第49話 大空洞にて。





 大空洞という形容こそが相応しい開けた空間に、ウィヌシュカとブリアレオスの操る二つの炎が逆巻いていた。瀑布に向けて流れる激流のようにうねり、迸る火柱を上げて中空を貫く乱舞は、何かの演目なのではないのかと勘繰ってしまいたくなるほどに洗練されている。


 上へ下へと立ち回るウィヌシュカを、眼球の動きで追い続けるうちにリュイリィは気が付いた。今も怒涛の如く繰り広げられている剣撃の全てが、よくよく観察すれば小細工抜きの真っ向勝負だということに。


 剣閃が風を切り裂く音と、剣戟のぶつかり合う音とが旋律を奏でる。ブリアレオスの巨漢に有るまじき身のこなしと、巨躯ならではの重さの込められた槍撃が、少しずつウィヌシュカを追い詰めているようにも見えた。


 熾烈を極める戦いの中に、今にも崩れ落ちてしまいそうな際どい拮抗が在る。崩壊の先には絶命が待ち構えているというのに、それでもウィヌシュカは炎の付与エンチャントだけでブリアレオスを迎え撃つのだった。


「愚かな女神よ! 何故だっ、何故お前はそこまで炎に執着するっ」


 咆哮にも似たブリアレオスの濁声。河を焦がす槍スヴォルの槍先から放たれた火球が眼前に迫り、ウィヌシュカは咄嗟に手甲で打ち払った。明後日の方向で弾け飛んだ岩壁の破片は、高熱に融けて丸みを帯びている。


 ウィヌシュカの危うい戦い方に、リュイリィの心臓が縮み上がった。一つでも間違えれば死に直結する局面であるのに、ウィヌシュカは腰元にいた鋭剣スパタにも頑なに頼ろうとしない。


「躍起にもなるさ。言い訳ひとつ見つけられないやり方で、お前をほふってこその勝利だ」


 明らかな窮地にもかかわらず、ウィヌシュカは薄い笑みを零した。余裕さえも感じさせる振る舞いに、ブリアレオスはぎりぎりと歯噛みする。もはや彼の表情には、泥酔の面影などどこにもなかった。


 憤慨するブリアレオスに向けて軽く肩を竦めてから、ウィヌシュカはリュイリィを振り返った。小さなこぶしを握り締めて見守るリュイリィに、穏やかな口調で言う。


「大丈夫だ、負けはしない。リュイ、お前はただ私の勝利を心から願い、そして疑うことなく信じてくれればいい。お前がそうしてくれる限り、私に敗北はないんだ。何故ならば原木の胎内ここは、そういった世界なのだから」


 慈愛に満ちたウィヌシュカの表情が、リュイリィに全てを悟らせる。リュイリィは気が付いたのだ。今この瞬間、ウィヌシュカと共に自分も戦っているのだと。


 あるじの心さえも塗り替えようとする生命の原木に、愚かしい本末転倒を伝えなくてはならない。


 祈り、願い、指し示すのだ。

 傀儡が望む未来を。


「あは、ボクも負けないよ。ウィヌを想うこの意識が、無意識なんかに負けてたまるもんか」


 一点の曇りもないリュイリィの視線が、ウィヌシュカに注がれた。微笑みで応えたウィヌシュカは、わずかな迷いもなく大きく跳躍する。仰け反るように死神の大鎌デスサイズを振りかぶった彼女は、低くくらい声音で詠唱を始めた。


「無尽蔵に廻る延焼えんしょうの螺旋よ、世界をくれないで蹂躙せよ」


 それは略式ではない、完全詠唱の冒頭であった。


 すでに炎の力を纏っている漆黒の刃に、ウィヌシュカは同一属性を重複させようとしているのだ。風詠の大狼エンチャント・フェンリルを二度重ねて、シリカを抱いて常闇から逃れた時のように。


「さぁ、更なる産声を上げて燃え盛れ──」


 だが失念してはならない。ウィヌシュカが本来司る属性が、炎だということを。苦し紛れに風詠の大狼風の力を重ね掛けしたあの時とは、そもそも威力の規模が違うのだ。




「──火焔の豎子エンチャント・ムスペル




 ぽふっ、と──。

 拍子抜けするような乾いた音。


 しかし間もなくして、肉眼による視力を完全に奪うほどの閃光が大空洞内に炸裂した。死神の大鎌デスサイズの切っ先から放たれる蒼白い耀ひかりの連鎖が、生まれ出ようとする影を永遠に殺し続ける。


 そして。


 炫耀げんように讃えられた世界を駆ける剣閃が、ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ──。


 純白の業火を纏って、ウィヌシュカは舞い踊った。

 

 あどけない豎子じゅしたちが、いつしかたくましい青年へと成るのは自明だ。

 無慈悲なまでの成熟は、未熟さなど微塵も残さない。

 燃え盛る音さえも、灼き尽くされる者に与えない。


 つまり──、もう。


 自らが灼かれたことにすら気が付かないままに、ブリアレオスは絶命の彼方で灰燼かいじんと化したのだ。


「え? え? え?」


 状況が全く飲み込めないリュイリィが狼狽うろたえる。ややあって彼女が視力を取り戻せば、艶めく銀色の髪が流れる愛おしい背中が在った。


 リュイリィの視界の先には、ウィヌシュカ以外に何も見当たらなかった。魂の核アニムスどころか魂の花アニマ一片ひとひらさえも遺さず、冥界の王として祀り上げられていた傀儡はその役目を終えたのだ。


「リュイ、待たせて済まない。最後の一柱の討滅が終わったよ」

「……凄いよウィヌ! ボク、とんでもないものを見ちゃった」


 ──本当は眩しすぎて、何も見えなかったんだけどね。


 言外の言葉を見透かしたのか、ウィヌシュカは白い歯を覗かせて笑った。


 リュイリィは照れ隠しの代わりに、ウィヌシュカに抱きついて胸元に顔を埋める。生命の音を刻むウィヌシュカの心臓は、苦しげに暴れ回っていた。平然としているように見えても、やはり大幅に消耗しているに違いない。


「ウィヌ、一緒に帰ろうね。それでいっぱい、いっぱい休まなくっちゃ」

「……ああ」


 答えるウィヌシュカの暗澹あんたんたる声色に、リュイリィは驚いて顔を上げた。まさかブリアレオスがまだ──、と思い至り、慌てて周囲を見渡す。


 すると、そこには──。


 暗黒を暗黒で塗り潰したかのような、虚ろな常闇が大きく口を広げていた。うおおおおおおおおんっ、と哭き叫ぶその姿は、食欲旺盛な魔獣の群れのようにも映る。


「どうしようウィヌ。ボクたち、常闇に囲まれてる……」

のだろうな。まぁ、どこかで分かってはいたことだ」


 大空洞に至るまでに駆けてきた道も、更に奥へと伸びている道も、すでに常闇に侵食されて逃げ場はなかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る