第5話 裏切り者
「グオォォオアア!!」
獣の如く力強い咆哮が洞窟を揺らしていた。
数人だけとなった無謀なる挑戦者たちは、それぞれ武器は構えど 慄いてしまっている。
中には勇ましく剣を奮う者はいるが、ボスの強さは凄まじいものだった。
赤黒く逆立った鋭い剛毛。血の色にも似た瞳がぎょろりと動く。巨体の大きさは全長十メートルは軽くオーバーしており、洞窟の半分ほどを占めている。
誰かを貫いたのか、爪からは鮮血が滴っていた。
だらしなく空いた口からは涎を垂らし、不思議なことに青い首輪を着けられており、千切れた鎖が揺れていたのだ。
「こんな化け物を、古代の魔法使いは創り出したのか!?」
誰が言ったのかわからない。
だが、そこに辿り着いたマーヤは息を切らせながら同じことを思っていた。
使命のために突っ込んできたが、いざ巨獣を見ると足を震わせてしまう。それでも、倒れていても生きている冒険者を救うのは王国騎士の務めだ。
少なくともマーヤはそう思っている。だから戦える。走れる。救える。
「あの人、まだ息があるわね!」
数人が倒れている中、明らかに血を流し呼吸すらしていない者の中に、肩で呼吸している者が見えた。
何にしても、安全な場所まで連れ出さなければ。
巨獣が他の冒険者に気を取られている隙に、マーヤは全力で走り抜けた。
しかし、相手が悪かった。
巨獣はマーヤの姿を捉えると、その身体に似合わぬ猛スピードで駆け始めたのだ。
「しまっ──」
マーヤは巨獣の突進を避けることに精一杯で、倒れている冒険者が見えなくなってしまった。巨獣がその太い足で踏みつけてしまったようにも見える。
その証拠と言わんばかりに、じわりと、血溜まりが巨獣の足元に広がり始めていた。
「あ、あ……うそ……っ」
なんて愚かなのだと、マーヤは自身を責めた。
獣の独特な臭いが鼻腔を突き、マーヤの目の前に涎が垂らされる。涎は転がっていた石ころを容易く溶かし、地面を軽く陥没させていったのだ。
「なんてことだ!」
「いけない! 助けないとっ!」
「馬鹿か! そんなことをすればオレたちが死ぬぞ!?」
情けない会話が洞窟内で響き渡る。
広々とした空間だが、先程の猛スピードを見た後では誰も手を出そうとしない。
怯ませることは出来ても、標的が変わるだけで死ぬことが早まるだけだ。
そんな死の危険を冒してまで他人を助ける者など、一人いただけで奇跡と呼べよう。
「逃げろ!」
また誰かが叫ぶ。
「グオアッ!!!」
巨獣は腕を振り上げ、鋭利な爪をぎらつかせた。マーヤは腰が抜けてしまったのか、ペタリと尻餅をついてしまっている。
今度こそ、足が震えて動かなかった。腰巻きで隠れた下半身からは、生暖かいものが流れる。
巨獣は鼻をひくつかせると、笑みを見せた気がした。
「馬鹿かよ! 王国騎士なんだろ! 騎士なら騎士らしく足掻いてやれ!! 諦めるんじゃねぇよ!!」
巨獣が爪を振り下ろす瞬間、突如として洞窟内が白煙に包まれた。
一瞬たじろいだ巨獣は、しかし怯むことなく振り下ろしたのだ。
死を悟っていたマーヤはその声によって動かされたのか、一瞬の隙を突いて巨獣の股下へと潜るように転がった。
「ああ゛あ゛っ……!」
マーヤは激痛に喘いだ。
避けきれず膝の下辺りを爪が突き刺したが、皮膚を抉っただけで骨までは砕かれずに済んだようだ。
あのままでは確実に死んでいた。
「おう犬っころ! こっちに来い!」
白煙の中、聞き覚えのある男の声が聞こえ、マーヤは痛みに悶えながらも驚愕した。
視界の悪いなか、マーヤが見たのは先程の死体漁りをしていた男だったのだ。
「グルルル……」
「いいぜぇ、ゆっくり来い」
死体漁り──アルマーニは巨獣を煌めく何かで釣っている。白煙の中でも煌めく物は目立つ。巨獣がそれに気を取られている隙に、マーヤは這いながら倒れた冒険者に辿り着いた。
まだ息はある
それが分かると、必死に手の平だけで押していき、入口まで進んでいく。
「グルァァガッ!!」
同時に、巨獣が一気に地を蹴り上げてアルマーニに突進した。土埃がマーヤを襲うが構わず進んでいく。
アルマーニの方は間一髪で突進を避けることに成功していた。
凄まじい勢いで巨獣は方向転換することが出来ず、壁に激突し、洞窟を含めて神殿自体が大きく揺さぶられる。
「おわっ、闘牛さながらだねぇ。食らったら一発であの世行きだな」
赤い布ならぬ、短剣を軽く振ってアルマーニは苦笑する。
額から脂汗が噴き出し、生唾を飲み込んで巨獣の様子を窺う。
「何をしている! 貴様も逃げろ!!」
無事に冒険者を入口まで運び終えたのか、血だらけの足を抱えてマーヤが叫んだ。
白煙は徐々に薄れていき、周りを一瞥すると、先程までいたはずのパーティーがいなくなっていた。
「マジかよ。逃げ足早ぇな」
悪態をつく頃には、巨獣が雄叫びをあげて壁から脱出し、アルマーニの方へと向き直そうとしていた。
白煙もない。逃げ道はあるが、ここで逃げれば全滅は免れないだろう。だが、助けなど来るはずもない。
「足をやっちまえば俺の勝ちかねぇ。……いけるか?」
「オオオオォォォッ!!!」
アルマーニは自分に問い掛け、微笑んだ。巨獣は怒り狂い、力任せに突撃をしてアルマーニを噛み砕かんとしている。
だが、その巨体の足元はガラ空きだ。
アルマーニも真っ正面から巨獣に挑み、地面に転がっていた片手斧を拾って、身体を擦り付けて股下に滑り込んでいく。
巨獣の突進や突撃の動きは見切りやすい。アルマーニにとって避けることは造作もないこと。
「足元がお留守だぜ犬っころ、がっ!!」
スライディングから振り向き様に、斧を巨獣の足に回転させながら投擲する。
巨獣は素早く振り向いて、アルマーニを捉えようとしたと同時に、視界が真っ赤に染まっていくことに首を傾げた。
「グオア? ガァァッ!?」
巨獣は溢れ出す血と痛みに気付き、巨体を揺らして暴れ出した。
投擲した斧は足ではなく、巨獣の左目に刺さって落ちたのだ。
狙いは違うが、結果オーライというもの。
「さぁて、今のうちに足を切断して動けなくして──っ!」
アルマーニは短剣と落ちた斧を拾い近付こうとした時、何者かが巨獣に襲い掛かったのだ。
片目を失い、疲労困憊した巨獣に、数人が寄って集って攻撃し始めたのだ。
「ここまで弱れば勝てるぞ!」
「いけいけ! やっちまえ!」
逃げたはずのパーティーが戻ってきたのか。大槍で叩き込み、矢が雨のように降り注がれ、魔法書から炎や水の弾が巨獣を襲う。
「チッ、いいとこだけ持って行こうってかよ」
アルマーニ、舌を打って顔をしかめた。
マーヤは不安気だが、冒険者の手当てに勤しんでいるようだ。
暴れるだけで、隻眼となった巨獣は手当たり次第に爪を振り下ろし、もがき苦しむだけ。なんとも可哀想に見えてくる。
「しゃあねぇ、後は見物するとすっか──ん?」
適当に死体から金品を頂いて見物しようとしていたアルマーニは、見覚えのある鎧の男を見つけた。
ようやく王国の真打ちが到着したらしい。
「よし! もう一つの目を狙え!」
「もう一踏ん張りだ」
大槍が足を狙い、矢は目を集中的に攻撃し、魔法書を使い切ったのか、剣を振るって巨獣が膝を付くのを待つばかり。
「……なんだありゃ」
そんななか、アルマーニは見てしまった。
あの目立つ金鎧男が、真っ赤な魔法書を開き、巨獣に向けて何かを唱え始めたのだ。
次の瞬間。
「×××××××××ッ!!!!」
突然として、巨獣が声にならない雄叫びをあげたのだ。耳をつんざくほどの雄叫び。
身体を赤く光らせ、青い首輪から伸びる鎖がより大きく揺れ始める。
地が震え、大きめの石は浮き、まるでお伽話に出てくるドラゴンのような圧力。
「……アイツになにした?」
金鎧男に、アルマーニが静かに問うた。
「死体漁りのアルマーニか。噂は兼々、まさか最奥部まで来ていたとは」
「マジかよ、バレてる……」
金鎧男がニヤリと笑う。
アルマーニは腰に下げていた剣に触れながら苦笑いを返した。
「そうだな、冥土の土産にでも教えてやろう」
金鎧男が軽く手を上げた。
すると、奥に控えていた王国兵が数人集まり、それぞれ武器を構えてアルマーニを囲んだのだ。
「私は名誉が欲しくてね。神殿の最奥部でこの獣を見つけたとき、私は閃いたのだよ」
金鎧男の話が始まる頃、力を極限にまで高めた巨獣は、今まで自分をコケにしてくれたパーティーを憎悪のままに一掃していた。
大槍の男を踏みつけ、弓の男を爪で貫き、剣を持っていた女を大口で喰らい噛み砕いたのだ。
巨獣の口の周りから新鮮な血が零れ滴り、グシャ、ボキ、バキ、という咀嚼音が洞窟内に響き渡る。
アルマーニは生唾を飲み込んで、金鎧男の言葉を待つ。
「この獣はそこらの雑魚より遥かに強力だった。だから、利用しようと考えた」
金鎧男は気持ち悪い満面の笑みをした。
「上級冒険者など、金と名誉をチラつかせればハエのように集まってくる。上級冒険者が敗走し、無様な死を遂げた後、私がこの獣を殺す」
正義の王国が聞いて呆れる。
まるで小悪党のような考え方は、アルマーニにとって滑稽にしか見えなかった。
「禁忌の魔法書さえあれば私は奴を操れる!! この計画は完璧だ。名誉を手に入れることが出来るのだ!!!」
最初に話していたあの柔らかい物腰で優しい金鎧男は、もはやどこにもいなかった。
「人を殺して名誉を得た英雄ねぇ。いいじゃねぇか、最高に悪党だよアンタは」
「いいや。死体を漁る偽物の冒険者という悪党を殺す、素晴らしい王国騎士団長様さ」
アルマーニの嫌みを見事に返した金鎧男は、手を上げて王国兵に指示を出す。
絶対絶命とはまさにこのこと。
王国兵六人に囲まれ、入口には金鎧男、背後には食事中の巨獣。
アルマーニは全神経を集中させて、大きく鼓動する胸を手で押さえた。
「さあアルマーニ、最後の見せ物を始めようか」
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