第13話 危険



 オークの巣を壊し、自己陶酔している馬鹿な冒険者を狩り、遺伝子がより強く残せる良い女を孕ませる。


 我が子たちの精鋭は腐るほど増えた。

 装備もある。奴らから様々なものを剥いだ。

 

 仲間が殺されても、人間の女はいくらでもやってくるのだ。減ることはないし、“蓄え”もある。


 舞台は十二分に整った。

 侵入者が何人来ようと、この魔術書があればオークは逆らえない。思いのままだ。



 ──ゴブリンの考えなど、アルマーニはいとも容易く想像がつく。だからこそ。



「馬鹿なゴブリンには死んでもらうのが一番だよなぁ」



 無数に開いた枝道の奥。

 アルマーニたちは身を潜め、次第に近付いてくる大きな揺れと足音に、神経を集中させて警戒していた。



「本当にあんなもので成功するのかしら」



 眉間に深くしわを刻み、そう不安気に呟いたのはマーヤだ。



「オークの大好物のようだからな。上手くいく可能性は高いだろうな」



 余裕そうなアルマーニの前で、ガルダは一息ついて首の関節を鳴らした。



「そろそろ来るんじゃない?」



 マーヤの後ろで、フィズが真剣に呟く。しかし、手は彼女の腹や胸を触ろうと手を伸ばし、マーヤに頭を叩かれるという緊張感の無さだ。



「グオォォ……フゥゥゥ」



 標的を見失ったオークは、枝道など無視して奥へと進んでいく。

 最奥にはゴブリンの本拠地があるはずだ。


 オークが餌に釣られてそのまま止まれば、アルマーニの策は成功する。


 オークが突入すれば、あとは混乱するゴブリンの中で魔術書を燃やすなり壊すなりすればいい。簡単な仕事だ。


 だが、そんなに上手くいくのは想像や妄想の中だけのことで、現実はもっと厳しいものだろう。



「グオ……ァ?」



 餌である“臓物”に気付いたのか、オークは足を止めて匂いを嗅ぐ仕草をした。

 そして、先に感じ取ったのは、アルマーニたちだった。



「やべぇ……」



 アルマーニたちが隠れる枝道に巨顔を近付け、オークは鼻を鳴らす。


 発見されていないのか、真紅の瞳が怪しく光を帯び、首を傾げている。それでも枝道を見つめ続けられ、アルマーニは早まる鼓動を押さえるように、胸を鷲掴んだ。



「グフゥゥ……フン」



 諦めたのか、オークは枝道から顔を離すと狭い通りを無理矢理進んでいく。

 肩が時折壁を擦り、頭が天井を削っている。その度に、土破片が零れ落ち振動が走った。



「そろそろ行くぜぇ。足手まといになったら見捨てるからなぁ」


「おじさんこそ、ヘマしないようにね~」



 臓物に気付き目を丸くするオークを確認すると、アルマーニは手を上げて合図を出す。


 手厳しい言葉を残し、フィズが先行して枝道から抜けると、今度は喜んでいるオークの横をスレスレに通っていく。

 臓物に夢中で、気付かれてはいないようだ。



「さて、行くか」



 ガルダが鎧の音を立てないように忍び足で走り出し、オークの横を抜けた。


 アルマーニは「よし」と、小さく頷くと、マーヤを一瞥して行くように促す。


 マーヤも頷くとゆっくりとオークの様子を窺いながら、一歩足を踏み込んで振り返った。



「……気をつけて」


「そりゃあこっちのセリフだぜぇ?」



 マーヤの心配をよそに、アルマーニは鼻で笑ってしっしっ、と手を振った。


 不安は大きいが、不思議と失敗するという未来が想像出来ないので、きっと大丈夫なのだと、マーヤは自己解決して走っていく。


 その後ろを、アルマーニはついて行く。



「ウガァ! グバロ!!」



 興奮し暴走していたオークは、地面に置かれた臓物に夢中のまま。しかし、先頭のオークより後ろ。

 未だ暴走を続ける他のオークが、先頭を押しのけてアルマーニを追おうと拳を振り上げていた。



「うむ。やはり賢いと言えども魔物に変わりはないか」



 鼻で笑いながら最奥の手前まで走りきったガルダ。フィズとマーヤが合流し、残るはアルマーニだが──彼は一人オークの前で立ち止まっていた。



「たっくよぉ、おっさんも無茶出来る年じゃあねぇぞぉ」



 オークの視線を集中させるため、アルマーニは肩を回して息をついていた。


 手斧を持ち、スリンガーナイフを確認。

 雑嚢には魔法の巻物と、眩虫を潜ませている。ピンチは訪れようと負ける要素はない。


 気怠い雰囲気でも、アルマーニは準備万端でオークを見上げていた。


 つっかえているオーク同士が殴り合いを始め、アルマーニは拍子抜けかといった様子で肩を竦める。


 だが、オークも最後まで馬鹿ではなかった。



「ウガァァァア゛ア゛!!」



 オークが暴れる最中、拳が壁や天井を殴っていく途中で、アルマーニの頬を凄まじい速さで掠ったのだ。


 風圧が一気にアルマーニを襲い、一線の傷が出来ると、頬から血が吹き出た。



「お……っと。油断しちまったか。慢心はよくねぇな。気ぃ引き締めねぇとな!」



 舌を打ちながらも楽しそうに、次々と繰り出される拳をバックステップで華麗に避けていく。



「奥にゴブリンがいるわ。どうやら当たりのようよ」



 ガルダたち三人はゴブリンの様子を窺っていた。

 マーヤの暗視ゴーグルから見えたのは、人間一人入れるかどうかの最奥の穴から、焦りを見せるゴブリン共の姿だ。


 この状況ならば大丈夫だろう。

 そう判断したマーヤは、アルマーニに向かって大きく手を振った。原始的な合図だが、アルマーニはそれをしっかりと確認出来た。



「思ったより早ぇじゃねぇか」



 オークの猛攻を避けつつ、崩れいく天井を見据え、アルマーニは口元を歪ませた。


 汗が頬を伝い、顎に垂れていく。

 余裕綽々に見せていたが、なかなかにオークの拳は破壊力がある。


 汗を手で拭ったアルマーニは、手斧を変形させた斧槍でオークの拳を横へと去なした。



「ガ、ガゼバシャ!?」



 大振りの殴るモーションは軽く斧槍に当たっただけで、オークは前のめりに体勢を崩し、土埃を舞い上げて盛大に転んだ。


 後ろにつっかえていたオークたちは、何が起きたのかと一瞬たじろいでいる。


 同時に、これは何事かと驚いたゴブリンの一匹が、ペタペタと足音を立てて奥からやって来ていた。



「わ、武装してるじゃんあのゴブリン」



 フィズの表情が嫌悪感で満たされる。


 ゴブリンは革鎧に石斧とまともな装備で偵察に来ているようで、ガルダは焦りを見せていた。



「こっち! 枝道に隠れましょう!」



 小声で力強くマーヤが促し、最奥手前の枝道にいち早く身を隠した。

 ゴブリンに見つかっては面倒なことになる。だからこそ最善の判断をしたといえた。



「フゥゥゥ……」



 突然、マーヤの背後から不気味な呼吸音が聞こえ、背筋をゾクリと震わせてしまう。そして同時に、この判断は間違いだったのだと思い知らされた。



「きゃあぁっ!?」


「お姉ちゃん!!」



 マーヤが甲高い悲鳴をあげて、枝道の奥へと何者かに引きずり込まれてしまったのだ。


 驚愕するフィズは、ガルダの助言も飛び出し、マーヤが隠れた枝道へと飛んでいってしまう。



「アギャ!? ギャギャ!!」



 その後ろ姿を、丁度最奥からやって来たゴブリンに見られてしまったようだ。

 慌てて仲間に知らせようと逃げようとするゴブリンを、ガルダは一瞬の判断で大剣を引き抜いた。



「ぬんっ!」



 ゴブリンの腕を掴み強く引くと、そのままの勢いで大剣を腰から腹を貫いた。

 反抗することもなく赤黒い血を噴き出したゴブリンは、小さな呻き声を漏らし絶命した。


 武装していようと只のゴブリンに変わりなく、ガルダは息をつくと共に、足で背中を踏んで大剣を引き抜く。



「何だ? 大丈夫か!? おっと……っ」



 後ろの状況が分からないアルマーニは、オークをなるべく傷付けないように立ち回って戦う。余裕はないが、体力を温存しているアルマーニ。


 しかし、ガルダの言葉によりそれもなくなってしまった。



「マーヤ殿が引きずり込まれた!」


「なっ!? マジかよ……!」


「フィズ殿が助けに向かってはいるが……」



 不安を隠し切れないガルダの言葉は、それ以上続くことはなかった。



「くそ、だから女は面倒なんだよぉ!」



 オークが振りかぶった瞬間、アルマーニは斧槍を回転させ、鋭い突きを繰り出した。


 腹や胸、最後に心臓を力強く貫き、オークは痛みに悶え苦しんだ。死んではいないが、動くことはままならない。


 その隙にアルマーニは、斧槍を手斧に戻して脱兎した。



「おい! どこへ行く!?」


「助けに行くんだよ!」



 ガルダの制止も虚しく、アルマーニは彼を横目に走り枝道へと入り込んだ。



「この状況で貴殿が行けば、私はどうなる!」


「おっさん上級冒険者だろうが! 上級冒険者ともあろうものが、そう易々と死んだりしねぇだろう!?」



 手を伸ばし顔を青ざめ、流石のガルダも身震いしてしまうが、アルマーニは気にすることなく枝道の奥へと全力で走っていってしまった。


 残されたガルダは、目の前に立つオークと、援護にやってきたゴブリンを交互に見据え、凄まじい状況下に思わず笑みがこぼれてしまう。



「ああ、私の見せ場はここということか……これは、滾るではないかっ!!」



 ガルダは生唾を飲み込むと、大剣をギリギリと握り締めオークを力強く見据えた。



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