第14話 片想い未満



 ああ、本当に私はなんて役立たずなんだろう。

 助けてもらってばかりで、迷惑ばかり掛けて、なんだかデジャヴのようだ。


 最初は確かに慢心していた。

 それは分かっている。嫌でも思い知らされた。だから、彼らに従うように動こうと決めていたのに──。



「結局、私は守られることで終わるのか……」


「アギャギャ、フシュゥゥウ」



 引き摺りながらマーヤの絶望を嘲笑うかのように、ゴブリンの下品な笑い声を発した。


 生暖かい吐息が耳の中を犯し、涎が髪に垂れ、耳たぶに滴り落ちてきた。

 不快、という以上の言葉が出てこない。



「くっ! やめ、ろ! なんで!!」


「……ギャ」



 暴れるマーヤに、今まで上機嫌だったゴブリンの顔が歪んだ。そして、小さく鳴いたと同時にマーヤの顔を殴りつけた。


 強姦する手段において、女は殴れば逆らえなくなると、ゴブリンはどこで覚えたのだろうか。


 騒ぐ度に顔を殴り、時には頭を木の棒で殴ることもあった。ゴブリンにとって、身体に傷が付かなければ問題ない。最悪死んだ時は上質な餌となる。子供に食わせられる。



「う、っく……!」



 ひとしきり殴られた後、マーヤは再び引き摺られていく。髪を掴まれ背中を引き摺られる度に微かに血が流れ出る。


 しかし、反抗する気だけはまだ残っていた。未だ握り締めている剣を一瞥し、マーヤは力を振り絞って腕を上げた。


 だが、普通の剣の長さでは奮うことすらままならなかった。如何せん、この枝道の穴は狭すぎる。


 洞窟の土壁に当たり、ゴブリンは首を傾げてニヤリと笑った。



「お姉さん!」



 微かに枝道の入口からフィズの叫び声が聞こえ、マーヤはハッと我に返った。



「ゴファッ!?」



 ゴブリンは驚き、マーヤの髪から手を離した。臨戦態勢に入るのかと思いきや、そのまま尻尾を巻いて逃げていったのだ。


 ようやく解放されぐったりとするマーヤに、追いついたフィズが心配そうにしゃがみ込む。



「お姉さん大丈夫? 鼻血出てる……」


「大丈夫、ちょっと殴られただけだから……ありがとう」



 肩を持って抱き起こしてくれるフィズに、マーヤはか細い声音で頷き、頭を下げて謝罪する。



「おい、おい! 大丈夫か!?」



 遠くの方でアルマーニの声も響き、マーヤは胸を痛めた。


 また何か言われるのではないかと、役立たず、迷惑掛けるな、そう言われるのではないかと、不安と申し訳なさが一気にマーヤを襲い始める。


 狭いせいでしゃがみながらではないと進めないようで、アルマーニは舌を打ちながらもようやく二人と合流した。



「ほんっとうに、お前は……はぁ」



 深い溜め息をついて、アルマーニは駆け寄り呼吸を整える。



「殴られたみたい。おじさん薬ある?」


「おぅおぅ、派手にやられてんなぁ。ぶっかけるくらいしか出来ねぇぞ」



 フィズの問いに、アルマーニは彼女の様子を見て頬を掻き、雑嚢を漁り始める。

 回復する為のポーションや魔法は貴重で、こんなところで使うのは勿体ない。


 そのため、アルマーニが取り出したのは気付け薬と称した酒だった。



「え、お酒かけるの? おじさんそんな趣味してる暇ないよ~」


「バッカ、マセガキ。酒は万能薬なんだよぉ。軽く飲めば活力剤の代わりにはなんだろぅ」



 引き気味のフィズの頭を叩き、マーヤの口に酒を突っ込んだ。

 突然口に止め処ない液体が流れ込んできたことに、マーヤは驚きむせかえりながら飛び起きた。



「がはっ! な、なにするのよ!?」


「ほれ、起きただろぉ?」


「おじさんのやり方酷くない? 起きたけどさあ」



 顔を真っ赤に染めて怒るマーヤに、アルマーニはしてやったり顔で自慢気に頷く。

 フィズは肩を竦めて呆れ顔だ。



「ンギャ! ガギャバ!」



 ほんの少し柔らかくなった雰囲気をぶち壊しに来たゴブリン共の声が、枝道の中で響き渡り、三人は奥に視線を向ける。



「おじさん、ボクが戦おうか? それともお姉さんと逃げるべき?」



 真剣な眼差しでアルマーニに二択を提案するフィズの判断は、確かに正しい。


 マーヤは起き上がったとはいえ衰弱している。殴られたというのもあるだろうが、それよりも精神的な問題か。


 しかし、アルマーニの決断は意外なものだった。



「何言ってんだぁ。全員で逃げんだよ。俺が引きつけておいてやるから、先に行け」



 ギャーギャー騒ぐゴブリンの声が徐々に増えてくるなか、アルマーニは残った酒を奥に投げつけた。後に、ガラスの壊れる音が聞こえてくる。


 不安気にフィズが眉をひそめたが、アルマーニの次の行動を察したのか、溜め息をついた。



「……いけるか?」


「逃げるくらい、自分の足で逃げるわ」


「ならいい。今度はちゃんと逃げろよぉ」



 嫌味もそこそこに、しっかりと手を差し伸べるアルマーニ。だが、自信を完全に失っているマーヤは、何も反論しない。手を取ることさえしない。


 アルマーニは大きな溜め息をつくと、膝を地面に突いてマーヤの頭に手を置いた。



「自信を持て。過剰な自信は身を滅ぼすがなぁ、全く自信がねぇと今度は戦えねぇ。お前は極端なんだよ」


「それは、貴方が、強いから言えるのよ……」



 アルマーニの言葉は、マーヤの胸に強く刺さった。だが、首を左右に振って否定してしまう。


 フィズは腰に手を当てて、奥からやってくるゴブリンに気を張っている。



「……ガキんちょ、先に行っておっさんに加勢してやってくれ」


「お姉さんとイチャイチャしたいってこと?」


「んーまぁそういうことにしておいてくれ」



 ジト目で肩を竦めるフィズは、苦笑いするアルマーニに指を差した。



「……お姉さんはボクの未来のお嫁さんだからね。そこだけはちゃんとよろしく!」



 フィズは胸に手を当て、騎士の真似事をしてみせる。マーヤは困ったように、返事をすることもなく走っていく少年を見送った。



「ウギャァァアア!!」



 ゴブリンの雄叫びが大きく響き渡り、マーヤの身体がビクりと震える。

 もうすぐ側まで来ているのか。

 

 アルマーニはさらに雑嚢を探る。

 今度は黒い毛束を取り出したのだ。


 東方では黒髪を秘薬などに使用するようで、裏の商人から面白半分でアルマーニが買った物だ。

 これに、ガルダから預かっていた火打ち石を鳴らし始めた。



「俺らは人間だからなぁ。恐怖を感じるのは仕方ねぇ。でもなぁ、あーなんて言うかねぇ」



 火打ち石を鳴らしながら、アルマーニは顔をしかめた。火花が微かに毛束に落ちると、それは徐々に燃え広がり始め、アルマーニは毛束を掴むと酒を投げた方へと放った。



「──ッ!」



 上手く酒が飛び散った場所に着地したらしく、燃える毛束は酒に引火し、枝道を塞いでいく。


 これで暫くはゴブリンも追っては来られないだろうと。



「おぉ、上手くいくもんだなぁこりゃあ」



 自分の腕に感心しながらアルマーニはニヒル笑みするなか、マーヤは胸元で強く拳を握り締めた。



「……どうして、私を助けてくれるの?

貴方は、足引っ張りなんて見捨てる人でしょう?」



 素朴な疑問だった。

 

 アルマーニは死体漁りで、誰かを見殺しにしたり、平気で人が大切にしていた物を奪う側の人間だ。


 そんな彼が、どうして? と。


 アルマーニは少し考え、頭を掻くと、照れ臭そうにふっ、と笑ってマーヤの顔を見つめた。



「俺が一番好きだった女に、似てるからかも知れねぇなぁ」



 その答えは意外なもので、マーヤはハッとした。


 瞬間、いつの間に炎を抜けて来たのか、一匹の勇敢なゴブリンが飛び出して来たのだ。



「ギャ……ガ」



 マーヤの頭に石槌を振り下ろそうとしていたゴブリンに、アルマーニの手斧が先に奴の頭をかち割っていた。

 綺麗に真ん中を手斧が刺さり、マーヤの髪がさらに赤く染まる。



「俺はなぁ、もう二度と後悔しねぇって決めてんだよ」



 驚き振り返ることも出来ないマーヤに、アルマーニは強く呟いた。

 

 それが誰のことなのか、一体何があったのか。マーヤはその時察してしまった。



「おら、ボケッとしてんじゃねぇよぉ。どんどん来やがるぜ」



 ゴブリンを手斧から振り落とし、アルマーニは彼女の背中を押して促す。



「無理して戦う必要はねぇ。男はな、女に応援されりゃあそれだけで強くなる生き物だからなぁ」



 カッカッカ、と笑うアルマーニ。


 マーヤは彼の後ろ姿を見ながら、ソルシェが言っていた言葉を思い出していた。



『あの人は優しいから。酷いことは言うけれど、格好いいもの。だから、嫌いにならないで、ね?』



「ああ……確かに格好いい男ね。好いてしまいそうになる……」



 溢れてくる涙を拭うことなく、マーヤは微笑み枝道を戻りながら、答えを返していた。


 彼女には届かない答え。

 決してソルシェ自身には言えない答えを──。





 

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