第39話 堕天する愛。
覗き見るという行為には、激しい常習性が備わっている。
ましてや盗み見ようとするその相手に、揺れ動く恋心を傾けているのならば尚更である。たとえリュイリィでなくとも、蠱惑的な誘惑を振り払うことは難しいであろう。埒外の手段を有しているということは、時に悲劇であるのかもしれない。
万年氷壁ヴァニラが陥落したその後で、リュイリィはウィヌシュカに背を向けた。悲痛な決意でさよならを告げたリュイリィだったが、間もなくして
まだ捨てきれない好意が、未だ足りない失望が、もう終わったはずの恋が──、これからの
リュイリィは、聖域ウィグリドへと飛翔する
不戦の誓いに守られた大地でリュイリィが見たものは、三柱の主神へと絶命を乞い願うウィヌシュカの姿だった。もしかすれば、自分がウィヌシュカを追い詰めてしまったのではないかという罪悪感と、これほどまで深く傷付いてくれたのかという歪んだ歓びが綯い交ぜになる。
しかしそれらは、全て自惚れに過ぎなかった。
人間界ミッドガルドへと降り立つと、ウィヌシュカは主神コットスに反旗を
──ボクを失っても、ウィヌはひとつも傷付いてなんかいない。
湧き上がる悲しみは、まさに激情。
かつて最愛だったウィヌシュカを覗き見ているという良心の呵責、つまり留め金となるはずの
リュイリィの激情に追い打ちをかけるように、ウィヌシュカの窮地に現れたのはライラとクロードである。旋回する
罪悪感を失った先にあるものが、たとえ身の破滅だとしても──。
もう、目を逸らすことは出来なかった。
彼女はその弱さが故に、覗き続けずにはいられなかったのだ。
ウィヌシュカの一挙一動を、リュイリィの意識は新世界ヘルヘイムまで追いかけた。
「──次はどうする。私は何をすればいい」
──ああ、ボクは一体、何をしているんだろう。
この悲しみから、いっそのこと目を伏せてしまおう。懊悩の中でそう思い至っても、しかしまたすぐに別の懊悩が、その気持ちを捩じ伏せる。
千里眼にも等しい埒外の手段を有しているということは、やはり悲劇なのだ。
少なくとも恋する乙女にとっては、悲劇以外の何物でもなかった。
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やがて彼女の意識は、精霊界ドヴェルグへと転移された。
侵攻する六千の魔銀兵の中の一人に、リュイリィの意識は紛れ込んでいたのだ。
凍りつく針葉樹林のあまりの美しさ。
リュイリィはその中心にウィヌシュカを見つけた。
あのライラが、恍惚の眼差しでウィヌシュカに見蕩れている。どこか誇らしげな気持ちと、背中を預け合うのが自分ではなかったという劣等感。複雑な感情は、嫉妬を経て憎しみへと成長する。
──どうして。どうして。どうして。
八つの分隊と三人の女神に取り囲まれた精霊界の主神を前にしても、リュイリィの胸中は怨嗟の声に塗り潰されていた。
何やら難しげな話が続いたが、そんなものはどうでもいいのだ。意識の
「シリカ! シリカっ! 私の声が聞こえるのならば、せめて声を上げろ!」
その身の危険も
常闇から逃げ惑う魔銀兵たちの意識の間を、次々に飛んでは視界を繋いだ。風の力を纏ったウィヌシュカの疾さに、リュイリィは何度も彼女を見失いそうになった。
やがて現れたのは、赤髪が鮮やかなあどけない少女。
「キミは──、誰なの?」と問いかける相手に、ウィヌシュカが入れ込んでいる意味が全く分からなかった。ただぼんやりとリュイリィは思う。なんとなくこの子は、ボクに似ているな、と──。
シリカと呼ばれるその少女を胸元に抱き寄せ、ウィヌシュカが言う。
「絶対に離れるな」
リュイリィは放心した。それが大きな油断を生み、意識を潜り込ませていた魔銀兵が常闇に呑まれて絶命してしまう。視界を覆うのは、大波のような深淵の漆黒。
リュイリィが最後に見たものは、ウィヌシュカがシリカに微笑んでみせる姿だった。不器用なその優しさは、リュイリィが決して手に入れることの出来なかったもの──。
この瞬間、リュイリィの心は完全に壊れたのだ。
そして彼女は、もう一度願った。
いっそのこと、全てが滅びれば良いと──。
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