第十二話 戦ノ司(いくさのつかさ)

 おびただしい数の赤い鬼火が、黒壁くろかべ円部屋まるべやに浮かんでいる。

 湾曲わんきょくした壁には、円い鏡が立てられた台座がずらり。八つある鏡は、紫色に明滅めいめつしている。


磁風平速じふうへいそく、神鏡伝信、感度良好。帝都太陽神殿大衛府ていとたいようしんでんだいえいふ本刻ほんこくもつつがなし」

直下駐屯第七都護府じきかちゅうとんだいななとごふ本刻ほんこく敵影てきえいなし」

「赤ノ塔より伝信でんしん! 直下じきか不知火しらぬい第一軍団、魔道帝国軍と会戦。第十都護府とごふ第四拠点を放棄。第三拠点へ撤退。不知火しらぬい将軍、帝都より現地へ急行中! いまだ第十へ至らず!」

 

 鏡の前に立つ赤い鬼火たちが、明滅を読んで報告する。

 部屋の中央でそれを聞く蒼い鬼火――アオビは、こおっと青白い炎を吐いた。


「なんと、撤退てったいですと?」


 人工鬼火のひとつ、蒼衆たる彼は、この黒き塔の家司いえのつかさ。帝国防衛というこの塔本来の業務をこなす赤い鬼火とは、まったく違う職種についている。

 しかし外の戦況は逐次ちくじ、把握しておかねばならない。


「緑ノみどりのとうより伝信! 第十二都護府とごふ針峰しんほう第一軍団、第十都護符とごふよりの援軍要請受諾。進軍開始しました! なれど針峰しんほう将軍は、いまだ帝都! 緊急打診中!」


 この黒ノ塔は、すめらの国境線たる〈長城ちょうじょう〉を守る、守護の塔のひとつ。巨大な砲台であり、黒髪の柱国ちゅうこく将軍が率いる五万の軍団の、司令塔でもある。

 そのため、直下じきかの軍やほかの守護の塔、そして帝都太陽神殿の大司令部と、常に鏡で通信し合っているのだが。


「赤ノ塔よりさらに伝信! 第十都護府とごふ第三拠点、敵軍に包囲さる。撤退てったい軍、第二拠点へ進路変更!」


 どうも、ゆゆしき状況のようだ。

 都護府とごふとは、属国に置かれている防衛基地のことだ。第十都護府とごふは属国のひとつ「西郷さいごう」にあり、不知火しらぬい将軍の軍団が駐屯している。その地が現在、敵の大侵攻を受けているらしい。

 不知火しらぬい将軍の軍を統轄する赤ノ塔は、大わらわのようだ。


「あの、我らがあるじさま、黒髪の柱国ちゅうこく将軍の軍団は、どうなんですか?」

「駐屯先の第七都護府とごふは平時体制だ。あるじさまが『屍龍シーロン、第七都護府とごふ入り』との大陸公報を大々的に流されたからだろう。すめら最強の龍がいると宣伝しているところに、侵攻するバカはおるまい」


 アオビの隣で真っ赤な鬼火が、身を長くして答える。この鬼火の名はアカビ。黒ノ塔の戦司いくさのつかさであり、朱衆あけのしゅうと呼ばれる赤い鬼火たちを指揮している。


「さすがあるじさま」


 アオビは誇らしげに、青白いおのが身をゆらゆら。満足して部屋をしかけた。だが、「待て!」と、赤く燃えるアカビににらまれた。


「アオビよ、すめら百州は属国をぐるりとまとっている。すなわち属国を盾として、おのが身を守っている状態だ。もしこのまま属国の『西郷さいごう』がとられたら、どうなるかわかっておるか?」

「は、はい。ええと、西の本国国境線が、外敵にさらされることに?」

「その通り。この黒ノ塔が、自ら敵に火を吹くことになる」

「な、なんとそれは」


 最近つとに、魔道帝国サハリシュという西の大国の攻勢が激しい。

 そのため帝都太陽神殿は、柱国ちゅうこく将軍たちを都護府とごふに配して、鉄壁の守りを展開した。しかしこの大侵攻である。

 アカビの声は冷徹で硬かった。


不知火しらぬいさまの火龍ファーロン都護府とごふにおれば、このような侵攻は受けなかったろう。敵は、龍たちが一斉に帝都に集まる時宜じぎ を突いてきたのだ」


 八人の柱国ちゅうこく将軍は、それぞれ龍を飼っている。

 龍は巫女を食らって得た神霊力で、敵軍を蹴散らす。

 炎の咆哮、嵐の咆哮。毒の息吹。いにしえの神獣に匹敵する威力をもち、ほぼ無敵だ。しかし……


「龍がいなければ、すめらの軍はかようにもろい。不知火しらぬいさまが間に合えばよいが」

「あの、敵は龍たちが帝都へ集まる日を知っていたということですか? でもそれって、第一級の機密ですよね? 龍たちはこっそり、都護府とごふを離れてますよね?」


 アオビの蒼白いふるえ声に、アカビはおのれの赤い吐息を重ねた。


魔道帝国サハリシュの神帝。くれない髪燃かみもゆるレヴテルニ帝は、赤鋼玉あかはがねだまの瞳を持つお方であるそうだ」


 真紅の炎がいらただしげに、あたりに燃え散った。 


「その瞳はすめらの神官族が帯びるものとは違う。この大陸がひとつの王国に支配されていた、超文明の時代の遺物であるらしい。すなわちその神力、並ならずといわれている」

「まさか、竜たちが帝都へ動く日を、予知したっていうんですか?」 

「すめら百州を囲む〈長城〉は、強力な結界を展開している。おかげでどんな〈目〉も百州を覗くことはできない。なれど属州には、かような透視遮断の守りはない」

「ちょっと前線を見られただけで、ここぞと攻められたっていうんですか?」

「覗いた者は神帝だけではなかろう。千里眼の力を持つ術者も密偵もウヨウヨしているのだろう。アオビよ、この黒ノ塔は一瞬で戦時せんじへ移行できるよう、よくよく準備しておく。ぬしも覚悟しておけよ」




 アカビに念を押されたアオビは、ふわりと司令室を出た。

 魔導帝国サハリシュはじわじわと大陸に版図を広げている。

 なれどすめらは一万年以上続いている超大国。たかだか建国百年に満たない国に敗れることはないであろうと、アオビはにっこりした。


「しかし不知火しらぬいさまの到着遅延の理由には、びっくりしましたよ……」


 赤ノ塔からの伝信によると。

 不知火しらぬいの柱国将軍は、月の巫女姫を火龍ファーロンに食わせなかったそうだ。なんと領地に建つ大きな御殿に連れ帰ったらしい。


不知火しらぬいさまはこれまで生け贄をひとり残らず、龍に喰わせてきましたのに。まさか、目こぼしするなんてねえ」


 緑ノ塔からの伝信も意外なものだった。

 女嫌いの堅物で知られる針峰しんほうさまが、帝都の本宅になんと、生贄いけにえの月の姫を連れこんでいるという。かの御方は、餌の質にうるさい。あまり力のない巫女はいらぬと返却する。しかし愛妾にしたことは、ただの一度もなかった。

 不知火しらぬい将軍も針峰しんほう将軍も、都護府とごふに戻らず、月の姫をはべらせてしとねに入りびたっていたなんて。

 この二人だけではない。ここ数日の神鏡伝信のやりとりからすると、八人いる柱国ちゅうこく将軍の半分が、どうもそのような「ふぬけの状態」であるらしい。

 月の巫女姫たちは命を奪われるまいと、秘法を行使したのではないか。

 帝都太陽神殿の中枢は、そんな疑惑を持ち始めているようだ。


「やはり月を食らうのは、ひとすじ縄ではいかなかったようですねえ」

 

 もしすめらが敵の攻勢に押されて属国を失えば、不知火しらぬい将軍の到着遅延は、大問題となるだろう。そもそも、龍が一斉に帝都へ集まる、防衛線からたのみの龍がすべていなくなったのも微妙だ。日取りを決めた大衛府にも責はある。なれど将軍たちも大衛府も、責任を回避するために月神殿を責めたてるだろう。


「生き永らえた月の姫に、罪がかぶせられるのでしょうねえ。くわばらくわばら」


 螺旋らせん階段をふわふわ下りながら、アオビは誇らしい思いを噛みしめた。

 現在窮々きゅうきゅうであろう不知火しらぬい将軍にくらぶれば、アオビのあるじ、黒髪の将軍はまったく卒がなかった。

 生贄いけにえ受領じゅりょうの夜に連れ帰った、「しろがねのイナカ・ムスメ」。あの娘はまちがいなく、屍龍シーロンに差し出された生贄いけにえだろう。入塔記録には「トウのマカリ姫」とは記していないが絶対そうだ。

 なれども黒髪様は、「ふぬけ」にはならなかった。

 とう家のマカリ姫は屍龍シーロンに喰わせたと太陽神殿に報告し、半日経たぬうちに出塔して、今は第七都護府とごふにおられる。

 己を失わない完璧な人だ。

 なれど――

 出塔するまぎわ。娘の記録を記した黒髪様の御顔といったら。

 思い出すだけで身が縮む。はるか遠くから見ても震えてしまうほどおそろしい、鬼の形相。鬼気迫るその勘気かんきに、近づこうとする鬼火はひとりもいなかった。


『月の女を殺すか、橙煌石とうこうせきを手に入れねば』


 黒髪様がおどろおどろしくつぶやき、龍に乗って出塔したあと。書き込まれた記録をのぞけば、なんとそこには。


『トリ・ヴェティモント・ノアールのさいとして入塔せり』


 アオビは大変困惑した。すめらの国でさいと呼ばれるのは、正式な婚姻こんいんを成したご正室せいしつのみだ。黒髪様には、そのご正室せいしつがすでにおられるのだ。

 まさか黒髪様も、月の巫女の魅了の技に落ちたのだろうか?


『とりあえずは、側室そくしつとして接するべし』


 一抹の不安を抱えつつ、アオビはおのれの配下、蒼衆あおしゅうたちにそう命じた。

 部屋は中層の「梅の間」に用意した。ご正室が住まう「松の間」。そのひとつ下の、第二室が住まう「竹の間」。そのさらに下にある部屋である。

 ご正室たるイェン家のレイ姫は、普通の仙人鏡よりも大きく立派な「大鏡おおかがみ」を持っている。つい先日、アオビが鏡の間からその「大鏡おおかがみ」へ、おそるおそる「梅の間」が埋まったことを報告すると。


『いったい何人目じゃ?』


 鏡の向こうのレイ姫は、またかと高笑いしていた。


『我が君はお優しいからのう。でもまあ、今度もご領地送りになるであろ。ほーっほほほほ!』


 黒髪様も針峰しんほう将軍と同じく、餌の質にこだわる。

 これまで何度か、神霊力が微妙な巫女は龍に与えず、ひそかに塔に持ち帰ってきた。そして正奥さまのおっしゃるとおり、ほどなくご領地の城に送ってそれきりだ。そんな巫女たちはおしなべて、入塔記録に「使つか」と記録されてきた。つまり侍女の扱いだ。

 しかし今回は、いつもと違う。はっきり「さい」と書かれるとは、尋常じんじょうではない。

 だがアオビは、この件については、固く黙っておくことに決めた。ご正室の心を痛めるなど、まったくしのびないことだと思ったからだ。

 レイ姫は当然のごとく、根掘り葉掘り。新しい側室のことを聞いてきた。


『はぁ? 巫女の修行をしたいじゃと? なんじゃそれは』

『入塔を目撃した鬼火どもが申すには、シーロンさまに喰われたがっているそぶりであったそうで』

『ほほほ。おおかた餌にならぬと判断されたのが、悔しかったのであろ。月の女は気位が高いからの』

『修行のために、部屋とお師さまを御所望です。しかし、側仕そばづかえはいらぬと仰せで』

『ほぅ? それはまたずいぶんと、強気な』 

 

 鏡の向こうで黒く染めた髪を肩に垂らすレイ姫は、目を細め、にやりと引き上げた口を黒い袖で隠していた。


『ではわらわが、よき師を紹介してやろう』


 レイ姫は、もとは帝都太陽神殿の巫女だった。しかも実家のイェン家は太陽の御三家の一角を成す、家格一等の名家。ゆえに古巣には太いつてがある。


『この世で一番優秀で美しい太陽の巫女を、師につけてやろうぞ。色違いとつっこまれても完全に無視じゃ。修行の内容は、太陽も月もさして変わらぬわ。さしてな。ほーっほほほほ!』


 甲高い笑い声に混じる低い呪詛に、アオビはぶるぶるおののいたものだ。


「さ……さてさて本日も、戦況と黒髪様のつつがなきご様子を、正奥様にお伝えいたしましょう」


 アオビは気を取り直して、塔の下層にある「鏡の間」へするりと入り、「大鏡おおかがみ」への回線をつないだ。

 黒髪様の輝かしい戦功と御身の無事を祈りながら。




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