第5話 明けの花(2)

 文字の羅列が長々と記載される羊皮紙を眺め、受付嬢のアグリスはため息を吐いた。

 片手で万年筆にも似た黒いガラスペンを器用に回し、そこに書かれている概要に眉をひそめる。

 ギルド職員である彼女の仕事は、ギルドに届く依頼の査定とその受注。


 千差万別の内容である依頼が絶え間なく届くこともあり、ギルド職員は仕事合間に依頼へ目を通しては、概要に沿った難度を決めなくてはならない。

 適切な冒険者を派遣しなければ、冒険者ギルドの信用度に影響が出るだけでなく、依頼者に対しても様々な不都合が生じるからだ。


 勿論、そのような仕事をするには、多様な知識が必要となってくる。

 冒険者に関するのは勿論、様々な種族の生態に地理、果ては魔法や神話、昔話などを始めとしたその他諸々の知識が必要となり、そこへさらに冒険者ギルドや冒険者組合の教養が必須となる、いわばエリート職である。


「はあ、こういう依頼が一番面倒臭いんだよなぁ」


 アグリスは羊皮紙を見つめながら呟く。

 嫌悪した表情で目を通している羊皮紙に書かれた依頼は、とある洞窟の調査。

 エミューレ王国の国土内に存在するルルイ村の村長が依頼主だ。

 ここ最近、村の近くにある洞窟から不思議な雄叫びが聞こえてくるらしく、その声の調査ないしは洞窟内の探索をお願いしたいというのが届いた依頼内容なのだが――。


「んー! 分からないわ。 今まであそこの洞窟から何かが出たなんて聞いたことないし……。別件の依頼で洞窟に行ったアイリスちゃんも戻ってきてるし」


 アグリスは頭を悩ませる。

 この手の依頼は、何が起きるかわからないため、少し高めの難度に設定するのが常なのだが、今回は少し別だ。

 まず、依頼場所の洞窟に関しては一度もモンスターの出現を確認したことはない。

 また、それに類似する生物の姿も同様にない。

 過去にとある冒険者が探索に行った際、それらの存在を確認したとの報告もなかった。


 その冒険者が当時、手を抜いた報告をした可能性もあるが、現在の彼らの地位を考えればあり得ないだろうとアグリスは思う。

 なにより、昨日冒険者になったばかりの少女――アイリスがそこから無事に帰還していることを鑑みれば、あまり危険度は高くないのではとも思える。

 しかし、運よくその謎の生物と遭遇しなかった場合も可能性としては十分にあるだろう。


 結局、普段通りに難度を高く指定することが無難か――。

 アグリスは依頼の難度を”ウェヌス”以上に制定し、作業用のテーブルへ羊皮紙を置く。

 数分間の思案ではあったが、自身を束縛していた悩みが解消され、アグリスは安堵の息を吐いた。


 金髪の髪を掻き上げ、残りの査定待ちである依頼が書かれた羊皮紙に目を向ける。

 他の職員が仕事を放棄しているとは思いたくないが、積み重なっている羊皮紙の束を見ると、そのような疑念を抱いてしまう。


「ちょっと、聞きたいことがあるのだけれど。いいかしら?」

「はい?」


 不意に彼女の鼓膜を美声が揺らした。

 反射的に返事をしたアグリスは、顔を上げて目を見開く。

 澄んだ真紅の瞳に純白の髪、色白い肌に漆黒の衣服に身を包む、比較対象が宝石しか思い浮かばない美しさを持つ女性の姿が目に映った。

 アグリスは思わず、呼吸するのを忘れてジッと彼女を見据える。


「冒険者について……あなた、聞いているの?」

「あっ、はい! えっと、なんでしょうか?」


 硬直していたアグリスの意識が再起動する。

 少々不安げな表情を浮かべて女性――イビルシャインは再び話を始めた。


「冒険者について聞きたいのだけれど」

「冒険者についてですか? えっと、なにか依頼ですかね? でしたら……」

「違うわ。私は、その依頼ではなく、冒険者について話しを聞きたいの」


 強い口調での物言いにアグリスは困惑の表情を見せる。

 別段、この手の質問は珍しくもない。

 彼女自身も何度か似たような質疑の応答をしたこともある。

 ただ、それらは全て依頼をするという前提のものだった。

 冒険者ギルドを利用する際に冒険者に対しての知識が浅はかだと、色々心配という者達が、受付嬢に質問をすることはある。

 しかし、目の前にいる女性は違った。

 依頼をしたいから聞くのではない。

 であれば、何故か。

 アグリスは休ませていた頭を回転させ、思考を巡らせる。


「ねえ、あなた大丈夫?」


 黙りこくるアグリスに心配そうに声をかけるイビルシャイン。

 その言葉を聞き、アイリスは作り笑みを浮かべて、話を再開させた。


「申し訳ございません。冒険者のことでお聞きしたいとのことですね。では、念のために一からご説明させていただきます」

「ええ、お願いね」


 考えても無駄――というよりは、考えるだけ無意味と判断し、アグリスは説明を始める。

 結局は、単純に冒険者のことを話せば良いだけであり、彼女がどういった理由で聞いてきたのかは関係のない話だった。

 説明してしまえばおしまい。

 それだけの話だ。

 アグリスは笑顔のまま口を開く。


「まず、冒険者というのは年齢が十六歳以上であること。また、クラスを所持している者が就ける職業です。冒険者の主な仕事はギルドに届く依頼の達成。または、冒険者ギルドないし国からの緊急以来の達成ですね。それ以外ですと、冒険者という肩書を利用した稽古場の指導者なんかもありますね。まあ、後者は稀ですが」


 なるほどとイビルシャインは頷きながら、近くに落ちていた羊皮紙に説明された内容を書き込む。

 この世界の言語を見ても聞いても理解可能なイビルシャインにとって、使用されている言葉を文字で表すことは簡単だった。


 最低限の知識というのは、異世界を渡り歩く上での必要最低限といった制約であり、逆に言えばなければならない知識でもある。

 アグリスは彼女の手が止まり、顔が上がるのを確認すると再度口を開く。


「冒険者は依頼を達成することにより、あらかじめ提示されている報酬額を収入として得ることができます。冒険者ギルドは、依頼者と冒険者の仲介を行う施設ではありますが、報酬額から仲介料といったものを頂くことはありません。これは、前もって依頼者の方から仲介料を頂いているからです」


 イビルシャインは何度か相槌を打ちながら、アグリスの瞳を凝視し話を聞いている。


「また、冒険者には合計九つの階級があります。下から、ルーナ・メルクリウス・ウェヌス・ソール・ネプトューヌ・プルート・サートュル・ステルラ・オリーゴとなっています。階級が上がるほど高い報酬の依頼を引き受けることが可能になっておりますが、難度も比例して推定されます」

「難度というのは?」


 アグリスは質問に驚きつつも回答する。


「難度というのは……そうですね。依頼に対する達成可能率の度合いですかね。例えば、ゴブリンとヴァンパイアの討伐ってどちらが難しいと思いますか?」

「それは、ヴァンパイアではないの?」


 神妙な顔で答えるイビルシャインにアグリスは頷く。


「はい。その通りです。つまりゴブリンの討伐はヴァンパイアの討伐より簡単というわけです。ということは、ヴァンパイアよりゴブリンの討伐の方が、達成可能率が高いということになります。では、安全地帯での薬草の採取とゴブリンの討伐。この場合はどうでしょう?」

「……希少な薬草の採取でないのなら、討伐より薬草採取の方が簡単ね」

「はい。なので、ゴブリン討伐より薬草採取の方が達成可能率は高いと考えられます。このように、私達ギルド職員が依頼に対して、様々な情報と知識を行使し、更に厳重な調査の元、達成率を考え、それに沿った数値をつけます。それが難度です」

「なるほどね。つまりその数値が低いほど、依頼の達成が困難だということね」


 アグリスは思う。

 彼女は冒険者組合本部が送り出した使者なのではないかと。

 彼女の飲み込み具合を考えれば納得ができるし、そうであれば依頼をしに来たわけではないという主張も頷ける。

 であれば、なおさらすべきことは変わらない。

 ギルド職員として、聞かれた問いに答えればそれだけでいい。


「その解釈で正解です。達成可能率が九十~八十パーセントがルーナクラス。七十九~七十がメルクリウスクラス。六十九~六十がウェヌスクラス。五十九~五十がソールクラス。四十九~四十がネプトゥーヌクラス。三十九~三十がプルートクラス。二十九~二十はサートュルクラス。十九~十がステルラクラス。九~五がオリーゴクラスだと考えてください」

「……二つ質問いいかしら?」

「はい、どうぞ」

「ルーナが難度ソールクラスの依頼を受けることは可能?」

「それは無理ですね。冒険者は自身の階級に沿った依頼しか受注できません。階級がルーナなら達成可能率が九十~八十パーセントの依頼のみ。ですが、ソールがルーナクラスの依頼を引き受けることは可能です」

「つまり、階級が高い冒険者は自分より下の冒険者の依頼もこなせるというわけね」

「はい。その通りです」

「じゃあ、二つ目」


 アグリスは笑顔で頷く


「四~一の依頼はどの階級が担当するの?」

「達成可能率が四~一パーセントの依頼ですと、先ほどの階級の冒険者ではなく、特別な称号を持つ方しか引き受けられません」


 アグリスの言葉に、一度イビルシャインの顔つきが変化する。

 その変動にアグリスは疑問を抱きつつも話を続けた。


「はい。セフィロトと呼ばれる称号を持った方です。この称号は、伝説と呼ぶに相応しい実力と実績を持った者のみに与えられる栄誉ある称号であり、世界を守る最強の番人として認知されています」

「それはどうしたらなれるの?」


 思わぬ質問にアグリスは顔を顰める。


「えっと、そうですね。まず、冒険者はいずれも皆、最初はルーナの階級からスタートとなっています。階級をルーナからメルクリウスに昇格する場合は、依頼を四回達成と試験として、冒険者組合が用意した達成可能率七五のメルクリウスクラスの依頼をクリアしていただくことと定められています。そしてメルクリウスから――」


 アグリスの言葉を手で制し、イビルシャインが話を奪う。


「ウェヌスになる場合も同様。何度かの依頼を達成した後、試験を受ける。それ以降も然り……ってところかしら?」

「はい。正解です。それは、セフィロトに関しても同じです」


 説明を遮られたアグリスはゆっくりと頷きを見せた。

 イビルシャインはなるほどと小さくつぶやき、話をメモした羊皮紙に目を落とす。


「そういえば、最初に出てきたクラスってなにかしら? たしか、冒険者になるには必要って言っていたわね」


 イビルシャインの問いかけに、アグリスは思わず後悔した。

 ここまで完璧な受け答えをしてきたと勝ち誇っていたが、基本的なクラスの説明をすっかり忘れていたからだ。

 彼女が予想通り、本部から派遣された者だとしたら間違いなく自分の評価は落とされただろう。

 アグリスは奥歯を噛みしめる。


「大変申し訳ございません。クラスの説明がまだでしたね。まず、冒険者になるには、ギルドにてメンバー登録をしていただく必要がございます。その際に、自身の希望するクラスを選択していただきます。クラスと呼ばれるのは、魔法使いウィザード戦士ウォーリア、僧侶に盗賊といった、いわば資格ですね。冒険者の方はそれらの資格をクラスと呼びます」

「資格ね。分かったわ」

「複数の資格を持つ方は、どれか一つを登録する際に選んでいただきます」

「それはどうしたら得られるの?」

「はい。それぞれに対応した施設がありますので、そちらでの会得が基本となっています。魔法使いウィザードなら魔道学校に三年間の在籍及び卒業。僧侶なら神殿に見習いとして五年間身を置き、神殿の大僧侶の方から見習い卒業の証を頂くこと。他の資格も同様です。例外として、盗賊、魔法戦士ウォーウィザード召喚士サモナーは別の条件が必要となりますが」

「へえ。しゃあ、今すぐに冒険者になることはできないの?」

「不可能というわけではありませんが、こちらが提示する課題をクリアしていただく必要があります。魔法使いウィザードなら第一流出~第二流出魔法の全般の使用。戦士ウォーリアなら、いくつかの剣技および筋力の査定。僧侶なら――」


 アグリスが全てを説明し終える前に、イビルシャインは言葉をはさむ。


「じゃあ、魔法使いウィザードでお願いね」

「はい、分かりまし……え?」


 イビルシャインの放った言葉の意味が理解できなかったのか、アグリスは素っ頓狂な声をあげる。

 あまりにも滑稽な声にイビルシャインは呆れた表情で再度内容を繰り返す。


「だから、私はクラスを魔法使いで登録したいのだけれど?」

「えっと、それはつまり冒険者になりたいと……?」


 混乱するアグリスのイビルシャインは頭を押さえる。


「他にどんな意味があるのよ?」

「あ、あの……じゃあ、本部からの方ではないのですか?」

「本部? 言っている意味が分からないわ。私は、単純に冒険者になりたいけど、全く知識がないからあなたに聞いただけよ」


 なんということだ。

 アグリスは無意識のうちに強張っていた緊張が緩むのを感じる。

 目の前の女性は、本部からの使者ではなく、ただの冒険者希望。

 彼女ほどの美貌を持つ人が何故と疑問を抱くが、であれば話は早い。


「あの、正直な話……やめといたほうが良いですよ?」

「あら、なぜ?」


 不思議そうに見つめるイビルシャインに、アグリスは苦笑いを浮かべる。

 とてもではないが、この女性は魔法を使えそうにないと思った故の言葉だった。

 アグリスは受付嬢として、これまで様々な冒険者を見てきた。

 屈強な者からひ弱な者。

 どう考えても、彼女は後者だ。

 アグリスが睨むに目の前の女性は、どこかの貴族が手厚く育てた世間知らずな箱入り娘に違いない。

 先ほどは彼女の正体の判断を間違えたが、今回は正しいだろうと確信する。


「えっと、第一はともかく、第二流出魔法はある程度の難易度を誇りますし、魔道学校に行かれていない方が扱うのは流石に……」

「無理と?」

「あ。えっと……はい」


 相手が貴族の娘となるとこちらも強くは言えない。

 なんとか穏便に諦めさせようとアグリスは考える。


「はぁ……。じゃあ、私が第二流出より上の魔法を使ったら、あなたは認めてくれるのかしら?」

「え、まあ、それは認めますけど」


 アグリスの返答を聞き、イビルシャインは右手をカウンターへと置く。

 アグリスはただ無言でその様子を見ていた。


「『物体凍結アイス・ストップ』」


 イビルシャインの紡いだ言葉が、耳に入ると同時にアグリスは驚愕する。

 彼女の手が置かれた位置を中心に、カウンターが一瞬として凍りついたからだ。

 澄んだ冷気が肌を刺激する中、アグリスは氷となったカウンターに映る、自身の間抜け顔を数秒眺める。


「で、これで合格かしら?」


 透き通ったイビルシャインの声に、アグリスは引き攣った笑顔を見せ――。


「は、はい……。これは、第四流出魔法の『物体凍結アイス・ストップ』です……よね?」


 おそるおそる、彼女に確認を取る。


「ええ、そうよ。私は、第一から第四流出魔法まで操れるわ。だから、もう一度言うわね。私は、魔法使いのクラスで冒険者になりたいの。年齢は、そうね――」


 冷気のせいか、若干震えるアグリスの手を取り――。


「この発達具合から察してほしいわ」


 幾分か自分より発育の良いそれの柔らかさを手で感じながら、アグリスは紅潮した顔を二度ゆっくりと頷かせた。

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