第3話
三月の半ば、BはAより先に卒業する。互いに何も言わないが、Bは卒業後も、いまだにAとこの生活を続ける気でいる。これに関して、Aは何も言えないということをBは知っている。つまり、借金は増え、一層口数は減り、確執は拡がり、また同じ生活が単に繰り返される。
Bは背広を着て、毎朝会社に出かけて行き夜遅く帰ってくる。Bが居ないのを確認すると、Aはもぞもぞと布団から這い出る。Aは、Bの居ない時間だけは、それもちっぽけでみみっちいものではあるが、本気で安堵する、しかしまた、そういったことでしか精神の安定を図れない自分を責め立てる。 Bは帰宅後も、ほとんどAをもの扱いし、気に止めないでいる。最後にお金さえ返してもらえれば、Bは、それでいいと考える。
ある夜、Bはずいぶん堪えて帰ってくる。へまをやらかして、上司から譴責処分受けたためで、最初は誰でも通る道だ、とも思うが、失態を笑って済ます、という心持にもなれず、誘いもそこそこに断る。上着をハンガーに掛けると敷きっぱなしの布団に突っ伏して眠りこける。
Bは不吉な夢を見る。普段ならなんてことのない、無秩序で不均衡な夢も、心身の疲労の際には、明晰さをして狡猾と欺瞞に及ばざる思いなしにBは抗うことが出来なくなる。踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂とはこのことだと皮肉に思う。
夢の途上、Bは自分のいる場所がどこか見覚えのある室内であることを自然に悟る。よくあることだ。
なぜか、自分は有りもしない出口に向かわねばならないのだ、とさえ考えさせらている。いつの時も夢は仰々しい説明を抜きにして、大抵のことを誤解させる。現実では一ミリとも考えたことのない事柄も容易く実行させようとする。ともかく、Bは、自分がそれほど焦っていない、そしていつの間にか目の前にAがいることを知る。
AはBの部屋の戸口に、壁にもたれて立っている。じっと自分を見つめるAの表情がBには不適な笑みを浮かべているようである。Bは時計を探すふりをして、周りを見渡す。
足元を探る、どうしてかわからないが、そばに鋭利なナイフがある。
Bの緊張は、柄に触れた指先から全身に波状に伝わる、奇妙な興奮と畏怖は混ざり合い、一気に高ぶるのを感じる。
つまり、BはAに殺されるか、また殺すかな二者択一を迫られる。Bは当然と考える。
BはAに向き直って、表情をつくる。欺こうとする。
まだ夜中の二時だ、とAは言う。するりと手をポケットに滑り込ませる。
即座に、あそこにナイフが入っている、とBは直感するが、刺すならば背中を刺さなければと刷り込みが頭の中を支配している。Bは、汗をかいたのでシャワーでもしてさっぱりしたいと、Aを促す。Aは応じて、戸口からもたせていた肩を引き戻す。よっこいしょ、Bの無意識に出た言葉にAが振り向く。おっさんかよ、と声を出して笑う。Bは立ち上がって、愛想笑いをする。自分でもそれが引き攣ったものだと承知しているが、後の祭、冷や汗が背中を伝う。
Bは早口に時にはまくし立てられながら、Aの話を聞かされる。例えば、
俺はお前が悪くないってことを証明しにきたとする。そう、お前が、それも常識も弁えず誰かれ自由に土足で入っていって、あいつらが臆病な物言わぬ唖だからってそいつらの居場所を占領したって俺はむしろ拍手してるんだ、いや、信じろよ、お前のしたことさ、神様は乗り越えられる試練しか与えない、お前の元に俺がいるのも乗り越えられるからさ、ただ、乗り越えたくないものかも知れないけどな。人の欲と神様の思し召しが同じなわけないだろう。人はコロコロと考えや、理屈を変えるし、なんたって裏切る。お前が俺に感じ始めた罪悪感も虚栄心も、はたまた恐怖も、道理に合わないだろ。
最後に、Aは言う。おい、何か足元に落ちてるぞ。
ん、Bは俯く、気がつくと首にナイフが刺さっている。
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