第二話 月の男

 

 その日、天は実に晴れ晴れとしていた。

 大陸の東部に広がる大帝国、すめら。

 百の州を抱える広大な国の中枢、天子のおわす帝都には、燦燦と陽の光が降り注いでいた。

 雲ひとつなく。日輪はいつにもましてまばゆく。しかし陽のまなざしはおだやか。茶色い肌のすめらの民を刺す苛烈さはない。木々が色づき始める十の月。紺の瓦ひしめく帝都には、秋風がさやかに吹いていた。


「まこと、天照あめてらしさまのご加護ある国」

「建国を祝うにふさわしい日和じゃのう」


 紺色の瓦屋根が並ぶ大路の家々。そのとある軒下から、ゆたりとした袖の衣をまとった初老の男女が出てきて、空を仰いだ。長い黒髪をきちりと結わえた二人は、まばゆい日輪に向かってしきりに手をこすりあわせ、目を閉じて祈りだした。


「天照らし様のめぐみじゃ。ありがたいことだの」

「ええ、ありがたや。ありがたや」


 夫婦であろう二人は、それから浮き立つ大路の様子を見渡した。

 南北に伸びる都大路には、芋の子を洗うようにたくさんの人が出ている。

 十の月の十三日。本日はすめらの国の建国記念日で、大祭が開かれているからだ。大路のそこかしこで花吹雪がまかれ、ちんどんしゃんと、笛や銅鑼を鳴らす楽団が練り歩いている。


「おお、なんとにぎやかな。それになんともよい匂いが漂ってくるな」

「あなたさま、串肉をあちらで焼いておりますよ」

「屋台が並ぶのも、天照らしさまと天子さまのおかげじゃ」

「ほんにそうですねえ。ありがたい。ありがたい」


 祝いの日とあって、大路には普段たつ市よりも豪華な品を扱う屋台が並んでいるようだ。

 串焼き肉の店。色とりどりの果物を砂糖で包んだ菓子を並べる店。真っ赤な豆飯を炊き上げている店。建国記念・帝国繁栄祈願と書かれた厄除けの御札や絵馬を売る店……


「さすが、天子さまのおひざもと」

「きっと、すめら百州、津々浦々から集められた、珍味が売られておりますよ」

「うむ、ありがたい、ありがたい」


 初老の二人は今一度天に向かって感謝の祈りを捧げてから、屋台へ繰り出した。

 彼らだけではない。

 その帝都に住まう民は皆、外へ出るとまず、天を仰いで手を合わせる。すめらの民は信心深い。天津神への敬意と謝意を、決して忘れはしない。ことあるごとに手を合わせ、感謝の祈りを捧げるのだ。誰かに挨拶するときも、帝都の人々は神への祈りを忘れずに口にする。


「ウソルさん、おはよう。天照らしさまと天子さまに、感謝を」

「おはようタズンさん。あまつの神々に感謝を」

「ウソルさん、おすすめの屋台はあるかね」

「そうさな、食べ物屋が人気だが、交易品も充実しとるよ。白麻の反物が奥州からきとる。産地直送だから安く手に入れる好機だな。こっからだともっと南の、十軒ぐらい先のところで店を出しとるぞ」

「ありがとう。さっそく行ってみるよ。おっと……神官族さまの牛車の御通りだ」


 鐘の音が、からんからんと鳴り響く。大路の真ん中を牛車が悠然と進んでいる。車を引く真っ白い牛の首に、鐘が下がった錦の紐が巻き付けられていて、そこのけそこのけと人々に警告しているのだ。

 屋台に身を寄せながら、初老の男は目をみはった。


「白い牛! 月神殿の聖牛さまじゃないか。ってことは、牛車に乗ってるのは月の大神官様かね」

「きっとそうですよ。天子さまのもとへ行くのでしょう」

 

 ほらあなた、もっとこちらにと、妻が男の袖を引っ張る。

 大路にあふれる人々は一斉に脇へ寄り、白い牛が引く牛車が通る道を作っていった。手を合わせ、うやうやしく頭を垂れながら。





 月の大神官トウイは、白い牛が引く牛車の窓の隙間から、大路の様子をゆるゆる眺めた。牛が鳴らす鐘の音に気づいた民衆が大波のごとく動いて、道をあける光景を。

 トウイの姿は通りにあふれる人々とは歴然と違う。白い肌に藍色の髪。先祖代々、混じりけなしの月の神官族だ。

 牛車の中に座るには少々窮屈ではないかと思うぐらい、その身は丸々と肥え太っている。なぜかこの上もなく上機嫌なので、もとから細い目は糸のよう。

 豊満なるトウイは、銀箔を散らした扇子で膝をひと打ちして、白絹の衣の袖をおちょぼ口にあてた。


「ほおっほほほ。我に手を合わせて祈る者の多さよ。実に信心深い。よき民じゃな」


 牛車が進む。ゆたりゆたりと、牛車に向かって頭を垂れ、手を合わせる民の中を、悠然と。

 月の大神官であるトウイにとって、自分に向かって敬意を示す民を眺めるのは、なんとも心地よいことだった。

 

「すめらの民は、黒き髪に茶色い肌であるべし。神々と天子と神官族を崇拝すべし。ほおっほほほ、まさに我ら月神殿の、教育のたまものであるぞよ。さてさて今宵は建国記念の十三夜。すめらの天子がおわす内裏では、月の宴が開かれる。帝都五十万の民は、日が沈めば、今度は月の女神に向かって、深々と手を合わせるであろうのう。ほぉっほほほ」


 百を数える州がひしめき、二億の民を抱えるすめら。

 その国主こそは、この紺色の瓦屋根ひしめく帝都に鎮座まします現人神。太陽神の天孫とされる、天子である。

 帝室と神官族から成る数十名の元老院が、内裏におわす〈天子〉の思し召しを汲み、具体的な政策を定め、それをもとに、三色みしきの神殿が実務を行う。

 三色とはすなわち、朱衣まとう太陽神殿、白衣まとう月神殿、蒼衣まとう星神殿のことだ。

 政教一体。すめら百州の国土は、この三神殿によって、つつがなく管理されている。ざっと大分すると、太陽神殿は軍事と法を、星神殿は大蔵と公共工事を、そして月神殿は外交と教育と厚生福祉を司る。

 すなわちトウイを第一位の長官とする月神殿こそが、日々、民をみちびき育んでいるのであった。


「ほおっほほほ。民どもよ、ただただ祈るがよい。感謝するがよい。教えに従い、たんと税を捧げるのじゃ。それがすめらの、よき民の務めであるぞ」




 トウイが月の大神官となって十年。その間、太陽神殿は異国との戦に明けくれるだけであったが、月神殿は堅実に、帝国内の教育制度の改革に努めてきた。

 従来の制度では、民に天子への絶対的な忠誠を植えつけるには生ぬるい。

 庶民むけの国営学校の教育を抜本的に見直し、雑多なつめこみ教育を廃止して、教える内容を厳選せねばならぬ……。

 月神殿が元老院に血のにじむような工作と根回しをした結果、臣民教化政策はこうして日の目をみている。庶民は異国のことなどまったく知らず、知ろうともせず、ただただ、天津神と天子、そして政庁に務める神官族を崇め、税を捧げてくれる。

 ゆえにトウイは、内心鼻高々であった。


「わしは、金髪脳筋の太陽神官どもとは違うからな。若きころから血筋に甘えず、勤勉であったわ。民を飼いならすにはどうすればよいか、よくよく研究したものよ」


 政教一体のすめらの国において、貴族というのは、三色の神殿に代々仕える神官族を指す。

 トウイの家は代々帝都月神殿の神官を務める家格第一等の大貴族にして、元老院の議席を持っている。

 元老院議員の子息がみなそうするように、トウイも帝国の最高学府、国子監に入って学歴を得た。

 学生生活は、たいへん充実したものであったと記憶している。そして太陽神官族の金髪の子息たちは、どいつもこいつも大変微妙な人物であったことも、よく覚えている。講義はサボる。落第はあたりまえ。女にうつつをぬかす。会話は幼稚きわまりなく、遊戯札や武器鎧や、兵器の性能のことばかり。

 青春をだらだら謳歌する金髪の太陽の貴公子たちを尻目に、藍色の髪の月の貴公子トウイは勉学にはげみ、さっそうと主席で卒業して、おのれに燦然と輝く箔をつけた。

 狙い通りその箔が、出世に大きく作用した。任官先は当然、父と同じ帝都月神殿。

 トウイは着任直後から月の大神官の目に止まり、かわいがられてひとり娘を与えられた。 

 先代が死去すると当然のごとく、大神官位はトウイのもの。

 熱心に庶民を家畜のごとく教化するかたわら、夫人との間には息子二人と娘ひとりをもうけた。先日長男次男ともに、月の名家から子女を娶って、お家は磐石。さらに娘のマカリ姫は、今年十五歳。つつがなく裳着の儀をうけて成人した。

 姫は母に似て、牡丹か芍薬かという美しさだ。「皇国一美しい巫女姫」であると、帝都では評判になっている。

 ――かように、月のトウイの人生には、なんのかげりもなかった。

 今日、この日までは。


「こら、無礼な!」


 突然、都大路を進むトウイの牛車が、がくりと揺れて止まった。

 御者の叫びに、トウイがなにごとかと小窓からのぞけば、がららと音をたて、四頭立ての洋馬車が大路を駆け抜けていく。馬車が牛車のすぐわきを、乱暴にすりぬけていったようだ。


「なんとがさつな」


 トウイはおっとりと扇子をひらき、肉でぱんぱんに膨れた顔を半分隠して眉をしかめた。

 馬車には朱色の太陽紋がついていた。帝都太陽神殿のものだろう。

 まっすぐ北へ向かうという進行方向からして、行き先はトウイと同じ帝宮、〈天子〉のおわす内裏。金の髪の血族、太陽神殿の神官が乗っているにちがいなかった。 


「ふん、馬車などせわしない。異国かぶれめ。まったく、太陽神官族というものは……」


 本日はめでたき建国記念の宴。それゆえ天子に召されたが、月のトウイにとって、太陽の神官たちと面を突き合わせるのは、正直楽しくないことだった。

 帝国は大陸の覇権を賭け、ながきにわたって異国と戦っている。それゆえ元老院は軍事偏重。軍事と法を司る太陽神殿の発言力と権勢の強いこと、この上ない。

 権力を持てばおごるのが世の常だ。太陽神殿の越権やごり押しなど、日常茶飯事である。月神殿が外交で処置するとしたことにも横槍を入れてきて、兵を出したがる。

 予算もがっぽりとっていく。兵器は作り放題、巫女の力を将軍に吸わせて、無敵の指揮官をつくるなど、そんなあやしげなこともやっている。

 月神殿や星神殿が管轄する諸事は、常にあとまわし。予算をごっそり削られて、いい迷惑だ。

 しかし今宵は、十三夜。いにしえより伝わる伝統行事、「月を愛でる宴」が開かれる。


「月を愛でるのであるから、本日は月女さまを崇める月神殿が主役。太陽神殿には、控えていただこうぞ」


 トウイはますます目を糸にした。

 〈天子〉は今宵、月の女神たる月女さまをお題にして、歌を詠まれるであろう。

 その時トウイはさりげなく、言上する算段を立てていた。


『我が娘マカリを、宮中に上げたくぞんじまする』


 むろんそのような言葉を直接言上するのではなく、そんな意味の歌を吟じるのだ。


『その杯に、月を映して飲まれてはどうですか?』


 かような雰囲気の言葉を、雅びに奥ゆかしく並べる。それがすめらの神官族の様式なのである。


「さて。姫をどう形容して、紹介しようかの。しろがねの……慈愛の……」


 トウイは目に入れても痛くない愛娘の姿を思い浮かべ、詠み歌の枕ことばをさがした。

 家格の高い神官族の姫は、幼きころより帝都神殿に入れられ、養育される。父が勤める神殿にて処女性を守られつつ、天子の后がねとして育てられる。 

 娘のマカリ姫が年頃となり、みめうるわしく成長していることは、すでに若き天子の玉耳に入っている。姫の幻像を水晶球にこめて献上したから、しっかりと龍眼に映されているはずだ。

 磁器のごとき白い肌。足元まで流れる、艶やかな藍色の髪。混じりけのない月の神官族の血を引くマカリ姫の美しさは、壁画に描かれるうるわしの月女さまそのもの。ゆめゆめ、おことわりの返歌をいただくことはあるまい。


「混じりけのない血筋。やはりそれが月の神官族の一番の魅力であろうぞ。金の髪の太陽神族なんぞ、西の果ての異国の血が混じっておるからのう。あやつらは本物のすめら人ではないのであるからして」


 トウイはずいぶん前から、夫人に輿入れの準備をさせてきた。

 幾枚もの錦の衣や裳。かんざしや櫛や鏡や文箱。螺鈿の箪笥に銀箔塗りの箱に入った茶道具。嫁入りの品は、どれも一流の職人が織ったり仕立てたり作りあげたりした、一点もの。最高の品ぞろえだ。

 特に銀の月を模したかんざしの意匠の、それはそれは見事なことといったら。 

 

「あれこそは、月女さまの涙をかためたものであろう。見ておれよ、今宵こそ、月神殿の力が太陽神殿をしのぐのじゃ」


 大路を進む牛車の中で、トウイは自信満々に高笑った。

 おのれと月の神殿の勝利。理想の結末を思い描きながら。





 


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