第四話 お囃子
月女さまがお美しい夜だと、だれもが感嘆していた。
しろがねの輝きの、なんとまぶしいことよと。
村の広場から、笛がぴーひゃらら。
カラカラ糸車を鳴らす手をフッと止め、クナは耳をそばだてた。
窓からかすかに流れこんでくるのは、お神楽だ。
小鼓がとととん、銅拍子がしゃらら。締太鼓がどどん。
お祭りの音色はいつもとまったく同じ節。なのになんだかもの悲しい。
巫女さまが舞いながら鳴らす鈴の音も、心なしか力ない……。
村のおやしろに住む神官さまたちの、祈りの声は悲鳴のようだった。
「
「
「
すめらの国には、どんなに小さい集落にも必ず、
クナの住む村にも広場のまん前に、小さなおやしろが三社、ならんで建っている。太陽と月と星の神さまを祀るご神処だ。三色の神官さまがそれぞれおひとりずつお仕えしているが、昔から互いに仲が悪い。
村の作物が今年全然できなんだは、
なすり合いの罵り合い。広場の様子はまたそんな、いつもの調子になったようだ。
おかげで建国記念のお祭りは早々にお開き。しけた様子でとぼとぼと、家のもんが帰ってきた。
「酒がないのはきついのう」「豆餅のない祭りなんて……」
――「まあ、二束しかできてないの?」
ほのかな熱ときつい声。糸車を止めたクナは、かばうように頬に手を当てた。姉のシズリが、手に持つ灯り火を突き出して、つむぎ部屋を照らしたのだ。屋台が出なくて、飴も餅も食べられなかったせいか、姉は不機嫌この上なかった。
「これじゃ、縫い物ができないじゃない。あんたってほんとに役立たず!」
シズリの声はかん高くて、刺すようで。空気はびりびり、とてもこわい。母さんが死んでから一家の母親代わりだが、鬼のように厳しい。クナは今年も、祭りに行くのを禁じられた。
『あんたはだめ。出歩いたらすっころぶだろうし、すぐにくるくる回るから。恥かしいったらないわ』
シズリは出がけにぴしゃり。父さんと兄さんはだんまり。そして弟と妹は知らんふり。じいさまはため息をつきながら、クナの前に綿の袋をどんと置いていった。
『さぼっとらんで、働くんじゃ』
(あたし、ちゃんとまいにち、はたらいてる。ちゃんといとをつむいでる。それにひとまえではもう、ぜったいおどらないのに……)
三年前の、夏祭りのとき。クナは父さんにひどく折檻された。
『みっともない真似するな!』
いつもはだんまりの父さんが、お神楽の音色に合わせてくるくる踊るクナに、すごい剣幕で怒り狂った。
笛や銅拍子の音色に惹かれ、思わず広場に出てしまって、つむいだ糸をぴん。一直線にはられた糸がかすかにふるえるのを感じるや、嬉しくてつい……。
村人たちが唖然と息を呑む中、踊ってしまったのだ。
神官さまたちが村の器量良したちから選んだ、舞巫女たちをさしおいて。
『ものが見えねえ
平手三発、お尻には鞭。何度叩かれたのか、数え切れないほど。クナは熱を出してしばらく寝込んだ。お尻は皮がひんむけて腫れ上がり、ふた月まともに座れなかった。
それからは、こそりひっそり。家族が寝入ったのをたしかめ、夜にそうっと家を抜け出して、庭で糸を音にさらしている。
毎晩ではない。見つかったらこわいから、週に一度とか、そんな頻度だ。
今まで村中の音をあらかた試してみたけれど、月夜の晩に母さんがおろしてくれたあの不思議な気配は、いまだに一度も降りてこない。鼻も耳も肌も鋭くなってくれず、クナはまだ、死んだ母さんに会えていなかった。
氏神となり、家のどこかで家族を見守っているはずの母さんに。
「豆茶を出したいけど、お豆がもうないわ」
「牛にやる芋を使うしかないよ、姉さん。芋の皮を煮出してお茶にしようよ」
水屋に入ったシズリと、妹のシガがため息をついている。かまどをぱちぱち燃やす音。お湯をわかす音。にわかに漂ってくる、カナイモのきつい匂い……。ふたりは芋湯を作ったようだ。
それは家族へふるまうものだったが、ひとり糸をつむぐクナの部屋には、運ばれてこなかった。
(かあさん、みんなやさしくないよ)
今日だけのことではない。粥だけでおかずが出されないとか、いつものことだ。
『だってあんた、糸つむぎしかできないじゃないの。ほんと、役立たずなんだもの』
いいや。他の仕事もちゃんとできる。
物がある場所を覚えれば、見えなくても困ることはない。そこまで何歩、どれぐらい手をのばせばいいか、覚えてしまえば。
でもシズリは模様替えと称して、家の中にある物をひんぱんに動かす。
畑の草むしりだって、においでなんの草かわかるからちゃんとできるのに、人より取るのが遅いだの、食べられる草まで捨ててしまうだのと決めつける。
『何も見えないあんたに、まともなことができるはずないわ』
シズリはいつもそう言って、クナを家のはしっこの、糸車のある部屋に押し込む。
役立たずのクナ。
おかげで家族みんな、クナのことをそう呼ぶようになってしまった。
そしてついに今日、クナはこの家には居られなくなったのだった。
口惜しいことに、「働きもんのシズリ」のせいで。
その晩、クナの家の男衆は、居間で長いこと話し合っていた。
「金を稼がんと……このままじゃあ、税を払えんどころか」
「冬は越せないべなぁ」
えごみのある芋湯をすすって、ごほごほ。咳と一緒に、じいさまや父さん、兄さんの鬱々とした言葉が、うすい壁を越えてクナの耳に入ってきた。
「不作三年。さすがに、たくわえが尽きたのう」
この数年、お山の一帯は不作続き。天照らしさまがひどいお風邪を召され、夏にずっと雲隠れをなさった。おかげで畑の作物はぜんぜん実らずじまい。白豆もカナイモも、ほとんどろくにとれなかった。
父さんと兄さんがふもとの街に出稼ぎにいく。今までは、それでなんとかやってきたけれど……
「ふもとの街も、不作続きで不景気だ。仕事の口がないかもしれん」
「父さん、戦で異国へ行っとる連中は、羽振りがいいみたいだ。黒髪の柱国さまの軍団とか、ものすごいらしい。先月なんか、一万もの敵兵を皆殺しにしよったとか。そんで兵士はみんな、敵兵の武器鎧だの金銭銀銭だの、両手いっぱいにかかえて帰ってきたってさ」
「柱国さまの兵士はえりすぐりって噂だぞ。剣なんぞ持ったことねえわしらが太陽のおやしろに志願を出しても、ふもとの街の警備兵にされんのがせいぜいだろうな」
父さんがそうつぶやいたとき。シズリが土間からサッと口を出した。
「父さん、デンさんのところが、娘を売るそうよ」
男衆は一瞬しんとなったけれど。長女の言わんとすることをすぐに汲んだ。
「たしかにな。食い扶持が多いのはきつい」
「減らせたらそりゃあ、楽になるが」
「新年になりゃシズリは嫁に行くが、兄ちゃんに嫁っこがくるから、数が変わらん」
父さんが唸ると、シズリがまた、甲高い声で言った。
「シガはイダさんちのホズイが好いとるから、十五になったらすぐお嫁にやれるわ。でもクナは、完全に穀潰しね」
(ねえさん?!)
糸車を回していたクナは仰天して、綿玉を持つ手をぶるぶる震わせた。カッと沸いた怒りで思わず、ふわふわの綿を固く握りつぶしてしまった。糸がぷっつり尻切れて、糸車がからから、空回った。
「ああ……あれはどこさも嫁にやれんなぁ。役立たずなんぞ、だれも引き取らん」
「売るならクナだろ」
「クナだな」
「あれでも最低、銅三本にはなる。まだ成人しとらん、生娘だから」
(ひどいよねえさん。なんで?)
どうかあたしをうらないで。立ち上がってそうお願いしに行こうとしたら。
シズリがどつどつ足音をたてて、つむぎ部屋にやってきた。
「聞いてたでしょ、クナ。これでやっとあんたを、この家から追い出せるわ」
せいせいする。そう言われてクナはぎょっとした。
「なんで? どうして? ねえさんそんなに、あたしがきらい?!」
「大っ嫌いに決まってるでしょ!」
呆然として聞けば、シズリは金切り声をぶっすり。深く深く、クナの胸に刺してきた。
「あんたが母さんを殺したんだから! 人殺し!」
その夜のうちに、クナは荷車に乗せられてふもとの街に運ばれた。
娘を売るのは体裁の悪いこと。だから夜陰にまぎれてこっそり、父さんと兄さんが荷車を引っ張って村を出た。
もっと働くから家に置いてほしい。クナは涙をこぼして願ったけれど、返ってきたのは頬に一発、痛い張り手。一日だけ猶予を……という懇願も、却下された。
日が伸びれば情がわく。思いたったが吉日、父さんは迷いたくなかったのだろう。
「売って終わりじゃねえぞ。金ができたら仕送りしろ」
「そうだぞクナ。しっかり稼ぐんだ。家族のためにな」
クナはもう一度だけ、糸に音を聞かせて試したかった。
最後の最後、奇跡が起きて、母さんに会えるかもしれないと、そんなことを考えた。けれど荷車は無情にがたがたごろごろ。母さんに会えないまま家を去るのがつらくて、クナはぼろぼろ泣いた。
死んだ人がなるという氏神さまは、家の守り神。家につくものだ。
だからこの先、あの不思議な気配をおろせても、母さんに会うことはかなわない。
氏神が守る家から離れてしまっては……。
「母さんが死んだのは、病気になった母さんに、あんたが毒草を飲ませたからよ!」
嫌がるクナの腕をつかんで家の外にひきずり出したのは、燃えるような怒りを吐き出すシズリだった。
「母さんは違うって言ったけど、絶対そうよ! 見えないあんたが間違った草を引っこ抜いて、母さんに飲ませたから! だから母さんはっ……」
だれもクナをかばわなかった。だれもがだんまりだった。家族みんながそう信じているんだと気づいて、クナは凍りついた。
「どくのくさ?! うそ! ちがうよ! ちがう!」
五年前。寝込んだ母親のため、クナは畑の奥の山の斜面から薬草を取ってきて、煎じてあげた。それは母さんが教えてくれた薬草で、ちゃんと匂いを嗅いで、まちがいないと確かめたもの。母さんはとても喜んで、薬湯を飲んでくれた。その甲斐なく死んだのは、薬だけでは治せない病だったからだ。
まさか毒を飲ませたと、思われていたなんて。
泣きじゃくるクナは、そこでようやく悟った。
クナを恨むシズリは、普段からクナはなにもできないと大声で決めつけ、みながそう思いこむようにしたのだ。クナがみんなから疎まれるように。もし家が苦しくなったら、売られてしまうように……。
(うそだよね、かあさん。あたしがかあさんを、ころしたなんて。あれはちゃんとくすりになるくさだった……! かあさん……かあさん……!)
見守ってくれるはずの氏神さまがクナを守ってくれないのは。
家のもんの前に出てきて、それは違うと言ってくれないのは。
もしかして本当に、自分が母さんを殺したせい?
いや、ちがう。きっとお供えが十分じゃないからだ。
クナは荷車の中でしゃくりあげながら、震える自分にそう言い聞かせた。
このところずっと神棚には、お水しか捧げられていなかった。だから……
(か、かあさんもおなかをすかせて、よわってるんだ。きっとそう。きっとそうよ)
クナがお金を送ったら、家族は、役に立つ子だと思いなおしてくれるだろうか?
氏神さまはお腹がいっぱいになって力を取り戻すだろうか?
家族の前に出てきて、誤解をといてくれるだろうか?
(どうかそうなりますように……そうなりますように……)
クナは泣いた。ぽろぽろぼろぼろ、袖をぐっしょり濡らして泣いて願った。
夜風はとても寒かった。手向けの品も外套も渡されず、クナは着の身着のまま。お下がりのぼろに、母さんの衣のきれはしを入れた形見袋を首から下げた、まったくいつもの格好だった。
クナを乗せた荷車は、早足で山道をくだっていった。
そして明け方。ごうんと開かれた街の門をくぐり抜け、人の声がしない、うらさびれた通りに入りこんだ。
こうしてクナは売られたのだった。
暗い通りの奥の奥。もごもごと布越しに喋る人買いに――。
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