第7話 弱者の逃走



 再び舞い戻って地下洞窟。


 前の門番は殉職したため、代わりに黒服が無表情で仕事をしていた。

 金も恋人も、家族すらいなかった彼を、裏協会は小さな墓を立てて終わっていた。


 アルマーニはまだ花を手向けていない。


 しかし、ガルダやフィズは知りもしない一人の男の話など興味もないだろう。



「ふむ。固い扉があるとは思っていたが、まさか裏の入り口だったとはな」



 腰に携帯ランタンを下げ、ガルダは手頃な片手剣を手に先頭を切って進んでいた。


 地下洞窟は狭い。大剣を振るには向いていない。そのため、ガルダの腰や背中には様々な長さの剣が備えられている。


 そんなベテランの後ろをフィズ、背後の警戒をアルマーニが担っていた。



「でもさ、暗いし汚いし、楽しくはないな~」


「遊びに来てんじゃねぇぞ」



 萎えるフィズに、アルマーニは面倒そうに釘を刺す。

 

 アルマーニは新調した細剣と鉄の小盾を構え、警戒を緩めない。



「ほう。穴とはこれか」



 前回とは違い、穴までは感覚にして三十分ほどで辿り着いた気がする。


 ガルダは携帯ランタンを持つと、穴の奥を照らし、眉間にしわを寄せた。


 尋常ではない暗闇。腐敗臭。

 普通の冒険者なら、発狂してもおかしくない異様な空間。



「わあ! 地下にこんな所があったんだね!」


「ふむ。どこに続いているのか」



 ここにいるのは普通ではない冒険者のようで、アルマーニは大きく肩を落とした。



 フィズは興奮を隠せない様子ではしゃいでおり、ガルダも厳しい表情に変わりはないが高揚感を隠せていない。



「気配は断然するんだがなぁ。前よりも別の臭いも増えてやがる」



 細剣を下ろし、アルマーニは犬のように鼻を利かせる。

 それにガルダが頷き、その正体を暴いた。



「これは……酒か。微かにぶどう酒の臭いがする」


「おじさん凄いね~。ボクにはさっぱりだよ」



 年の差か。酒の好みの問題か。

 フィズは苦笑いをして、ズボンのポケットから革の黒手袋を取り出した。


 手袋の甲には、見たこともない魔法陣が描かれている。



「これって罠だよね?」



 手袋の上から、今度は鉄のナックルダスターを両手に装備した。

 フィズはニヤリと笑みを浮かべ、軽く拳を合わせてやる気を見せる。



「発火の仕掛けでもしてんのか。ここを通りゃ、すぐには引き返せねぇな」


「ならばいっそ、ここで燃やしゴブリン共を燻り殺すか」



 先の様子を窺うアルマーニの横で、ガルダは火打ち石をちらつかせた。

 その表情は、どこか楽しげだ。



「いやいや、それだと不都合があるもんでねぇ」



 事情を話していないガルダにとっては都合良いことだが、見るまで隠そうと決めているアルマーニには恐ろしいことだ。


 頬を掻いて誤魔化すアルマーニは、ガルダに先を急ぐように手を穴の方へ向けて促す。



「ふん、貴殿が何を考えているかは知らぬが、背中から一突きだけは遠慮願いたい」


「ここまできてそんなことしねぇって」



 冗談か本気か分かりにくいガルダに、アルマーニは鼻で笑い背中を押した。



「……ふむ。ならば行くとするか」



 ここからは大剣を抜き、片手剣を腰の鞘にしまうと、携帯ランタンも腰に下げ直し穴の奥へと進んでいった。


 暗視ゴーグル越しフィズの頭とガルダの背を見据え、アルマーニは覚悟する。



 前と変わらぬ吐き気がする臭い。

 粘着質な血液が歩く度に、足から気持ち悪い感触が伝わってくる。

 

 道中、まだ魔物の姿は見えない。

 前回のように、どこからかゴブリン共が様子を見ているのだろうか。


 歩き出してから数分後。

 予想していた言葉と悲鳴を、アルマーニは聞くこととなった。



「な、なんだ、これは……っ」


「……最悪だね、これ」



 ガルダは眉間に深いしわを寄せ、その後ろでフィズが吐き捨てるように呟いた。


 壁一面に飾られた男女の血に染まった裸体。

 事切れている者が多く、呼吸をしている裸体は二人──否、一人だけだった。


 その浅い呼吸をする者を見つけ、アルマーニは顔を歪ませた。



「くっそ、見間違いじゃあなかったか」


「む、あの者。見覚えがあるな」



 アルマーニの呟きに反応したガルダは、ハッとして息を飲んだ。


 

「もしや──」


「あぁ、そうだ。フィズ、約束はちゃんと守ったぜ?」



 驚くガルダに、アルマーニは悪気なく言い放った。


 血なのか、地毛の色なのかも分からなくなったバサバサの赤い長髪。

 痩せてしまっているが、胸の大きさは際立ったままで女性──マーヤは、しかし身体中は様々な液体で汚されていた。


 呼吸をしていることが不思議なほどだ。



「……て……」


「あぁ?」



 絶望するフィズの聞こえない言葉に、アルマーニは近付こうとした次の瞬間、鈍い打撃音と共に吹っ飛ばされた。


 裸体がクッションとなったが、背中を強く打ち付け、そのまま受け身を取ることも出来ず地面に崩れ落ちてしまった。


 

「おじさんさ、最低過ぎない? 知っててボクを連れてきたんだよね? ボクのこと舐めてる?」



 フィズは拳に付着した血を振り払って舌を打った。今までとは打って変わった強い口調と威圧感。


 アルマーニは散乱したガラス破片や血肉を支えに、ゆっくり立ち上がった。顔面に一発食らったせいで、鼻からは血が垂れ、唇も切れてしまっている。


 覚悟はしていた。一発で済んだのは奇跡か。


「喧嘩なら後でしろ。今の騒ぎで気付かれたようだ」



 睨み合う二人を抑え、ガルダは大剣を構えた。



「悪いとは思ってるさ。だがなぁ、俺は居場所を教えてやるだけの約束だ。それは果たしたってことよぉ」



 口元と鼻を手で拭い、アルマーニはフィズに苦笑いをしながら細剣の柄を強く握り締めて歩き出す。



「……ああ、ボクはおじさんを買いかぶってたよ。後で覚えておいてよ、半殺しで済まないかも」


「その時は全力で逃げさせてもらうわ」


「じゃあ、地獄まで追い掛けてあげるよ」


「マジかよ。追い掛けんのは女の尻だけにしとけよぉ」



 険悪な軽口は止まらない。

 本気で怒りをぶつけようとするフィズだが、どうにもアルマーニという男を嫌いになれないのは何故か。


 だが、この仕打ちは許されるものではない。



「来るぞ」



 ガルダの合図は的確だった。


 醜い顔を淡い光に照らし、現れたゴブリン共。

 少し広めな空間を埋めんとする数が押し寄せ、その前にアルマーニたちは動き出した。



「戦陣は切る」



 目の色を変えて短く内容を伝えたガルダは、大剣を横薙ぎに振り回したのだ。

 

 整列でもしていたのか、数匹のゴブリンの首が胴体から綺麗に切り離された。

 噴水のごとく血が吹き出し、首が力無く地面に落ちると同時に、胴体がバタバタと倒れ込んでいく。


 その光景を間近に目撃していたゴブリンは足を止めてしまう。

 赤く、紅く染まった世界を見たあと、ゴブリンが次に目に映したのは、フィズの満面の笑みだった。



「グキュエッ!?」



 柔らかい顔面はいとも容易く拳一発で吹っ飛び、後ろにいた数匹のゴブリンを巻き込んで壁にめり込んだ。



「ほう。子供とは思えん身のこなしと火力だ」


「言ってるでしょ。ボクは強いの」



 申し分ない、といった様子で頷いたガルダに、軽くジャンプを繰り返してフィズは笑う。


 しかし、それが油断というべきか。


 ゴブリンが暗さを利用して、フィズの足元近くを這っていたのだ。

 強いといえども子供の細い足首は、ゴブリンにとって骨付き肉と同様。

 


「……なっ!?」



 一瞬の隙を突いて、ゴブリンはフィズの足首を掴んだ。爪が食い込むほど強く掴み、ゴブリンはいやらしく笑う。



「くそ! ボクに触るな!」



 フィズは怒り、ゴブリンの頭に蹴りをぶつけるが、そんなことではビクともしない。

 唾液を垂れ流し、足首に噛みつこうと大口を開けた瞬間、ゴブリンはその恍惚の表情のまま止まった。



「……ガッ……」



 アルマーニの細剣が脳天から顎までを貫いたのだ。

 新鮮な肉を目の前に最後の抵抗を試みたが、もう一度細剣で貫かれたことで、今度こそ絶命をした。



「油断すんじゃねぇよ」


「……礼は言わないよ」



 鼻で笑うアルマーニに対し、フィズは悔しそうに舌を打って近寄ってきたゴブリンの腹を蹴り飛ばした。



「仲直りはしたか」



 群がる蠅を駆除するように大剣で叩き潰し、ガルダは息をつく。



「出来ないね~。ボクは子供だから、大人の対応は出来ないや」



 拳についた血肉を嫌悪感丸出しで払い捨て、困ったようにフィズは笑った。



「まだまだ出てくんぞぉ。気ぃ抜くな」



 ゴブリンの頭から細剣を抜き、手で直接血を拭い捨てるアルマーニ。


 バラバラな目的と性格だが、どこか似通った三人は、同じような狂気に満ちた笑みを漏らし、蛆のように集まるゴブリン共を睨み付けた。



「オークの姿は見えないが」


「今日はお休みなんじゃない~」


「それは嬉しいねぇ」



 三人が互いを守るように背を合わせ、ガルダは一息をついた。

 フィズの言うとおり、お休みならばどれだけな良いことか。



「ふむ、ゴブリンの士気も下がっている」


「なら、さっさとやっちまうかぁ!」



 好戦的なゴブリンはまだいるようで、短剣を手に飛びかかってくる身体を、ガルダは大きく足を踏み込んで大剣を振り下ろした。


 ぐしゃり、と耳を塞ぎたくなる音が鳴り止むことなく続いていく。


 アルマーニが細剣とスリンガーからの投擲ナイフで援護し、フィズは思う存分暴れまくるという状況。


 三人が三人とも、ゴブリンの血を頭から足先まで浴びており、それはもう人間ではなく、別の魔物に見えてしまうほど。



「グエ……」


「グキャ、ギャアギャ……」



 穴のさらに奥、ゴブリンは狂気の冒険者におののき、怯え始めていた。

 そろそろ潮時だろう。



「うえ~気持ち悪い~」



 美しい金髪が赤黒く染まり、身体中がベタベタとする度に、フィズの表情は曇っていく。



「ギャギャ!」


「ギャー! ンキャオ!」



 ゴブリン共の死体が山のように積まれた段階で、穴の奥から焦る声が聞こえてきた。

 そのあと、裸足で地面を走る音が微かに三人の耳に届き、ようやく武器を下ろした。



「はぁ、はぁ。あー! 終わったかぁ」



 荒い呼吸で息を整えるアルマーニは、拭っても拭いきれない血を見て肩を落とした。



「ふぅ、装備すら身に着けていなかったな。奥にいるゴブリンは知恵をつけた強者がいると予想出来る」



 雑嚢から白い布切れを取り出し、ガルダは粗方だが顔を拭う。

 フィズは完全に意気消沈していた。もうアルマーニを殴る気力もないらしい。



「……助けてやらねぇと」



 今にも座り込んでしまいたい欲求を抑え、雑嚢から小さな水色の小瓶を取り出すと、アルマーニはマーヤの下へと近付いた。




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