第4話 推定レベル50の雑魚
ゴツゴツとした岩肌。誰が掘ったとも分からない道は途方もなく、生温い風だけがアルマーニの頬を撫でる。
そんな地下洞窟の中は闇一色だ。
魔物は人間が思うよりも賢く、松明やランタンを設置するとそこは人間が住んでいる、もしくは人間が制覇した証なのだと判断出来るらしい。
そのため、冒険者は各々明かりを持ち地下洞窟に入るため、駆け出しや初心者の分際で入ることなど出来ないということ。
「なのに、この依頼は初心者から参加出来るなんて、協会も酷いことをするものだね」
「あぁ全くだぜ。雑魚しか出て来ねぇのは確かだが、囲まれりゃベテランでも一瞬で終わるって訳よぉ」
右手を壁につき、迷わぬように二人は進む。
アルマーニには余裕がある故に、軽い口調に変わりはない。しかし、ワイスは何か話をしていないと緊張で吐き気さえしてくる状況だ。
「その雑魚の魔物っぽい敵は見当たらないみたいだけど……こんなものなのかい?」
ワイスの疑問は尤もであった。
地下洞窟にいる魔物は、ゴブリン、ゾンビ、大蜥蜴など様々だが、そのどれもが組織を作り、冒険者を如何に不意打つかを模索している。
特にゴブリンは個体数が多く、道中闊歩しているはずなのだが、そんな馬鹿ですらも見当たらない。
「臭いがしねぇってのは、怪しいんだよなぁ」
怪訝そうに呟くアルマーニ。
ワイスにとってこの臭いすでに勘弁してくれと、言いたいレベルに悩みものだが、
彼の死体漁りとして、冒険者としての能力が高いことはよく知っている。
「んー警戒するだけ無駄かこりゃ?」
すりあしを止め、気怠そうにアルマーニは歩き始める。
後ろでは、未だにへっぴり腰のワイスが付いてきていた。
ここに入ってから早一時間は経っただろうか。
冒険者にも、魔物にすら出会うことなく、アルマーニの表情は険しい。
銭や装備品を手に入れることもなく、魔物すら殺すこともなく、萎えるのも仕方がない。
一本道を進み終え、枝分かれした洞窟を右に向かって進んでいく。ここからは冒険者が居てもおかしくない位置のようで。
アルマーニは期待を持って歩みを進める──と。
「んぁ? なんだぁこの穴」
誰も見付からない状況で発見したのは、ポッカリと空いた穴だった。
「やけに、奥が暗いな……それに、臭いが酷いねここは」
ハンカチで鼻を押さえても、血肉が腐敗した悪臭は防ぐことが出来ず、ワイスは涙目で咳き込む。
「こんなところに、穴なんかあったか……」
頭を掻いてアルマーニは溜め息をつく。どう見たって嫌な気配がする。
今いる暗さなど可愛いもので、穴の奥は暗視ゴーグルから見ても微かにしか見えない。
「安物のゴーグルじゃこんなもんかねぇ」
皮手袋をしっかりとはめ直し、アルマーニは腰の手斧の柄を握り締める。
ワイスも渋々に、魔法書を用意して事の成り行きを窺っていた。
「猫婆が言ってたのはこれだろぉ? なら、先に行くぜ」
「な、待てアル。もっと警戒して……」
軽い口調のアルマーニが先行するなか、肩を落としてワイスは彼の背中を追う。
穴は手入れなどされておらず、力ずくで空けたような雰囲気だった。
それこそ、巨人が拳で空けた穴。
穴の奥の壁には得体の知れない液体が付着しており、アルマーニは壁沿いに歩くことを止めた。
「うえ……気持ち悪い」
「だったら無理して喋んなよ」
ワイスの顔色がみるみるうちに青くなっていく。しかし、構っていられない。
そろそろ広い場所に出られるか、そう思ったところで、アルマーニは足を止めた。
「……急に止まらないでくれるかい」
吐き気と戦うワイスは溜め息混じりに悪態をついたが、アルマーニの表情は真剣だった。
「……なんだってんだよ、こりゃ」
絶句するアルマーニ。
気になってワイスも背後から顔だけを出して、奥の様子を見た瞬間「う゛っ」と、声を漏らした。
それは確かに少し広い場所に間違いなかった。
壁を埋めるようにして張り付けられた男女の裸体。
それらの裸体はナイフや釘、冒険者から奪い取ったであろう短剣で、手の平や肩、太もも、足を力任せに貫いており、張り付けというより拷問された後。
全てが血に染まり、汚物にまみれ、息をしているかすらも分からない。
女性の裸体の何人かは、腹が異様に膨らんでいた。
地面には脳汁や血が大量にぶちまけられており、隅の方には解体や殺害の為の武器や器具が無造作に置かれている。
これだけの情報で、誰が敵で、どんなことが行われていたのか、アルマーニには安易に理解することが出来た。
「ゴブリンもここまで知恵がつきやがったのか……流石に放置出来ねぇなぁ」
壁の趣味もそうだが、上位種が入れ知恵でもしなければこのような部屋が出来上がるのはおかしい。
それはゴブリンではなく、人間の趣味趣向のよう……。
「アル……考えているところ悪いけど、かなり劣悪な状況のようだよ」
悪趣味な景色に捕らわれすぎたか。
ワイスは顔色をさらに青くして苦笑していた。
闇の中から蠢く複数の影。
醜悪で下品な笑い方が特徴の、血に汚れた緑黒い肌をした小さな鬼の妖精。
どこからともなく現れる姿は幽霊と言われ、純粋なゴブリンは精霊と呼ばれる。
しかし今目の前に群れてきたゴブリンは、最も最悪な只の小鬼。
人間をなぶり殺し、打算的で卑劣に戦い裏切り、女を孕み者に変える悪逆非道の魔物。
「何匹いやがるんだ……マジかよ」
アルマーニは珍しく動揺を見せた。
ごくり、と息を飲み込み、どこからともなく湧いてくるゴブリンに圧倒されそうになる。
「ギャハハハ、ギャギャ!」
「アギャー!」
馬鹿な冒険者がまたノコノコとやってきたか! と言わんばかりに、指を差してゴブリンたちは笑う。
「……勝てるのかい?」
「あぁ、残念ながら俺は冒険者じゃねぇ。勝つんじゃなくてよぉ、逃げんだよ」
ハンカチを懐に仕舞い、ワイスは呪文を唱える準備をする。
魔法書にも使用限度がある。
アルマーニがどこまで立ち回れるかに掛かっているが、戦うよりも生きることを優先しなければいけない。
「……はは、流石にこれはタダでは逃げれねぇか」
思わずアルマーニは笑ってしまった。
更に穴の奥から重い足音が響いたのだ。
軽い地響き、重い木をを引き摺るような不穏な音と、低い唸り声。
ゾンビや大蜥蜴とも違うソイツは、アルマーニにとって最悪の敵であった。
「まさか、オークか!?」
姿が見える前に答えを出したワイス。
同時に、ゴブリンに囲まれながらも穴から逃げるために後退していく。
「ギャー! ギャギャー!!」
愉快なゴブリンの声は、何かの号令にも聞こえた。
アルマーニは素早く背後にいたゴブリンを蹴り飛ばし、さらに横にいた奴の顔を斧で引き裂いた。
「ギーヤァァーー!?」と、甲高い悲鳴をあげて転げ回るゴブリン。
それに怒った他のゴブリンたちが、一斉に二人を覆い被さるように飛びかかった。
「『火の魂よ。汝、我の意志を尊重せよ』!」
咄嗟にワイスが唱えた呪文は、魔法書では極めて初級な火魔法だ。
ワイスの手のひらから広がる火は自身を守るように覆われ、それに触れようとしたゴブリンたちは熱さにたまげて地面に落ち、オークの方へと逃げていく。
焼き尽くして殺すことなど到底出来ないが、火を恐れる魔物には丁度良い脅しだ。
おかげで後ろにいたゴブリン共も穴の入り口まで逃げたようで、二人は急いで穴から脱出を試みた。
「もっと走れワイス!」
「こ、これでも、必死だよ僕は!!」
先行するアルマーニは、道中で震えるゴブリン共の雑魚を斧で蹴散らしていく。
ワイスは呪文を唱えながら走るという器用な真似は、残念ながら出来ないらしい。
非戦闘員を庇いながらの戦闘は極めて厳しく、アルマーニも荒い呼吸を繰り返しながらも、斧を振り回していく。
頭から斧でかち割り、時にはゴブリンの首を片手でへし折り、壁に頭をぶつけて後ろへと投げていった。
数は想像以上に多く、斧は血と脳汁で殆ど使い物にならなくなってきている。
「よし、戻ってきた!」
ワイスは汗だくになりながらも歓喜した。
これで不利な状況からは脱したのだ。
ゴブリン共も穴の奥からしか湧いて来ないはず。
「問題はオーク……っ!」
安堵しながら振り返ったアルマーニは、穴の奥を改めて確認し、絶望した。
広間になっていた場所。
壁に張り付けられた女性の中に、見覚えのある者がいたのだ。
長い赤髪に、豊かな胸元。
顔は見えないが、肩が微かに動いているということは、まだ生きているということか。
勘違いならそれでいい。
しかし、もしシャーロットが言っていた助っ人というのが、王国の人間なら?
万が一、その助っ人があの女なら?
「……アル、何突っ立って──」
息が詰まりそうになるアルマーニ。
ワイスが心配そうに、彼の肩に触れようとした時、重い足音が間近に迫った。
汚れた緑黒の筋肉質な身体。
片手で巨大な棍棒を引き摺り、両目を紅く光らせ、静かに呼吸する様はまるで歴戦の覇者そのものだ。
圧倒的、威圧感。
ゴブリンのような汚い目ではなく、ただ純粋に誰かに従うオークは、可愛くも凶暴だ。
「ジヌレ、ハルワレ、シュウセム」
意味不明な言葉を発し、オークはとうとう動き出した。
引き摺っていた赤い棍棒を持ち上げ、アルマーニの頭上から振り下ろしたのだ。
僅か数秒、ワイズが咄嗟にアルマーニと共に前に倒れ込み、抱き締めたまま転がるように逃げた。
同時に棍棒は地面を抉り、凄まじい土煙を舞い上がらせた。しかし、肉を潰す感触はオークに伝わらない。
オークは可愛らしく目を丸くして、首を傾げた。
「しっかりしろアルマーニ!」
「……ってぇ、悪ぃな」
襟首を掴み殴りつけようとするワイスを宥め、アルマーニはすぐさま立ち上がった。
ぼうっと突っ立っている暇はない。
全力で走らなければ、鉄扉まで追いつかれてしまう。
そうなれば、裏協会に魔物が雪崩れ込むこととなる。アルマーニの借金どころの話ではなくなるだろう。
アルマーニは覚悟した。
「ちょ、アル!? なにを!」
突然アルマーニに抱えられたワイスは驚き、しかし目の前にいるオークのせいで強く咎めることは出来なかった。
「走んだよぉ! ちゃんと掴まってろ! あと、魔法使い続けろ!!」
残っている体力を使い、全力で走り出すアルマーニ。
彼の指示は実に簡単で、腹を肩で押され吐きそうになってしまうワイスでも、呪文を唱えるくらいは出来る。
「『踊れ 舞え さすれば火の精は許したもう』!」
小さな火が何個も現れると、それは交差しながらオークに向かって飛んでいった。
後ろに隠れていたゴブリンはそれに驚き戸惑うが、オークは何事もなかったかのように身体で受け止めたのだ。
六つに分かれた腹筋を掻き、眠そうに欠伸をするオーク。
「全く効いていないのかっ!」
「大丈夫だ! そのまま打ち続けろぉ!」
勿体ないと思うワイスに対し、さも当たり前のようにアルマーニは指示する。
魔法書が高価なのは知っているが、今はそれどころではないのだ。
「うう、くそ! 帰ったら奢って貰うからな!」
ワイスは半ば泣きながら再び魔法をオークにぶつけていく。
「ギャ! ギャギャッ!」
「ンーバオル、セアナツ」
ゴブリンに命令されたオークは、面倒臭そうに棍棒を担ぎ、足を踏み出した。
追いかけろ。殺して身ぐるみを剥げ。
そんなところだろうか?
命令を受けたオークは、そこから凄まじい早さでアルマーニを追いかけたのだ。
踏み鳴らす度に、地下洞窟が壊れてしまいそうな勢いで、全力疾走するアルマーニの背中を捉える。
「まずい、まずいよアル! もっと早く走って!」
「バッカ! だったら自分で走れって!!」
アルマーニは前を見ているので分かりづらいが、ワイスには恐怖にしか分からない。
迫り来るオーク。もう呪文を唱える気も起きないワイスは、アルマーニに抱きつき何も見ないことにした。
「くっそ野郎! まだ見えねぇのかよ!!」
大人一人を抱え、足場の悪い地面を走るには相当体力を持って行かれる。
脂汗も止まらない。年のせいか、足も笑い始めている。
「ワイス、下りろ」
アルマーニの衝撃な言葉に、反論することも出来ずワイスは地面に下ろされた。
何をするつもりなのか、それすらも分からないが、どうやら走るのに間違いない。
「ギエグオォォォッ!!!」
オークの暴走は徐々にヒートアップしていく。
棍棒を辺りに振り下ろし、壁を壊して地面を抉り、一部が土砂崩れのように地下洞窟が塞がっていく。
その光景を後ろで感じていたワイスは、走りながらアルマーニにすがりつくしかない。
「なにか、案があるんだろう……?」
「はぁ、はぁ、んなもん、簡単な話だぜぇ」
全力疾走は変わらない。
走り始めてから既に二十分、三十分は経っているこの状況で、アルマーニが地面に転がる小石を拾いあげた。
それをスリンガーにセットすると、鉄扉があるであろう奥の方へと発射し始めたのだ。
「先に戻って閉めりゃあ俺らの勝ちだ。流石にオークでもあの分厚い扉は潰せねぇ……はずだ」
アルマーニは休まずスリンガーを放ち続ける。
かなりの距離を飛んでいるはずだが、音はしない。まだ遠いのか。それとも必死過ぎて音が聞こえないだけか。
後ろを一瞥すれば、まだ少し遠いが元気そうに暴れるオークの姿が見て取れる。
「アル! 見えた! 見えてる!」
状況よりも脱出を目先にしていたワイスは、ほんの少しだけ光を漏らした鉄扉らしきものが見えたのだ。
指を差し、思わず笑顔を漏らしてしまうワイスだが、オークは刻々と近付いて来ている。
「これで居眠りしていたら、僕は彼を殺すだろうね」
「あぁ同感だぜ。縄で縛り上げてたこ殴りだなそりゃ」
余裕と希望が生まれたのか。
二人であの門番をどう殺すかという物騒な話で盛り上がるなか。
「グオオアァァアガッ!!」
いつになっても追いつけないことに、次第に怒りも加わり暴れまくるオークに、アルマーニは斧を頭に向けて投擲した。
当たらなくても構わない。
少しでも隙が生まれてくれればそれでいい。
「あけろぉぉ!!!」
今までで一番切羽詰まった怒声だったのか。
小石が何度も当てたおかげだろうか。
アルマーニが鉄扉に辿り着いた時には、もう光は溢れ、門番の姿が見えていた。
滑り込むように扉をくぐり抜け、ワイスも無事に小屋へと帰還。
「だ、大丈夫かよ──」
「馬鹿か君は! 早く閉めろ!!」
呑気な門番を叱咤し、瞬間ワイスはしゃがみ込み、とうとう溜め込んでいたものを吐き出してしまった。
「オ゛オオオォォ、ギルバ!!」
オークの雄叫びは門番にも十分届き、急いで鉄扉を閉めるため縄を引いていった。
顔面蒼白で鉄扉を閉め、光は徐々にオークの姿を闇に溶かしていく。
「大丈夫だ。間に合うぞ……っ!」
あと少し。もう少し。
鉄扉を完全に閉め切ったと安心した門番を、暗視ゴーグル越しに見ていたアルマーニは、声よりも先に身体を動かしていた。
門番の腕を横に引こうとした。
……間に合わなかった。
「あ、あ……」
何が起きたのだろうか。
門番は顔面に斧を受け止め、弾かれたように後方へ飛ばされたのだ。
しゃがんでいたワイスの頭上を通り越し、力無く床に倒れ込んだ門番は、割れた頭からドロドロの血液を流して絶命した。
「……くっそ、がぁぁっ!」
自分が投げたあの斧。
オークに刺さったのか、それとも受け止めたのすらも分からない。ただ、隙が生まれてくれればそれでいいと、それだけで良かったはずだった。
それが今、門番の頭に刺さっている。
オークは未だこちらに向かって走り続けていた。
助けることが出来なかった。
「ア、アル………」
ワイスの呼びかけに我に返ったアルマーニは、門番が引いていた縄を握り、力の限り引いた。
鉄扉は重い音を立てて完全に閉まった。
棍棒や拳がぶつかる音はするものの、鉄扉が響くことはない。
小屋の中は静寂に包まれた。
「アル……アルッ……!」
ワイスは泣いていた。
泥と血と汚物にまみれ、目の前の死体に震え、泣いていた。
救いなどない。
「やっちまった。失敗した。くそ、くそ、くそくそくそぉっ!!」
何故、斧を投げてしまったのか。
何故、助けてやれなかったのか。
何故、失敗したのだろうか……。
アルマーニは鉄扉に手を当て、静かに怒りを殺していく。
絶望だった。
そして王国は、彼らを忌み嫌うように、深い夜を迎えた──。
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