第11話 ゴブリンの宝物庫



 アルマーニは生唾を飲み込んだ。

 目と鼻の先に、強者たる圧力を惜しげもなく放つオークたちが、鼻息を荒くさせて睨みを利かせているのだ。


 異様な緊張感がアルマーニたちを襲い、その圧力により肌を静電気のような痛みが走り抜ける。


 勝てるわけがない。


 逃げようにも、今しがたゴブリン共を聖なる炎で燃やしたばかりなのだ。鉄扉は十分に熱を帯び、触れようものなら皮膚が爛れるだろう。


 まさに八方塞がりとはこのことか……。



「ここまでか……っ」



 ガルダの表情には、諦めの文字が浮かんでいた。それはマーヤや、アルマーニも同じ事だった。

 


「ルガタ、サマルナ」



 オークが放つ謎の言語は、何かの合図だったのか。

 

 立ち並んでいたオークがのっそりと、だが一斉に動き出したのだ。

 ズズズ、と棍棒を引き摺る音が幾重にも聞こえ、アルマーニはもう一度唾を飲み込んで緩やかに身構えた。



「ノルラ! ジャイ!!」


「ルガタ! ルガタ!!」



 オークの凄まじい雄叫びがガルダを襲い、大剣を前に構えるだけで精一杯だ。


 誰かを案じる余裕も、誰かを助ける余裕すらアルマーニにはない。ガルダならば簡単に死ぬような玉ではないと思っているが……今の状況だと確実ではない。



「ウガアァァア゛ア゛ァッ!!!!」



 一匹の大柄なオークが右から咆哮を繰り出し、地面を猛スピードで削る音がガルダの鼓動を高まらせた。


 オークの棍棒が下から上へと振り上げられ、土や小石がガルダの大剣にぶつけられる。そのまま一度制止すると、オークは声にならない雄叫びと共に棍棒を振り下ろしたのだ。


 暗闇の中受け止めようとガルダは大剣を頭上で構えるが、耐えられるか。先程対峙したオークとは比べ物にならない威圧。


 マーヤは思わず顔を背け、アルマーニがスリンガーに手を掛ける。間に合うか、そもそも当たるか。全ては神のみぞ知るといったところか。



「グァァガアァッ──!!」


「ヤメロ!」



 大柄のオークが棍棒を振り下ろした瞬間、誰かの声が制止を呼び掛けた。


 ガルダの身体は──無事であった。

 大剣に当たるか当たらないか、あと数ミリのところでオークの持つ棍棒は止まっていたのだ。



「む……」



 額に酷い脂汗を流していたガルダは、力を込めすぎて震える足を一瞥しながら、乱れる呼吸を整える。



「ヤメロ、サガレ」



 謎の言語ではなく、はっきりとした共通語。しゃがれたような声だが、人のように流暢ではない。カタコトだ。


 アルマーニたちは眉間にしわを寄せた。


 同時に、オークたちは棍棒を下げると一歩、また一歩と後ろへ下がっていく。



「ニンゲン、ゴブリン、タクサン、コロシタ」



 カタコトの共通語は聞き取りやすい。

 さらに、意味までしっかりと理解できた。



「なんだぁ……襲ってこねぇのか……?」



 拍子抜けしてしまうアルマーニ。

 横ではマーヤが遅れて状況を理解し、驚きながらも剣の柄は握っている。

 ガルダは警戒心を最大限に高めていた。


 下がっていくオークの表情は厳ついままだが、襲ってくる様子はない。先程の威圧もすっかり消えてしまっている。



「ニンゲン、ゴブリン、コロセル」



 誰が、どいつが、どこから話しているのか、アルマーニたちからは全く見えない。

 しかし、共通語が話せるならば理解し合える可能性はゼロではない。


 アルマーニはフィズをマーヤに任せると、立ち上がりゆっくりゆっくりと歩いていく。



「ニンゲン、ツヨイ?」



 話しているのはどうやら真ん中にいたオークのようだった。


 血塗られた骸の山を椅子に見立てたものに腰を下ろし、片手には杖を模した木の棒を握っている。


 他のオークとは違い老いているのか、腰が曲がっており、白い立派な髭も生えていたりと、人間臭い部分が垣間見える。



「お前らは、そこら辺の魔物とは違うみてぇだなぁ」


 

 アルマーニは肩を竦め、いつもの口調で話し掛けた。


 警戒心は解かない。

 だが、身構えてばかりで喧嘩腰だと、オーク側の警戒心も解けることはないだろう。



「ふむ。大丈夫なのか」



 ガルダの横まで歩いてきたところで、案の定不安を口に出される。アルマーニはガルダを一瞥し、少しだけ距離を詰めた。



「オークは元々賢い生き物だかんなぁ。言葉が通じるならチャンスはあるぜ」



 小声で話す二人。

 オークは首を傾げて二人を見つめている。


 アルマーニの言うとおり、オークは賢い生き物だ。

 人と共存し、農作物を一緒に作ったり、鉱山で作業したりと、誰彼構わず殺戮を繰り返す魔物とは全く異なる。


 丁寧に教えてやれば、こうして共通語を話すことも出来るほど、ゴブリンとは違い純粋な種族だ。


 

「馬鹿みてぇに強いがよ、好戦的な種族じゃねぇ」


「……やけに詳しいのだな」


「……ははっ、たまたまだ」



 おっさん二人の間に微妙な空気が流れるなか、老オークが眉間に深いしわを刻んだ。



「ハナシ、オワッタ?」


「ん? おぉ、大丈夫だぜ」



 老オークが首を直角に横に倒しており、アルマーニは苦笑いして軽く手を上げた。



「ニンゲン、ゴブリン、コロス?」



 短い言葉で端的に問い掛けてきた老オークに、アルマーニはすぐに答えることが出来なかった。


 ここにいるオークたちは、先のオークの仲間ならばゴブリンに飼われているように見える。


 殺すと答えた瞬間、総攻撃を掛けられてはたまったもんじゃない。ということだが、皆がアルマーニの答えを待っている。


 暫く考えて、アルマーニは顔を上げると老オークを見据え問い掛けた。



「……ここはお前らの住処か?」


「ソウダ。ゴブリン、ココ、ウバッタ」



 老オークの答えに、アルマーニは指をパチンと鳴らす。



「じゃあ、オークはゴブリンに命令されてこんなことをしているのね?」



 マーヤの解釈に対して、周りのオークは悲しそうに何度も頷いた。まるで小動物のようだ。



「ならば、私はオークの味方となろう。ゴブリンの悪趣味にはもううんざりなのでな」



 ガルダは腕を組んで鼻を鳴らした。

 だが、アルマーニは納得していなかった。



「だけどよぉ、オークは強ぇだろ。なんでゴブリンなんかに奪われた」


「……ッ」



 アルマーニの素直な疑問に、オークたちがどよめく。

 老オークの表情がより一層険しいものとなった。



「マジュツ、ゴブリン、ワレラ、シハイ」


「ふむ」



 カタコトでの短い説明は、ガルダを頷かせた。



「つまり、何かしらの魔術書により住処を乗っ取られたと」


「ソウダ」



 顎髭を撫で大剣を地面に刺したガルダの解釈が合っていたようで、老オークは首を縦に振った。


 老オークの話し方や態度のおかげで、お互いに警戒心が解けてきている。



「ニンゲン、ゴブリン、コロセル! モットオク、マジュツゴブリン、イル」



「俺らにゴブリンを殺して助けてくれってかぁ? 何の見返りもなく?」



 老オークは困った顔で、アルマーニを見つめ返す。

 見返りという言葉の意味が理解出来ていないのか、それとも金になるものを持っていないということか。


 けれども当然、アルマーニは見返りを求められるほど、有利な立場ではない。



「協力するべきよ。別にオークは悪くないのでしょう? 助けてあげましょう」



 小声でマーヤが後押ししてくる。

 全くとんだ甘い女だ、と思いながらアルマーニは髪を掻き毟り、大きな大きな溜め息をついた。


 フィズがあの状態では、敵対関係だけは築きたくないものだ。それは重々分かっている。



「私は戦いで死ぬならば本望だが、マーヤ殿やフィズ殿はまだ若い。貴殿の金回りは知らぬが、答えは一つしか選べんぞ」



 大剣をいつの間にか鞘に収めていたガルダは、その場で腰を下ろし、あぐらを組み始めた。


 横で立ちすくみ、決断を任されたアルマーニは、聞こえない程度に舌を打った。



「……分かった。分かったよ。やってやる。ゴブリン、コロシテヤル」



 嫌みも含めて最後はカタコトで答えたアルマーニに、老オークは目に見えて分かるほど嬉しそうに喜んだ。


 パーティーで組むのが嫌いなのはこういうことがあるからだ。一人ならどうとでもなる。だが、アルマーニもパーティーの決断や動きを分かっていない初心者ではない。


 引くべきところは理解している。



「ルバル! ルバル!」



 アルマーニが気怠そうに腰に手を当て息をついていると、突然老オークが声を張った。


 同時に、周りのオークが動き出したのだ。

 



「こ、今度はなに?」



 困惑するマーヤは、フィズの頭を撫でながらも辺りを見回す。

 オークが一斉に動き出したことにより、地震のような揺れが引き起こされた。

 流石に驚き、ガルダも動揺が隠せていない。



「ココ、ゴブリン、マモッテル、タカラ」



 カタコトの老オークの説明はよく分からない。のっそりと背中を見せ、他のオークたちも背を見せて勢いよく何かを左右に引き始めたのだ。


 タカラという単語に反応し、気になってアルマーニはオークたちに近付いていく。

 瞬間、アルマーニは口と鼻を手で覆い、マーヤを一瞥してしまった。



「タカラ、タクサン。ニンゲン、イル?」



 純粋な老オークは、白い髭を指で弄びながら屈託のない笑顔を見せた。


 他のオークが仰々しい鉄柵を完全に開くと、左右に分かれ奥を指差した。



「こ、れは……確かにゴブリンにとっちゃあ宝だな……」



 アルマーニの顔は歪み、空笑いすら出来なかった。オークたちにはこの宝の意味が分からないのだろう。分からなくて良かったかも知れない。



 鉄柵の奥はそこまで広くない洞窟をくり貫いた穴のような場所であった。

 そして、そこには数々の武器や鎧や金貨の山が築かれていたのだ。

 その山の中央、それらの宝に埋まりそうになっていたのは──全裸の女が十数名。すし詰め状態で横たわっていたのだ。


 よく出来た至高の人形のようで、皆が生気などを失っていた。

 生きているのかすら怪しい女性たちは、液体のように零れ落ち、立ち尽くすアルマーニの足元まで滑っていく。


 女性の大事な髪は毟られ、頭皮が剥き出しとなっている。白かったであろう肌は青痣を多く作り、赤や白の液体が付着していた。

 

 なにより目立ったのは、その腹だ。

 胸より大きく膨らんだ腹は時折動き、かなり重いようで、女性は呻き声をあげながら横を向いた。



「……マ、マジかよ……っ」



 あまりにも悲惨な状況に、アルマーニは呼吸を荒くし絶句してしまった。

 全身から嫌な汗が噴き出してくる。

 何度も息を飲み、早くなる鼓動を押さえるように胸元の汗ばんだシャツを鷲掴んだ。



「何があったの……?」



 不安気にマーヤがアルマーニに問うた。



「お、おぅ大丈夫だ。大量だなぁこりゃあははっ。……お前は来るなよ。ガキんちょを見とけ」



 何が大丈夫なのか。

 アルマーニは振り返って微笑んだ。

 マーヤから彼の姿も、その後ろの宝とやらも暗闇のせいで全く見えなかった。


 見えなくて良かったと思うのはアルマーニだけだ。マーヤは気になって近付こうとも思うが、フィズを残せないのでその場で待機することを決めた。


 ガルダは静かに目を閉じて、腕を強く組んだ。



「……コレ、イラナイ? タカラ、イラナイ?」



 ゴブリンのように喜ぶと思っていたのだろう老オークは、困ったように周りのオークと顔を合わせて首を傾げた。


 ゴブリンから要らぬ知識を入れられてしまったために、オークにとってこれも立派な“宝”なのだ。オークに罪はない。

 純粋な気持ちでアルマーニに差し出したのだから。



「……あぁ、必要なモンは頂いていくぜ。ありがとうな」



 震えた声音で、アルマーニは努めて笑顔を見せ、老オークに軽く手をあげる。


 老オークが安堵する横顔を一瞥して、ゴブリンの宝物庫に足を踏み入れようとしたが、どこもかしこも女性の裸体で埋め尽くされていた。



「大丈夫じゃねぇよ……くっそ」



 アルマーニは誰にも見られないように顔を隠し、目に溜まっていく涙を堪えた。


 記憶が揺さぶられる。

 前に見た同じような光景。

 前はゴブリンではなかったが、魔物の宝物庫という牢獄は、地獄そのものだ。


 孕み者でも、腹の中の魔物がここまで肥大すればもう救いはない。助け出したとしても、赤線地区に行くことすら出来ない。



 ──殺すという選択肢しか残っていないのだ。



「くっそ……くっそ……っ!」



 こみ上げてくるものを必死に抑え込み、何度も悪態をつくアルマーニは、使えそうな物だけを片っ端から外へ投げていく。


 かしゃん、じゃらじゃら、ごたん、と武器や鎧や金貨が周辺に散らばり、ガルダは「ふむ」と小さく息をつく。


 何を悟ったのか、ガルダは立ち上がるとゆっくりとマーヤの側まで歩み寄り、黙ったまま座り込んだのだ。


 突然のことに驚くマーヤだが、ガルダの表情は真剣だった。



「マーヤ殿。少し寝るべきだ。私がフィズ殿を見ておこう」


「え、あ、でも……」



 ガルダの提案を、マーヤは素直に頷くことが出来なかった。アルマーニの様子が変であることは、雰囲気で分かる。だからこそ、心配だったのだ。



「うむ。奴なら問題ないであろう。暫し時間が掛かるゆえ、今しか休める時はない」



 さらに、ガルダは念を押した。

 それでもマーヤは暫く悩むと、首を左右に振ったのだ。



「いえ、私も彼の手伝いを──」


「マーヤ殿! これ以上、奴に迷惑を掛けるわけにはいかないであろう」



 マーヤの決断は一瞬にして砕かれた。


 今までにないガルダの強い口調。

 ガルダは多少なりとも分かっているのだ。アルマーニのことを。彼がどのような人物で、どう生きてきたのかを。


 それが、マーヤには悔しくたまらなかった。


 ソルシェに頼まれたという部分も大きいが、何より迷惑を掛けていること、戦力として役に立っているのかどうかも怪しい。

 つまり、足引っ張りだということ。



「……ごめんなさい」



 か細い声で謝罪したマーヤは、フィズをガルダに預け、鉄扉がある横の土壁にもたれた。



「すまない」



 額に手を当て後悔しながらも、フィズの頭を膝に乗せてガルダは小さく謝罪する。


 だが、マーヤには届いていなかった。


 何か重いものに押しつぶされそうで、老オークの笑い声も、アルマーニの悪態も、今のマーヤには全て聞こえない。


 マーヤは忘れるように、目を瞑った。

 眠れる気などしないが、それでも目を瞑り意識を闇の中へ落としていく。


 少しでも体力を回復して、役に立てるように──。



 

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