最終話 それはまるで大脱出(後編)
「グオオオ゛ッ! グオアアッ!! 」
巨獣の雄叫びは、大地を破壊する凄まじい強さだった。それは雄叫びに止まらず、爪や野太い足で踏みつけ、全てを壊して走っていた。
「遅れんな! 走り続けろぉ!」
アルマーニの喝もあり、マーヤは必死に傷を負った状態で走り続けていた。
洞窟を抜け、大理石の廊下を走り、階段を駆け下りて再び廊下を走る。
巨獣の腕が伸び、マーヤが走っていた廊下の床に叩きつけられると同時に、大きな穴が空けられる。
それも、何度も何度も。
「くっ、痛っ……」
「メロン女!」
あちらこちらに瓦礫の山が積まれていく中、マーヤは小さな石に躓き転びそうになる。それを先行していたアルマーニが支え、手に持っていた小瓶をマーヤに押し付けた。
「飲め! 飲まねぇと死ぬぞ!!」
アルマーニがマーヤの口に押し付けたのは、洞窟に入る前に死体から頂いた活力剤。
飲めば身体が一気に熱くなり、一瞬ではあるが体力が回復するという代物。
だが、マーヤはそれを察していた。
活力剤は貧乏人には買えない代物だ。だからこそ死体から盗んだのだと、嫌でも理解してしまう。
マーヤはアルマーニの持つ活力剤を前に悩むが、巨獣はもうすぐ後ろに迫っていた。
舌を打つアルマーニは、飲めないと判断して腰を抱き寄せて掴んだ。
「ひゃっ!? な、なにを!?」
「飲めねぇならそれでいい! 俺は女を見殺しにするようなクソじゃねぇからな。助けてやる」
にやりと笑うアルマーニは、明らかに下心が丸見えだが、活力剤を飲んだところで足が遅ければ途中で巨獣に喰われているかも知れない。
それならばと、アルマーニはマーヤを肩に担ぎ上げ滑るように下の階へ下りていく。
「そうだなぁ、一晩俺に付き合え。それか金だな金」
「やはり貴様はろくな男じゃないわね!」
「今さらかよぉ、なぁに期待してんだかっ!」
肩を掴んで必死に逃げようと暴れるマーヤの尻を掴み、アルマーニは崩れていく神殿内を跳んでは走り、走っては跳んでを繰り返す。
楽は楽だが、尻を触られて決して良い気分ではないマーヤは、アルマーニの頭を叩いて反抗する。
その様子を横目で一瞥していたガルダは、呆れ顔で溜め息をつきながらも、ようやく広間にまで戻ってこれたことに安堵していた。
「おい! 今どういう状況で──」
「見れば分かるであろう。生きるか死ぬかの瀬戸際だ」
入り口辺りで集まっていた上級冒険者が、ガルダに強く迫り、眉をひそめて視線を上に上げた。
巨獣は建物の瓦礫にぶつかり、勢いを弱めながらも力強く足場を破壊し、転がるように神殿を下りてきていたのだ。
それはさながら濁流か。
はたまた土砂崩れか。
何にしても天災に変わりなかった。
「これはいかん!」
「逃げろ! 王国の門番兵に連絡を!」
「やだ死にたくないわあ!」
各々思うように動いていき、ガルダは大剣を再び構えて臨戦態勢となった。
まだ傷が浅い上級冒険者たちも、ガルダの勇敢さに背を押され、続々と武器を構えていく。
しかし、アルマーニとマーヤは青ざめた表情でまだ二階付近の廊下ともいえない崩れた道を、ひたすら駆け抜けていた。
「グオアッ! ガァァッ!!」
巨獣の死に物狂いな叫びは、マーヤの耳を潰しに掛からんとする勢いだ。
アルマーニも決して怠けている訳ではない。懸命に走っている。それでもやはり、人間と魔物とでは足が違う。
巨獣の腕が伸びた。
鋭い爪がマーヤを襲い、背中を丸めて間一髪避けるが、アルマーニの背中部分のジャケットは裂け、負傷こそしないもののギリギリに変わりはなかった。
「ひっ、め、目の前、もう目の前に……!」
「顔上げんじゃねぇよメロン女、あと喋んな。舌噛むぜぇ」
「っ……!」
巨獣の涎がマーヤの目の前に垂らされ、悲鳴をあげそうになってすぐさま口を噤んだ。
アルマーニが二階のテラスから、広間へと一気に飛び降りたのだ。数十メートルはあると思われる高さを、急降下で落ちていく。
生暖かい風が吹き抜け、身体に全体重とマーヤの体重も合わせて、アルマーニは歯を食いしばった。
ガンっと床に足から着地したアルマーニ。足が一気に痺れあがり、筋肉がぷつりと切れそうになる。
「……くぅぅ! 無茶しちまったなぁ!」
「ああもう! 私あとは頑張るから!」
足を震わせるアルマーニに、負担を軽くするためにマーヤは肩から下りた。
太ももが釘でも刺さっているかのように痛むが、気にしている暇はない。
「早く走れ! 愚図をしている暇はないぞ!」
「わぁーってる! くっそ!」
ガルダが大剣を片手で担ぎ、先に走れとマーヤを促した。
引きずりながら早歩きでマーヤは入り口の冒険者たちに合流し、残りはアルマーニただ一人。
「グオ、ゲガァ、グコゴッ」
巨獣の体力も残り僅かのようだった。
アルマーニの姿を追いかけて、怒りと憎しみだけで動く巨獣は、二階テラスを破壊しながら崩れ落ちていく。
当然、その下はにはアルマーニがいた。
足の痺れはまだ取れない。だが走らなければこのまま下敷きにされて、死んでしまう。
「ぬ、おおおぉぉっ!!」
老体に鞭を打つとはこのことかと、アルマーニはどうでもいいことを考えながら短剣を抜いた。
マーヤから奪い取った短剣の一本。
王国の紋章が刻まれた綺麗な短剣。
それを、アルマーニは自らの太ももに突き刺した。浅く突き刺さった短剣は血に染まり、アルマーニの足を熱湯のごとく熱くしていく。
痛みは痺れを取り除き、代わりに激痛が襲い始めるが、これで走ることが出来る。
「うおおおぉぉぉっ!!!」
「走れぇぇぇ!」
アルマーニの雄叫びとガルダの叫びが重なり、冒険者たちが一斉に弓や斧や魔法の巻物を構えていった。
巨獣の身体がアルマーニのいた位置に落下し、土埃を撒き散らして、それでも止まらず走り続ける。
ボロボロの毛並みを神殿内の蝋燭の炎が照らし、巨獣の全貌を明らかにしたところで、再び腕が伸ばされた。
アルマーニの頭を狙い、突撃しようとそのままの勢いで突っ込もうとして、巨獣の目は完全に潰された。
「放て!」
アルマーニの襟首を掴んで外に放り投げたガルダが、大剣で真っ正面から巨獣の右目を突き潰すように構えていたのだ。
巨獣は驚き、だが反応は出来ず勢い任せにガルダを突き飛ばして入り口へ走っていったが、それは死へのカウントダウンを早めた。
外で構えていた遠距離攻撃を得意としたメンバーが、一斉に巨獣の身体を叩き潰すため攻撃を仕掛けたのだ。
無数の矢が頭に刺さり、投擲された斧が足を切断し、炎や水や風といった初級魔法が巨獣の背中に注がれる。
「ぐお、がぁう、ごごがっ!?」
声にもならない鳴き声を発し、その勢いを完全に失った巨獣は、身体から煙を噴き出しながら、ゆっくりと地面に倒れ込んだのだ。
「か、勝ったのか?」
「おお! 勝った! 勝ったぞぉぉぉっ!!」
もう動くこともままならない巨獣を、さらに王国兵たちは用意した大鎖で締め上げ、大網で包んだところで、冒険者たちから大きな歓声があがった。
見ず知らずの者と喜びを分かち合い、抱き合い、または拳を空へ突き上げ、酒を飲み交わす約束を果たす。
「終わった……のね」
マーヤは何も出来ず、地面にへたり込んで深く息をついた。
ガルダもまた肩で息をしながらも立ち上がり、落としてしまった大剣を拾って血を払うため一振りをして、背中の鞘にしまい込んだ。
「ふむ、なかなか有意義な依頼であったな」
満足気に腕を組み、捕獲された巨獣を遠巻きに見るガルダは、大きく深呼吸をして神殿を後にしていく。
「……そうだわ、あの男は、どこに?」
少なくとも、礼は述べておきたいマーヤは、アルマーニを探そうと辺りを見回したが、その姿はどこにもなかった。
「──結局逃げたのね」
太ももを押さえて、マーヤは残念そうに吐き捨てて巨獣を横目に一瞥する。
そして次に地面を見た時、見覚えのあるものが足元に落ちていた。
「これ、私の……」
王国の紋章が刻まれた短剣。
血塗れで、時間が経ってしまい拭っても切れ味は元に戻らないだろう。
アルマーニに奪われてから行方知れずだったが、こんな形で返されても、文句の一つも言えないではないか……。
「……死体漁りのアルマーニ、ありがとう」
金鎧男が呼んでいた名前。
マーヤは小さく小さく、彼の名を呟いて、礼を言った。彼には助けられてばかりだった気がする。
金を払うのは簡単だが、一晩酒を酌み交わすくらいならしてやらないでもないと、マーヤは鼻で笑いながら思った。
次に出会うことが、あるならばの話だが──。
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