第十四話 金のりんご
「……というわけで、黒髪様の軍はひそかに西郷に入り、北進。神帝船団を発見し、急襲したのでございます。完全無欠の奇襲にて、損失は
垂れ下がる
「さらには猛追しました
報告する鬼火の声は、内容に反してふるふる震えている。燐光ゆらめく体はあきらかに、何かに
「
「神帝に傷を負わせるとは。あっぱれじゃな」
レイ姫の扇の動きはせわしない。ひどくいらいらしている様子である。
蒼い鬼火は震えながら報告を続けた。
「神帝の船は遠くへ逃げ去り、
我らが
ごおうごう。
「本日、黒髪様は、晴れてご
「
レイ姫はいらいらと言葉を挿した。
「痛い、痛いと、なんじゃこのわめきは。うるさすぎるわ。あやつ、怪我でもしたのか?」
「はい、実は、
「金獅子?」
「黒髪様が説明してくださったのですが、神帝の守り神らしいです」
〈聖炎の金獅子〉は、
「神獣……すめらの伝説の守護神、ミカヅチノタケリのようなものであろうか」
「黒髪様いわく、はるか数千年の昔に、超文明によって作られた守護神獣のひとつであるとのことです。いにしえの兵器の鉄壁の守りを越えるとは、さすがわが主さまです。まこと後代まで、語り継がれるべき武勲でありましょう」
ごおうごう。ふたたび
「神獣にどつかれたシーロンは、どこを損なったのじゃ?」
「ええとその、首がすっとびそうになったとかなんとか。でも今わめいているのは、その傷がさらに深くなったからだと思われます」
「は?」
「さきほど黒髪様が放ちましたご勘気で、さらに怪我をしたみたいです」
レイ姫の扇がばたばた不機嫌に鳴る。機嫌のよろしくない姫は、
「……つまり、わらわたちのせいじゃと」
「いいい、いいえ、まさかそんな、
蒼い鬼火は、へたに慰めの言葉を奉げることを控えた。
だがしかし、
あれを思いだすと、鬼火の体は恐怖でか細い糸のようになるのだった。
黒ノ塔に降り立った黒髪様は開口一番、レヴテルニ帝の首を取り損ねたと呪詛まじりにぼやき、いらだちをびんびんに放っていた。その上さらに、しろがねのイナカ・ムスメが倒れて、三日三晩こんこん眠っている、ということを知ったとたん、怒りを爆発させたのだった。
『巫女団に入れて戦わせただと? 私が許したのは、修行だけだ!!』
龍であるシーロンの魔力は底なしといえるほどに強いが、黒髪様自身の魔力もまた、相当なものだ。
怒りの波動で半径五十
おかげで蒼い鬼火は体を引き裂かれ、空高くで四散した。
まっ黒どろどろの翼を休めていたシーロンも吹っ飛ばされて、地面に落ちた。
「はぁ……我が君は怒ると怖いからのう。アオビよ、おぬしも災難だったな。ぶっちゃけ、完全に死んだであろ」
「あ、はい。核を砕かれる直前、すんでのところで分裂複製をいたしました。とっさに四体作りましたが、生き残ったのは私だけです」
「おまえたち鬼火はそうやって危機をしのぎ、永らえることができる。実質寿命がなく、召使いや衛兵として使役するには、うってつけのものよな。それゆえに手荒に扱われることもあるが……」
「ワタクシのことは気遣い無用にございます。我が望みは、奥様たちがつつがなくあることのみ。ですので、こたびのご処分に、身が縮まる思いです」
「ふん。このぐらい、屁でもないわ」
巫女団の婦人たちは黒髪様の怒りの波動を受けて、しばし金縛りになるという罰を受けた。それに加えてイナカ・ムスメを舞わせた第二室のジン姫は、七日間
「たしかに二ノ奥は、しろがねを舞わせるよう進言した。なれどそれを許したのは巫女団長のわらわじゃ。
「あの、そのことについて……二ノ奥様より、これを預かってきております」
かしこまった蒼い鬼火は、
「ふん。そんなもの、いらぬわ」
濃ゆい香りを醸すレイ姫は、真横にある菓子台へ手をのばし、そこに載っている
「『あんさんはおひとよし』とかなんとか、
正室であるレイ姫は、黒髪様から
第二室のジン姫や使い
「我が君は恐ろしいが、結局は、まっとうなご判断ができる御方なのじゃ」
「はい。仰せの通りだと思います。が……」
「なんじゃ?」
「い、いえ。なんでもございません」
アオビは腰を低くして短冊を受け取った。
レイ姫は一見平気なそぶりだが、実のところはかなりお辛いであろうと、アオビは思うのだった。レイ姫がいらいらしているのは、シーロンがわめいているからではない。
「それではワタクシはこれで。二ノ奥様に短冊を届けます」
「まて。いまだ眠りこけておるあれは……我が君の部屋に運ばれたイナカ・ムスメは、どんな様子なのじゃ?」
「黒髪さまが
一瞬、安堵の息が扇のかげから漏れ出た。だがそれはぱたたと、高速の扇の風にかき消された。
「ふん、あれしきで倒れるとはの。しかし
「そ、そうですよねえ」
しろがねのイナカ・ムスメは、入塔記録に「
イナカ・ムスメは側室として扱うのが妥当だとアオビは思うのだが、黒髪さまはなぜ、不可解なことをなさるのだろう?
ちなみにレイ姫の入塔記録は、五年前に書かれた。なんと書かれたかというと……
(「巫女団長」……まごうことなく、正室ですよねえ)
すめらの神官族の正室は、奥向きの女性を統率して巫女団を組織する。
これは古代から続いている、お家を守るための慣習である。
巫女団は巫女団長の指揮のもと、家に結界をはりめぐらして
軍部を司る太陽神官の妻であれば、先日のように戦に臨むこともある。
レイ姫は果敢に巫女団に号令を飛ばし、塔を護りきった。まこと、太陽の将軍の正室にふさわしい姫であろう。
アオビは勇気を振り絞って、おのれの見解をレイ姫に伝えた。
「あの、おそれながら、竜蝶に傷をつけたくないのはわかります。天子さまにさしあげる、貴重な献上物となるでしょうから。なれどあのお怒りようは、ちょっとじんじょうではございません。もしかして黒髪様は、もしかして、竜蝶の
「はぁ? 我が君が竜蝶の娘に魅了されたというのか?」
「たしかにあの種族は、甘い涙のひと粒で人をかどわかす。だがそんなもの、我が君に効くわけなかろう。黒髪様には、どんな毒も効かぬ。煮ろうが焼こうが決して死なぬ。不死身の魔人であるぞ」
レイ姫はくるりと背を向け筆をとり、すっすと何かしたため始めた。喪服のごとき黒衣をたなびかせるその姿は、なにやらおどろおどろしい。
アオビはめらめら燃える身をぎゅっと縮め、菓子の包みと
「あああ、おそろしい」
いきなり書き出したあれは、しろがねのイナカ・ムスメへの呪詛かもしれない。なにかぶつぶつ、低い声で呪言を唱えているから……
奥向き専用に作られた人工鬼火は、そう思いこんだ。その昔、初代アオビが住んでいた、天子さまの後宮の記憶を引き出しながら。
とかく「
頬に風があたる。すうっとした草の匂い。それからほんのり甘い果実の匂い。
どこから匂ってくるのか、甘酸っぱい風味の風が鼻をくすぐる。
ひゅるるひゅるると、風が鳴る。
(いいにおい……)
『起きなさい』
澄んだ声が聞こえる。風が踊って声を運ぶ。
『りんごを取ってきたよ』
(りんご? それはなに?)
だれかが近づく気配。甘酸っぱい匂いが鼻をつく。
ごおう。
突然、風の音がうるさくなった。
ごうごう、なんと凄まじい轟音。そばにきた気配が何か言う。
けれどもその音にかき消されて、なんと言っているのかわからない。
『……てる……』
(え? いまなんて?)
『……してる……私の……』
ほとり。
頬になにか、しずくが落ちた――。
「あ……あつっ……!」
急に胸がカッと熱くなり、クナは目が覚めた。
胸を押さえてよろりと起き上がれば、そこは塔からせり出した舞台ではなかった。梅の間の、
「匂いに惹かれて起きたか」
「くろかみさま?」
なんと黒髪の柱国さまがそばにいる。クナが横たわっていたところは、甘酸っぱい香りの中にほんのり
とりあえず挨拶しようと寝台からもぞもぞ、下りてみれば。
「あ、あれ? きもの……?」
重い衣も歩ける袴もどこへやら。
クナはおずおず両手を出し、丸みを帯びた形を確かめながら受け取った。
そんなに大きくなく、固そうな実。おいしそうだ。おいしそうだがしかし……。
「あの、あたしのきものは?」
「君は体が石のように硬直したまま、昏睡していた。だから薬湯につけて、ほぐしてやったところだ」
「そ、そうなんですか。ありがとうございます」
「慣れぬ者が神霊の気配の中で無理をすると、こんなことになる」
黒髪様の声はため息混じりで、すこぶる機嫌が悪そうだ。果物を両手に乗せて胸元で抱いているクナは、責められた気がして肩身を縮め、うつむいた。
遠い戦地にいた黒髪様がここにいる。ということは、自分はかなり長いこと、意識を失っていたのだろう。
「巫女団の婦人たちには困ったものだ。君を勝手に戦に動員するとは」
「みこだん?」
「先帝の後宮にいた女たちの一団だ。天子様より名を贈られたとき、一緒にいただいた。そこそこの霊力を持っているので、塔の守備を任せているんだが……すめらの慣習はよく分からぬ。鬼火どもはなぜか巫女団の婦人たちを、私の伴侶のように扱っている。そういう扱いはしないでほしいんだが……」
やはりあの楽の音を奏でた一団の中に、正奥さまたちがいらっしゃったようだ。
しかし柱国さまは、奥さまたちのことを認めてらっしゃらない? すめらの習慣がわからぬとは……たしかに本名は、生粋のすめらの人ではなさそうではあるが……
「あのでも、あたしはみこしゅぎょうをしてます。だからたたかいにさんかするのは、やらなきゃならないおつとめじゃないかと」
「修行はしてもよいが、戦に出ることは許さぬ。危険だからね」
「でも、おくさまたちもあのぶたいに――」
「いやだから、彼女らは私の伴侶ではなく、塔を守る戦闘員だ。君とは違う。私は君の記録に
なんと、「
「えっ、ちょっとまって、ほ、ほんきなんですか?! なんであたしを、おくさまに?!」
「伴侶にしたいからに決まってるだろう。なぜなら君は――」
ごおう、ごう。澄んだ美声が、轟くすさまじい音に遮られた。黒髪様は舌打ちしてずかずか部屋を横切り、大きな音を立てて窓を閉めた。とたん、塔を揺るがすような音がすっと遠くなった。
頬撫でる風は窓から来ていたのかと、クナは夢で感じた心地の由来に気がついた。そしてあのうるさい音は、おそらく龍の声。ずいぶん泣き喚いているような気がする、と思ったとたん。
「田舎娘。とにかく君の部屋は、ここだ」
「ふあ?!」
クナはきつく抱きしめられ、そのまま寝台に押し倒された。
ぎしりとほどよい固さの寝床がきしみ、甘い囁きがクナの耳を襲った。
「夫婦とは、一緒に住まうものだからな」
身分の高い人というのは、こんなに強引なものなのか。
黒髪様の頭の中では、クナと彼は、なぜかすでに夫婦であるらしい。
普通それは、最低でもひとこと、「おまえを好いとる」とか、「おまえを
もしかして有無をいわさず妻にするぐらい、この人はクナのことを好いているのだろうか?
でもまだ、ろくに会話もしていないというのに……
「ちょ、ちょっとまって!?」
クナは縮み上がった。胸に抱くりんごなるものを挟んで、黒髪様の体がひたりと合わさってくる。その肌には、衣の感触がない。
「ほ、ほんき?! ほんきであたしを? ででででも、そんなのこまる! ちょ、ちょっとまってください!」
抵抗を封じようとしてか、背に回された腕に力がこもる。
しかしみるまにクナの胸はじりじり熱くなり。肌が合わさったところもひどく熱くなり。すぐにぼうっと、燃えるような熱が噴き出した。
「ぁあっ! あつっ……!」
「実に、
クナが悲鳴をあげると同時に、黒髪様の体がしぶしぶ離れた。刹那すうっと、クナの体から熱が引いていく。月の夫人につけられた胸の印は、だれかがクナの体に触れると燃え出すらしい。なんと、
黒髪様はあきらめたくないのか、大きく息吐くクナの髪を、ひと房つかんでいじりだした。
「
突然、美しい声が暗く沈んだ。
「レヴテルニをおびき寄せるため、龍二頭を見殺しにした。西郷は占領しないといけなかった。なのに……また仕切り直しだ。だが決して、あきらめぬ。レヴテルニは、決して許さない」
鬱々と語られる不穏当な言葉。その声は闇夜のように
「あいつは殺す。私がこの手で」
びりりとあたりにするどい空気がおりる。
それは黒髪様の怒りだった。ひどく重く、痛々しい。怒りのなかに渦まくのは、心が捻られるような哀しみの気配だった。
「力及ばず情けないことだ。すまない。次は必ず、あいつを仕留めるよ」
決意固い声で謝られて、クナは困惑した。
黒髪様はクナを撫でながら、なぜか申し訳なさそうに仰った。まるでずっと昔から、そうすることをクナに約束していたかのように。
「あいつは逃したが、第一級の勲功にはなった。ゆえに天子様は、私に褒美を下さると思し召している」
クナはごくりと息を呑んだまま、何も言えなかった。敵への憎悪をあらわにした黒髪様がこわくて、喉の奥に声を詰まらせた。
こわばるクナの貌に気づいたのだろう、黒髪様は声音を明るくした。
「月の女の心臓。もしくは帝室宝物殿にある
「えっ、だ、だく?!」
いちおうクナは、それがどんなものか知っている。
姉のシズリは時折、物置小屋に男を引きこんでいた。糸つむぎ部屋に流れてくるのは、あんあん甘やかな喘ぎ声。そのあとシズリは台所でひそひそ、男に何をされたか妹に自慢していたからだ。
「だ、だかれると、きよいみこじゃ、なくなりますよね?」
「そうだね」
「きよいみこじゃないと、シーロンさんにたべて、もらえない、ですよね?」
「うん。純潔を失えば、君は食べられることをあきらめざるをえない」
「で、でも! くろかみさまは、しゅぎょうしていいっておっしゃいました! それって、あたしがまともなみこになったら、シーロンさんにあたえるってことじゃないんですか?!」
「あれは、君を落ち着かせるために言ったいっときの嘘だ」
「そんな……!」
この方は本気で、自分を妻にするつもりなのか。
クナはおののき、寝台の上でそろそろ身を引いた。
黒髪様は逃げたクナの髪を追ってきて、そっとまた掴んだ。
「ふむ……凍らせるのは面倒だな。いくら不死身の私とて、
「や、やめてください、いのちをとるなんて――」
とっさに叫んだクナの言葉が、ぷっつり切れた。柱国さまの唇が甘やかにクナの唇を割ってきて、喉の奥からあふれくる混乱を呑みこんだ。両手に持つりんごでクナは相手の体をぐいぐい押し返そうとした。だが、きつく抱きしめられて離せなかった。
胸から昇る熱が唇を焼くまで、黒髪様の唇はクナの悲鳴を塞いでいた。
熱い。熱い。熱い。とろけてしまう……
「ふああっ」
燃え上がる寸前、唇が離れていった。
クナの喉の奥から、こふっと熱の息がほとばしった。
こんなに熱くては、相手の舌はやけどどころではなかろう。だがクナの熱を食らった黒髪様の言葉は、さらりと涼しげだった。
「命を取るな? まったく君は、全然変わらないな」
「えっ……?」
くすりと漏れる苦笑。
クナは首を傾げた。また不可解なことを言われた。まるでずっと昔から知り合っていたかのような言葉だ。
「どうして……?」
「金のりんごをお食べ、田舎娘」
囁きが壁を反射して流れてくる。クナに背を向けてつぶやかれたそれは、とても優しかった。だが大きな音をたてて開かれた扉は、黒髪様が出て行くとすぐに、どずんと閉められた。
つかまえた小鳥を閉じ込めるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます