第16話 されどゴブリンは傲る(前編)



 アルマーニが見たのは、魔物がいるとは思えない面白い光景であった。


 割と手狭な洞窟の中。

 汚れや血など無縁のようで、武装して待機していたゴブリン共は綺麗だった。


 しかし、これはアルマーニとマーヤが見えている光景であって、フィズには暗闇で何も見えていない。



「シュゥゥゥ」


「ゲハハ」


「グギャアッ!」



 玉座に並ぶ騎士さながら、武装している強者の風格を見せるゴブリンと、部下と思われるゴブリン共が、嘲笑うようにアルマーニたちを出迎える。


 そして中央、女体や骸で作り上げた雑で悪趣味な玉座に、腰を下ろしている黒ローブのゴブリンが口元を歪めた。


 奴の手元には、青い魔術書が抱えられている。



「はぁーん、やっぱ数揃えてやがんなぁ」



 手斧を肩に乗せ、アルマーニは顔を歪め鼻で笑った。

 この異様な光景に、マーヤは眉をひそめながらも戦う意志を見せ、生唾を飲み込んでいる。

 フィズも流石にこの暗闇では不安気だ。


 マーヤを守るために先頭に立ってはいるが、戦いが始まれば守っている暇などないだろう。



「ココマデキタカ……人間風情ニシテハ誉メテヤロウ」


「うわぁ人間みたいに喋るね、悪役満点の台詞だね~」



 オークよりも饒舌に話す黒ローブのゴブリンに対し、フィズは肩を竦めて子供らしく笑ってみせる。

 

 共通語を取得したゴブリンということは、それだけ生き延びた魔物ということだろう。オークと違いゴブリンは馬鹿だ。

 馬鹿なゴブリンがこれだけ話すということは──人間でいう賢者に進化したといえば分かりやすい。



「良イ女ヲ連レテキタノダナ、苗床ハイクラデモイルカラナァ!!」



 魔術書を片手に部下へ指示を出す黒ローブのゴブリンに、アルマーニは腰を屈め臨戦態勢に入った。



「来るぜぇ、死にそうになったらおっさんの所まで走れ! あとは作戦通りだぁ!」


「分かったわ!」


「よーし行くぞ~!」



 アルマーニの言葉に、二人は一気に走り始めた。狙いは、オークを操る魔術書だ。


 マーヤが剣を一振りして、警戒しながらゴブリン共の間を抜けていく。

 標的がマーヤに集まったと同時に、併走していたフィズがゴブリン共の顔面を殴りつけたのだ。




「ギャギャガ!!」


「ウギャアオワッ!?」



 フィズのパンチ一発で吹っ飛んだ仲間に驚くゴブリン共は、マーヤを諦めて少年を囲もうと飛びかかり始めた。


 それを分散させようと、アルマーニは後ろから手斧でゴブリン共の頭をかち割っていく。


 しかし、一匹や二匹を殺したところでゴブリン共は止まらない。



「閉じろぉ!!」



 アルマーニが叫びながら、雑嚢から取り出したものを空中に投げた。

 何を閉じろというのか、黒ローブのゴブリンは歯軋りをして構えるが、意味はなかった。


 空中に放られたのは、眩虫だ。

 天井にコツンと当たり、眩虫は力無く落下していく。そして、ゴブリンの頭に弾かれた瞬間、辺り一面に閃光が走り抜けた。



「グギャァァッ!!?」



 突然の閃光に目をやられたゴブリン共が一斉に悲鳴をあげる。日に当たらない洞窟の中で過ごしてきたゴブリンにとって、これほどの閃光を食らえば暫く戦うことはままならない。


 それは進化した黒ローブのゴブリンであっても、同じことだ。



「ヌゥオォォ……ッ!? ナンダ、コノ光ハ!?」



 混乱する黒ローブのゴブリン。

 黒ローブで目を遮っていたとしても、この閃光を目の前に為すすべない。

 

 そして、手に持っていた魔術書ががら空きの今、マーヤにとって最大のチャンスだ。



「あと三秒ってとこかぁ……!」



 アルマーニは辛うじて薄ら目を開き雑嚢を漁り手に取ったのは、白い紐で封された魔法の巻物だった。


 目を閉じたままでも、武術に長けたフィズは楽しげに混乱するゴブリンを殴り、蹴り飛ばしていく。


 余裕を持った状況で全力疾走するマーヤに対して、アルマーニは巻物を一気に開いた。



『温もりはやがて強さとなりて、彼の者を御守りせん──』



 どこからともなく聞こえてくる女性の声音が優しく、柔らかくマーヤの身体を包み込んでいく。それは薄い膜となり、仄かな橙の光が彼女に宿る。


 共通語で『加護』と呼ばれる魔法だ。

 対象者の一人をあらゆる攻撃から守るというものだが、それはたった一度だけのこと。


 一度食らえば膜は剥がれ落ち、魔法の効力は終わる。その前に、ケリを付けるのだ。



「グッ! 人間風情ガ生意気ナァァッ!!」



 閃光が次第に収縮していく中、被害が少ない黒ローブのゴブリンが魔術書を開いた。



「させないっ……!」



 マーヤは走り続けながら、黒ローブのゴブリンを睨み付けた。

 少しばかり段差があり、そこには部下のゴブリン共が頭を抱えている。


 丁度良い踏み台だ。

 

 マーヤはゴブリンの頭を踏みつけ飛んだ。グニャリと気持ち悪い感触が革ブーツ越しに伝わり、思わず顔を歪めてしまう。



「届いて……っ!!」



 飛躍と共に剣を突き出したマーヤ。

 黒ローブのゴブリンは「ヒッ」と、小さく悲鳴を漏らし、魔術書を盾にしてしまう。



「よーし行っけえお姉さん!!」



 拳を頭上に掲げ、勝ちを確信したフィズの横で、アルマーニは目を見開いて一人駆け出した。


 心臓の鼓動が大きく鳴った。

 邪魔なゴブリン共を掻き分け、手斧をぶつけ払いながら走るアルマーニ。



「無理だマーヤ! 下がれぇ!!」



 アルマーニが枯れるほど大声で制止した。届かない手を伸ばし、止まらないマーヤを助けようと走る。


 その時だ。

 黒ローブのゴブリンは、口が裂けるほど大きく歪めた姿を……。



「え……」



 名前を呼ばれたことに驚いたマーヤは、しかしもう黒ローブのゴブリンと対峙していた。


 剣が勢いよく魔術書を貫いた時、黒ローブのゴブリンが「ヒャヒャヒャッ」と笑ったのだ。


 剣は黒ローブのゴブリンに届かず、刹那、混乱していたはずのゴブリン共が一斉に動き出した。



「嘘っ!?」



 油断していたフィズが数匹のゴブリンにのし掛かられ、デジャヴのような結果に悔しがる。


 宙に浮いていたマーヤは何匹ものゴブリンに足を掴まれ、一瞬にして地面に叩きつけられた。

 『加護』により痛みはないが、その後の攻撃は防ぐことが出来ない。頭を殴られたことにより、額から血が流れてしまう。


 奇跡的に難を逃れたアルマーニは、変形させた斧槍を死に物狂いで振り回し、囲もうとするゴブリン共の首を刎ねていく。



「フハハハハ!! 無様ダナ人間! 人間の攻略ナド容易イモノヨォ!!」



 黒ローブのゴブリンは青い魔術書を捨て、懐から赤い魔術書を取り出した。


 口からも血を吐き出すマーヤの髪を掴み、背中を向けさせながら無理矢理立たせると、黒ローブのゴブリンは長い舌で彼女の首筋から頬まで舐める。



「くっ、ぐっ……!!」



 舐められた嫌悪感よりも怒りが増したマーヤは、黒ローブのゴブリンを殴ろうと腕を振り上げるが、他のゴブリンに遮られ蹴られてしまう。



「ああもう! おじさん助けてよ~!」



 フィズも必死に抵抗するが、ゴブリンは笑いながら少年の背中や腹を蹴り飛ばす。



「我ラガ人間ニ劣ルト? 笑ワセルナ」



 マーヤの髪を強く引っ張り、黒ローブのゴブリンはアルマーニを一瞥して笑う。

 同時に手が空いているゴブリン共は歓喜の雄叫びを上げていた。


 アルマーニは奴らを睨みながら、黙々と武器を奮い続ける。返り血を浴び、飛んできたゴブリンの頭を手で弾きながら、何も言葉を発しない。絶望しようともしない。


 時折「ンギャ」や「ギャバヤッ」と、断末魔をあげて死んでいくゴブリンの仲間を見て、黒ローブのゴブリンが歯軋りをし、大きく息を吸い込んだ。



「コノ女ガ死ンデモイイノカァァァッ!!!」



 洞窟内にこだまする怒声。


 瞬間、ピタリとアルマーニは動きを止めた。

 対して、ニヤリと牙を見せて笑う黒ローブのゴブリン。



「止まらないで! もう、貴方しかっ……」




 痛みを堪えながら声を振り絞るマーヤに対し、アルマーニは顔色一つ変えず黒ローブのゴブリンに向き直った。



「……ハハ、ソウダ。人間ハ我ニ従エバイイ」



 黒ローブのゴブリンは随分と上機嫌だ。

 魔術書を持つ手を上げ合図を送ると、武装したゴブリン共がアルマーニを囲んでいく。



「人間も魔物もやることは変わらねぇなぁ。本物の悪党のやり方だぜ」



 肩を竦めて呆れるアルマーニ。

 どう足掻いても勝ち目がない状況。


 人間は人質を取られると弱くなる。

 それがその者にとって大事な人や物ならば、尚更手が出せなくなる。

 人間は馬鹿だ。それを奴らは知っていた。それだけのこと。



 だが、アルマーニは余裕の表情で斧槍を地面に突き立てた。



「……貴様、ナンダソノ目ハ」



 未だ瞳に希望の火を灯すアルマーニを、黒ローブのゴブリンは忌々しく思いながら睨み付けた。


 この状況を打破するための策があると?

 馬鹿な、そんな策がどこにあると。



「ナブリ殺セ、逆ラウ人間ニ……用ナドナイ!!」



 黒ローブのゴブリンが凄まじい怒声と共に、ゴブリン共が一斉にアルマーニへと襲い掛かる。


 瞬間、アルマーニは笑った。


 全部で数十匹のゴブリンの攻撃を、後ろに下がりながら避け斧槍を後ろへ振り回す。


 革鎧を装備したゴブリンに斧槍を弾かれながらも、背後にいた奴は大きく怯んだ。

 そのまま攻撃へ転じるため、装着していたスリンガーナイフを発射した。



「貴様ァ、コノ女ヲ殺シテモ──」


「あぁ、殺せばいい。殺さないでくれと俺がいつ懇願したぁ?」



 黒ローブのゴブリンの言葉を遮り、アルマーニがニヒル笑みを見せた。

 その笑みにゾクリと背筋を震わせた黒ローブのゴブリンは、困惑しながら息を飲む。


 同時に、持っていた魔術書が途端に吹っ飛び宙に浮いたのだ。何が起きたのかと驚く黒ローブのゴブリンが見たのは、アルマーニが発射したスリンガーナイフ。


 

「マサカ、アノ一瞬デ──ッ!」



 ギリギリと歯軋りをする黒ローブのゴブリンに対し、アルマーニはニヒル笑みのまま後ろに下がると、斧槍を両手でしっかりと握り締めた。 



「あぁ悪ぃなぁ。殺せるもんなら殺してみな。その女はなぁ、もう簡単には死なねぇタマになってるからな」


「ナ、二……ッ!?」



 地面に落ちた魔術書を見ながら、アルマーニの言葉で絶望する黒ローブのゴブリン。


 刹那、今まで耐えていたマーヤが、奴の顔面に肘打ちを決めたのだ。



「グガアッ!!?」



 突然の不意打ちに、情けない声を漏らした黒ローブのゴブリンは、鼻血を噴き出しながら後ろへと倒れ込む。


 解放されたマーヤは、髪を振り乱し身体を反転させ、迷うことなく剣を奮う。

 焦り困惑する周りのゴブリン共の首や頭を狙い、騎士の剣技を披露するマーヤの実力は、素晴らしいものだった。



「ウガァァァッ!! グオアァッ!!」



 その直後、手狭な洞窟に無理矢理突撃してきたオークたちの登場により、その場にいたゴブリン共が恐怖で逃げ出していくのだ。


 轟音が響き渡り、地震にも匹敵する揺れが全員に襲い掛かる。



「うおっ!? ここでオークも来るの!? やだよ死にたくないよ~!」



 驚きながらものし掛かっていたゴブリンを蹴り飛ばし、フィズはお腹を押さえながら必死にアルマーニの下まで歩み寄る。



「いや、大丈夫だ」



 そう言い切ったアルマーニに、フィズが眉をひそめて肩で呼吸して状況をよく見ていた。



「ふむ、ようやく魔術書を潰したようだな。私もそろそろ迎えが来るのではないかと内心ヒヤヒヤしたものだ」



 雄叫びを上げるオークの後ろから、こちらも相当ボロボロの状態でガルダが腕を組み現れたのだ。


 その姿は羊飼いならぬ、オーク飼いのようで、マーヤは安堵しながらフッと笑みを漏らす。



「クソ……何処ヘ行ク! 同胞ヨ! 奴等ヲ殺スノダ!!」



 潰れた魔術書を大切そうに抱え、黒ローブのゴブリンは屁っ放り腰で声を張り上げた。



「さぁ、行くぜぇ。踏ん張れよぉお前らぁ!」



 舞台は整った。

 

 アルマーニの言葉により、マーヤを始めフィズとガルダ、数体いるオークが一斉に動きだしたのだった。




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