第10話 死に物狂いで走り抜けろ



 オーク戦を終えてから数十分が経過した。微かに毒煙の臭いが鼻腔を突き、気分はさらに最悪だ。


 拭い切れなかった血が乾燥し始め、髪がパリパリと音を立てて赤い粉をふけのように散っていく。



「鳴き声、聞こえないわね」



 沈黙に耐えきれず、マーヤが呟いた。

 対してフィズは笑顔で振り向き「隠れたのかな~?」と、首を傾げてみせる。


 

「ふむ。隠れているならば好都合だが、機会を窺っているならば厄介だ」



 表情を険しく、ガルダは気を抜かず大剣を盾に進み続けていく。

 この状況を理解しているのは彼だけではない。当然、アルマーニもそうだ。


 広めの場所から進んできた先は一本道であった。血の臭いは先程の場所よりはマシなもので、道中に気味の悪い液体などは殆ど付着していない。


 侵入者の全てをあの場所で食い止め、殺し、あるいは捕らえ、陵辱し、子を宿した女を生き地獄へと連れて行ったのか。

 ゴブリンにとって、突破されたのは今回が初めてなのかも知れない。


 今やゴブリン共が奥に構えているのだとすれば、それは孕み者にした女性たちが多く捕らえられている場に近いということ。


 そんな状況を目にすれば、今度こそマーヤは絶望するだろう。泣いて崩れ落ち、そのまま気絶してしまうかもしれない。そうなれば、ただの足手まといだ。



「……だから嫌なんだ。女を連れて戦うのはよぉ」


「ん? 何か言った?」



 苦しい思いは声に出してしまっていたか。

 アルマーニの呟きにマーヤが反応したが、どうやら聞こえてはいなかったようで。



「いんやぁ、何でもねぇよ。ちゃんと集中して前だけ見とけ」



 耳の垢を小指で取りながら、アルマーニは誤魔化した。眉をひそめるマーヤだが、特に疑うことなく前に足を進める。


 しかし、マーヤは進めなかった。

 前衛のガルダが足を止めていたのだ。



「むう。罠とは」



 短く唸ったガルダは、携帯ランタンを手に足元の罠を照らした。

 


「トラバサミっていうんだっけ?」



 ガルダの足元から覗き込んだフィズは、真面目な声音で罠の名前を口にした。


 一度これを踏んでしまえば、獣のごとく鋭利な牙に噛みつかれてしまうという罠だ。足首に致命的な一撃が加わり、その牙は簡単に解除など出来ない。


 しかしトラバサミは、罠職人が作るもの。従って人間が作るものだ。魔物がこれを設置したということは、人智を手に入れているということ。



「やっぱり、奥に人がいるのかな? おかしいよね。他の冒険者がここに置いた?」


「可能性は前者だなぁ。しっかし魔物を操る禁忌の魔法書が、そう何冊もあってもらっちゃ困るもんだがなぁ。んなもん最悪だろ」



 不思議そうに首を傾げるフィズに、経験のあるアルマーニは頭を掻いて吐き捨てた。



「確認しなければいけないわね。こんなことを人間がしただなんて、私には到底思えないもの……」



 思い詰めた表情で言ったマーヤに、皆が真剣に面持ちで黙り込んでしまう。



「……考えていても仕方あるまい。目的は変わりないのであろう。ならば進むぞ」



 懐からダガーを取り出したガルダは、それをトラバサミに噛ませ丁寧に解除すると、息を吐いて携帯ランタンを腰に戻す。



「そうだなぁ。金が貰えりゃあそれで──」


「アルマーニ!!」



 苦笑した肩を竦めたアルマーニの名を叫び、マーヤは勢いよく彼の背中を突き飛ばした。


 突然のことに驚き、そのまま壁にぶつかりながらも振り返ったアルマーニは、頬を通り抜ける一陣の赤い風に目を見開く。



「火矢かっ!?」


「えっ、ちょっ、これ凄くヤバい状態じゃない!?」


 マーヤの無事を確認する前に、ガルダが原因を叫び、大剣を地面に突き立て盾のように構える。

 フィズは何も出来ず、ガルダの背に隠れるしかない。


 アルマーニが振り返ると、勢いよく飛来する数々の火矢を目の当たりにした。

 金属音と弦を引き絞る音が重なり、危険を感じてしゃがみ込んだアルマーニは、スリンガーにナイフをセットして下を向いた。


 そこで、アルマーニはようやく気が付いた。



「お、おい! 大丈夫かぁっ!?」



 マーヤが膝をつき腕を押さえ、肩で呼吸していたのだ。アルマーニを庇った際に火矢を腕に受けてしまったのか、衣類が焼け、出血が激しく、肉の焼ける臭いが微かに鼻につく。


 アルマーニは腰の雑嚢から赤い液体が入った小瓶──止血剤を取り出すと、マーヤの押さえる手を退け、消毒もなくそのまま荒治療を施していく。



「おじさんヤバいって! 後ろからも来てるよ!?」



 ガルダが身体の一部一部に矢を受けるなか、どこに隠れていたのか後ろからもゴブリン共が走ってくるペタペタ音が聞こえ、フィズは身体を震わせてしまう。


 

「くっそ! とにかく殺るしかねぇ! ガキんちょ、やるぞぉ!!」



 ゴブリンの弓矢部隊に対して、アルマーニが叫びながらスリンガーからナイフを発射させた。


 ナイフがガルダの横をすり抜け真っ直ぐに飛んだ後、ゴブリンの眉間に吸い込まれるようにして突き刺さった。

 ゆっくりと後ろへ倒れるゴブリン。


 突然仲間が倒れたことに驚き、他のゴブリンたちが弓を射る手が止まった。



「おおぉっ! よっと!」



 その隙をを見逃すことなく、フィズが勢いよく飛び出し、前衛にいたゴブリンの顔面を蹴り飛ばす。



「よくやった、加勢するぞフィズ殿!」



 ゴブリンたちが混乱している状況の中、フィズが猛攻を仕掛ける。

 ガルダも肩に刺さった矢を引き抜いて、フィズに加勢するため大剣を肩に担ぎ走り出した。



 アルマーニも後衛からスリンガーで援護するが、マーヤのことが気掛かりでどうにもならない。



「走れるか、いや走れ。立て!」


「う、うん……分かったわ……っ」



 心配をしている暇もなく、アルマーニはマーヤの肩を抱いて立つように促す。

 痛みで気が狂いそうになるマーヤだが、よろけながらも全力で走っていく。



「ちっくしょう、魔法使うしかねぇか……!」



 戦う二人をすり抜け、奥まで走ったアルマーニとマーヤが辿り着いたのは、鉄扉であった。

 鉄扉といえど、入口のような重い鉄扉ではなく、簡易的な造りの鉄扉だ。奥は見えない。二人は顔を歪ませた。



「扉っ、開けるの?!」



 切羽詰まったマーヤの声に、しかしアルマーニは答えられない。



「おじさっ、ごめ……ボク無理か、も……っ」



 後ろから来たゴブリンに挟まれたフィズは、馬乗りにされ、顔面を殴られていた。

 

 首を絞められ、よだれを垂らされながら何度も何度も、ゴブリン共に殴られ蹴られ、噛みつかれている。強さはあれど、体格の小ささがあだとなったのか、フィズは何も抵抗出来ないまま腕で顔を隠すしかない。


 助けを求めたのはガルダなのか、それともアルマーニかは分からないが、危険な状況であることに間違いないのは確かだ。



「ぐっ、フィズ殿!」



 大剣で薙ぎ払い、フィズを襲うゴブリン共の頭を掴む放り投げる。けれども、数が多すぎた。

 それぞれ武器を持ち、頭を使い戦う奴等は、先にいた連中よりも格段に強い。



「マジかよぉ……なんだよこの状況は……っ!!」



 手斧の柄を強く握り締め、アルマーニは頭を掻き毟る。そして、はたと気付いた。



「……巻物使ったことあるか?」



 そう問うた相手は、マーヤだ。

 マーヤは小さく頷くと、アルマーニは雑嚢から魔法の巻物を一つ取り出し、それを彼女に持たせる。



「俺があいつらを引っ張って戻る。戻る姿が見えりゃあ巻物を開けろ。ついでに扉開けてくれりゃあ助かる」



 無駄のない的確な指示。

 それだけ伝えると、アルマーニは手斧の柄を強く後ろに引いた。


 軽い金属音がしたと思えば、手斧は長い槍のように柄が伸び、狭い場所には適さない武器へと変形した。



「頼むぜ」


「分かった……気をつけて」



 地を蹴ったアルマーニの背中を見送ったマーヤは、痛みで朦朧とするなか、魔法の巻物を見据えた。


 悩めるマーヤを信じ、アルマーニは全力で走り出すと、ゴブリン共の背中を勢いつけて貫いた。


 斧槍と呼ばれる特殊武器は、容易くゴブリンの皮膚と肉を貫き、群がっている奴等を一網打尽にしていく。



「うむ。遅い登場だな、全く」


「悪いなぁ、傷ついてる女は放っておけねぇだろ?」



 静かに怒れるガルダに、戯れ言を交えつつ斧槍を振るうアルマーニ。

 

 フィズが未だに救出出来ていないが、ガルダはすでに汗と血でドロドロだ。

 

 この狭い場所で蛆のごとく蠢くゴブリン共。そいつらを片っ端から頭を掴み、柔らかい頭蓋を洞窟の壁に叩きつけ、ゴミクズのように捨てていく。


 山を作り上げるゴブリンを二人で崩していくと、ぐったりとしたフィズが血塗れで倒れていた。

 腕や腹を噛まれたのか、出血量が凄まじい。



「フィズ殿! しっかりするのだ!!」


「ダメだ、引っ張りあげんぞ!」



 ピクリとも動かないフィズを確認すると、ゴブリンの山の隙間から襟首を無理矢理掴み、ガルダはそのまま勢いだけで引っ張りあげる。



「おっさん逃げるぜ! 戦ってらんねぇ!」


「言われなくともそのつもりだ!」



 フィズを小脇に抱え、脱兎するように逃げていくガルダを前に、アルマーニはニタリ顔のゴブリンを見てしまい背筋を震わせた。



「アルマーニ!」



 マーヤの叫び声が響き、アルマーニはハッと我に返る。同時にゴブリン共も気付くと、全力でマーヤの下へと走り出したのだ。



「マズい、間に合うか!?」



 マーヤは魔法の巻物の紐を口で解いていく。発動までに若干の時間は掛かるが、アルマーニは間に合うか。扉の奥まで逃げ込めればこちらの勝ちだ。



 斧槍で追ってくるゴブリン共に距離を取るため奮い、アルマーニは全力疾走する。

 


「入れ!!」



 先にマーヤと合流したガルダは、アルマーニの姿を確認出来たところで鉄の扉を押してみる。

 鉄扉はスムーズに開くことができ、大剣を鞘にしまうと彼女の背中を押して奥へと転がるように進んだ。


 同時に、マーヤの持つ巻物が開き、微かな光が溢れ出した。

 魔法の力が発動したのだ。



「ギャ!? ギャ、ギャガァァッ」



 その光はゴブリン共に悲鳴あげさせた。

 

 

『聖なる加護に導きのあらんことを──』



 誰の声かは分からない。

 神秘的で、女神のような柔らかい声音が辺りに広がり、聖なる光は徐々に大きく膨らみ、暖かな温もりが一面を包み込んでいく。


 悪魔的で暴力的で陰湿な奴等にとって、聖なる光は敵。忌み嫌うものであり、どうにも抗えないものなのだ。


 苦しみもがくゴブリン。彼らの目は、既にアルマーニの姿など光で見えなくなっていた。



「扉閉めろぉぉ!」



 腹から声を出し、アルマーニは雑嚢を漁りながらガルダに指示を出す。

 

 目を覆い隠し、首を左右に振って奇声をあげるゴブリン共を一瞥し、アルマーニは斧槍を扉の奥に滑らせて必要な物を雑嚢から取り出した。


 取り出したのは、油が満タンに入った小瓶だ。それを、扉を潜る前にゴブリン共へと放り投げた。



「ふんっ!」



 奥に滑り込んだアルマーニを見届け、ガルダは壊れんばかりに扉を閉め、カンヌキを掛ける。


 光の温もりに喘ぎ、泣き叫ぶゴブリンは、閉められた扉を何度も叩き助けを求めている。

 しかし、その叫びは次第に小さくなっていった。


 聖なる光は強くゴブリン共に熱を与え、徐々に炎が生まれていく。そして炎は、割れた油へと引火し、燃え広がっていくのだ。


 ゴブリン共は続々と最後の悲鳴をあげると、バタバタと倒れていく。肉の焼けた臭いが鉄扉を越えてくるが、炎はこちらまで入ってくる様子もなく、アルマーニたちは額を押さえようやく安堵した。



「はぁ、くそ、大丈夫か……」


「わ、私は大丈夫よ。それより、それよりこの子がっ!」



 心配や労いもなく、アルマーニはマーヤの泣き顔を見て息を飲んだ。


 浅い呼吸をしているフィズ。

 血で酷く汚れた少年を気にすることもなく、自分の膝に乗せてマーヤは泣き崩れている。



「……毒か」



 アルマーニはフィズの腕を見ると、すぐに答えを出した。


 ゴブリンの生活習慣は、腐臭の中で生きているも同然だ。

 糞や尿、血、様々な液体と腐った個体物に囲まれて生きているため、その身体には耐性が出来ている。

 逆に、そのようなものばかりを摂取して生きているゴブリンの牙は、人間にとって毒でしかない。


 そして、その毒を治療するための薬草など、こんな地下洞窟にはないのだ。


 一応雑嚢の中を探ってみるが、毒消しなど持ってはいない。毒を消すための道具や液体は、他の物よりも高価なもので、アルマーニが普段買うことはない。


 当然ながらマーヤも所持しておらず、頼みはガルダただ一人。



「……これを使え」



 ガルダは自らの布袋から青色の液体が入った小瓶取り出し、アルマーニに手渡した。


 流石は上級の冒険者。高価なものでも所持していたらしい。

 茶化すことなく真剣な眼差しで「わりぃ」とだけ呟くと、アルマーニはすぐにフィズの腕と腹に毒消しの液体を少しずつ垂らしていく。


 マーヤは泣いてばかりでどうにも出来ない。この場所が他と比べものにならない程暗く、周りがよく見えないために、ガルダは疲れた身体で警戒をしてくれている。


 先程の戦闘で、携帯ランタンが壊れてしまったらしい。



「ここまで来て、ガキんちょが動けねぇってのは、マジでマズい状況──」


「こちらも、マズい状況だ……」



 悩めるアルマーニの言葉を制し、ガルダは肩で呼吸しながら、大剣を鞘からゆっくりと引き抜く。携帯ランタンがなくとも、気配で感じ取れてしまった。


 アルマーニとマーヤは、恐る恐る後ろを振り返る。


 

 暗視ゴーグル越しに見えたもの──そこには、黒緑の巨体をしたオークが、棍棒を手に何体も立ち並ぶ光景であった……。


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