間章
あなたの笑顔
アルが彼女をワタシの部屋に連れてきてから、もう三日くらい経った。
良い稼ぎが出来る依頼だったみたいだけど、無事なのかしら。心配もあって、アルの顔が見たいのもあって、ワタシは今裏協会の魔法書店の前にいた。
軽い扉を開けて、カランと音を立てて店内に入る。
「やあ、ソルシェじゃないか。珍しいね、君から会いに来るなんて」
「ワイスさんこんにちは。その、会ってお話がしたいと思って……」
「そうか。会わせてあげたいのは山々だけど、あいつが今どこにいるのか僕にも分からなくてね」
ワイスさんが肩を竦めて、ワタシをカウンター奥へと手で誘導してくれる。
きっと紅茶を淹れてくれるけれど、ワタシは首を左右に振って拒否を示す。
「残念」と、一言呟きワイスさんは椅子に腰掛けてしまう。
深々と頭を下げて、ワタシは魔法書店を出る。
貧困層には、ガラの悪い人が多い。
薄いワンピースしか着ていないワタシを見て、ニヤニヤ笑う気味の悪い男と目が合ってしまう。
ワタシは目を逸らして早々と路地を駆け抜けた。
「食事場かしら……猫さんがいる所かしら」
ワタシは路地から出ずに悩む。
食事場は王国の協会に近くて、猫さんがいる銀行はここから歩いても遠い。
休憩中の隙をお願いしてママに頼んだから、休憩が終わるまでには帰らないと怒られてしまう。
ママは怖い。あまりにも遅いと、食事を抜きにされてしまうから、諦めるしかない。
「会いに来てくれないかしら……」
何故こんなにも会いたいのか。
ワタシ自身にも分からない。
アルのことだから、またご飯食べに来たり逃げてきたり、不意に会いに来てくれるものね。
一人で納得したワタシは、路地から大通りに出ることなく後ろに下がろうとして、気付いてしまった。
アルだ。食事場方面から大通りに出て来たアルマーニ。隣には、前に連れてきた赤髪の女性がいた。
「っくよぉ、何で俺がメロン女の分まで……」
「まだ言ってるのね。そんなに食べてないじゃない」
軽い睨み合いをする二人。
けれど、険悪というわけじゃないみたいで、軽口を叩き合っている。
声を掛けようか、お邪魔になるかしら。
そう迷いながら少しずつ近付き、アルを呼び掛けようとした時、
「しゃあねぇ、晩酌はまた今度だなぁ」
「まだその一方的な約束残ってたのね」
「当たりめぇじゃねぇか。俺がどれだけ助けてやったと思ってんだぁ。なんなら少しくらい揉ませてくれても──」
「……やっぱり変態っ!」
二人が仲良さげに話しながら、ゆっくりと動き出した。
「あ、アル──」
少し遅れて声を掛けたワタシ。
けれど、アルがワタシのことを見てくれることはなかった。
二人は談笑しながら、ワタシを通り過ぎて歩いていく。
ズキ、と胸に鋭い痛みが走った。
苦しくて、もう一度声を掛けようとしたけれど、止めた。
あんなに楽しそうに笑っているアルを見たのは、すごく久し振りだったから。
「そうだよ、ね。ワタシのせいですもの、ね」
彼の背中が、とても遠く感じた。
あの女性を恨むのはお門違いだ。
悪いのはワタシであって、あの女性はとても良い人だから。
「アルには、笑っていてほしいもの。でも──」
自分を納得させるために、言葉にして頷いてみる。だけど、そこから声に出して言えなかった。
それ以上言ってしまったら、胸から何かが込み上げてきて、涙が溢れそうになるから。
振られたわけでもない。
自分が好きな人が、自分らしく笑っていた。一番良いはずの姿を見ただけなのに……悔しくて、悲しくて堪らない。
「嫌な女ね。ううん、もう、女でもない……かな」
魔物に孕まされた女は、女として、人としての価値なんてない。ただの化け物なんだ。ただの化け物になったワタシに、あんな風に接してくれるアルは、とても優しい人だ。
涙を拭い、ワタシは赤線地区へ戻ることにした。
酷く胸が痛む。
動悸が激しい。
きっと仕事をして寝てしまえば、治るはずね。
「またね、アル」
ワタシは遠くなった彼の姿に、小さく手を振った。
また普通に会えるから。
その時まで頑張ろう。
「そうね、買い物でもしましょう」
今度来てくれた時のために、彼の好きなものを作ってあげよう。市場はまだここから近い。買い物くらいなら、許してくれるはず。
少しでも忘れるために、ワタシは微笑んで市場へ歩いていった。少しでも痛みを和らげるために笑った──。
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