第三話 朱の花玉
すめらの帝都で開かれる建国記念の祝祭は、三日間続く。
一夜明けて、本日はその二日目となった。
ぽんぽん打ち上げられる花玉が、晴れわたった蒼穹にふわりと広がる。
破裂した玉から細い爆竹が無数に飛び出して、長くえんえんと、煙の尾をひいた。
あまたの爆竹は羽虫の群れのごとく空を飛び交い、花模様と化す。その花弁は綿のようで、なんともやわらかな風合いだ。
薄桃にくれないつつじ、赤もみじ。花園をとびかう朱の鳳凰。
紺の瓦ひしめく空は百花繚乱。
帝都五十万の民が、見上げているのであろう。にぎやかな歓声が秋風にのり、白壁映える帝都月神殿の一室に運ばれてきた。
「おのれ……おのれおのれおのれぇっ!」
月の大神官トウイは、部屋に垂れる銀色の月紋の幕を乱暴におしのけた。私室の窓から仰げば、空一面に花玉が広がっている。
空を覆わんばかりの朱色の鳥模様を見るなり、その丸々としたまっしろな顔がぐしゃり。みるみる歪んでいった。
「朱色など。なんとむかつく……!」
窓枠を激しくひと殴りしたトウイは、おのが寝台にどずんと腰を落とした。
昨日悦に入って牛車に乗っていたときとは大ちがいだ。げっそり頬こけ、やつれている。昨晩遅く内裏から帰ってから、衣を脱ぎもせず、体をきよめもせず。部屋の調度にあたりちらし、大荒れの呈である。
「白湯をおもちしましたよ」
部屋に夫人が入ってくるも、トウイはいつもの豊満なる笑顔を見せられなかった。
「くそ! どうしてこんなっ……」
「それはあなたさまに、歌詠みの才がなかったせいでございましょう」
夫人は早口に言い放つと、白湯をいれた椀を寝台の横の卓にどんっと置いた。
「あなたさまは吟じるのはそこそこですが、人の歌を解するのは――」
「ちがう、わしは太陽神官どもに嵌められたのだっ。あの金の髪の、異国の血の入った者どもに!」
憔悴いちじるしいトウイは弁明するも、夫人は怒りに満ち、疑わしいまなざしを崩さない。
「身代わりをたててくださいませ」
「むろんだ。密偵たちが、手ごろな娘を探しておる」
「間に合わねば、わたくしのマカリ姫は……」
「間に合わせるっ!」
どうしてこうなったのだろう。
夫人が鬼瓦のような顔をはりつかせたまま辞したあと。トウイは寝台の上で頭をかきむしり、苦悶のうめきをもらした。
昨晩の〈月を愛でる宴〉は、実に優雅でみやびやか。池に映るはしろがねの月。竜笛の調べが流れる中、杯に月を映す美酒が酌み交わされた。
若き天子は黄金の衣まとう艶姿。杯をかかげられ、月の美しさに焦がれる歌をお詠みになられた。
するとおそばにおられる銀の衣の母君、皇太后さまも、月のけなげさを愛でる歌をお詠みになられた。
これはおすすめするまでもなく、お二人は我が娘をお望みなのだと、トウイは有頂天になった……のに。
『しろがねの 月はたゆたう盃に 天の御心にその身をゆだねて』
よろこんで月の娘を差し上げますと言う意味の歌を、朗々と詠み返すと。
天子は実にほっとした龍顔で、トウイに謝意を示されて、思し召しを下された。
『ではトウイ、八人の帝都月神殿の巫女姫を、八人の柱国将軍に捧げるように』
『は……はぁあああ?!』
トウイは口をあんぐり。呆然とその場に固まった。
刹那、「ありがたき幸せにございます」と、太陽神官のものどもが深々頭をさげたのであった。
これは太陽神殿の、卑怯きわまるはかりごと。
月のトウイ、ハッと気づいたるも、あとのまつり――。
柱国将軍とは、群を抜く武功を立てた武人に与えられる勲位である。
すなわち、幾万もの兵士を率いる太陽神官族の武官のことを指す。
将軍たちは帝国の守護神とうたわれているが、その実は、巫女に宿った神霊の力を吸うという、あやしげな方法で強化されているという。
『トウイよ、柱国将軍は今まで、州太陽神殿の巫女を娶り、神霊の加護を得てきた。しかしそれでも、レヴテルニ帝率いる魔道帝国軍との戦は苦しい。太陽神殿は将軍たちのさらなる強化のために、最高位の巫女姫を娶りたいと、切に望んでおる。だがな、帝都太陽神殿の巫女はみな近々嫁ぐことに決まっておるので、将軍たちにはやれぬのだ』
つまり太陽神殿は、家格の高い巫女姫の霊力を生贄にして柱国将軍を無敵にしたいが、自前の巫女姫を使うことを惜しんだのだ。帝都月神殿の巫女を使えば一石二鳥。柱国将軍は強くなり、月神殿は内裏への影響力をそがれる。
『トウイよ、よくぞ承諾してくれた。朕はあらためてそなたに礼を述べる。おいおいそなたに、これに報いる勲位と、相応の封土をあたえることとする』
主上の龍顔は晴れ晴れ、まるで悪い憑きものから解放されたよう。
呆然自失のトウイはそこでハッと気がついた。主上に寄りそう皇太后がチラチラと、太陽神官のひとりに熱っぽいまなざしを送っておられるのを。
(まさか……まさか母后さまは……!)
その太陽神官は、なんともみめよい美丈夫――。
(なんということだ! 太陽神殿は、母后さまを寵絡したのか?!)
皇太后は帝都星神殿のご出身。藍色とは言えぬ薄青の髪に浅黒い肌の、血の薄い一族だ。庶民の血が混じっているので、太陽神官族も星の神官族は下位に見ている。ゆえにトウイは完全に油断していた。
三色の神殿は三つ巴。皇太后は当然、星神殿を身びいきすることはあろうが、よもや太陽神殿に取り込まれることはあるまいと。
だが太陽神殿は、天子とその母君を手中に入れたのだ。おそらく。おそらくは、言葉にするのをはばかられる手段を使って……。
(はめられた……おのれ! はめられたぁっ……! ぜ、絶体絶命じゃ!)
内裏にて天子とかわされた約束は、けっして覆せない。
元老院で発議はされるが、この場合は、形式だけのものとなる。
このことはなかったことにしてくれとこちらがごねたら、天子への、ひいてはすめらの帝国への反逆の意志ありとみなされてしまう。
月の夜であるというのに、太陽神官どもの、なんとにこやかで晴れ晴れしかったことか。
おそろしい。実におそろしい者どもだ。
『ご協力いたみいる、月のトウイどの』
とどめに太陽の大神官ヤンロンが、朱の衣のすそをすすっとひいて立ち上がり、ぬけぬけと斜め三十度の会釈をしてきた。その手には、すめらの国の公文書である紙の巻物がひと巻。それは薄く黄色で金箔が散らしてあり、ひと目で帝の勅令状だということがわかった。
『帝都月神殿の巫女姫は、ちょうど八人おられるな。数がぴったりとは、これはただならぬ縁。いやめでたい。だれをだれに娶らせるかは、太陽神殿の方で決めさせていただいた』
『なっ……』
どこがめでたいのだという叫びを、トウイは必死に呑み込んだ。
柱国将軍が巫女から力を吸い上げるのは、三ヶ月に一度と言われている。「娶る」と称するが、その実はつまり、霊力を吸われるだけの生贄だ。
『今から縁組みを読み上げる。ロン家のトワ姫は不知火の柱国将軍に、フウ家のアイ姫は……』
よくもあのとき、あの場で卒倒しなかったものだとトウイは思う。
それは十割、悪意としか思えぬ縁組であった。
『……トウ家のマカリ姫は黒髪の柱国将軍に、その御身を捧げられたし』
「あああ……わしのマカリが、よりによってあの、黒髪の……ざ、残虐きわまりないという噂の、あの……!」
寝台に力なく座るトウイは、顔を手で多い、ふらりとよろけた。
月見酒の味など、まったく覚えていない。
太陽神官たちの勝ち誇った笑顔も、第二位と第三位の月神官のうらめしげな顔も、ただただおそろしかった。思わずすがるように星の神官たちを見てしまったが、びくりと腰引くあれらになにができるというのか。
しろがねの月女さまはそ知らぬふり、天で冷たく輝くばかり。
毎日祝詞を唱えて称えているのに、なんとつれない仕打ち。
いや。トウイ自身が、承諾してしまったのだ。この理不尽な縁組みを。未来のない輿入れを……。
だから女神を責めるなど、さかうらみもよいところ。だが、恨めしく思わずにはいられない。
顔面青きを通りこし、トウイの顔は衣と同じくまっ白であった。
帰殿するなり几帳を倒し、屏風を蹴倒し。夜通し、太陽を呪う言葉を、月を恨む言葉を、ついでに星を役立たずとののしる言葉を、万と吐いた。
「太陽など、昇ってくるな!」
太陽神殿はこちらに小細工をさせまいと、輿入れの日をなんと二日後に指定してきた。
十五夜の日、月の巫女姫たちを引き取りにくるという。
勅令で名指しされているゆえ、他の娘を養女にして差し出すことはできない。
しかしトウイは、わが娘マカリ姫だけは、なんとしても助けたかった。
『猊下』
白湯の器を鬱々と睨むトウイの手元で、水晶球が仄かに光る。玉がかすかに点滅すると同時に、低い男の声がした。
『仰せのとおり、飢饉が起きたところを当たらせました。墺州の山村から、娘を売りたがっている農夫が、ふもとの宿場町に集まっております。町の名は……』
これぞ待っていたもの。トウイは食い入るような目で水晶球をがしりと、震える手でにぎりしめた。
「い、いちばん見目良いのを、買い取らせよ」
『おそれながら、買い取りの上限額はいかほどでありましょうか』
「いくら出しても構わぬ! 日が変わるまでに連れてまいれ。州神殿に所蔵しておる特急鉄車の使用を許可する。急ぐのじゃ!」
『御意』
トウイは額にどっとふき出る汗をぬぐった。
これから、村娘を「マカリ姫」に仕立てねばならぬ。
蝶よ花よとかわいがり、自ら巫女の祝詞を教え、手塩にかけて育んだ娘。
あの子だけは、救ってみせる。なんとしても救ってみせる。
そして救ったのちには。
「金の髪の太陽の者どもに、復讐を……」
震えるこぶしをぐっと握り、トウイは固く誓った。
狂おしい、暗い殺気をおびた眼で。
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