最終話 それはまるで大脱出(前編)


 地震の如く揺れる神殿内。

 その原因が最奥部にいたボスから発せられた咆哮だと理解した時、単独で行動していたガルダは驚いていた。


 最奥部から逃げてきたと思われる上級冒険者たちが、次々と悲鳴をあげてガルダの横を抜けていくのだ。

 上級者ともあろうものが、なんとも情けない。



「どうした? 何故逃げる?」


「ボスが強力過ぎるんだ! 全員揃えば勝てないことはないだろうが……」



 ガルダの不思議に思う問いに、冒険者は苦悶の表情を浮かべて答えた。



「遅れて到着したからな……もう既に手がつけられないくらいに暴れてたんだ」



 冒険者は足を止めて説明してくれるが、よく見れば肩を負傷したのか、絶え間なく血が流れていた。

 ガルダは小さく頷き「すまない。感謝する」と、言い残して最奥部を目指した。


 冒険者は制止しようとしたが、首を左右に振って急いで廊下を駆け抜けていった。



「このような神殿にいたボスならば、何故今まで放置していた?」



 誰に問うわけでもなく自問して、自答出来ずにガルダは小走りに最奥部へ向かった。


 上級冒険者の死体が見つかり、そのまま通り過ぎると暫くして洞窟のような内部に差し掛かる。

 そこで、異変に気付いたガルダは素早く死角に隠れた。様子がおかしい。


 骨が砕かれるような嫌な音が聞こえてくるなか、何やら微かに会話が耳に届いた。



「……奴は金鎧の男か」



 見覚えのある目立つ鎧を装備した男。

 黒の鎧兵が数名に、倒れた冒険者の側には赤髪の女性が一人。



「どういうことだ、あの男。囲まれているのか」



 洞窟の壁を利用して、ガルダは眉をひそめて覗き見る。


 神殿の入り口で出会った胡散臭い男。

 片手に斧と短剣を持ち、腰の剣を抜くタイミングを図っている。

 

 その後ろには、骨を砕いていた張本人である巨大な獣が食事していたのだ。これは明らかに状況がおかしい。



「ふむ……どうするか」



 救世主となるかは分からないが、この状況を打破するための道具なら持っていた。

 ガルダは腰のポーチから小さな布袋を出すと、そこから小さな小さな虫を取り出したのだ。


 薄黄色の体をした虫は生きており、ガルダの手袋をした手の甲を必死に歩いていく。


 名前は、眩虫というらしい。

 大変臆病で、自分の命の危機を感じると一面瞬く間に光に包まれるという。

 つまり、閃光の役割を果たしてくれるというものだ。


 この状況、自分だけでも動くことが出来れば問題ないだろう。

 それに、あの胡散臭い男は、見た目や言動と違い修羅場をくぐり抜けていると見えた。チャンスさえあれば自分の危機は、自分で打開するだろう。


 ガルダは眩虫を金鎧男の頭上を越えるように投げつけ、顔を伏せた。

 眩虫は思惑通り金鎧男を越えて、王国の鎧兵を通り抜け、胡散臭い男──アルマーニの頭に当たって落ちた。


 アルマーニは何が当たったのか不思議そうに地面を見て、それが眩虫と視認出来た瞬間、腕で素早く視界を防いだ。



「うおお!」



 その動きを攻撃と勘違いした王国兵が、一斉に突撃しようとした。瞬間、洞窟の内部は爆発的な閃光に包まれたのだ。


 予期せぬ事態に王国兵は混乱し、あるいはその閃光を直視してしまったのか、重い悲鳴をあげて膝から崩れ落ちる。



「なんだこの光はっ!? どうなっている!」



 金鎧男も魔法書を盾にして、混乱と動揺を見せていた。攻撃も詠唱も出来ない。眼を閉じても閃光は強く完全に防ぐことが出来ないようだ。


 そんな中で先に動いたのは、アルマーニだった。


 目は見えない。攻撃も出来ないが、逃げることは出来るだろう。斧を捨てて短剣をホルダーにしまい、身軽になったアルマーニは正面から突破するために地を蹴った。


 

「ふん……っ!」



 それを見計らってか、ガルダは黒い眼鏡を装備して、悪魔にも似た禍々しい大剣を抜き走った。



「ぬおぉぉぁぁあ゛あ゛っ!! どけぇぇぇ!!」



 アルマーニの雄叫びに、王国兵は為す術なく突破を許した。しかし、金鎧男はその場から動かない。魔法書の頁を無作為に捲り、適当な魔法を放とうとしたのだ。



「させぬぞ」



 それを、ガルダの片刃である大剣が防いだ。赤髪の女性を横目に走り抜け、金鎧男の背中に大剣を叩きつける。

 


「ぐおっ!?」



 目を潰されていた金鎧男は目の前の標的に集中したせいか、背後からの刺客に対応出来ずに腰を殴打され、見事に転がった。


 

「ぬおあっ!? なん、だ!?」



 転がった金鎧男に気付くことなく、アルマーニはそれに躓いて前のめりにつんのめり、顔面から地面に着地してしまった。


 同時に閃光は次第に収縮すると、眩虫はその役目を果たしたのか、大きく肥大して破裂し、命を終えた。



「いってぇ……んだよくそ!」


「ほう、間抜けな逃げ方だが無事のようだな」


「アンタは……入り口にいたおっさ──」


「ガルダだ。おっさんとは呼ぶなよ、おっさん」



 暗視ゴーグルが割れ、額から血を流すアルマーニは、ガルダとの軽口を叩き合いながら立ち上がった。

 ダラダラと顔のあちこちが切れて血が流れているが、割と元気そうなアルマーニ。



「くそ、くそっ! どうなっているのだ!」



 元気ではないのがこの男だ。

 腰巻きが解け、鎧の一部がへこんでしまい、金鎧男は痺れる腰を押さえてゆったりと立ち上がった。


 巨獣は魔法書からの供給が途絶えたのか、はたまた閃光のせいか、暴れることもなく倒れ込んでいた。だが、鼻息は荒く、涎も垂らしっぱなしだ。



「ふぅ、なんとかなりそうだぜぇ?」



 アルマーニは鼻血を手の甲で拭うと、その液体を払った手で土埃を落としていく。


 王国兵は完全に機能を停止。

 巨獣も動けない状況。

 金鎧男は負傷しており、魔法書は落としたままだ。


 対してこちらは上級冒険者と死体漁り。

 アルマーニの傷は深いが、動けないほどではない。ガルダはすこぶる好調だ。


 たとえ王国騎士団長でも、この状況は打破出来ないだろう。とっておきなんてものがないのなら。



「たかが冒険者風情が……王国の人間に刃向かうと? 馬鹿げた話だ!」


「なるほど、確かに力量は計り知れないな。だがしかし、私は強いぞ」



 金鎧男の余裕はハッタリか。

 しかし、ガルダの言葉はハッタリなのではない。上級者という証はただの称号だが、大剣を持つ手に迷いなどない。悪しき人を殺すことは、魔物を殺すことと変わらない、ということか。



「くっ、ぎっ…ぎぎぎ…っ!!?」



 金鎧男は細身の剣を抜いて応戦しようとしてみるが、気迫が違う。気圧だけで押しつぶされそうになる。

 歯軋りをし、悔しさを露わにする金鎧男は、アルマーニの奥にいたとある人物を見つけ、ニヤリと笑みを浮かべた。



「貴様! 王国親衛隊の新人だなぁ!!」 


「……わ、私?」



 金鎧男の嬉しそうな言葉に、アルマーニとガルダは後ろを一瞥した。


 冒険者の怪我を治していたマーヤは、眉をひそめて心臓の鼓動を早くした。



「さあ新人、いい機会だ! 私に加勢しろ! 手柄の分け前をくれてやる。こいつらを殺すぞ」


「な、なんてことを……」



 騎士としてあるまじき言葉。

 夢と希望を持って入隊したのにも関わらず、弱きを助け悪党を挫くための騎士が、こんなことを言うなんて。


 人を殺せと命じられるなんて、誰が思うことだろうか。


 金鎧男の言動に、マーヤはゆっくりと首を左右に振る。その答えは、もはや魔物と変わらぬ男を激昂させた。



「ああ、なるほど……貴様も、貴様も“ボク”に刃向かうのか!! なら死ね、ここで死ね! 今すぐ頭を垂れて死ねぇっ!! この雌犬がぁぁ!!!」



 下劣な金鎧男は細身の剣を手に、マーヤに向かって走り出した。汚い言葉を撒き散らし、身分や世間体を全て捨てて、マーヤに斬り掛かったのだ。


 それを、ガルダとアルマーニが力づくで止めに掛かる。



「俺はよぉ、人は絶対殺さねぇって決めてんだよ。だが、テメェは人じゃねぇ。だから、殺すぞ」


「黙れ下僕がぁぁっ!!!」



 アルマーニの力強く、殺意に満ちた言葉はより一層金鎧男の怒りを膨れ上がらせた。

 ガルダの大剣が細身の剣を弾き飛ばし、アルマーニの短剣が金鎧男の首を狙い突き刺す。


 金鎧男は辛うじてそれを避けると、今度は投擲された短剣によって太ももに致命傷を食らい、尻餅をついてしまった。



「どんな女でも言っていいもんと悪ぃもんがあんだよ……野郎としてはなってねぇな。お子様でもよ、もっとまともなこと言うぜ? なぁ、騎士団長様よ?」


「ボクは、強いんだぞ!? ふぅ、ふぅ、ふぅ……っ! く、たばれ死体漁りがぁぁっ!?」



 金鎧男の足を踏みつけ、アルマーニは見下してニヒルな笑みを見せた。

 最後の抵抗として、落ちていた折れた直剣を投げるように刺そうと振り上げた瞬間、アルマーニの剣がそれを弾く。



「メロン女!」



 ガルダは大剣を背負い、背を向けたと同時に、アルマーニは絶望していたマーヤを呼んだ。


 マーヤは何も言えず、生唾を飲んで次の言葉を待つことしか出来ない。



「こいつ殺すか?」


「……あ」



 アルマーニの一言でようやく現実に引き戻されたマーヤは、溢れ出す涙を拭うことなく首を左右に振った。



「……すまない。ありが、とうっ」



 座り込んだまま、深々と礼を告げたマーヤは、情けないほどに鼻水を垂らし、顔をくしゃくしゃにしながら何度も礼を告げた。


 アルマーニはそれを見て溜め息をつくと、金鎧男の腹に蹴りをいれ、動けないように両足を縄で縛り上げた。



「かっこよく決めたものだな。死体漁りとやら?」


「うっせぇよ。わざわざ茶化してくるんじゃねぇ」



 ガルダは鼻で笑い、腕を組んで状況確認を済ませていく。



「……この魔法書は、市場では見ない代物だな」


「あぁ禁書だとよ。これは俺が貰うがなぁ」



 拾おうと近寄るガルダを手で制し、落ちていた禁書という名の魔法書を拾うアルマーニ。

 これがあれば、ワイスは大層喜ぶことだろう。金貨が何枚貰えることやら。借金返済も夢ではない代物のはずだ。



「ふむ、まぁ貴殿の活躍が殆どだろうからな。それは諦めるか。しかし──」


「逃げてぇ!!」



 ガルダの言葉を制して叫んだのは、顔を上げて必死の形相をしたマーヤだった。


 ああ、完全に気が抜けていたかも知れないと、アルマーニは反省した。


 凄まじい気合と共に、立ち上がったのだ。巨獣が。縛っていた首輪を鋭利な爪で千切り捨てて……。



「マジかよ……」


「これはいかんな」



 アルマーニとガルダはお互いに顔を見合わせ、お互いに雑嚢から道具を取り出しながら、後退りしていった。


 アルマーニの手には赤い小瓶。

 ガルダの手には煙を発生させる小さな玉。



「逃げるぞ!!」


「グオオオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!?」



 ガルダが煙玉を地面に叩き付け、アルマーニは凄まじいスピードで逃げ出した。


 白い煙が洞窟を包み込むが、巨獣の眼をいつまで誤魔化せられるかなど分からない。


 逃げ切れるかすら、誰にも分からない──。


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