガーを向けた。
「チッ、動くんじゃねぇよ!」
猛スピードで路地に逃げ込む人型の魔物。標準を合わせようにも、すぐに角を曲がってしまいスリンガーを発射出来ない。
ようやく追い付いたマーヤは静かに肩で呼吸しながら、アルマーニを一瞥する。
「メロン女、挟み打ちだ。回れ」
「全く、いっつもいっつも……」
アルマーニが手を振り、愚痴を零しつつマーヤはそれに従う。路地を走る人型の魔物を捉え、左右に回り込む二人。
「ァ……ア」
「もう逃げられないわよ」
髪を振り乱し右へ曲がろうとした人型の魔物をマーヤが突き飛ばし、剣先を向けて行く手を阻む。
振り返る人型の魔物。
遅れてアルマーニが到着し、見事に挟み撃ちが成功したようだった。手に手斧を持ち、人型の魔物を牽制する。
逃げ場はない。
「くっそ、走り詰めで疲れちまったぜぇ。さっさと殺して終わりに──」
「アアァァァア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」
アルマーニが苦笑して近付こうとした瞬間、突然に人型の魔物が奇声を上げた。
鼓膜が破れるのではないかと思うほどの叫び。
アルマーニは驚き竦み、マーヤは腕で耳を塞ぐ。
「な、なにっ!?」
戸惑うマーヤに対して、誰も答えてはくれない。
「くそ!」
頭を押さえながらもアルマーニは地を蹴った。
人型の魔物に単身突っ込み、アルマーニは手斧を振り上げる。人型の魔物は奇声を発したまま抵抗することなく、易々と首を跳ねられて終わった。
ポトン、と頭が地面に転がり、噴水のように血を噴き出して胴体も力無く倒れ込む。
顔は絶望の表情で転がり、マーヤの足にぶつかるとそのまま停止した。
奇声から解き放たれたマーヤは、しかし足元の頭に「ひっ」と、小さな悲鳴をあげて後退る。
「こいつぁ、本当に魔物か……。ゾンビ──でもねぇかぁ」
狭い路地一体が血の臭いで満たされるなか、アルマーニは冷静に頭と胴体を交互に見つめ、その場にしゃがみ込んだ。
マーヤは一人なにやら考え事をしており、首を何度も左右に振る。
アルマーニは人型の魔物に手を摺り合わせていた。それを見たマーヤが呆れて肩を竦める。
「……化け物まで漁るの?」
「あー漁るんじゃねぇよぉ。情報収集ってやつだぁ」
「物は言いようね」
それ以上は何も言わず、マーヤはアルマーニの行動を横目で見ながら剣を鞘に収め、腕を組んだ。
そして、アルマーニの一言に再び驚かされた。
「こいつ……本当に人間じゃねぇのかぁ」
「え、どういうこと……!?」
息を飲むアルマーニに、マーヤはすぐに駆け寄る。
手を血に染めて漁るアルマーニ。
人型の魔物を見ると、服と思われていた黒い部分は肌のようで、その身体の一部は肌色だ。
ゾンビならば、内臓まで腐っており肌は苔色に染まるか群青色だ。そして何より、肌が温かい。
蜥蜴人ならば肌は鱗に包まれているはず。二本足で立つ魔物はそういない。
つまり、それはまるで人間のような──。
「人が、化け物になっているということ?」
「それだけじゃねぇ。見ろ」
マーヤの疑問に、アルマーニが答えを見せるように人型の魔物の髪を纏めて上へと持ち上げた。
晒された人型の魔物の胸元を見たマーヤは驚愕した。
「あ、穴……穴開いてる……?」
衝撃を受けるマーヤは口元に手を当て、胃の底から上がってくるものを必死に堪えた。
人型の魔物の胸には、拳ほどの穴が開いており、身体の中まで真っ黒に染められている。
血のドス黒さではない。
ペンキや絵の具をぶちまけたような色だ。皮膚も黒くなり、胸元から股先まで染められている。
あるはずの臓器は一つもなく、当然ながら心臓もない。ならばどうやって動いていたのか? 新種のゾンビだとでもいうのか。
「──アルマーニ! 後ろ!」
考察するアルマーニの腕を勢いよく引き、マーヤは素早く剣を引き抜いた。
転がりながらも体制を立て直したアルマーニが見たものは、髪色が違う人型の魔物だ。
青色の短い髪を掻き毟り、片手に大きめの石を携えて呻き声をあげている。
当然ながら、その人型の魔物も拳ほどの穴が開いていた。
マーヤは一瞬躊躇いながら、人型の魔物に剣を奮う。軽く腹を斬りつけられ、血を流し酷く狼狽えながらも、人型の魔物は逃げようと背中を向けた。
「なんなんだぁこいつらはよぉ!」
アルマーニが悪態をつき、スリンガーにセットしていたナイフを発射させた。
咄嗟に避けたマーヤは怒りを露わにしようとしたが、弾かれたような小さな金属音が響き口を閉じる。
「……誰」
不信感を露わにして、マーヤが剣を構える。落ちたナイフの先に現れた黒い人影に、深いしわを作り眉を寄せた。
「……ふむ。まさか本当に貴殿が来るとはな」
聞き覚えのある渋い声音。
目立つ紫の髪。携えた大剣。
その姿が小さな光に当たり現した。
「……おっさん、何してんだぁ」
疑問ではなく、疑心を向けるアルマーニ。黒い人影──ガルダが大剣を地面に擦りながら鼻で笑った。
「さて、何をするかは貴殿たちの判断次第で変わってくるであろうな」
口元を緩めたガルダ。
だが、その目は狂気に満ちている。
マーヤが狼狽え剣先を揺らすが、アルマーニは殺り合う気つもりだ。
腰を低く構え、殺気に満ちた表情でガルダを睨みつけている。
その間に、人型の魔物はよろめきながらも奥へと逃げていってしまった。
それを確認した上で、ガルダは大剣を持ち上げしっかりと構える。
「……ふむ。死ぬか、逃げるか。貴殿らが選ぶと良い。私は……どちらでも構わん」
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