第十六話 聖白衣


「ふ、ふろうふし?!」


 湿ったつるのようなもので手足をがんじがらめにされたクナは、龍の言葉に息を呑んだ。

 

「オマエノ血ノ匂イ、トロリト濃クテウマソウダ。マダ若イガ十分甘イ。羽化シナクトモ効果抜群ダロウナァ」

「う、うか? なにそれっ」

「オヤァ? シラナイノカ? 羽化ッテノハ、マユヲ作ッテ大人ニナルコトダ」

「ま、まゆ? まゆって、むしがつくるまゆ?」

「オウヨ。龍蝶リュウチョウマユヲ作ル。ソノ血ハ甘クテ、寿命ヲ倍増サセル」

「ええっ?! あ……あうっ……ひぐっ……」

 

 クナは身をよじった。腰に。手足に。ぬるりと長いものが絡んできて、幾重にも巻きついてくる。


「いやっ! いやああっ! はなして!」

「細イガ、体液ハソレナリニアルヨウダナ」


 肌をうごめくつるのようなものは、目の前の龍から出ているらしい。ぬらぬらと濡れていて気持ち悪い。いったい何なのか、何本あるのか、見えないクナには皆目わからなかった。


「あ、あついっ」


 たちまち胸が熱を帯びてきた。聖印の力が出てきたようだ。あっという間にクナの体は炎の柱。全身ごうごう燃えるよう。なのに巻きついてくるものはたじろがない。

 熱ナド効カヌ――聞こえてくるのは余裕のわらい声。龍はとても楽しげだ。


「サア、甘露カンロヲ出セ!」


 持ちあげられる体。押し開かれる両足。

 クナは必死にもがいた。つるのようなものはいまやクナの全身に絡みついていて、ぎゅうぎゅう体を絞り上げてきた。


「いやあああっ! も、もえる! からだがもえてるっ! じ、じゅばんが!」


 焦げ臭い匂いがクナの鼻をついた。クナがまとっていた襦袢じゅばんがぶすぶすと焼け落ちたからだ。


「ハハハハ! 飯子メシコ! オマエノ体カラタレテキタゾ。甘イ血ガ、真ッ白ナ甘露カンロガ、タレテキタゾ。ウマイナァ。モット出セ!」


 聖印の熱で燃えるクナには、龍の催促さいそくがいやに揺らめいて聞こえた。

 頭がくらくらして、天も地も分からない。

 熱い。

 熱い。

 ああ、本当に体が燃えている――


「チッ、体モ焦ゲ付イテキタカ? 炎ノ聖印、ウゼエ!」


 焦ゲタラ血ガ干カラビル。

 首ヲ飛バシテ、一気ニ血ヲ吸イツクシテヤル。

 おそろしいことを口走った龍からしゅるり。またあらたなつるが出てきて、クナの首に巻きついた。


「チッ! ナンダコレハ? 邪魔ダ!」


 首にかかっているものをひっぱられて、クナの頭がかくりと前に倒れた。

 それは母の形見が入ったお守り袋。


「だ、だめっ……それは……」


 懇願すれども、クナの声は無力だった。湿っているつるが力任せにぶちり。なによりも大事なものを引きちぎった。

 もうだめか。ここで首を落とされるのか。

 クナが切ない顔を浮かべた、そのとき。


「グアアアアア?!」


 おぞましい怒号と共に、クナのまぶたがチリチリ痛んだ。

 

「ナンダコイツハアアアアアッ!!」

 

 ごうごうたる龍の悲鳴。どずんどずんと、床が揺れ動く。龍は地団駄じだんだを踏んでいるのだろうか。みるまにしゅるしゅると、クナの体から湿ったつる退いていった。

 そのとたん、クナの体からすうと熱が引いた。散りかけたクナの意識は、混沌の底からふらふらと舞い戻った。


「いったいなに? どうしたの?」

「クソオオオ! マブシイ! ナントイウ光ダアアッ」

「ひかり?!」


 イタイイタイ、コンチクショウと龍が痛がりはじめる。明らかに七転八倒、転がり苦しんでいる。

 クナは目をしばたいた。やはり、まぶたが痛い。見えない目にも異様さがわかるほど、なぜか急にあたりがまぶしくなったようだ。龍の悲鳴から察するに、どこかから突然、光がほとばしったらしい。


「いったいどこから」

「オマエ、ナンテモノ持ッテンダヨ! ソノ切レッ端!」

「きれっぱし? え……えええっ?!」


 クナは床に手をついて周囲を探った。


「ま、まさか! かあさんのかたみが?!」


 首に下げていたお守り袋。引っ張られた時に、袋を裂かれたのだろう。床に落ちているのを見つけて拾い上げると、中身がもれ出ていた。

 なんのへんてつもない、布の切れ端。のはずだが……

 おそるおそる触れると、驚いたことにクナの指先がちりちり焼かれた。

 

「これ、もしかして光ってるの?」


 くんと嗅いでみると、切れ端には母親の匂いがまだほんのり残っていた。それはクナの涙と同じく蜜のように甘くて、とてもなつかしい匂いだった。


「ソッ、ソイツハアア! 聖衣セイイジャネエカアアアッ!!」

 

 転がる龍がぎゃあぎゃあ喚き散らす。死ヌ、マジデ死ヌ。爪ガ溶ケタと叫んでいる。お守り袋を爪で引っかいたのだろうが、切れ端から出る光にそんな力があるなんてと、クナは呆然とした。クナも指がぴりぴりしているが、やけどをするほどの熱さではない。なのに龍は慌てふためき、転がりながら床を揺らして、クナから離れていった。

 くたりとその場に膝を折って、クナはぽろぽろ涙をこぼした。

 どんなからくりか、よく分からない。でも、ひとつだけ確実なことがある。

 クナは布の切れ端を後生大事に抱きしめた。


「かあさんが。かあさんがあたしを、まもってくれた……!」

――「さ、三ノ奥さま!」

「奥さま!」

「ご無事でございますか?!」


 壊された扉のあたりで、多くの気配がうごめいている。めらめらばちばち音たてているところからして、鬼火たちが集まっているようだ。その気配を蹴散らす勢いで、龍はどんどん退いていく。


「オノレエ! オノレエエエ!!」


 しかし逃げゆく龍の怒号は、完全に遠のかなかった。ずどんと突然止まり、ひと声長く咆哮ほうこうした。悔しまぎれの雄たけびは、どうやら目の前に立ちはだかったものに浴びせたようだ。

 刹那。ひときわ高く鋭い声と、びいんという鋭い弦の音が、あたりに響き渡った。


――「塔内に入り込むとは何事や! この、腐れ龍が!」

 

 


 

 

 龍の前に立ちはだかったのは、クナに舞を教えた九十九の上臘じょうろうさまだった。

 それからの一幕は、夢かうつつか――

 びいんびいん、あたりを穿うがつように彼女が奏でる琵琶びわの音色に、りぃんりんと鈴の音が合わさった。さらにぴーひゃら笛の音も加わり、その奏音は先の戦いのときとまったく同じであった。

 聖なるお神楽が奏でられ始められるや、たちまちあたりに、あの不思議な気配が降りてきた。

 見えぬものが見える。聴こえぬものが聴こえる。あたり一面に渦巻く神霊の気の中で、琵琶びわを鳴らす九十九つくもさまは、あきれ声を放った。


「上階がうるさすぎるわとおもたら、なんやのこの有様ありさまは? 腐れ龍のシーロン。主君の犬であることを忘れて、我が君の所有物に手ぇ出しましたんか?」

「ハ! ナンデ出テキタ! クソババア!!」

「あいにく巫女団長はんはご謹慎中や。せやから、うちが出なあきまへんでなぁ」


 神霊の力を帯びる楽の音に合わせ、ぶん、ぶん、くるりくるり。舞によって回転する風が、クナの頬を撫でてきた。九十九さまのうしろには、巫女団の女たちが控えているようだ。先の戦いのときクナがやったように、複数の者が舞い始めたらしい。 

 

「キキョウ、ツツジ、巻き風や!!」――「あいな!」「あいな!」


 九十九つくもの方が命令したとたん、舞の回転が驚くほど速くなった。ぶんぶん衣音きぬおとがたつほどの、激しい速度。あたりの空気がみるみる混ぜ合わされ、うねりが生まれる。渦を巻く神霊の気配は、あたかも帯のごとし。勢いよく四方八方に伸びてきて。


「龍を巻き取りや!」――「あいな!」「あいな!」


 九十九さまの号令一過、太くて長い風の帯があたり一帯に広がった。

 風の帯がどんどん渦を巻く。ぐるぐるくるくる、そのかいなを伸ばす。

 不思議な気配に包まれたクナは、その様子を見ることができた。見えないものが見える気配のおかげで、風の渦が龍を取り囲んでいくのが手に取るようにわかった。

 ぐるぐるくるくる。あっという間に風の帯が、龍の巨体に巻きついていく――。 


「ハ! コンナモノ!」


 抵抗する龍が、あたりに何かを吐き散らす。しかし風の帯は龍の恐ろしげな息を押し返し、いっしょくたに巻き込んだ。


「コンナ……グ……クソオオオ……!」

 

 龍が唸る。あのすさまじい喚きも地団駄も、みるまに聞こえなくなっていく。

 化け物はみるみる固められた。そうしてついには石のごとく微動だにしなくなり、どうんと、轟音を立てて倒れた。その振動すさまじく、クナの体は天井につくかと思われるほど、高く飛び跳ねた。まるでよくはずむ鞠のように。 

 手の中でちりりと、母の形見が鳴った。不思議な神霊の気配に反応したのだろうか。ちりりちりりと、まばゆい衣の切れ端は歌っていた。

 歌詞のない密やかな歌を絶え間なく。

 

 

 


「まったくけったいな。一体なぜに腐れ龍が塔の中に。太い鎖で繋いでますのに」 

 

 琵琶びわを抱える九十九つくもの方が、震えるクナの前にやってきた。ずずっと引きずっている衣はとても重そうだ。前のいくさの時のように鉄錦たたらにしきをまとっているのだろう。


「ありがとうございます!」

 

 クナは床に両膝をつき、深く深く、こうべを垂れた。

 捕縛された龍は鬼火たちによって網をかけられ、引っ張られていった。その網には巫女たちの神霊の力がたっぷり込められているのだと、九十九つくもさまはクナに仰った。

 

「みなで祝詞のりとを何百回と歌いながら、編んだものや。我が君がお帰りにならはるまでは、十分もちますやろ」

「すごい、まいでした。ほんとにすごい……」

「あんさん、巫女修行をし始めたんは、龍に喰われたいがため。そうきいたんやけど、ほんまにあないなものに喰われたいんか?」

「それは……」

 

 食べてくださいと言えなかった。

 死にたくない。

 クナはたしかにそう思った。心の底から恐怖して、うそいつわりなく思った。

 もっと生きたいと。


「あたし、く、くわれたく、ない……です」 


 床に額をひっつけてじわじわ涙ぐむクナに、九十九つくもさまはふんと鼻を鳴らした。


「まあどうでもよろしいわ。それにしてもその布。おかげさんでだいぶ龍が弱って、すんなり事を処せたんやけど。あんさんはなんで、それを持ってはるの?」


 じろりと手元を見られている視線を感じ、クナはそっと隠すように母親の形見を胸に当てた。衣の切れ端からは、今はもう輝きが消えているようだ。さわってもピリピリしなくなっている。


「さっきまで、えらい輝いてたそれ。まごうことなく聖衣せいいやないの。真っ白い絹ということは、月の巫女王ふのひめみこがまとうもんや」

「え……? ふのひめみこ?」


 クナは仰天して口をぽかんと開けた。

 生け贄にされる前夜、月の夫人は祝詞のりとだけでなく巫女たちの位のことについても、さらっと教えてくれていた。クナはその知識を、信じられない思いで思い出した。

 巫女王ふのひめみこというのは、三色みしきの帝都神殿にそれぞれひとりずついる、最高位の巫女のことだ。

 生涯きよらな貞潔ていけつつらぬき、お仕えする神より神託を受け取ることを役目としている。選抜戦せんばつせんという仕合しあいで勝ち抜いた者がその位につくそうで、神霊力のすさまじいことこの上ない。予言は、ほぼほぼ必中。外れることがないと言われている。


「太陽の巫女王ふのひめみこは聖なる朱衣あけのころもを。星の巫女王ふのひめみこは聖なる青衣あおのころもを。そして月の巫女王ふのひめみこは聖なる白衣しろのころもをまといますんや。いずれも聖なる光を煌々とはなつ、霊力すさまじい衣なんやけど。あんさんがもってはるんはまさしく、聖なる白衣しろのころもやわ」

 

 本当にその衣は母親たあさまのものか?

 聞かれたクナはうなずいた。

 母親が死んだとき、姉のシズリは母の着物を自分のものにしたり売り払ったり、ずいぶん好き勝手したものだ。その中で唯一クナに渡されたのが、この衣の切れ端だった。それは白いからと、死に装束として母に着せられた。シズリはじょきりとそのすそを少し切り取り、クナに押しつけたのだ。

 シズリは、ずいぶん擦り切れて汚い衣だとぼやいていた。だいぶ着古したものらしく、たんすの奥にしまわれていたという……。


「あたしのかあさんのもので、まちがいないです」

 

 しかし九十九つくもさまはきっぱり仰った。


「いや。きっとそうではあらしまへん。あんさんの母親たあさまは、竜蝶りゅうちょうですやろ。おそらく月の巫女王ふのひめみこが、飼い主やったんやわ。形見としてもらったか、それとも盗んだか。人知れぬ経緯があったんやろね」

 

 飼い主? 

 なんとも異様な言い回しに、クナは首をかしげた。


「あの、りゅうちょうというのはいったい……まゆをつくるとかなんとか、シーロンさんがいってたんですけど」

「ほんまにあんさんは、なんも知らんのやねえ」


 クナはあきれられ、深いため息をつかれ。ぴしゃりと厳しく、突き放された。


「知りたかったら、そこらへんのものにいたらよろしいわ」


 頭を下げるクナに、九十九つくもさまは楚々そそと踵を返した。

 ずずっと重い鉄錦たたらにしきを鳴らしながら。


「そこらへんのものに……」


 クナはくんくんと鼻を突き出して、部屋を探った。床に手をついて這い、卓を探る。幸い、鏡は無事にまだ、そこにあった。

 

「あの……」


 胸がざわつく。嫌な事がわかりそうな予感がする。けれど、これは知らねばならないという気がした。おのれのこと。そして母のことを。今ここではっきりと。

 ごくりと息を飲み、クナはためらいながらもたずねた。半ば、覚悟を決めて。

  

「かがみさん、おしえてください。りゅうちょうって……なんですか?」 


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