第12話 好物
「おーい。起きろぉ」
夢心地の真っ最中。
アルマーニの呆れた声で起こされたマーヤは、緩やかに目を覚ました。
目の前に血と泥で服を汚したアルマーニの姿。それを確認出来たところで、マーヤは「ああ」と、呟いた。
「もう……終わったの?」
「大体はなぁ。使えそうなモンは取り出したぜ。薬も金も腐るほどあってなぁ、おかげでガキんちょはほれ、元気そのものだぁ」
目に溜まっていた涙を指で掬うマーヤに、アルマーニは後ろを親指で差した。
「ゴクゴク……ぷあ~ボク本当に死ぬかと思ったよ~」
返事をするように、元気なフィズの声聞こえてきた。
どうやらガルダと共に何かを飲んでいるようで、仄かに頬が赤い。
「まさか、お酒を飲ませているの!?」
「まぁまぁ、んな怒んなよぉ。気付け薬みてぇなもんだ。お前も飲んどくか? 結構喉に来るぜ」
子供に酒など、と怒るマーヤに対して、アルマーニは地面に置いていたものを持ってきた。腕ほどの長さがあるボトルのようで、中には透明な液体が半分入っている。
「遠慮しておくわ。アルコールは苦手なのよ」
「ノリ悪ぃな。こんな場所じゃ楽しみは酒と金くらいだぜ。嫌なことは忘れられるからなぁ。ほれ」
「……」
髪を手で掬い拒否するマーヤの目の前に、アルマーニはボトルごと差し出した。
アルコールを摂取すること、それにラッパ飲みにも抵抗があったが、マーヤは仕方なく受け取る。
「おっさん、気分はどうだぁ」
「うむ。悪くない。なかなか良い酒だ。おかげでフィズ殿も上機嫌であるな」
マーヤを置いて、酒を呷るガルダにアルマーニは声を掛けた。
肩を竦めて髪を掻くアルマーニを一瞥し、ガルダは静かに頷いた。
横を見ると、フィズは乾パンや干肉などに食らいつき、酒をボトルごと口に付けて飲んでいる。
これだけ食って飲んですれば、元気は有り余ることだろう。
「それよりも、気付いているか」
ガルダが真剣な表情で呟き、干肉をかじりつきながら、アルマーニを見上げた。
アルマーニは腰に手を当て、今一度周りを見回す。
「オークの様子がおかしい。あれから数十分経っているが、空気が変わっている。ゴブリンが動き出したのやも知れぬ」
いつも冷静沈着なガルダの口調は、やけに早口だった。焦っているのか。
アルマーニは振り返り、しっかりとオークたちの行動を見据えた。
何やら慌てて宝物庫の扉を閉める奴。
棍棒も宝物庫の中に投げ込んだのか、数匹いるオーク全員が手ぶらだ。
長である老オークは、胸を押さえながら指示を出している。時折苦しそうに悶え、それでも着々と事を進めていた。
「俺らもさっさと動くべきか」
「うむ。早ければ早いほど良いな」
アルマーニとガルダはお互い顔を合わせ、息をついて頷いた。
「おいガキんちょ。散々食っただろぉ。行くぞ」
「えぇ~もう行くの~?」
フィズの食い散らかしたものを片し、アルマーニは無理矢理立ち上がらせる。
その間にガルダはゆっくりと立ち上がり、胸元にしまい込んだ短剣や火薬粉の存在を再確認していた。
「メロン女。さっさと飲むなら飲めって、進むぜ」
「もういい加減その呼び方を──っ!?」
近付いてきたアルマーニに、呆れた表情で怒りをぶつけようとしたマーヤ。
だが、その言葉は止められた。
オークたちの動きがおかしくなったのだ。忙しなく動き回るために、地響きと揺れが起こり、アルマーニはハッと振り返った。
「マ、マズイ……グオォガガ……ゴブリン、オキタ、ヨウ──グ、グ、ググゴガァァァッ!!!!」
老オークが慌てふためいた刹那、首を押さえ、苦しみだしたのだ。
そして、そのまま気を爆発させた。
凄まじい雄叫びを上げ、それを皮切りに、他のオークたちが一斉に奇声を放つ。
「え、え? ちょっと待って、すんごくマズイ状況?」
「あぁ、大正解だぜぇガキんちょ……! 走れぇぇ!!」
顔を引き吊らせ、フィズはガルダの腕を掴んでしまう。少年の目には暗闇にしか映っていないが、この圧力には流石に感じられずにはいられない。
この状況でいち早く動き出したのは、アルマーニだった。全員に促し、マーヤの手を取って奥へと走り出したのだ。
その際に持っていたボトルを滑らせて、盛大に地面へと落としてしまった。
ガシャン! という耳障りな音がしたと同時に、オークたちの標的は定まったようだ。
「グオオオワアァァァ!!」
鼓膜が破れそうなオークの絶叫が洞窟内にこだまし、ガルダはフィズを脇に抱え走り出した。
「ぬぅ! 行き先はわかっているのだろうな!」
「んなもん分かってる! 黙って走れぇ!」
ガルダと問い掛けに、アルマーニは真剣そのものの表情で顎を動かした。
宝物庫近くに集まったオークの左側。
その付近に人間用とでも思える小さな穴があった。
どこへ続いているのか、アルマーニには見当がついているのだろう。そうでなければ自殺行為だ。
「あれか!」
アルマーニが先に穴の奥へと走り、ガルダは慣れてきた夜目を頼りに後を続く。
穴の奥は狭く、並んで走ることは出来なかった。
オークたちは追ってきている。
剛腕ともいえる素手を振り回し、時には仲間のオークとぶつかりながらアルマーニの後を付いてきている。
しかし、人間の三倍より大きい巨体を持つオークに、この小さな穴は入れない。
「はぁ、はぁ……」
「な、なんとかなった?」
マーヤは呼吸を整え、怖いもの知らずのフィズは穴からオークたちの様子を覗こうとした。
瞬間──。
「ウガァ! ウラァァ!!」
突然、怒号をあげたと思うと、洞窟が大きく揺れたのだ。フィズが様子を見る前に、壁から土がこぼれ始める。
……穴付近の壁を殴り始めたのだ。
「マジかよ……」
アルマーニは絶望を声に出した。
サーッと青ざめていく顔色。圧倒的に不利な状況に、マーヤは息を詰まらせた。
「どうするの!? 迎え撃つ!?」
驚きながらも戦う意志を見せるフィズに、ガルダが首を左右に振った。
しかし、次の瞬間にはアルマーニの表情は余裕に変わっていた。
「奥に、奥に原因のゴブリンがいるのよね……?」
マーヤの問いに、アルマーニは少しだけ眉をひそめると再び笑った。
マーヤが言ったのは、例の魔術を操るゴブリンのことだろう。
ガルダを先頭に再び走り出す一行。
オークは一瞬で壁を壊し、その崩れた岩ですら蹴り飛ばし追ってくるはずだ。
「奥には強敵が待ち構えていることだろう。作戦は──策はあるのか」
最前列を走るガルダの疑問に、最後尾にいたアルマーニが鼻を擦った。
「あぁ、とびっきりの策があるぜぇ。とりあえずその魔術書をどうにかすりゃあいいんだろ?」
アルマーニの説明は聞けば簡単なものだが、それを実行するとなると相当な労力が必要になる。
オークとゴブリン。
この双方を相手にしながら、魔術書を奪うか燃やすか壊すか。それさえ成功させればオークは、こちらの味方となるはずだと。
「俺にだって魔法は残ってる。武器もあるんだぁ。勝てなくてもなぁ、負けることはねぇよ。安心しろ」
ニヤリと笑うアルマーニの力強い言葉は、少なからずマーヤを安心させることは出来た。
ガルダは不安気に、フィズは別段何も考えているわけではないようで、失敗すれば仕返し出来る程度に思っていた。
「さて、ではこの状況はどうするのだ?」
急に苦笑いしながらガルダは足を止め、皆が後ろの轟音を気にしながらも足を止めた。
狭い通りから、さらに右へ左へと細い枝道が無数に存在しているようで、パーティー一行は辺りを見回してしまう。
背後からオークの暴走した雄叫びが、アルマーニたちを焦らせる。
「ゴブリンの巣……だよね?」
「けれど、一匹も姿が見えないわね?」
フィズが率先して左の枝道の奥を覗き、警戒心を高める。マーヤはそれの後に続きながら疑問を唱えた。
「オークが暴走しているせいか、雑魚も顔を出すことを恐れているのやも知れぬな」
右の枝道を覗き、ガルダは頷いた。
枝道の奥は闇というより、漆黒に包まれており、臭いなど殆どしない。
血や唾液なども付着しておらず、綺麗な岩穴だ。ゴブリンにとって、ここは神聖な場所なのか。
「オークが来るなぁ」
武器も構えず、呑気に後ろから来るオークの姿を捉えたアルマーニは、ニヒルな笑みを浮かばせて指を鳴らした。
「こりゃあチャンスだぜぇ」
「……オークにゴブリンを殺させるつもりなのね」
「お、いいねぇ。分かってきたじゃねぇか」
マーヤもアルマーニと共に行動して、ようやく彼の考えを読めるようになってきた。
それでも呆れてそれ以上何も言えなかったのは、まだマーヤの中に騎士の誇りがあるからかも知れない。
「どうやって殺させるの?」
拳を構えながら、フィズはアルマーニに問う。
他の二人も同じことを思っていたようで、皆がアルマーニの答えを待った。
「枝道に奴等がいねぇなら、ちと楽しいことやってやろうじゃねぇか」
変わらぬオークの暴走は止まらない。
武器も持たないオークでも、その力は凄まじいものだ。あっという間に穴の入り口だった壁は大きく広がり、オークがぞろぞろと行進してきている。
そんな姿を横目に、アルマーニは顎髭を撫で、ニヒルな笑みのまま雑嚢を漁り始めた。
「なに、それ」
取り出した物に対して、マーヤが一番に顔を歪ませた。
「オークの大好物だ。宝物庫に隠してたもんでなぁ。使えると思って持ってきたのさ」
アルマーニが取り出したもの──血に染まり、今にも動き出すのではないかと思うほどの新鮮な──『臓物』であった。
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