その9 神々の円環、その終わりに。





 大空に貼り付いた満月は煌々こうこうと輝き、じゃを払う十字架のように世界を照らし出していた。


 色とりどりの花と刺繍細工で加飾された千年王国スクルドの街並みには、今宵の千年祭ミレニアムに湧く人々の歓声が満ちている。騎士団の盾を象ったモスグリーンの国旗が、教会や街路のあちらこちらでたなびいている。ウィヌシュカの銀色の髪も、風に流れるたびに音もなく美しさを奏でるのであった。


「あは、ウィヌ。見て! まるで違う国の違う大通りみたい」

「ああ。栄華えいが此処に極まれりと言わんばかりだな」


 ウィヌシュカの腕を引いてはしゃぐリュイリィは、羽衣はごろもにも似た柔らかなラインのミニドレスに身を包んでいた。その姿は、さながら可愛らしい花嫁のように映る。


 対するウィヌシュカは、落ち着いた色合いのカクテルドレスという出で立ちであった。クラシカルな雰囲気は正装と呼んでも差し支えないほどで、愛国心に溢れるスクルドの民のように穏やかな眼差しが印象的である。


 リュイリィの軽やかな足取りを咎めることなく、ウィヌシュカはほんの僅かに歩みを早めた。往来を行くのは、華やいだ様子の若者の姿ばかり。スクルドの現国王がいかに敏腕で、同時に民から愛されているのかを窺い知ることができた。


「リュイ。私は、少し苦手かもしれない」


 少しだけ申し訳なさそうにウィヌシュカが切り出した。その口調は、訥々とつとつとしていて優れない。不安げに振り返ったリュイリィをおもんぱかりながら、ウィヌシュカは言葉を繋げる。


「なんというか、そうだ、この雰囲気がだ。優雅で洗練された賑わいよりも、どこか雑多な活気の中のほうが、私にとっては居心地がいい」

「ぶぅ。それってさ、ボクとのデートよりも、戦場で死神の大鎌デスサイズを振り回してたほうが落ち着くっていう解釈でいいかな」


 リュイリィは頬を膨らませて、あからさまな不満を訴えた。


「否定はしない、おおむねそのような意味だ。だが、私が剣を振るうべき場所はもうない。少なくとも、今は」


 理知的な微笑みと共に、ウィヌシュカはリュイリィの頭を撫でた。するとリュイリィは、不機嫌な猫のように眼光を鋭くさせる。大層な子供扱いをされたことが、彼女の何かを傷付けたらしい。


「そっちはそっち! こっちはこっち!」

「……うん?」

「世界が平和でもそうじゃなくても、ボクはずっとウィヌのとなりにいるんだから!」


 地団駄を踏むリュイリィの剣幕に、往来の人々が一斉に振り返った。周りの目もはばからず痴話喧嘩が始まったのではと、好奇の視線が二人に集まっている。


「ああ、分かっているさ、リュイ」

「分かってない。ウィヌはなんにも分かってない!」


 千年祭ミレニアムに沸くスクルドの街並みに、リュイリィだけが遠い過去の風景を見ていた。何度も奪われた数万の生命と、あかに染められた銀色の髪と。最後の瞬間まで妖艶に微笑んでいた女神と、壊れてしまった土人形と──。


 一体どれだけの過ちを繰り返して、愛するウィヌシュカの胸に飛び込んだのか。そのすべてを赤裸々に告げてしまいたい衝動が、小さな肢体中からだじゅうを駆け巡った。


 だが身勝手な癇癪かんしゃくに応えるウィヌシュカの言葉に、リュイリィは目をみはることとなる。


「リュイ、もう一度言う。私には。せっかくのドレス姿を、台無しにして済まなかった」

「……え?」

「お前は、いつだって私のそばにいてくれた。確かにその大半は過ちであったが、お前はただの一度たりとて、この私を愚弄したことはなかった」


 かつてこの世界は、リュイリィの妄想から生まれた。それは、ウィヌシュカへの病的な執着から生まれたと換言しても良い。好き勝手に捏ねくり回し、思うようにいくまで何度も繰り返されてきた世界。


「……どう、して? どうしてウィヌが、ボクの罪を知っているの」


 その代償。

 それが今。


 リュイリィは永い道程みちのりの中で、自らもまたことわりの中へと組み込まれてしまっていたことに気が付いた。いや、そうではない。いつの間にかウィヌシュカが、リュイリィのがわへと引きずり込まれていたのかもしれない。


「簡単な話さ。私もまた、過ちを犯したからだ」

「へ?」

「何度も罪に染まり、何度も罰を受けた。それは皮肉にも、お前が与えてくれたこの名の通りに」


 、ウィヌシュカが続ける。


「いつか伝えようと思っていた。ずっと言うことができなかった。何故ならここは、グングニルが見せる夢の中でも、シリカが書き記した聖典の中でもないからだ」


 ウィヌシュカの紅い瞳が、わずかに潤んでいた。その表情には、数えきれないほどの弱さや迷いが浮かんでいる。戦場を駆け抜けて血の雨を降らせていた彼女は、今はもう亡き伝説上の存在に過ぎなかった。


「……怖かったんだ。私にもうなんの力も残されていないことを、お前に知られてしまうことが」


 果たしてこれは、二人にとって何度目の千年祭ミレニアムだったか。

 気の遠くなるような遠回りが、真実をずっと覆い隠していた。


「──リュイ。最後の生を私と生きてくれないか。女神足り得ないこの私と、老いて朽ちるまでを添い遂げてほしい」


 喜びに咽び泣きながら、リュイリィはウィヌシュカの胸へと飛び込んだ。その頭の中で、退屈そうにあくびを噛み殺すシリカの姿が再生される。


 そういえばいつだったか、リュイリィとシリカがこのような会話を交わした日は。あの日もそうだった。シリカの書き上げた聖典の至らなさに、リュイリィは文句を垂れていたのだ。


「脚色が過ぎるって言ってるの! それに……、せめてボクとウィヌはちゃんとくっつけてよ」

「ハッピーエンドじゃ響かないでしょ。それじゃあ戒めにならないもん」

「うーん。人間たちへの戒めってこと?」


 問いかけるリュイリィに、人差し指をぴんと立ててシリカはこう答えたのだ。このやり取りも、果たして何度目になるだろうと辟易しながら。


「それもあるけどね。どちらかといえば、僕たちへの戒めだよ」




 




 あの日確かに、シリカはそう答えたではないか!




「ねぇウィヌ。ボクたちの結婚式の前に、引っぱたいてやりたい相手がいるんだけど」

「奇遇だな。実は私も、まったく同じことを考えていた」




 女神を終えた彼女たちが、新たな女神に抗議立てするのは、また別の物語である。







 ──ウィヌシュカは夜祭りを謳歌する。


             Fin.──





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